「女の子が戦う理由。」パピチャ 未来へのランウェイ だいずさんの映画レビュー(感想・評価)
女の子が戦う理由。
パピチャ(PAPICHA)とは、アルジェリアのスラングで、「愉快で魅力的で常識にとらわれない自由な女性」という意味をもつそうです。映画HPより。
90年代にアルジェリアで内戦があったことは、知りませんでした。
アルジェリアと言えば、フランスの元植民地で、その後独立して、アフリカの北のほうの国だから、多分イスラム圏で、地中海に面しているんじゃなかったけ?くらいのしょぼい知識しかありません。
それでも十分わかります。力作だと思います。
90年代のある時点で、大学生である女の子たちが、寮内でのファッションショーをやろうとするけれども、原理主義者が女の正しい服装をしろとのプロパガンダをうってくるし、もともと女性の地位は低いし、女子の寮生はなんか差別されてるっぽいし、前途多難…というお話です。
女の子があつまってきゃっきゃうふふと楽しむ描写がたくさんあって楽しくて軽やか、なんですが、突然人が殺されたり、原理主義グループによる検問とかもあってスリリングです。
主人公のネジュマは、父親がいなくて母親がやさしいので、割と自由に育った様子です。
洋服を作るのが好きで、その年の子らしく楽しいことが好き。
寮を抜け出して、クラブへ行ってトイレで自作のドレスを売ってます。
お姉さんのリンダはジャーナリストなのですが、なんか思惑ありげな表情をしてると思ったら、お亡くなりフラグだったようで、ネジュマとともに訪れた実家にて、突然リンダを訪ねてきた女に銃殺されます。
お姉さんが殺されて落ち込むネジュマですが、お姉さんが最後にキレイと言っていた布でファッションショーをやろう!と決めます。
大学のお友達と協力して、準備を始めますが、今まで協力的だった門衛さんはいきなり体で払えやと脅してきたり、壁の穴がふさがれて外出できなくなったり、友達の一人が妊娠(相手は恋人)しますが、兄に別の男と結婚させられる予定で、どうしていいかわからない。
また、ネジュマは別の友達とグループ交際を始めますが、友達の彼氏が男尊女卑野郎で、女は「正しい」服装をして家にいればいいとかゆうので、友達の彼氏とけんかになります。
ネジュマの彼氏のほうは、原理主義がはびこるこの国にはいられないということで、国外へ出ていくのでネジュマについてこいと言います(かなり上から偉そうに)。
ネジュマは彼氏の誘いには乗らず、怒って帰宅しますが、寮の部屋が荒らされて準備してきたドレスがめちゃくちゃ…
学内でもこの状態なので、ファッションショーはやらせられないと寮母さんに言われますが、何とか開催をもぎ取る。
で、何とかファッションショーは実施されたのですが、原理主義者たちに踏み込まれ銃撃され・・・
多分生き残った学生は、退学させられたか退学したかで大学を後にします。
ネジュマは母の住む実家へ帰りますが、妊娠した友達が兄に殴られて、家を追い出されてネジュマの家に来ます。
じゃ、一緒にくらそっかという感じになり、中庭できゃっきゃうふふと楽しんで、多分映画は終わったと思います。
全部事実ってわけではないのでしょうが、90年代のアルジェリアの女の子の現実とは、押しなべてこのような感じだったのだと思います。
ネジュマをはじめとする女の子たちが悪い点はひとつもありません。
楽しんで、恋して、夢を見て、勉強して、、、、、、、人権として保障されるべきことをやっていただけ。
なんだけど、それが許されなかったんですね。
そんななかでも女たちの連帯があり、なんとか希望は残ったという印象です。
イスラム原理主義による弾圧は、ちょっと横へ置いておいて、出てきた男性たちを見ていて思ったことがあります。
それは、原理主義者がいう「正しい」女性像を、周囲の女たちに強いることで、自分の鬱憤を晴らしているように見えたということです。門衛さんとかね。
彼らは「正しい」女性像なんて別に信じてないし、自由に商売もできないし、うれしくないけど、きな臭い世界で自分がうけるとばっちりを女をいじめて発散しようとする男、に思えました。
現代にもいるぞ、と思いました。わたしも知っている情景だと思いました。加害者は男に限りません、女だってやっています。
のびのびできない苦しい社会・生活の中では、人をいじめる気持ちよさが選び取られてしまう。ということなんだと思います。