生きちゃったのレビュー・感想・評価
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いつか彼らの歌を聴いてみたい
太賀改め仲野太賀が演じる山田厚久が何度か言う「日本人だからかな」という台詞が印象に残る。「自分でも分からないんだ」でもよかったところを敢えて「日本人だからかな」にしたところに、本作品を紐解く鍵がありそうだ。
主人公の厚久(あっちゃん)は「本当のこと」が言えない。「本当のこと」とは文字通り嘘偽りを振り捨てた純粋な本当のことであり、本当のことを言えないのはあっちゃんの考えでは「日本人だからかな」ということになる。
「本当のこと」は大抵の場合、出来れば言いたくないし、出来れば聞きたくないことだ。言えば誰かが傷つくし、自分の立場も悪くなるし、不利益を被るかもしれない。誰にも害がないとしても、好きだとか愛しているとか歯の浮くような台詞はスケコマシみたいで言いたくない。あっちゃんという人間はそうなのだ。少なくとも日本語では言いにくい。今は好きでも明日になれば好きではなくなるかもしれないし、来年はもう愛していないかもしれない。死んだじいちゃんが本当に生きていたという実感さえあやふやだ。時が流れれば人は変わり、忘れていく。
あっちゃんは夫だ。奈津美のことは大切に思っている。好きでも好きでなくても、愛していてもいなくても、妻と娘のために大きな家を立ててやりたい。幸せな暮らしをさせてやりたい。それが大切に思っているということだ。しかし家を建てるほどの仕事はしていないし、高校時代の夢もまだ叶えられそうにない。いい加減な約束はせず、時が来たら黙って家を建てよう。それがあっちゃんの矜持なのだ。
しかし奈津美には分からない。夫のあっちゃんに好きだと言ってほしい、愛していると言ってほしい。大事に思っているならそう言ってほしい。自信のない奈津美は自分は愛されていないのではないかと常に疑心暗鬼だ。あっちゃんの無言の思いは奈津美には決して伝わらない。そして口先だけのクズ男に人生を投げ出してしまう。
奈津美は洞察力と想像力が乏しく、ものごとの表面だけしか見ることができない。無口なあっちゃんの真意は理解できないし、あっちゃんの苦しさも想像できない。自己中心型の性格で自分だけが苦しんでいると思っている。被害者意識だ。自分が苦しいときは人も苦しいということが分からない。自分を苦しめたのはあっちゃんで今度はあっちゃんが苦しめばいい。しかし人のせいにしているうちは人生は浮かばれない。奈津美は堕ちていく。どこまでもどこまでも堕ちていく。
奈津美の人生を引き受けると決めていたあっちゃんは、大きなダメージを受けてしまう。しかしあっちゃんはそれでも泣き言ひとつ言わない。ただ黙って耐える。すべてを見てきた親友の武田にはあっちゃんの気持ちが辛くて仕方がない。全部を投げ捨てて逃げ出せば楽になるのだが、それができないあっちゃんの性格が武田には辛い。辛いが、あっちゃんがそういう性格だから友達でいたのだ。武田にとって世界で一番信用できるのがあっちゃんという男なのである。
男と女の間だけでなく、人と人との間には深くて暗い河がある。「本当のこと」を言ったとしても分かりあえるとは限らない。寧ろひとりひとりに個別の「本当のこと」があるから、それを言ったとしても関係が悪化こそすれ、理解されることはないだろう。だから人は「本当のこと」を言わない。
誰もが他人とは違う人生を生きている。だからたとえ家族であっても、たとえ愛し合っていても、究極の部分では分かり合えることはない。それを知った上で人と付き合う。それを「粋(いき)」という。「粋」とは諦めを前提とした精神的な余裕のことだ。それをあっちゃんは「日本人だからかな」と表現する。芭蕉の「わび」や「さび」に通ずる精神性だから、日本人に顕著に表れる面もある。あっちゃんの「日本人だからかな」は当たらずと言えども遠からずなのだ。奈津美にあっちゃんの「粋」は伝わらなかった。
