ロニートとエスティ 彼女たちの選択のレビュー・感想・評価
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主演女優ふたりのPV
とても美しい映画です。息詰まるような冬の街を背景にし、硬質な映像と淡々とした劇伴がレイチェル・ワイズとレイチェル・マクアダムスの美しさを引き立てていました。濡れ場も非常に大胆かつ情熱的だったと思います。
ですが、それだけでした。30分で終わりそうな内容を2時間に引き伸ばしたPVのような映画だと感じました。
慣習で雁字搦め、隣人たちには自分たちの生活が筒抜けの狭いコミュニティのなかで自由に生きるのはLGBTでなくても息がつまることでしょうね。それは理解できます。
ただ、この物語はロニートの父が亡くなるところから始まり、それ以前にロニートとエスティに何があったのかは多くは語られません。ふたりの愛が燃え上がるシーンは少々置いてけぼりでした。どうしてもキャラクターの動かし方が唐突なように感じてしまいました。
この映画で私がもっとも印象に残った人物は、エスティの夫、ドヴィッドでした。ロニート・エスティと親友同士でありエスティの夫、そして愛し合う二人とエスティが自由になるための障害の一つとして描かれるキャラクターですが、彼は非常に道徳的な人物です。結婚という契約を交わしているにも関わらず身勝手な行動を繰り返すエスティを深く愛しており、決して手をあげることもなく、最終的には彼女の自由を後押しします。
彼は決してLGBT映画に頻繁に登場する「多様性に対して無理解なヘテロセクシャル」的キャラクタではないように思います。自由になりたいというエスティの思いも、実際にコミュニティを抜け出したロニートの思いも理解できますが、だからといって「コミュニティで生きていく」ことを選択したドヴィッドに不義理をはたらいていい理由にはならないでしょう。はっきりいって、現在のエスティを見て「世界一のお母さんになる」なんてとても思えませんでした。自由とか自立といったモノが、こんな風に逃げているだけで得られていいのかと非常にモヤモヤしました。
映像自体は美しいけれど、感性が私には合わない。そんな映画でした。
伝統という名の鳥籠
厳格といえば聞こえはいいが要は思考停止、時代錯誤。 同性愛に対する反応のみならず、変な挨拶や授業のヘンテコさにいたるまで、これ一体何時代の話やねんと思ってしまいますけど、現代(スマホもある)なんですよね… もちろん宗教に支えられてきたものもたくさんあるんでしょうが、でも人を愛することが不幸に繋がる宗教ってナニ?と、日本人としてはどうしても教義をマイナス視点で見てしまいますね。 でも世界的には同性愛反対がまだまだ「普通」なんだよなぁ… まぁ、映画的には主人公が最初に街を去るまでの描写が一切ない(もちろん推測出来るだけの種はありますが…)あたりがやや物足りなさもありましたが、LGBTに何らかの興味関心がある方は観て損はないと思います。 あとベッドシーンがすごかったです。
不服従を選択する自由
①日本社会は自由な様で実は私たちも服従とは言わないまでも結構暗黙のルールに従って(従わされて?)生きている。②ましになったとはいえ、群れるのが好きな日本人、コミュニティの一員と見なされることに安心する日本人、一方コミュニティの等質の一員であることを無自覚に強いる日本社会、この映画のエスティのように、そこでありのままの自分をさらけ出せず、又そのコミュニティに居心地の悪さを感じながらも飛び出せない人は多いのではないだろうか。何故なら、心の何処かで恐れているから。ロニートのようにコミュニティから飛び出した人間は、生まれ育ったコミュニティに戻りにくいか、戻っても冷たい拒絶に会うことを。ロニートのように最後まで肉親に理解されない(許してもらえない)悲しさが待っているかも知れない(と言ってもロニートは後悔してはいないだろうけど)。そういう点から見れば、レアなケースを扱っていながら、かなり普遍的なテーマを持った映画と言えよう。③そのエスティに、コミュニティに残りつつ、ありのままの自分でい続けるという或る意味最も難しくて厳しい選択をさせたのは、自分の子供には初めから選択の自由を与えたいという母になるという強い想いだ。④両レイチェルは大好演。レイチェル・ワイズはそろそろいい歳だと思うが、華やいだ雰囲気を醸し出しているところは流石。レイチェル・アダムスは女優としてはこれからが旬だろう。⑤セバスチャン・レリエの演出は「ナチュラル・ウーマン」がどこか戯画的な演出だったのに比べ静謐で抑えたトーン。その分、面白みは減っているが。⑥アレッサンドロ・ニボは、あの「ジュラシック・パークⅢ」のお兄ちゃんがこんな渋い演技派になって、と感慨を抱かせる好演。
何がそんなに?何でそんなに?
