82年生まれ、キム・ジヨンのレビュー・感想・評価
全176件中、61~80件目を表示
誰かの・・・ではなく"私"
83年生まれの女性です。
やっと住んでる地域にきてくれたー。
原作は読んではないけれど、コン・ユ作品に間違いはないと、楽しみに楽しみにしていました。
本作のレビューを読みましたが、多くの方が共感しただとか、男性として反省すべき点があるとか、そういった類の感想が多いように思いました。
レビューを書いた人に限りとは言え、世の中にはそんな感想を持つ方々が多いのかと正直、ビックリ。
私自身が主人公のジヨン(チョン・ユミ)の年齢や子育てしているという設定が同じな為、鑑賞しやすかったように思う反面、自分と比較しながらの鑑賞となりました。
そもそも、ジヨンはキャリアウーマンで、なんなら子供を産んでもグループ長のように仕事を続けるつもりでいたようだけれど、どうして辞めたのか?
子供を身篭る前に、子供を産むと人生が変わるとあきらかにネガティブに見えました。
子供を産めば確かに女性は変わります。
体型が変わる、生活リズムが変わる、優勢順位が変わる、ご飯の食べるスピードが変わる、お風呂の入り方が変わる、口調が変わる、選ぶものが変わる、着る服が変わる、まだまだたくさんの変化があります。
それはでも、決してどの母にも当てはまることではなく、人による、家族によるなんですよね。
産後うつは、どのお母さんにでも軽かれ重かれあるのでは?と思わずにはいられないように感じます。睡眠時間は削られ、慣れない子供との生活をすんなり受け入れて、スムーズに穏やかに子育てできなかった私からすれば、もはや最初の子の子育てはしっちゃかめっちゃか。修行、修行、これは人生の修行!と思わざるを得ない毎日でした。
その中で一番感じたことは、私は何が辛いのかを考えたとき、私が私のことを一番に出来ないことが辛かったのです。誰かの母であること、誰かの妻であること。それを優先しすぎて、私であることが後回しになっていたからです。
映画とは関係ない話になりましたが、ジヨンに対して思うことは、彼女は彼女らしく自分の思うように生きていないことが生きづらくさせていたように思いました。
誰かの母、誰かの妻、誰かの、、、誰かの
その事ばかりを優先していると自分を見失ってしまうように思います。
ジヨンの場合、実父が男尊女卑であったり、義母が古い考え方の人だったりしますが、それ以上に、夫は優しくて子育てにも普通に協力的だし、実姉はフェミニストのように真っ当な女性の人権を称えるステキな人だし、実母にいたっては常に味方。会社にはキャリアウーマンの上司や先輩。これだけの環境なのに、やはり、本人自身が自分はどうしたいのかをもっと考えるべきところで考えずに、世の中に習わしに流されてしまっているように感じました。
コン・ユは本作の話をもらってから原作を読み、自分の母親に電話して涙したという話を読みましたが、やはり彼の母親もジユンのような女性だったのかなー。それでも、その母親が育てた息子は、女性蔑視をしないまともな、いやそれ以上に素晴らしい男に育っているところをみると子育て大成功だと思いました。
ジヨンの夫のデヒョン(コン・ユ)は、妻の変わっていく姿に不安と心配で苦しんでいたし、自分のせいではないかと責めていました。この気持ちは私も感じたことがあるので(元彼や夫へ)すごく共感できました。
日本では、男性の給料、雇用形態をみると昔より明らかに悪いし、(お父さん1人が働いて稼ぐ金額が昔より低いって意味です)そもそも、子育てするより働きたいってマジで思うお母さんばかりではないのに、女性の社会進出を煽るフレーズばかりで嫌気がさします。それこそジヨンのように、専業主婦してることが後ろめたく感じてしまうのではないでしょうか。
世の中の考えや価値観よりも、自分のことをもっともっと考えて、自分なりのポリシーがあれば、人は輝きます。自信を持って胸を張って暮らしていけるのではないかな。周りに批判されようが、周りから嫌味を言われようが、そんな人は堂々としていられるはずだと私は思っています、、、
チョン・ユミの演技に泣かされました
小説も読んでましたが、映画の方が共感しやすく、かなり感情移入できました。
チョン・ユミもコン・ユも、素晴らしくはまり役だと思います。優しく思いやりのある旦那さんだけど、妻の生きづらさ、社会からの疎外感を十分理解することができない。
映画の進行と共に、どんどん追い詰められていくキム・ジヨン、就職に向けて張り切っている時のキリッとした表情と自身の期待や願望がうまくいかないことを悟った時の困惑、落胆した表情の落差が、素晴らしい演技で表現されて、観客(特に女性)の共感を呼び、映画が終わる頃には、多くの観客が涙を流していました。
私も、一緒に観に行った友人も、自身のこれまであった様々な出来事がフラッシュバックして、キム・ジヨンと一緒に泣いてしまいました。
一番良かったのは、キム・ジヨンの母親が、ジヨンを庇って家族にこれまでの色々なことを、おかしいじゃないか!と訴えるシーン。こんな母親がいてくれたら、辛くても心の支えになるだろうなと思いました。
予告を観て感じていた違和感 「なぜ私ひとりだけ・・・」というセリフ...
