行き止まりの世界に生まれてのレビュー・感想・評価
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人生に逃げ道なんてない
登場人物は皆んな複雑な家庭環境にある
貧困、家庭内暴力、ドラック、アルコール
そんな家庭環境にある彼ら少年にはスケボーがあった
スケボーをやってる時は嫌なことから抜け出せるんだ
まるでドラックだよ、と少年は語っている
家から抜け出し仲間と集まってスケボーをする
その時だけは嫌なことを忘れる事が出来たんだろう
だがいつまでもそんな日々は続かない
人生は進んでいく
嫌でも時は過ぎ人は大人になっていく
そこには人生の現実が迫ってくる
目を背けるわけにはいかない時が訪れるのだ
人は過去のトラウマ的な出来事
自分ではどうしようも抗えなかった出来事が人生に影響を与える
そしてその出来事を人生の言い訳にしてしまう
だがそれを言い訳にし過去にしがみついてるようなら
人生を前に進めることはできないのだ
だからこそ登場人物達は必死に人生を前へ進めようとしてるようにみえた
必死にもがいて抗って、でもその時に流されたりして
そんな人間臭さがドキュメンタリーであって最高に良かった
過去を清算し、認め、許し、そして前へ進む
だって過去は変えれないのだから
過去に縛られるんじゃなく
全てを受け入れ許し前に進んでいく人生を決断した彼等の世界はもう行き止まりの世界ではないだろう。
最後に1番この映画で印象に残った台詞を共有したい
認めたくないんだ
人生が苦しいのは俺が最低だからだなんて、
消えてしまいたい
くそみたいなこの人生を認めるのが嫌だった、
だってこの人生は自分が選択した結果なのだから
自分の敵は自分だった
逃げ道なんてない
少しずつ見えてきた3人の未来への道に感動
時代も周りも年齢も変わっていくのに、
3人が住んでいる世界・環境は全く変わらない。変えられない。
今のままじゃダメだと思いながらもどうやって道をつくり、探していけばいいかわからない3人。
でも唯一変わらない大切なものが一つある。
それが、スケートボード。
スケートボードを通して生じた親子の壁、色や年齢は関係ないの友情。嫌なこともあるが麻薬のようにそれを忘れられるものだった。
彼らがスケートに乗る時、転んでも躓いてもすぐに立ち上がることができる。そして果敢な技に挑戦する。
そんな姿が今後の彼らの人生とリンクしているように感じた。
ここからネタバレです。
一番グッときたのは、エンドロール。
キアーのスケボーに魅せられ2社もスポンサーがついた。
これまでは父親にも暴力を奮われ、
黒人だからと差別も受けた過去があるが、
ずっとずっと彼が信じてきたものが評価され実を結んだ。
ポジティブで真面目で努力家の彼が見せる白い歯がキラッと光る笑顔が眩しいし、救われた。
ビンは
映画にすることで人生を変えたいと
先を変えられると信じていた
見捨てられたと思っっていた母親の苦悩を聞き、
苦しさを共有しあった。
母親も再婚し、新しい道を幸せに歩んでほしい。
自分はクソだ、もう自分から抜け出せないと
思っていたザックも
養育費をきちんと払い続け、現場の責任者にもなり
少しずつ前を向いていた。
新しい彼女とは上手くやっているのか分からないが、
愛娘のためにも道を正していることを願う。
ビデオを回すことは3人にとっての心のセラピーだった。
何を気にせず自分の言葉で素直な感情を吐き出すことができた唯一の場面だった。
急激には環境、感情を変えられないし
他人任せでも絶対に変わらない。
だからこそ勇気を出して
少さな一歩を踏み出し未来への道に向かっていった
3人に拍手を送りたい。
人種の壁
キアーが父親から言われた言葉。
「白人の友達が出来たとしても黒人であることを忘れてはいけない」
こんな感じの言葉だったけど、自由の国のように見えるアメリカでさえ、人種の壁は何百年経っても越えられない、厚いのだと思った。
アジア系アメリカ人の監督自身、人種の壁を感じたことはなかったのかな?