何がそんなに?
何でそんなに?
エロいのか?
そんじょそこらのAVよりエロいです。
ふたりのレイチェルはスッビンだし、
華美な下着でもないし。
やっぱり、背徳感かしら?
えっちでした
濡れ場がだいぶ長く濃かったのでちょっとびっくりしました。これでPG-12なんだ。
ラストがとても好み分かれるだろうなと思いましたが、やっぱりそんな感じっぽいです。
ドヴィッドは最後エスティが自由であると話しますが、結局エスティはロニートと共にNYには行かず、ドヴィッドと共にコミュニティの中に残ることを決めました。てっきり一緒にNY行くのかと思ったんですが、話を振り返ってみると終始エスティは「敬虔な信者」と自分で語っているので、ロニートといる自分ではなく、ユダヤ教徒のエスティであることを選んだのかな。
ユダヤ教の知識が全く無いため、ところどころわからない点があったので観終わってからググったりしたんですが、Wikiだと『女性の同性愛は戒律を破らない。』とあって、宗派によって違うのかなとなりました。中絶についても一応初期であれば一定の理解は示すと書いてあったので、やろうと思えばロニートと二人で生きていくのはできないこともない感じだったんでしょうかね。
だから、何?
ユダヤ教徒のコミュニティのあり方は全然知らないので、その中でLGBTがどう扱われるのかに興味をもって観に行った。 特に、この映画に出てくる「超正統派」は、21世紀末までに「英国内のユダヤ教徒の多数を占めると予想される」らしい。 しかし結局、「彼女たちの選択」といっても、コミュニティのルールに従って生きるか、従わずに出て行くかというだけの、ごく単純な話にすぎなかった。 映画の中身としては、最初は謎だった主人公の“秘密”が、映画の進行とともに、徐々に明かされていくだけにすぎない。 「天使」でも「獣」でもない、「人間」の“自由”が、コミュニティの中でどう生かされていくのかという重要なテーマについては、全く描写されないまま終わる。 これなら、「超正統派ユダヤ教徒」でなくても、「キリスト教保守派」でも、「イスラム原理主義者」でも、何でも良いような気がする。 「結局、だから何?」と突っ込みたくなるような、単純すぎて観る必要のない映画であった。
めちゃめちゃいい感じだった!最後のシーンまでは…
まず、ロニートとエスティそれぞれのキャラが最高すぎた。
わたし的にはパーフェクト。堪らん関係だったしね。
ロニートの孤独を抱えながらも街に帰る感じとか、それでも強くNYで生きてきた感じとか、エスティが必死にそれを支えようとしながら自分の本心は隠し続けている感じとか。エスティさ、お父さんの訃報伝えてあげたの隠してたり、帰り送ってあげてって自分では行かなかったりもう堪らなくないですか???