予告を観て感じていた違和感
「なぜ私ひとりだけ・・・」というセリフ。
辛いのは自分だけって思ってしまうのはどういうことなんだろう。
作品を観て、その言葉の背景はわかりました。自分の立場では感情をどこに向けたらよいのか最後までわからずで、淡々と観るしか無かったのが正直な感想です。
ジヨンが自分の感じたままに大声を出せたことはよかった
原作と比べてだいぶソフトになっていましたね。男性に対して。 私は男...
原作と比べてだいぶソフトになっていましたね。男性に対して。
私は男性ですが、これだと「夫の気遣いを理解しない妻の話」と受け取るバカが間違いなくいますよ。
それくらい救い難い現状を、原作は描いていたと思うんですがね。
ジヨンは病気ではない。
僕は、ほかの事を考えながら観ていました。
①ジヨンは病気などではない。
②『ジヨンは病気だ』と言うのは誰だ?。
そして
③「お前は病気なのだよ」と、繰り返し妻を説得するあの理解ありげで優しい夫は、果たして本当に正しいのか?
洗脳、虐待ではないのか?
・・・・・・・・・・・・
有史以来、“異言”をかたる者は“病人”のレッテルを貼られてきた。
彼女ら、彼らは、“異常者”としてその言葉を封じられてきた。
・巫女の託宣は命懸けだ。彼女らは神女として尊ばれるか、気がふれた女と指差される。綱渡りだ。
・ジョルダーノ・ブルーノ(16c.イタリア、修道士、科学者、哲学者)は宇宙の無限と天動説を主張し教会から異端宣告を受け火炙りになった
・同時代のガリレオもあわや危機一髪。
・時の権力に抗して声を上げ、異端とされて焚刑に処されたのはオルレアンの少女ジャンヌ・ダルク。
・旧ソ連では政治犯は精神病院でロボトミー手術だ。「“完全”であるはずの社会主義に異を唱える者は病人」の烙印を押される。脳にメスを入れられて声を奪われ喋れなくされる。
最近では習近平の写真に墨汁をかけて体制批判の声をネットに流した女性も、精神病院送りになったと報じられている。
枚挙にいとまがない。
説明が長くなったが、
ジヨンを見ながら僕は思うのだ、
ジヨンは病気か?
もしジヨンが病気でないとすれば、物語の主客は逆転するのではないか?
・・・・・・・・・・・・
「ジヨン、お前は病気なのだよ」
「お前は間違っている」
「黙りなさい」
「治療しなさい」とみんながジヨンに詰め寄る。
“精神病患者”として口を封じられるキム・ジヨン。
― 国家によって、
― 世間によって、
― 夫や父親によって、
― 義母によって、
そして、実母によって。
僕は優しくて理解あるあの夫の判断も、
なにか薄ら寒く感じる。
劇中のクライマックスは
亡き祖母がジヨンに憑依して母に語りかけるシーンだ。
憐れみとねぎらいの言葉をジヨンが母に語るシーン。息詰まるシーン。
「アイゴーオンマー!会いたかったよ、ありがとう!」と号泣しながら、母は祖母(=ジヨン)にしがみついても良かった。
しかしあの時、
寸手のところで我に帰ってしまった母。“正常な判断”で「娘ジヨンは病気だ」と判じてしまった母親。
僕は ただただ、母のあの躊躇い(ためらい)が残念で悲しい。
そりゃあ
僕もわかっていますよ、おそらくジヨンは、神経症で「産後うつ」なのでしょう。
でも、しつこいようだが、
娘が祖母になりかわって、母の人生の恢復のためにあの世から戻って来てくれて、母親に語りかけることの何処が病気なのだ?
娘の声の中に死んだ祖先=女たちの励ましを聞くことの何が病気だと言うのか?
母がよみがえって、自分に話し掛けてくれるこの上もない幸福な時を、そのまま直に受け止めて二人で「アイゴーオンマよー」と嬉し泣きに泣くことのいったい何処が病気なのだ?