ロックフォードについて全く無知な自分だけど、地域差はあるかもしれないけど、貧困と家庭内暴力の相関性は高いのだろうと感じた。
監督自身DVの傷が深いようだが、ザックの暴力疑惑を気にしていたのが印象的。
最後までわからなかったけど…真実は??
でも両親からはあまり愛情を受けてこなかった若い夫婦の子供への愛情は確かだったことに安堵した。
若い人達がしっかり将来を見据えた教育を受けられていないことが残念。
それでも建国記念日は祝っていた。自国を誇らしげに。
トランプさんが観るべき作品かも?
比較的教育をきちんと受けていてもキアーの受けている差別に全く気づかない理解できない若者もいればきちんと理解している子もいる対照的な言葉を切り取ったシーンも良かった。
描きたかったのはスケボーにハマる若者ではなく、アメリカが抱えているいろんな問題?
所変わっても、人は毎日もがいて生きているけどね…。
何処にでもある日常なのか…
アジア系、白人系、アフリカ系アメリカ人3人の
それぞれの境遇、日常がドキュメンタリータッチで
描かれた映画であった。
出演もしているアジア系アメリカ人監督の視点から、
文字通りサビついたアメリカの、社会の縮図を垣間見た気がした。
この映画の白人は常にダラシなく、
酒に溺れて生きている。
アメリカ映画でよく見るシチュエーションそのままに。
差別的な事をしても気づかない。
アフリカ系の仲間がいても、蔑視する表現をしてしまう。
ニガーニガーって…苦笑いしか出来ないよなぁ😔
アフリカ系の主人公は常に前向きで頑張っていたな
アジア系の監督も含めて、DVや差別的な日常に耐えて
一生懸命生きている…
アメリカではほんの数人の白人が、
巨万の富を得て、中間層・貧困層に行くほど、
アジア・アフリカ系人口が増えている。
数十年経っても変わらない日常に、
もし自分なら耐えられるだろうか。
いや無理だと思った。
絶対 mid90s とあわせて観るべき一本(傑作)
イリノイ州ロックフォードの実在する仲良しスケボー少年3人のドキュメント映画。しかも、そのうちの一人のビンが12年間に撮り貯めたビデオ映像を編集して監督として世に出したもの。
3人は白人のザック、黒人のキアー、そして中国系アメリカ人のビン。
地域的な背景にはラストベルト(五大湖周辺の錆び付いた工業ベルト地帯)がある。ビンの家庭環境は実の母親のインタビュー映像のなかで語られる。継父や異父兄弟からのビンへの虐待に対する母親の懺悔はこの映画のラスト近くの山場。ビンの母親は三度目の結婚を最近したらしい。キアーの家庭は離婚はしていないものの、別居し、父親に引き取られたキアーは厳しい父親と会わず家出する。その後父親が死亡し、母親のもとで同居するが、小さい弟がたくさんいる。さらに母親には新しい恋人ができてさらに弟が増える。しかし、キアーは明るい屈託のない性格からか、真面目に働き家計を助ける。キアーはそんななかでも、スケボーは続けていた。ザックはなかなかイケメンで、両親が揃っているが、出来ちゃった婚をする。妻ニナとの育児分担のストレスやインドアスケボー場の共同経営者が借金の支払いをせず、売上金を持ってトンヅラしてしまい、妻へDVをやってしまう。若妻の養育環境も殺伐としたものであったらしく、ザックの両親との関係は悪くないが、ザックはコロラド州デンバーに単身出稼ぎにいく。そこで女と出来てしまい、子供に会えない寂しさと罪悪感からますます酒量が増える。これらの複雑な事情をビンは丁寧なインタビューや実際の映像で描いていく。ザックやキアーはビンのために、本当は隠したいであろう事情をさらしてくれる。よほどの信頼感がなければ無理だろう。同時に3人はそれぞれ自分を吐露することで、自分を見直したり、親を赦し、傷ついた自分を癒すきっかけを得る。もちろん、観ている我々も辛い事情を見せつけられることにもなるが、小さい頃のスケボー少年の屈託のない笑顔やビンの優しく慈愛に満ちた眼差しを通して、まぎれもない現実を見ることができる。貧しい白人、黒人、移民の中国人の3人の少年の友情の裏にはそれぞれが抱えていた家庭や学校での居場所のなさから、「別の家族」を作る必要があったと、ビンは語るのだ。