久々にあったふたりがお互いを支え合うように精神的に繋がっていたのがよかったですな。
正直、ロニートは優柔不断すぎんか?あそこまで行くと、もはや真意がわからん…
言うの遅すぎでしょ!エスティは絶対あなたの言葉を待ってたのに。まあそれが父親の呪縛ってことですかね。
男だけは不憫で仕方ないが、正直当時から2人の関係しってたんなら、なんとかしたれ。結局男は自分の本能を優先していたのかね。そして、最後はそんな自分と信仰との差に絶望していくと言う…なんとも可哀想な…
そして最後、え!?ロニートひとりで帰るん??エスティ置いていくん!?地獄やん!?と思ってしまったけど、あれはどういうこと?後ほど行くってこと?子供は地元で産むの?わからんかったです。
それにしてもふたり共めっちゃ美しかったですな。食事会の時見つめ合うのとか最高でした。レイチェルワイズ、結構なお年なので正直残念な姿は見たくないなと思ってたんだけど、本当に土下座します。無茶クソかっこよかった。一挙手一投足がもうかっこよさとかしなやかさ強さに溢れてて、そりゃレズ役くるよな…と思わせる感じした。ただ、空港行ったり帰ったりするから、本心わからんし、ちゃんとしろよって思った。
好きなシーンは、フェンスでの秘密のキス。秘密の関係って燃えますよねえ。あと、ふたりが離れてからの今までを確認し合うシーン。他の女を好きになった?とか確認する感じ可愛すぎないすか??脚本家天才???
個人的にはキャロルより好きな作品。2人に感情移入できるから、興奮出来るし、自分の生き方も考えさせられる。
そしてこういう同性愛映画がもっと普遍的になって、当たり前のように常日頃から観られるようになりますように。
あとふたりの感じが好きすぎてずっとみていたかったので、ドラマ化希望。
レイチェルとレイチェル
二人のレイチェルを観る目的で観ることに! 感情とルールの狭間で揺れ動く美しい二人の思いは数年の別れの時間でさらに燃え上がった。 取り巻きの信者の皆さんが異常に見えてくるような儀式には全く感情移入できず、もっと美しい二人の映像が観たかった。 この結末しか現実的に映らないのは理解できるがもう少し捻りが欲しかった。
保守的とは
途中で父の体調不良をなぜ伝えてくれなかったのか?と問うと、ここに住んでいないからだとおじさんが言っていた。 あそこまで頑迷な人たちの中ではさすがにしんどい人が多いだろうし、NYに住む人では1週間帰ってくるだけでもかなりふゆかいだと思うよ
ひたすら美しい二人
化粧ど素人の私には、眉毛を整えてる以外何も手を入れていないのでは?と思うほどスッピンにしか見えなかった二人のレイチェルの美しさに、ただただため息をつくばかりです。
禁断の恋の魔力に抗えない恋人たちが、遂に精神的自由を勝ち取る。
たぶんストーリーはそれだけです。なのに全然飽きることなくスクリーンに釘付けとなります。
絵画や彫刻の好きな方が、同じ作品を何時間眺めていても飽きることがない、という感覚を死ぬまで獲得できないであろう、美術センス皆無のわたしですが、もしかしたらこの映画を鑑賞してる間の恍惚感(漢字から受ける印象よりは軽めですけど)はそれに近いのかもしれない、と思いたくなるほど静かに深く官能的でした。
【余談】
ロンドンにあれだけの規模(に見えるように工夫した演出なのかもしれませんが)のユダヤ人街があることを初めて知りました。スマホを使うシーンがラスト近辺まで無かったので、時折、これは現代の話ではないのかな、と錯覚するほど、閉じた空間であることが感じられ、テーマの重さがしっかりと伝わってきました。
ユダヤ教の安息日は土曜日と聞いてますが、映画を観に行くのは律法的に許されるのかな、などとつまらないことを考えてしまいました。
選択の自由
