「俺の夢ドャア!な夢ハラを押しつける裸の王様」映画 えんとつ町のプペル 誠さんの映画レビュー(感想・評価)
俺の夢ドャア!な夢ハラを押しつける裸の王様
映像は最高ですが、ストーリーと演出に難ありです。「西野さん」のバックストーリーを抜きに純粋に映画として見た場合、ふつうに面白くありません。
主人公の個人的な都合でストーリーが進み、周りの人物はただの引き立て役でしかありません。登場人物の心情や背景の掘り下げが浅く、キャラも薄く、誰にも感情移入できません。
主人公は特に努力しませんし、囚われの美少女を助けるわけでも世界の危機を救うわけでもありません(むしろ主人公の身勝手な行動が世界を危機にさらしたとも言える)。ゴミ人間や周りの人に助けられ、個人的な願望をたまたま上手く叶えるだけの話です。
思わせぶりな設定もたくさんありますが、その謎が映画の中で明かされることはなく、消化不良のまま終わります。
なるほど。夢を見るのは素晴らしいとしましょう。しかし、なぜあなたの夢(エゴ)にみんなが付き合わないといけないのですか? 星を見ることはそんなに素敵なことですか? そんな疑問を一度でも思ってしまったらもう感動することはできません。
要するに作者の独善的な主張の一本調子で、物語に深みや他者の視点や多様性がないのです。
俺の夢、ドャア!! それに共感できるのは西野さんのファンだけです。いや夢を信じるのも大事ですけど、人生はホラ、色々と挫折も葛藤も紆余曲折もあるじゃないですか。
しかし、そんな人生のほろ苦さや多面性は完全無視。挫折?他人の夢?知らん。俺の夢(エゴ)を応援しないやつは馬鹿だ、心が曇ってるんだ。下を見るな、上を見ろ。信じ続けるんだ。俺の夢についてこい(ドャア)、映画を見終わったら当然拍手しろよな(強制)。後半は特に、そんな他人の視点をまるで顧みない完全な俺の夢ドヤ祭り。説教めいた夢ハラスメント。
要するに登場人物は作者の主張を伝えるための操り人形であり(ひょっとして観客も?)、登場人物たちの心情に作者が深く寄り添うことはありません。
登場人物1人1人の心情に寄り添い、鬼にすら感情移入させられてしまう、あの国民的大ヒットアニメを見た後では、どうしても見劣りしてしまいます。
感動した!4回泣いた!という方もいらっしゃいますが、そのほとんどが漠然とした感想で「西野さん」抜きに、あのシーンのここが良かった!、このキャラクターが好き!という具体的な感想を見ることはほとんどありません。
ですから、ふつうの映画好きにはふつうにつまらないと思います。感動ポルノ、安いJポップ。ミュージックビデオで十分。信者しか絶賛しないカルト映画。そう言われても仕方のない出来栄えです。
正当な批評や評価を甘んじて受けるべきだと思います。芸能人が、人気者がマルチめいた手法で不当に評価を釣り上げたせいで、ほかのもっといい映画に注目がいかないのは真面目に純粋に映画を作っている人たちへの冒涜だからです。
純粋な夢を信じることの素晴らしさを説いた映画が、明らかに大人の事情やマーケティング操作による虚飾やお世辞で着飾り、底上げされているのも皮肉や醜悪を通り越してグロテスクでしかありません(このお話、プペルですよね?裸の王様じゃありませんよね)。まったく曇っているのはえんとつ町か、レビューサイトか。え?アクセスランキング1位?
そんなの関係ないですよ。主人公のルビッチ少年にならって「煙」を晴らしましょう。西野さんの映画がつまらないなんて馬鹿だ、アンチだ。そんな罵声がとんできても信念を貫き、あなたの感じた世界の真実を伝えるべきです。好きに言えばいいんです。ディズニーなんか全然超えてねぇよ!王様は裸だと!(おっと、異端諮問会の足音が)
※あくまで個人の感想です。