アカデミー賞長編ドキュメント部門ノミネートの他、多数の映画祭で受賞している。この映画は制作にあたり、制作会社や配給会社が決まるまでには相当年月を要しただろう。2018年に発表されているが、同じく、2018年の作品の mid90s はあまりにも内容が似ており、うまくパクられちゃったに違いない。やはり、アメリカ社会は厳しい。資本がものをいう世界。
誰だって、小さい頃、やるせない毎日だったら、何かで現実逃避する方がむしろ健全だと思う。スケボー買えるぐらいの余裕があってよかった。
正しいコミニケーションの大切さ
恥ずかしならこの作品の舞台となるイリノイ州ロックフォードという町については詳しくは知らない。
その為この日常的な暴力がどれほど町に染み付き住民を苦しめてるのかは分からない。あくまでザック、ギアー、ビンこの三人がこの作品で描かれている姿を見て感じた感想としてはコミニケーションの大切さこれに尽きる。
主人公の3人達は幼少期から日常的に父親から暴力を受け、時には母親や兄弟などが暴力を受ける姿を見て怯えて育つ。
大人になった今ザックは妻に暴力をし、ビンは家族を作ることを強く望まず、そしてギアーは暴力が原因で父親と喧嘩別れしそのまま関係を修復できず他界した父親を今だに後悔し心を苦しませている。
彼らの父親の姿や発言は殆ど描かれていない為暴力の真偽や詳細はわからないが、あくまで彼らの発言通りに話を進めるのであればやはり暴力はポジティブな事はなにも生まれるず、暴力から解放されてもトラウマを植え付け何年も苦しませる恐ろしい呪いである。
ギアーは劇中で暴力があったから人の物を盗む事のいけなさを理解したと発言していた。人の物を盗む事は相手を傷つけるだけではなく、あらゆる人間関係を壊すからいけない。その通りである。
ただそれらを暴力じゃないと伝える事はできなかったのか。決してそうではないだろう。
もしかしたら言葉で伝えるには暴力で伝えるより時間は要するかもしれない。ただその苦労から逃げて暴力で伝える事に意味を見出しては決していけない事がこの作品を通しても改めて伝わる。
彼らの父親もまた暴力を受けて育ったのかもしれない。
その環境から育ったものがその負の連鎖を断つのは物凄く大変な事かも知れない。
ザックが大人になってから同じように暴力をしていた事もそうだが、ギアーのように暴力から逃げる事で育つとなにかあっても逃げる事で解決をしてしまう。それに関してはザックも同じような姿が描かれていた。
誰もが暴力に快感を得て傷つけることを目的としてしてるようには見えない。どうしてもコミニケーションに行き詰まると暴力で解決しようと、そして時には逃げ出すことで人生を送ってしまってる。
きちんとしたコミニケーションが取れていたらまた違ったポジティブな道を選択できたようにも思える。
ビンはカメラを通し母親と心内を明かしたコミニケーションを取る事で最後は幸せな関係を築く事ができたのではないか。
この作品を通して改めてコミニケーションの大切さを学んだ。そして同時に誰もがみんな正しいコミニケーションを取れるわけではない。時には失敗しネガティブな事が起きる事もあるだろう。ただその時に劇中でザックが発言してたようにさらにネガティブな事を起きる事に身を任せてネガティブな事に染まらない事であろう。
ネガティブな事やそれらが続いても決して下を向かずポジティブな事を目指して諦めず日々を過ごす事の大切さを改めて感じさせてくれた。
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