残念だ。
祖母から母。母から娘。
そして娘から孫娘への、女の命の地下茎と、想いの血流まで否定をして壊してしまう、そんな現代社会こそ病んでいて悲しいと、
この映画を観て思ったのでした。
女性達が苛まれる苦難に無自覚な男性陣こそが観るべき作品
結婚して専業主婦となったジヨンは家事と子育てに追われながらもそれなりに幸せな生活を送っていたが、次第に閉塞感に見舞われるようになる。日常生活の中に潜む抑圧と折り合いをつけながら懸命に暮らしていたジヨンだったが、夫デヒョンの実家に帰省した際に義母から投げつけられた言葉をきっかけに別人格が現れるようになる。
『パラサイト半地下の家族』、『はちどり』、『目撃者』、『ブリング・ミー・ホーム 尋ね人』といった今年観た韓流映画だけでも韓国特有の儒教に根ざした価値観に善良な人々が蹂躙される様が描かれていますが、本作ではそれがこれでもかと詰め込まれています。モラハラ、セクハラ、盗撮、痴漢・・・男性優位社会の中で女性達が見舞われる様々な苦難はどれもリアルで残酷。絶望的なまでに選択肢のない世界で健気に生きるジヨンを庇ってくれるのが自身の中に発動した別人格だったというのは実にショッキングですが、それゆえにそんなどん詰まりの社会で虐げられた女性達が少しずつこじ開けた穴から陽光が差込むかのような結末が胸に沁みました。ずっしりと重いのに爽やかな作品です。
本作は全女性が共感すること請け合いですが、これは全男性こそが観るべき作品。ほぼホラー映画のような毎日を女性達が送っていることに我々が無自覚であることをきっちり反省されられます。ジヨンを演じるチョン・ユミとデヒョンを演じるコン・ユはどちらも『新感染 ファイナル・エクスプレス』に出ているので、本作は『新感染〜』のプリクェルのようにも見えてしまいます。
すごい
絶えず問いかけがある。その上、原作とは違うエンターテインメントでもあるラスト。観ながら、自分のゲタを履かせられた過去とか、色々考えた。そして、チョン・ユミは本当にすごい。すごかった。
慣習
なかなかに問題作。
韓国だけの話でもないようには思うけど、独自のお国柄ってのは多少はあるだろう。主人公の立場を案外ドライに描いてた印象を受ける。
だからこそ、この作品をキッカケに議論の1つも巻き起こればいいなとは思う。
思うが…。
なかなか改善は難しいのだろう。
前時代から引き継がれる慣習とそれに隷属する価値観は根強く、社会環境もそれに適応しきれてはいない。作中で語られる事実はどれも現状を表してるかのようにも思える。実際の給料事情もその通りなんだと思う。
自立を促しながらも、育児というのっぴきならない義務を担わなくてはならず、それ自体は人類規模の話だ。そう思うとある種の矛盾を今は抱えてるように思う。
変革期だからこそ生まれる軋轢や歪みに、飲み込まれないようにバランスをとってかなきゃとは思う。
実際、今の慣習に容易に染まれる人もいる。
この作品がとある一例であるのは言うまでもない。
まぁ、価値観を変えていこうと言うのだから、並大抵な作業ではないし、短時間でどおなる事でもない。
こおいう立場の人もいる。
それを知る為の作品なのだろう。
「ママ虫」ってのは衝撃的な単語だった。
あんな風に言われなきゃいけない理由なんて1つもないし、誰しもが通ってきた道だ。
荒んだ現代を象徴しているようで、憤りを通り越してひたすらに悲しい。
今の価値観だと出産はリスクのように感じる。
そう感じてしまうのが1番の問題なのだろう。
誰もリスクを取りたくはない。だけどそれを排除する生き方は国家的なリスクとなっていく。
女性は出産を「人生が変わる」と捉え、男性は「生活が変わる」と捉えていた。
その通りだと思うのだけど、改めて聞くとゾッとする。
生物学的に男性は出産できないし、出産は女性だけの特権でもある。公平ではない機能を有する異なる生物を公平に扱おうというのだから、それはそれで無理ゲーのような気もするんだが、難解なこの命題に科学と文化で立ち向かってほしい。
子孫繁栄は生物の大前提で…母という存在は、それだけで神々しくもあるんだが、いつの間にこんなにも格差がついてしまったのだろうか?
