「段階を踏むのは家庭もなんでも同じ」ステップ movie mammaさんの映画レビュー(感想・評価)
段階を踏むのは家庭もなんでも同じ
娘が一歳半で急逝した妻の分まで、男手ひとつで一生懸命育児に勤しむお父さん。
営業から総務に移り、それでも保育園生活では精一杯。
生活自体は、世のワンオペワーママと同じ。
育児の一番大変な時期と、キャリアの大事な時期がかぶる葛藤。どちらも目一杯やっているのに中途半端な気がする自己嫌悪。
でもその姿をちゃんと感じながら子供は成長していく。
娘の美紀は環境ゆえできることも気持ちも気遣いも大人びながらも、写真として、空気として家で母を感じながら父と協力して大きくなる。
途中現れる、保育園の担任として優しい女性や、母親によく似た女性。みんな協力的だが、簡単にそこに甘える選択を選ばず、自力で頑張っていく父親がとても素敵。
美紀が小学生になり、営業に戻り少し心の余裕が出て来たとき、痛み苦しみを分かち合えるけれど自立した女性、奈々恵と出会う。
あくまで娘に理解して貰いながら進めようとしているのに、優しく賢いからこそ、そして多感な時期に差し掛かっているから、娘は自分がいない方が父親にとって良いのではと考え、祖父母のもとで中学以降過ごすと言い出す。
亡くなった妻の両親が、筋の通った義父と気遣いのある義母でとても素敵で。常に、義息子と孫の幸せのためにあろうとする。でも、何があったのか話を聞いてくれつつも、孫を引き受けることはやんわりと断り、あくまで父娘の助けになろうとする姿勢がとても良い。
泣きついたりするほど追い込まれる前に、言わずとも本音を態度で漏らせる環境を作ってくれる義家族。
義父自身も娘を失っているわけだが、義息子の幸せを望めるようになるまで思考の変換があったはずで。余命も、孫の前ではしゃんと全うしようとするが、徐々に自然と向き合い伝える方向になる。
「存在を失う辛さも寂しさも消えないが、だから強くなれる、優しくなれる、これからも一緒に育ててください。」と義息子が頭を下げるシーンは涙が止まらない。
全員、娘を失い、妹を失い、孫を失い、妻を失い、母を失い、産まれるはずだった子を失い、大切な存在を失っていて。その気持ちは乗り越えるものではなく、いつまでも同居しながら悲しんだ分優しくなれる、それを身をもってわかるもの同士の縁が結ばれていく。
その痛みが未経験でわからない担任も登場するが、そういう人もいる社会の目にも自力で対処する娘の強さも、不憫とか可哀想とは違う不思議な涙が溢れてくる。
少しずつ、奮闘中の姿から、父親としての風格が出てくる山田孝之の演技がとても上手い。
取り囲む女性達は、みんな笑うと目が細いかまぼこ形になる同じ系統。父親の中でルーツに妻がいるのは一生変わらない。
家の近くの坂道に、父の頑張った足跡が刻まれていく。小学校では通学路が逸れた娘と、中学からはまた同じ坂道の通学通勤路。でも、呼び名はパパからおとうさんへ。
生みの親はママだからこそ、新しい再婚相手はおかあさん。
娘の中で、実母も実父もそのままに、再婚相手のお母さんという存在を受け入れて増やしていく心の過程が印象的。それを急かさない父親も周りが、娘を反発なく納得させたのだろう。
亡くなった朋子に、良い人と結婚したねぇと都度言いたくなるが、亡くなったからこそでもあり、置かれた環境で一生懸命娘や仕事と向き合ったからこそ、難しい時期に差し掛かる娘にとっても重要な意味を持つ再婚女性に出会うことができ。一種の夫婦の形でもあるなと思った。
形は変えていくが、家族は笑顔工場であり、生死問わず命を感じる場所でもある。段階を踏んでいくのは、ステップでもそうでなくても同じ。劇中出てくる、バトンリレーで自然に繋げるまで練習しながら、友達と仲良くなる過程とも同じだし、父娘の移動がベビーカーから徒歩となり自転車となり駆け足になったりする描写とも同じ。いきなり自然にできるようにはならない。
再婚、後妻、継母というと構えがちだが、全ての事象と同じで、段階を経て変化していくのが家族で、その中にステップファミリーという形も含まれる事を優しく描いた作品。