ジョン・F・ドノヴァンの死と生のレビュー・感想・評価
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画面の隙間から聞こえてくる人々へのエール
幼い頃、レオナルド・ディカプリオにファンレターを送ったことがあるというグザビエ・ドラン。そんな自身の体験から発想したという最新作は、母と2人で暮らす少年の孤独と、ハリウッドで活躍するスター、ジョン・F・ドノヴァンとの孤独が重なり合って、単なるスターとファンの交流という枠を超えて行く。興味深いのは、
自分のセクシュアリティを隠して生き続けなければならないスターという稼業の窮屈さ、不自然さ、悲しみ、エゴが、キット・ハリントンという適役を得て切ないほど観客に伝わってくるところ。特に、キャシー・ベイツ演じるベテラン・エージェントがジョンに対して突きつけるショービズ界の非常な現実は、怖すぎて震える。やがて、ジョンと同じように、ハリウッドのどこかにいるに違いない、本当の自分を偽り続ける人々へのエールが、画面の隙間から聞こえてくるような気がするのだ。勿論、それはすべての人へのエールでもある。
スターとして在ることの孤独と影を想像させる
グザヴィエ・ドランが子供の頃レオナルド・ディカプリオにファンレターを送ったことに着想を得た物語。ドラン映画は前に観始めて途中で挫折したことがあり、以来苦手意識があったが、新作は英語作品ということもあってか無理なく楽しめた。
ルパートが子役の頃に人知れず文通していた相手は人気俳優のジョン・F・ドノヴァン。年齢差はあっても同じ業界にいてそれぞれ疎外感を抱える2人は、手紙を通じて絆を感じ孤独に耐えていた。だがジョンは少年との文通が世間に知られた時、報道陣に発した言葉でルパートを傷つけてしまう。スターとして振る舞ううち本心を隠すことが習い性になり、本意でない発言で大切な人を、そして自身をも苦しめる影の側面を考えさせられる。
騒動の後、キャシー・ベイツが演じるマネージャーとジョンとのやり取りが切なくやるせないが、ビジネスの前に「人間らしく在ること」を訴えてもいるようで、そこに希望を感じもした。
僕のヒーローが死んだ。彼も僕と同じにゲイだった。
2018年(カナダ/イギリス)123分
グザヴィエ・ドラン監督は子役出身で幼少期からテレビ・映画に出演。
主役の少年・ルパートも子役志望でゲイと虐められてる少年。
ゲイであることを認めているドランの自伝的要素も感じられる映画です。
アイドル俳優と文通するファンの少年・・・
「タイタニック」に感動したドラン監督がレオナルド・ディカプリオに
ファンレターを書いたエピソードをヒントに膨らませたのがこの映画です。
ルパート(ジェイコブ・トレンブレイ)テレビ映画の人気俳優・ジョン・F・ドノヴァン
(キット・バリントン)に、ファンレターを出します。
7歳の時です。
そしたらジョンから返事が来たのです。
その文通はこっそりと母に内緒で5年間続いて、ジョンから100通の手紙が
届いたのです。
(ジョン直筆の緑色インクの手紙・・・ルパートが舞い上がったのも当然です)
映画のファーストシーンは、ジョンが死んで、発見されるところからはじまります。
自殺か?他殺か?事故か?
そこに至るまでに何がジョンに起きたのか?
成人して人気俳優になったルパート(ベン・シュネッツァー)が、記者の
インタビューに答えて、ジョンの生と死の真相を振り返る形式で進みます。
正直言って、「死の真相」に、新鮮さのカケラもなかったです。
込み上げる感情も湧かない映画でした。
ジョンはルパートのヒーローだったけれど、私たち観客のヒーローには
なれない男です。
映像・音楽・撮影・美術はクオリティが高い。キャスティングも良い。
総合点では3・5かもしれないけれど、実質的には3・・・かな?