役者陣はみんな好演だと思う。仲野太賀はすべての感情を内に秘めてまるで禅問答のような表情のあっちゃんを熱演し、大島優子は性格が壊れて堕ちていく奈津美を思い切りよく演じていた。武田を演じた若葉竜也の演技も秀逸。
将来の海外公演に向けて英語と中国語を勉強するあっちゃんと武田。もう高校時代とは違う。しかし熱は失っていない。あっちゃんと武田が人生の試練を経てどのような曲を作るのか。自分も映画の世界に入って、いつか実現するかもしれないコンサートで彼らの歌を聴いてみたい気がした。
どうしちゃった
すべてが記号に見えた。途中差し込まれるふざけた描写が良くも悪くも石井監督らしい作風なんだろうなと。
よくわかんないテレビ番組に出てる、変なアーティストのライブに行く場面がそれだろう。
主人公の父母と、兄の鑑別所に行く場面もオフビートさが前面に出てきて、作品全体の主題やラストシーンの熱量からぜんぜんあわなかった。
大島優子はよくなかった。
斬新な演出
日本人は外国人と違い相手の気持ちを考えて本音を言えない、それでも言わなきゃいけないって事を伝えたいのかもしれない、
基本的に喋りのシーンは少ないです、あっても片方が
一方的に喋ってセミの音や自然の音が流れるシーンや
多いです、主役の人は本音を普通には言えないけど、
英語でなら、言えるって、
ただ特定の人にしか本音を言えないって気持ちは
よくわかります、話した後の悪い結果を考えてしまうのかもしれない
最後に大島優子さんのヌードがあるかどうかは、
結論から言えばないです。
濡れ場は、予告のが全てです、
『役に裸で向き合うことの大切さ』とは心のことです
ジュテーム結構人気じゃないか
高校生の頃から連んでいた女の子と結婚して5年、ある日体調不良で仕事を早く上がって帰ったら、嫁が男を連れ込み致しているところに出会し巻き起こっていく話。
出会しても何も言えず、家を飛び出し娘のお迎えに言ってしまうし、その後もその件について自分から話せず、嫁から好き勝手なことを言われ、特に語らず主張せず全て受け入れる始末。
そういうのって優しいのとは違うし、日本人だからでもないだろうに。
英語だと話せるっていうのも意味が違うだろうってね。
半年後、半年後、半年後と話は進み、途中アニキのこととか結構な出来事はあるけれど、主人公に変化は余りみられず。
だから時間飛ばしたんだって言われたらそうですねとしか言えませんが。
最後にやっと友人の前で吐露したけど、子供のことだろう?そういう思いがあるならば、もっと必死に藻掻いて親権争えよ!ともどかしさしか感じなかった。
友達にも余り本心を晒していない様な描かれ方だったけど、友達は大切にしないとね。
結構キツい内容でドラマとしては結構面白かったけど、この主人公に対しては共感しかねる。
力のある作品。
石井裕也という人は、相変わらず軽々と重量級を作る。
見終わった若い観客たちが火照りを秋の風で冷ますかのように、映画館前に何人も立ち尽くしている。
こんな光景は自分ははじめて見る気がする。
愛を言葉で伝えられなくなった男を中心にすこしづつ欠点のある人間たちが、絶望の淵から落ちていく。
自分だったら気がふれてしまうだろうな、と思ったりした。
まさしく、おそろしかった。
それでも映画館を出てから、愛を言葉に乗せて誰かに自分の身も心も未来も委ねてみないとな、と思った。
青臭い言葉でしか表現できないが、まさしく「愛に向かう勇気」をこの映画は与えてくれた気がした。
…ただし、自分は四十路も後半戦。
かなり厳しい戦いが待っているのは間違いない(笑)
石井裕也、非モテおっさんの心にまで火をつけやがった。
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