「S・ソダーバーグほどタフでもなく、A・マッケイほどシャープでもない。」スキャンダル 天秤座ルネッサンスさんの映画レビュー(感想・評価)
S・ソダーバーグほどタフでもなく、A・マッケイほどシャープでもない。
こういった社会問題をテーマにした作品でぱっと思いつく映画人として、スティーヴン・ソダーバーグとアダム・マッケイがいるのだけれど、正直この「スキャンダル」に関して言えば、ソダーバーグほどタフでもなく、マッケイほどシャープでもないという感じで、あまりスマートさを感じなかった。冒頭でメーガン・ケリー(びっくりするほど本人ソックリ!シャーリーズ・セロンだということを度々忘れてしまうほど!)がカメラに向かって話しかけながらの演出などは、なかなか手際よくまとまっていたのでその後も期待できるやなんて思いきや、調子がいいのはその冒頭だけ。あとはぐずぐずと煮え切らない演出でだらだらと出来事を並べるだけに留まる。一生懸命シャープにスマートにスタイリッシュに、と頑張っているのがすべて空回りしているかのよう。
ふと思い浮かんだ言葉が「手段が目的になる」である。ストーリーを描こうというよりも、セクハラがいかに卑劣かを描こうという方が先に立ってしまったようなそんな印象が強く残った。ストーリーのためにセクハラの卑劣さを描写するのが本来のところ、ストーリーを疎かにしてまでもセクハラの卑劣さを描きたくて仕方がなくなってしまったかのようだ(逆にセロンのメイクアップは手段であって目的ではないのが伝わるので良いと思います)。
メインキャストと言える三人の登場人物それぞれの描写に関しても、いずれも中途半端な展開に思えてならない。グレッチェン・カールソンなど事の発起人とも言える人なのに、訴訟を起こして以後はほとんど姿も見せず傍観者かのような立ち位置。そして「もう終わりにしたいわ」と言って切り札の録音テープをちらつかせてすべてが決着という結末のなんとも呆気ないこと。
代わりに動き回るメーガン・ケリーにしても、名前も顔も知られた現役のアンカーを前にまさか彼女が受けたセクハラがどの程度のものだったかという極めてプライベートなところに踏み込むことが出来ないため(作中でもそこは暈してある)「自分もセクハラを受けた」という彼女の言葉の重みや、他人事ではないと感じ葛藤するこころの重みがどれほどのものかが受け手として感じにくくなった。正義感か復讐かあるいは・・・?それでもエイブスのことは「欠点はあるが好きだ」と言う当事者としての彼女の複雑な心境やエイブスとの関係性についても靄がかかったような描写しか出来ず「現地のゴシップを読み漁って脳内補完するしかないのか?」という感じ。
仕方なくマーゴット・ロビー演じる架空の人物ケイラを使ってセクハラ被害を彼女に担わせる形になり、セクハラの深刻さを「こころ」で体現できたのは彼女一人。電話越しにケイト・マッキノン演じる友人に真実を語るシーン、すごく良かったよ。加えてケイト・マッキノンも良かった。コメディエンヌだけれどコメディではない作品に出てきた時に作品にスパイスを投入すると同時に、どっしり地に足を着かせる力がある。好きよマッキノン。
女優の演技と、悪役に徹したジョン・リスゴーの凄みに見所があるのみで、内容は正直至らないなと思った。せっかく現在進行形の大事なテーマを取り上げているのに勿体ないというか、それ以上に「悔しい!」と思った。
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以下、邦題について非常にメンドクサイことを・・・(よって作品自体とは関係ない)
セクハラというデリケートかつ深刻な問題を扱った作品を「スキャンダル」の一言で片付ける無神経さが気に入らないです。"bombshell"には「センセーショナルな事件」みたいな意味があって、スキャンダルと遠からずな部分もあるけれど、「scandal」の語の最もポピュラーな訳は「醜聞」ですよね?セクハラ問題は「醜聞」なのでしょうか?個人的にはかなり違和感が強いです。