わがままなヴァカンスのレビュー・感想・評価
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フランス旅行の記憶が蘇る映画
映画の中で鳥のさえずりや虫の声に、南仏の空気を思い出した。
渇いた空気と鮮やかな海の色や花の香りなど。
女の子達の話すフランス語の耳障りの良さにうっとりする。
ソフィアは最初清潔感に欠ける印象があったが、彼女の話し方、所作や豊満ですらりとした姿を眺めるうちにすっかり虜になってしまった。なんと言っても見ていて癖になる顔つき。
柔らかな唇やふっくらした頬に魅力的な三白眼はずっと眺めていたくなる。
運命の相手と出会ったわけでもなく、ある夏の期間の出来事を指先でなぞってみたような映画。
裸足の足や海で濡れた髪が絡まるのも気にせず全身で伸びやかに生きる様に人生の意味を考えさせられた。
バカンスの名のとおり!
南仏いいですね
若い頃ってこんなもの。
夏のカンヌがとても素敵。
解放感を部屋に居ながら味わえるお得感。それだけでも見る値打ちはあった。
登場する二人の女の子が全くちがうタイプで、≪自分にないものを相手に見出だし引かれる≫的関係で、ちぐはぐながらくっついている、そんなところも楽しめる
ナイマは、こどもっぽくて垢抜けないけれど、ナチュラルで健康的、磨けば上品で素敵な美人になりそう。
ソフィアは、おしゃれでセクシーだけど、品がなく、顔立ちよりもメイクの派手さが目につく。そして繊細で孤独で不安定。
ナイマのように、若いときって、好奇心旺盛で、とんでもない人にフラッと付いていって思いもよらない経験をする羽目になったりするものだ。
そんな経験を経て少しずつ自分らしさを見つけて大人になっていくんだ。
そんなことを思い出させてくれた、なかなか健康的な映画だった。
意外に素朴なストーリーに好感
何気に借りたDVD、
なかなか良かったです。
別作「アデル、ブルーは熱い色」にどこか似て、年頃の女の子二人の物語。
何かと目立つ存在の従姉妹のソフィア(「アデル~」ではレア・セドゥ演じるエマのタイプ) ではなく、この派手なソフィアの影で地味に隠れていたナイーマに大輪の花が咲くという物語。
南欧のフランス語は、北の大都会パリの言葉と違って柔らかいですね。
カンヌで遊ぶセレブリティの映画はいくらでもあるけれど、そこに住む人たちの「労働者階級の目に映った来訪者=ヴァカンス客たちの姿」という視点は、興味深いものでした。
終盤、港で、フィリップに別れを告げるナイーマと彼のやり取りが、子供相手でもフランス流儀の粋な会話なのです―
「いいヴァカンスだったかい?」
ナイーマ「ウイ」
フィリップ「ノン」
ナイーマ「ウイ」
フィリップ「ノン」・・
傷ついたはずのナイーマが「ウイ」と応えて夏が終わる。
私は子供じゃないと意地を張っていたナイーマの、大人への脱皮。
エンディングでの厨房で働くナイーマの横顔の綺麗なこと。
遊び人の ひげのアンドレはともかく、物静かなフィリップはナイーマを忘れないでしょうね。
僕はイタリア・カプリ島では昔数日過ごしたことがあるんです。紺碧の海と陽光。ストローハットに麻のジャケット。GUCCIのサングラスにメッシュの靴。良く日焼けしたヨーロッパ各国からの本物のセレブたちの賑やかさとお洒落ないでたち。そして滞在中にはお世話になった安宿の女将さんや洗濯屋さんの親切を思い出しました。
ああ、海を見たい。
コロナ禍で、カンヌもいまは寂れているんだろうな・・
Carpe diem
腰に彫られたタトゥーが表題の文字かどうかは失念してしまったが、字幕に『今を生きろ』と記載してあったので、こういうことなのだろうと勝手に想像した次第。“未体験ゾーンの映画たち2020”にて、唯一エロティックカテゴリにラインナップされていたので鑑賞。しかし、内容はそれ程ハードな絡みはなく、性交シーン所要時間は短い。元高級コールガールの触込みなら、もう少しフランス映画の太っ腹な所をみせて欲しかったが、そもそもがテーマはもっと哲学的な要素が散りばめられているストーリーである。観光地としては世界中のセレブが集まる場所であるカンヌで暮らすということの光と闇を、一人の16歳の娘がその好奇心としかし手痛い洗礼を受けて大人の狡猾さを体現していく一種のジュブナイル作品でもあろう。どの国でも夏休みは女の子を“女性”へとステップアップしていく季節だ。それを一足先に踏み入れた従姉妹との共同生活に於いて、その憧れを加速させていく女の子。アヴァンタイトルの入り江の綺麗なしかし艶っぽい色合い、虫の羽音が妙に毒々しさや性的なイメージを駆り立てる演出、そしてトップレスの姿態と、ナレーション文字の「人生で最も重要なのは職業選択の自由」。そう、女の子が人生観を初めて意識する季節でもあるのだ。哲学的な言葉が数多く投入される作りもフランスならではの“ウィットネス”の演出なのであろう。