「インド映画好きと「マヂカルラブリーのネタは漫才じゃない」の宣う層に見て欲しい映画」劇場版ポケットモンスター ココ わたろーさんの映画レビュー(感想・評価)
インド映画好きと「マヂカルラブリーのネタは漫才じゃない」の宣う層に見て欲しい映画
子どものころは欠かさず見ていたポケモンの映画ですが、最近はなかなか見れておりませんでしたが、非常に現代的なアップデートをされつつも、ポケモンでしか描けない良さもある良作だと思いました。子どもよりも大人のほうが刺さる映画になっていると思います。
まず、オープニングから心を掴まされました。インド映画を思わせるかのようなミュージカル調の音楽に様々なポケモンたちが各々の過ごし方をしているシーンなのですが、非常に面白かったし、ターザンを思わせるかのような視点を移り変えつつ迫力あるアクション?シーンで映画の世界観を押さえさせるのが良かったです。オープニングの曲は終盤にももう一度かかるのですが、そこで歌詞の意味を再確認できるんですよね。
ストーリー的には、父性と自分とは何者かを問うという今どきの邦画のトレンドを押さえた内容になっているんですけども、それを一般的にいう子ども向けのアニメであるポケモンで高水準のものを(大人も子どもも楽しめるものを)作るのは難しかったと思うんですけども。
ご時世として、M-1グランプリに関するちょっとした論争を思い出さされました。本年度チャンピオンである、マヂカルラブリーのネタに対して「あれは漫才ではない」という意見が結構多くあって、そこから審査員批判も起こっているようで。自分自身もリアルタイムでM-1は見ていて、かつ吊り革のネタについては放送前から知っていて優勝をその時点で確信していたのですが、確かに昨年のミルクボーイのような掛け合い漫才ではないため、王道だったかといえばそうではないのかもしれません。しかし、小道具や音楽を使わず、マイク一本で己の話芸と動きだけで笑わせてる時点で、もうそれは漫才なんですよね。もしくは、漫才とカテゴライズしきることすら野暮かもしれないし、ルールブックに則っている時点でそもそも議論の対象となっていること自体おかしいと考えてもいいかもしれない。
今作は直接的なネタバレを避けつつ語るとすれば、そういう映画なんです。自分はポケモンなのか、人間なのか、苦悩しつつも、最終的にはそうした自分が何者なのかをカテゴライズせず、自分だけのアイデンティティーを獲得する、そしてこうしたアイデンティティーを他者が獲得できるようにするという成長譚なんです。
自分はポケモンを久々に見たので、M-1グランプリのマヂカルラブリーを漫才でないと宣う層のように、中盤までは「これはポケモンの映画でやるべき題材なのか?」という疑念を抱えていました。ポケモンは覚えた技を使って戦うはずなのに普通に身体的な喧嘩をしているし(野生のポケモンだからと言われればそれまでですが)、人間の(サトシの)言葉が都合のいい時だけポケモンに伝わっているように見えるのがノイズに見えてしまうし、ポケモンの強さどうこうではなくロボットが出てくるシーンでは頭に「?マーク」が山ほど出てきたんですが。
最終的に上記のような素晴らしいメッセージを示してくれた。これは、人間だけの世界で描くのは非常に難しいと思います。できても性別や国籍による差異への戦いくらいではないでしょうか。間違いなくポケモンが描くべき内容であったと思います。見てみたらM-1に絡めた感想の意味がなんとなく分かってくるのではないかと思います。