May you live a long life! 長く生きていれば、いろんなことがある。 そして、自分で乗り越えなくてはならない困難や課題もある。 自ら課してようが、課してまいが。 このストーリーは、ユダヤ教の戒律の厳しい家庭や環境に生まれたというところを除けば、割とありそうな同性愛の物語のような気もする。 しかし、僕達に問うているのは、ユダヤ教が窮屈な宗教だとか、戒律が厳しいとか、そんな中で同性愛は大変だとか、新しい価値観が認められ辛いとか……、実は、そういうことは副題で、選択の自由とは、どういうことなのかということを示したかったのではないか。 ここからネタバレ ↓ ↓ 妊娠の分かったエスティは、ドヴイッドと別れる決心すると同時に、ロニートに依存するのではなく、「自立」して生きていくという選択をするのだ。 そして、生まれてくる子供に、本当の意味での選択の自由を与えようと考える。 選択の自由は決して二択ではない。 しかし、責任とか自立とかが伴う。 そして、ロニートは、これまで孤独でも一人で頑張ってきたという自分のヒストリーから、エスティの決意を理解し、尊重する。 これも、きっと一つの愛の形なのだろう。 再会して、再び求め合う場面は、なんか美しいように感じた。 二人が幸せであれば良いとも思った。 しかし、そんな願いを更に超えるようなストーリーだと思った。 ついでに、言わせてもらえれば、ユダヤ教徒も自らのコミュニティが迫害にあっても自立してやっていけるよう努力を重ねたのではなかったのか。 色々考えさせられるメッセージがあるストーリーだ。
真の自由への一歩
鑑賞前は単なるLGBTのストーリーかと思ったが、LGBTは数ある枷の一つであり、まだまだ人は人に縛られた人生で生きていることを実感させられるそんな作品だった。
ロニートとエスティは昔から愛し合う関係であった。
しかしユダヤ教指導者のロニートの父に見つかり否定されロニートは故郷から離れてしまう。
父の死をきっかけに久しぶりに故郷に戻るがやはりどことなく人々からは受け入れてもらえない。
エスティと生活していく間にロニートとの間に再び愛が芽生え愛し合う話だ。
ここまではロニートとエスティが結ばれる結末を期待していたが、エスティは夫であり彼女らの幼馴染みでもあるドヴィッドとの間に終盤子供を授かる事になる。
その事が決め手になったのかは分からないが最後はドヴィッドとの夫婦関係を続けることで幕を閉じた。
同性愛で苦しむ彼女らもそうだが、ドヴィッドもまた宗教に縛られ思考の自由を縛られてるようにも感じた。
この作品に出てくる主要人物達が自由を縛られ、そして最後は真の自由ある人生の一歩踏み出す形で終わったと自分は捉えた。ハッピーエンドというよりかは非常に現実的な作品に感じた。
日本に置き換えると宗教に縛られる者は少なく、今回テーマの一部となったLGBTも少なからず認めようという流れに社会はなっていると思う。
しかし現実的な事は周囲にいない為実感はない。
本当の自由とはもちろん自分たちが掴む事も大切だが同時に周囲が認め、支え合うことも本当の自由ある社会には大切な事であり近道でもある。
偏見や差別をなくし、自由に苦しむ人々達が暮らしやすい社会作りの一員になれるよう生きていきたい。そんな事を思わせてくれた作品だった。
保守的な価値観の中で傷ついていく人々を見つめる色褪せた人間ドラマ
ニューヨークで写真家として活躍しているロニットはロンドン近郊な敬虔なユダヤ教徒の家に生まれ育ったがユダヤ教徒コミュニティの重鎮である父ラブと仲違いし家を出た過去があった。ある日父の訃報が届き葬儀に参列するために故郷に戻ったロニットは幼馴染で父のもとで修行をしていたドヴィッドに会う。ドヴィッドはロニットの友人だったエスティと結婚して幸せに暮らしていたが、ロニットとエスティは昔コミュニティでは許されない関係にあった。ドヴィッドの勧めで数日家に泊めてもらうことにしたロニットに対して故郷の人々は冷たく、エスティもどこかよそよそしい態度だったが、父の遺品を見に実家を二人で訪れた時にエスティは思いがけない言葉を告げる。 トランスジェンダーの女性が愛人の死をきっかけに様々な試練に打ちのめされるチリ映画『ナチュラルウーマン』が絶賛された監督セバスティアン・レリオの本作もまた保守的な価値観の中で傷ついていく人間のドラマ。ほとんどモノクロームに近い冷たく色褪せた映像の中で許されぬ想いに身を焦がすレイチェル・ワイズとレイチェル・マクアダムスがとてつもなく美しい。特にレイチェル・マクアダムスはついこないだ観た『Game Night』で魅せたブッ飛んだコメディエンヌとは完全に真逆のキャラクターを透明感たっぷりに演じていて驚異的。『ナチュラル〜』ではアレサ・フランクリンでしたが、本作ではザ・キュアーの”Lovesong”が印象的に使われていて、二人の心情を当て書きしたかのような歌詞が胸に突き刺さります。
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