「自分の生き方」パピチャ 未来へのランウェイ Socialjusticeさんの映画レビュー(感想・評価)
自分の生き方
この映画は『目を開けて最初にみえたものÀ peine j'ouvre les yeux/As I Open My Eyes(2015年製作の映画)』のチュジニアが舞台の映画と似ているので驚いた。
チュニジアの映画の発端は2010年の12月17日だった。でも、アルジェルアのこの映画の方は1990年だというので比べると二十年も前の話になる。チュニジアの映画は『アラブの春』の発端地で、政府は思想を規制統制をし始めているところだった。大学生ファラーFarahはバンドのボーカルでJoujma - 'Ala Hallet 'Aini (As I Open My Eyes/A peine j'ouvre les yeux) - Studio Version (これをコピペして聞いてください)を歌う。それは、『My Country』『自分の国は国を閉じている、この混乱のなか、私は目を閉じる。。。国に問題がある時は、人々も人間の心を失う。。。』と自分の国を愛しているから自由を失い始めている国に警告をといったらいいか?素直な気持ちを歌にしている。
しかし原理主義の煽りにアーチストの表現の自由の思想が奪わて思想弾圧警察に捉えられる。
アルジェリアの『パピチャ』はアルジェリア内戦の始まりで、原理主義の統制が入り始めている時代に生きる大学生たち。ファッションデザイナーという表現の自由を夢みる大学生のネジャマはこの原理主義の餌食になり、自由に表現したり生きることに危険を伴い、ファッションーは修羅場になってしまう。
両方の映画は、大学生の女性が主人公で、計り知れない困難にあっても、自国を離れて、以前の植民地として抑圧したフランスに亡命しようとはしない。両方の大学生は青春である大学時代を奪われてしまう。そこで、ファラーFarahのほうはボーイフレンドが裏切り、友達もさり、その中から、最終的に、支えてくれるのは母親だけで、その愛があるからやり直していけるように思えた。
イラン、アルジェルア、チュニジアなどイスラム原理主義の台頭時代。でも、ユダヤ教でも、キリスト教でも原理主義とは言わないが、経典の『タナハ』『聖書』を文字通り信じていて、正統的な宗派がある。でも、正統的な宗派は現代社会において、生きにくくなってしまって孤立化していると思う。でも、イスラム原理主義はどうなっていくんだろう。
この映画は『死を覚悟で自由に生きることを勝ち取る』自由とは戦い抜いて自分のやりたいことができること?そこには、大声で批判しあっても、戻れる親友ワシラやサミラなどがいる。友のこころの中を理解してあげることのできる親友、そして、理解してくれる親友。そして、自由の精神の母親と姉リンダ。ジャーナリストの姉を失ったネジャマの家族に新しい家族ができる(妊娠したら家族から殺されたり、おいだされたりするからネジャマのところにきた)て、新しい生命が芽生える。私には想像できないこれからの苦難の中でも、自分を失わないだろうと思える姿に明るい将来が見えた。私も!
蛇足:
私の知り合いはイランからである。イランではシャーを倒し、イスラム原理主義のホメイニが党首のたっと時期がある。この端境期に私の知り合いはイランで生きてきて、夫婦共々米国に亡命した。この時代は、イランの映画でよく取り入れられている。