複合的な問題はありはするんだが、先ずは感謝を怠らないようにと肝に銘じよう。
日本と同じ
家父長制度、男尊女卑、男の女性への見方は全く同じなんだと妙なところで共感してしまい、別人格が憑依したかのような言動に驚いてしまった。「LGBTには生産性がない」、「女性はいくらでもウソをつける」と発言する国会議員もいるように、政治家からして女性の地位を貶めている日本。ちょっと前には厚労大臣による「女性は子供を産む機械」発言があったり、「子どもを作らない女性が税金で・・・」と発言した元首相もいた。多分、「産めよ殖やせよ」という戦時中と同じ感覚なんだろうな。
映画では世間話として「子どもは4人産まなきゃ」などという言葉もあったり、ジヨンの父が「働かずに嫁に行け」と直接の言葉もあった。女性は子どもを産み育てるのが当然なのか?と直接の問いかけはないが、ストーカー被害や盗撮被害に遭ったりすることで性的弱者の描写もあったりする。産後うつもなんとなくわかるし、強迫性障害も理解できる。そんな彼女に対する夫のいたわり方もごく自然。
ベビーカーを足で揺り動かすシーンがもっとも印象的だったのですが、これもうつ症状の象徴的な行為だったのかもしれません。とにかく原因がわからないと対処できない。最初の精神科のテストが高額だったためにさっさと諦めて帰ってきたジヨン。なにしろ自分の症状さえ気づかないのだから通院にも積極的ではないのが悲しい。
働くことで治るのか?多分、ジヨンは何かをしなければ落ち着かない。パン屋の話もあったり、元職場のチーム長の誘いもあった。しかし、ベビーシッターが見つからずにまたイライラ。大学の国文科出身というのも、職業的には何を選択すればいいのか不明瞭なところだ(でも、解決の糸口となる)。結局、別人格というのも兄弟のために働いた祖母や尊敬する先輩だったことから、自分も何かをしなければならない不安があったのかもしれません。
うつ病の男女比は1対2くらいなのに、うつ病による自殺の割合は逆転して2対1。抑圧されても耐えているのが女性なのかもしれません。家事・育児を軽減して自由になれる時間を夫婦で協力して作るのがいいのでしょうかね・・・結婚もしてないし子どももいない者が適当なこと言ってしまいましたがお許しを・・・
夫のほうが鬱になっているのでは?と思うぐらいに悩んでいて、色々な事...
夫のほうが鬱になっているのでは?と思うぐらいに悩んでいて、色々な事で自責の念に駆られているんだなぁ、と、、、世の男性、夫たちが、これほどまでに女性、妻のことを考えてくれるだろうか?もちろんそこまで悩むほどにならないのがイイのだけれど。それにしても韓国の俳優さんは上手い!
バイアスの呪い
原作を読まずに映画を観ました。
韓国も日本も産休育休に対する考え方は変わらないと思います。ここで変わって来ていますが、まだまだ時間がかかると思います。
社会全体が変わっていけば映画のような悲劇は起こらないと思いますが不妊治療で少子化の歯止めになると国が考えている限り世の中は変わらない。
結婚が恐ろしくなる映画をまた観てしまいました。
価値観の見直しを迫られる
社会的メッセージ性の強いテーマに囲まれて、精神的に追い詰められた女性の再生の物語。
とてもいい脚本でした。
世代間ギャップや多くの男性側に刷り込まれた偏りのある女性像などの問題をあぶり出しながらも、そのテーマ性の告発や怒りに収斂させて共感を得ようという安易さは感じられませんでした。あくまでも、精神的に追い込まれたひとりの女性の立ち直りの物語を主眼として描き、明るい未来に希望を抱かせる作品作りに成功しています。鑑賞後の爽やかな安堵感はきっとそのおかげなのだと思います。
差別とかハラスメントなどをテーマにした映画や文学作品はたくさんありますが、こういう問題があることを、まずは知って欲しい人、向き合って欲しい人ほど、この手の作品に興味がないし、自発的な動機で観に行く機会はほとんどないという困った現実があります。
更に厄介なのは、今は旧弊にしか見えない考え方や慣習の中で育ってきた人にとっては、それを否定することは、自分の価値観そのものを否定するように思えることもあるということ、そして旧弊が廃れることに抵抗を覚える人もいることです。例えば、デヒュンの母親にとって、仕事に生き甲斐を感じる女性の存在は、自分の息子にとっては受け入れたくない変化です。
『まったく今時の若い嫁ときたら❗️』
