「【エンディング……】」パピチャ 未来へのランウェイ ワンコさんの映画レビュー(感想・評価)
【エンディング……】
このエンディングをどのように感じるか……。
アルジェリアは、1962年のフランスからの独立後も長い間、政情が安定したことはないように思う。
昔、バックパッカーをしてた時に、モロッコからアルジェリアに入ろうとして、ルートによっては危険だからやめた方がいいとアドバイスされて、素直に考え直したことを思い出す。
この作品は、暗黒の10年と呼ばれる90年代のアルジェリア内戦の時代が舞台だ。
だが、自分が入国を諦めたのを考えると、出てくる女性の現代的な出立ちや、煌びやかなビーズ、フランス語の会話、アメリカの音楽など、当時は想像もしなかったことばかりだ。
植民地時代からフランスの文化が大きく影響していたのだろう。
一度自由の息吹を感じたら、後戻りするのが困難なのは、世界のどの国でも一緒だろう。
話しは変わるが、モロッコのカサブランカも近代的な都市で、女性も現代的なファッションをしていた。
ただ、イスラム世界には、イスラム原理主義とか、イスラム復興主義と呼ばれるイスラム法に従って生きるのが最重要という考え方が根強くあり、これは常に自由主義や民主主義と対立している。
よく知られたのがアルカイダやタリバンだ。
そして、特に女性には戒律が厳しく、一夫多妻も特徴だ。
最近、サウジアラビアでは女性が車の運転が解禁されて話題なったが、ヒジャブはきっと必須のままだ。
宗教のことをあれこれ言うのは難しい。
アイデンティティにも関わる問題になりかねないからだ。
しかし、原理に従って、正当な裁判もなく、めたらやったら人を殺しても良いような思想原理などあり得ないだろう。
異なる宗教に対しての攻撃や他国へのテロも同様だ。
ただ、僕はこうした原理主義の背景には、資源ナショナリズムが強くあるように思う。
資源が潤沢にあって、有能な人材や他の産業を育成する必要もなく、特定の階層だけが、豊かで努力や忍耐などなく潤っていれば、それで良いと思う人は少なからずいると、下世話だが思う。
車での移動の中の会話を聞いていても、女性は従属的で、何も言わず、家にじっとしていてくれれば良いというように思う男性が伺える。
バカバカしいが、きっと真面目にそう思っているに違いないのだ。
そして、政府と対立するアルジェリアの原理主義派は、資源の利権を内戦に乗じた暴力で奪取して、これに反目する考え方の人間には銃をぶっ放して、殺したり、黙らせれば良いと、実は、イスラム法典に具体的に書いてないのに、原理主義の指導者が勝手にイスラム法を解釈して、それを流布して、自分たちは許され、救われると信じて疑わないのだ。
だが、時代は変わりつつある。
原油が枯渇しつつあると言われていたアメリカが、シェール原油やガスの産出量が復活して、中東諸侯やロシアを抜いて、世界一となり、だが、一方で、国際エネルギー機関(IEA)や石油輸出国機構(OPEC)は、世界の化石燃料の需要見通しは、再生可能エネルギーの効率化や、地球温暖化を食い止める世界的なムーヴメントで減少の一途だと予想している。
主要なエネルギー供給国には散々な見通しだ。
世界一の産油国サウジアラビアでさえ、ほかの産業育成が急務だとしているのだ。
アルジェリアも天然ガスを中心に化石エネルギーの豊富な国だ。
この利権は、政府、反政府派の戦いの中心だ。
リビアも似た状況だ。
でも、世界は変わりつつある。
だから、この映画のアルジェリア国内での上映を拒んだり、アメリカのアカデミー賞に圧力をかけて出品を妨害したりしないで、もっと国際交流を図ったり、女性の社会進出を図ったほうが、今後の国としての生き残りのためには重要だろう。
最後の場面、当時、こうした光景が実際にあったのだそうだ。
やるせなさを感じてため息をつくのか、
怒りの感情を呼び起こすのか、
パピチャがアルジェリア出身の女性によって作られたことを考えて少しでも事態が改善していると思うのか、
時間がかかりすぎと感じるのか、
世界的にこの映画が上映されて出来るだけ多くの人の目に留まり、問題意識を共有出来れば良いと願うのか、
人それぞれだと思う。
救われない光景で、当時のアルジェリアの惨状が明らかになり、憂鬱にもなったが、それでも、女性達の強い意志には変わりがなく、こうした映画が作られたのだと僕は思う。
だから、少しは明るい気持ちを保ちつつ、世界の人々がこの状況を共有して、問題意識として心に留められたら良いと心から願う。