自分の主体性を未だ持ち得ない女の子は同級生の男の子とのコントに流されるように付合ってはいるが、従姉妹のお姉さんの自由でカッコイイ生き方に傾倒し始める。しかしお姉さんが実は母親を亡くした心の隙間を埋めようとするいじらしさも同時に女の子は理解している。Gストリングと雲丹を使った喩え話でセクシーさに憧れ、くだらない悪口も意に介さない態度にスマートさを感じ、リスペクトが益々膨らむ。そこまでは芯の通った凛々しさを感じていたのだが、高級クルーザーで乗り込んできたセレブ達との出会いからストーリーは転換し始める。セレブを射止めようとする貪欲さと、同時にカッコイイと思っていた振る舞いが実は金持ちに依存しようとする裏腹な浅はかさに疑問を感じ取る。同時に、セレブの一人だと思っていた男達の一人が、実は雇われている従者だと知ることになる。その大人の事情や世知辛さ、そして実体の掴めない怪しい情報屋風情の仕事に益々戸惑いが心を支配してゆく。この辺りの少女の心の機微は巧く演出できているようには感じた。その雇われ目利き男の忠実さや、しかし葛藤が見え隠れしている現実を垣間見るにつれ、その心情に同情心を催す。粗相をした船内スタッフにプロ意識の欠如を叱ることで誠実さも覗かせるが、その目利き男は優しく諭す。「君は未だ子供だ」。そんな中で、雇っていたボスが従姉妹に飽きて別れを切り出す手段に姑息な手を使う。取引品の窃盗の罪をなすりつけてボートを追いだしてしまうのである。それでも闘おうとせずに傷つくだけのお姉さん。セレブ達の傍若無人、人と思わないデリカシーの無さが露呈されたのである。住む世界の違いをハッキリ感じた女の子は改めて、自分の目標を真剣に考えるようになる。それは才能があった料理の道。6月から9月迄の3ヶ月間での多感で多彩な経験が彼女を大人の扉を開かせた、青春ストーリーである。
ミニマルな物語の中に、スピーディーな展開を繰広げながら彼女の目を通した“大人”という動物観察が描かれている内容である。昨今の格差社会を描く作品としても優しい筋になっていて、舞台設定としての高級リゾート地、そこで働く母親や同僚のホテル厨房スタッフ、対するリゾートの消費者としてのセレヴとその優雅さの影に隠れたヒエラルキーや生業としては理解し難い情報をもって美術品蒐集家達を渡り歩く胡散臭い商売との対比を、複雑にせずにさりげなく説明出来ている巧みさは評価したい。まだまだ子供の部分が大部分を占めている娘からすると、その両方とは違う第三の道である“芸人”という職業選択肢に興味を持つのは充分理解出来るが、しかしそれも本当にその気持があるのか、それとも友人達との楽しい遊びの延長なのか本音の部分を自覚できぬ儘、葛藤を続けるのも現実的だ。ボスであるラテン気質の男の言動不一致な人間性が崩壊しているクズさと、鑑定を請け負う寡黙な男とのスタンスの違いや人間性の可否を浮き彫りにする、からかい半分の呼び名に反抗する「もう、その呼び方にはうんざりだ」という台詞は、ラスト近くにおいてのクライマックスであると思う。金も大事だがそれ以上に誇りをきちんと持つことの大切さを訴えるシーンとして心に響く演出である。最後迄、娘に手を付けない高潔さや仕事に対する取り組みの姿勢を、生きた目標として気付くことができた娘の、代え難い貴重な期間は、それを大切に取っておくように従姉妹からプレゼントされたヴィトンのバッグに保存しておく件が、メタファーとして秀逸である。地理的にもカンヌがイタリアと意外に近く、国境としてあやふやな現状、故に怪しい輩が暗躍する事情の知識も学ぶことができ、大変興味深い作品であった。但し、折角あの曰く付きの女性タレントの出演なら、パフィーニップルのセクシーさ以上の官能シーンが欲しかったと、不満感は拭えないことを付け加えておく。
学生時代、夏休みを過ぎると同級生の女の子は、急に大人びた姿に変貌する。その甘酸っぱい理由がこの作品にはある。
欲しいのは刺激と冒険
カンヌで暮らす高校生のネイマがパリから帰省中の従姉妹のソフィアとヴァカンスを過ごす話。
派手でエロいネエちゃんになって帰ってきたソフィアに憧れて行動を共にして行くネイマ。
3000ユーロもするお揃いのカバンを貰って双子だとかもう上機嫌で、大人の世界を覗きみていくストーリー。
ウニ小僧も軽くいなして相手にしないソフィア。
キラキラしていると思っていたけど、やっぱりついて行けない部分もあるし、ドロドロしたものや理解出来ないものをみてお勉強する成長物語ではあるけれど…。
直接張り切ったのはドド君のプレゼントの件とご挨拶ぐらい?
振り返りも結局稼ぎになっちゃうし、なんかイマイチ響いたりスカッとしたりするものもないし、可愛らしさや爽やかさもあまり感じられなかったかな。
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