「映画の尺を埋めるために語りすぎ、くどくなってしまった作品」映画 えんとつ町のプペル kayamaさんの映画レビュー(感想・評価)
映画の尺を埋めるために語りすぎ、くどくなってしまった作品
絵本は読んでないので推測ですが。
おそらく絵本の持つ性質上、余白感によって成立する日本画のような持ち味が、
映画として成立させるため尺を稼がなければならないので、その持ち味である余白をひたすら埋めつくすかのように無駄に語りすぎてしまい、
結果語れば語るほど内容もキャラクターも薄まって、浅くなって、薄っぺらくなって、ただただ口説くて退屈な印象で、三流感が拭えない、説得力やリアリティにかけるクオリティに成り下がってしまったのでは。
作品のメッセージの押し付けがましさとその意図が透けて見えるどころか丸見えで、興醒め。
強引なセールスマンに玄関のドアへ片足突っ込まれて品物を押し売りされてる感覚。
挿入歌も携帯の保護シートに入り込んでしまった気泡のように、
ピタッとハマらず気持ち悪く映画から浮いてしまっている印象が拭えない。
思わず私的な同好会作品かよ、とつっこみたくなるほど。
本当に独りよがり感がハンパなくて、観ているこちらが辱めを受けてる気分。
鑑賞中こんなにも不愉快な気持ちになる映画はなかなかない。
天気の子も新海誠の独りよがりに巻き込まれた周りの労力、時間、才能の無駄遣いを思うと観賞後怒りを覚えたが、
プペルは比較する次元がまた違う。
プペルは映画化とは相性が悪かった。
そして作者自身ににそれだけの魅力や力量がなかった。
ということに尽きるのでは。
絵本読んでないけど。
期待して観に行った分、よけいに裏切られた気持ちが強くなってしまった。
西野が好きとか嫌いとかに無頓着で先入観のない一般人が観た感想はこんな感じです。
プペル観に行って、がっかりして、西野は人としてはホンモノじゃないんだな、、、ということを察しました。
I'm OK. You're not OK.の次元から抜け出せていない、低い精神性でこんな映画を作ってしまうから、否定してた同調圧力を今度は自分が生み出す側にまわってしまうなんていう矛盾した、致命的なミスを犯すのだと推察されます。
俺のいうことは正しい、否定するお前は間違ってる、で成長が止まってしまってることが西野の弱点であり、みんなから反感を買われてしまう最大の理由。
作品を生み出す者はもっと自己の内省を深めないと。みる人がみれば、薄っぺらい人間性はあっという間にバレますからね。
絵の才能はまた別の話だと思いますので、ご自身の得意な分野で今後も輝いていただきたい。
脚本に手を出すなら精神性を高める努力を。
うまくコンプレックスを乗り越えて
I'm OK. You're OK. の境地にたどり着けるといいですね。
プペルで1番良かったのはのはエンドロールの歌。
というわけで、絵本と主題歌をセットにして販売するのが一番顧客満足度が高い販売戦略ではないでしょうか。