「【カオスを考える】」ロード・オブ・カオス ワンコさんの映画レビュー(感想・評価)
【カオスを考える】
青春と呼ぶには、あまりにも残酷で切ない。
どこか時代に取り残された感覚を覚え、鬱屈した気持ちになりがちな若者や、そうした気持ちになったことがある人には、共感されるところはあるのではないかと感じる。
退廃を求めたり、世の中が全部敵のように感じたり。
(以下ネタバレ)
ブラック・メタルと主張しても、実はヘヴィメタルから取り残されたというのが現実ではないのか。
だから、自らを肯定し、自分たち以外を否定するという行動に繋がったのではないのか。
世の中は、それほど詳細なカテゴライズを求めてなんかいない。
そして、その鬱屈した世界観は宗教観にまで及んだだけではないのか。
主要なキリスト教に対して、サタニズムや、多神教、アニミズムを無理やり対立軸として仕立て、シンボライズしていく。
ユーロニモスはカオスを主張していたが、正反対の綿密なシナリオを持っていたものも、実はユーロニモスではなかったか。
それは、デッドの自殺によって、ヒントを得て構築されたものだ。
しかし、ヴァーグ(クリスチャン)も、ファウストも、ユーロニモスのシナリオには乗ろうとしない。
それどころか、直情的な行動が目立ち、ユーロニモスは、彼らの内面に巣食うカオスに気付いたのではないのか。
デッドのカオスはヒントになったが、ヴァーグのカオスは破滅的だ。
だから、袂を分かちたいと考えたのではないのか。
カオスとは一体何なのだろうか。
必ずしも破滅的である必要はないはずだ。
そして、それは状況や演出のことではない。
きっと内面の状態のことだ。
トラウマを抱えて頭をショットガンで撃ち抜いたデッドのカオス。
名を上げるために取る行動に、結果を想定することなどなく、制御の効かないヴァーグとファウストのカオス。
世界はそんなもののためにあるのではないことを理解しつつも、それに圧倒されるユーロニモス。
一度狂った歯車は、二度と元に戻ることはない。
こんな悲劇的なストーリーではなくても、友情が突如破綻する青春のストーリーは、どこにでもあるような気もする。
カオスなんて作り出そうとして出来るものではない。
カオスは、きっと、僕達の頭の中に潜む、合理的とは程遠い感情だけに依存した世界なのだ。
おはようございます。
あのリコール偽造問題は県民として、恥ずかしく。
更に、”そんな名古屋弁ないよ!”という言葉を使いまくっている市長のまさかの4選も、非常に恥ずかしかったですね。
それにしても、今作は3月末から首都圏では公開しているのですね。
最近、ミニシアター系の”順次公開”って何なのだろう?って思っています。
「ブータン 山の家」「椿の庭」が観たいなあ・・、でも劇場、遠いなあ・・、と思っているNOBUでした。
今晩は
今作、ヘビーメタルの作品だと思ったら、とんでもなく人間性の業を深く、抉り出す映画で一気に観てしまいました。
閑話休題。
共感を頂いた共感レビューを見ていて気付いた事。
愚かしき承認欲求の強いレビュアーは(私は、完全に無視していますし(いない事にしている))、吹っ切れたように共感を”自ら、もしくは取り巻きから”積み上げていますね。おバカさんなのは、間違いない。)以外にも、”捨て垢っていうんですか?嫌な言葉だなあ・・”)同様の事をやっている人がいるのですね。
以前、ワンコさんがこの映画サイトの運営者に改善を求めていましたが、(私は直接、その人に呼びかけたが反応なし・・)何ら、改善していませんね。
何だか、私の居住区の恥ずかしきリコール署名偽造を想起してしましたよ。
偽造カオス。