たぶん、ここでレビューを書いていらっしゃるような方々の多くは、この映画で感じるまでもなく、女性に対しての自分の言動を振り返って反省したり後悔することを多かれ少なかれ経験されたと思いますし(私も数え切れないほど心当たりがあるし、いつでも現在進行形で気をつけなければいけないことだと自覚しています。それでも反省しなければいけないことだらけです)、日頃から、他人を無闇に傷つけないような心持ちで過ごされているはずです。
世の中の仕組みや世代的に刷り込まれた価値観は簡単には変わらないけれども、意識的に時代の変化を受け入れ、自分の周囲の若い世代の人たちへの応援の気持ちや優しい眼差しを持っている人は一定数います。一方でそういう考え方の変化にあまり縁のない人も一定数います。
そうであるならば、社会に求められるのは、生きていくうえで大事なことは自分がどんな状況にあろうとも、自己の判断と責任で選択をすること。それができる人を育てること。
そして、その人たちの選択を周囲の誰もが一旦は肯定し、受け入れることができる懐の深い社会を作ること。
よくよく考えると、今の大人たちの大半は、いい学校、いい会社、安定した会社、いい家庭……そんな漠然とした価値観に沿って歩むことが良きこととされてきた時代に育ってきたわけで、人生の岐路に自分の責任で何か大事なことを選択する、という経験や訓練は受けてません。
そんな男どもに、子育てか、キャリアか、どちらもとるか、そんな大変な選択について、アドバイスなどできるはずがないと思います。
私自身がそうですが、多くの男性は女性が生きづらい世の中についての責任を文化的慣習や法的制度的な問題のせいにして、自分が出来ることについての考察はついつい後回しにしてるということがあるのではないでしょうか。
自分は何ができるか。
とても深く考えさせられる映画です。
涙腺崩壊
女性の生きづらさは韓国も日本も全く一緒なんだと知った。あるあるの社会問題をこれでもかと散りばめながら、自分を大事に生きることの大切さを教えてくれる良作。ダイバーシティ&インクルージョンの観点を知るために男性サラリーマンにもみてほしい。パパたちにもママの苦しみを知ってほしい。ママたちは1人じゃないと知ってほしい。苦しい作品ですが、全編を通して家族愛や夫婦愛、友情に彩られているのが救いです。
韓国社会で虐げられる女性を描いた映画?かと思ったら、全然違いました。
この映画、観るべきかどうか判断に迷い、少し遅い鑑賞になりました。
多くのレビューを読んでも個人的にピンと来るものが無く、自己判断で行きました。
結果、「もっと早く観ておけば良かった」と思うくらい、予想外に素晴らしい映画でした。
「韓国社会独自の歪み」や「韓国で虐げられてる女性」を描いた映画という予想とは違い、
もっと普遍的で、人間愛的なテーマが描かれている印象で、そこが良かったです。
韓国特有の問題要素も少なからず出てきますが、この映画が伝えたい物は他にあると感じました。
「男性に観てほしい」みたいなレビューが何故か多いのは、やや違和感。
「男性が気づかない女性の苦しみを知ってもらう」とか、そういう単純な映画じゃないです。
男性だろうが女性だろうが関係なく、この世界に生きる大人なら誰でも観て欲しい映画。
そう感じました。
この映画、原作とは内容が少し違うようですが、逆にそこが良かったですね。
重くて辛いエピソードは多く出てきますが、それだけでは終わらせません。
主人公の彼女の周囲にいる夫、それぞれの家族、友人達が、深い思いやりの心を持って、
色々な問題解決のために、まるで自分の事のように大事に考え、動いてゆく。
その姿が美しく、魅了させられる世界観が描かれています。
鑑賞後、家族や友人や好きな人を大切にしたくなる。そんな素晴らしい映画ですね。
予想していたよりも遥かに良質な内容だったこともあり、5つ星評価にいたします。
男尊女卑?
前半、うけるー。後半、自然に仮眠。
そないゆーほど対して…。要は男は仕事。女は家事育児か❓みたいな。これからの夫婦は仕事も家事育児を分担しなきゃ嫁さんに逃げられる事必至かも。メンズさん、がんばれー❗
「超逃避」が誠実に描かれている。
現実の過度な圧力から自分を守るために、主人公は「憑依」と見られる防衛行動を顕にする。昔でいう「狐憑き」はこういうものだったのだろう。
お母さん、あなたは誰よりも強く優しい人でした。
キムジヨン
制度というより意識下にある男女の非対称性をちくりちくりとあぶり出す。これは差別だったんだと気付かせる。原作既読であるが、具体的事例をあげた論は分かりやすく、自身のバイアスを補正するのに役立った。
原作からの改編には正直感心しなかった。脚本そのものの魅力が減じて、何よりも全体的に緩む。主人公自体も少し印象がボヤッとしている。
全176件中、61~80件目を表示