ルパートのジェイコブ君、凄く可愛かった。
ピュアな笑顔と頬ぬらす涙、悪態までが刺さりました。
「ルーム」や「ワンダー君は太陽」のジェイコブ君です。
それだけでも観る価値はあるます。
グザヴィエ監督の永遠のテーマである「母親との確執」と「差別されるゲイ」
きっと永遠に言い続けたいテーマなんでしょうね。
ルパートのママはナタリー・ポートマン。
離婚したシングルマザーですが、真面目で一生懸命で、美しい。
しかしジョン・F・ドノヴァンのママはスーザン・サランドン。
ナタリーの対照的にアルコール依存症気味の、ジョンと心の通わない母親です。
(この点もジョンには不利・・・だったんですね)
グザヴィエ・ドランは、自身のアイデンティティである「ゲイである自分」
そして愛し過ぎて憎んでしまう「マザー」
このテーマから、彼はいつ卒業するのでしょうね。
それほど当人にとっては、重大でも普遍的テーマは他にもあるはず!
「好きでこんな身体(心?)に生まれたわけではない!!」
ノーマルに生まれた私には差別され阻害されたドラン監督の心の傷の深さ。
そこに共感し尽くすことは不可能。
差別と闘うことが、使命・・・ドラン監督の永遠のなのでしょうか?
そしてひとつ残念だったのは少年ルパート役のジェイコブ君の外見が、
7歳から11歳に変化して見えなかったこと。
もう一つ、俳優の100通の手紙とルパートの100通の返事を、
読みたいです。
何が書かれているのか、とても興味があります
(たとえ虚構でも・・・)
何に対する苦悩なのか
同性愛をひた隠すゆえの苦悩なのか、自身がその事実を受け入れられないことの苦悩なのか、主人公のダークな部分があまり描かれていない感じがして物足りなさを感じた。マネージャーに攻められるシーンがあるが、そんなに怒ること?もっと破天荒なスター山ほどいるでしょ。
ジョンもルパートもそれぞれ母親との間に確執があるのだが、原因となるような物語が語られることもないため仲直りシーンが取ってつけたように見えてしまう。全体を通して誰にも感情移入できなかった。
劇中スタンド・バイ・ミーが流れていたのと、ラストシーンがマイ・プライベート・アイダホを彷彿とさせ、リバーフェニックスを思い出したけど、彼を描くならもっと奥深い作品にしてほしい。
軸足が置かれているのはルパートなのか、ジョンなのかも分からず、描き...
軸足が置かれているのはルパートなのか、ジョンなのかも分からず、描き方が中途半端で最後までストーリーに入り込むことが出来なかった。
ドノヴァンの心の中は、、、
人気俳優ドノヴァンと密かに文通をしていた少年ルパートは自身も俳優となり、29歳で死んでしまったドノヴァンとの手紙について、10年後にインタビューを受ける。文通をしていた頃の回想から、当時のドノヴァンの様子が明らかになる。
ルパートが大好きなドノヴァンのドラマを観ている時の興奮の仕方や部屋にポスターを貼りまくるところなど、あるある〜て感じでとても微笑ましい。ルパートは学校ではいじめられているのだが、こんな可愛いルパートをいじめるなんて😤なんて奴だー😤😤
ドノヴァンは売れっ子の人気俳優なのに、どこか満たされていない様子で、同性愛者であることも隠さなくてはならない。子供との文通も公表出来ず、、、
文通を否定する様なインタビューを見たルパートは傷ついて部屋のポスターをビリビリと破ってしまう。ドノヴァン、ダメですよ👎純粋な子供の心はズタボロです。学校でもいじめられてしまう、、、ルパートがとても可愛そう。
結局そのことをドノヴァンも悔やんでいる。他にも過去の自分を悔いて悩んで心を閉ざしていく。
グザヴィエ・ドランの映画は(まだ4本しか観ていないけど)うまく表現出来ないが観ていて、切ないとか哀しいとは違う苦しいとも少し違う、なんか大丈夫だろうかと心配になってくる。この監督の映画は全部観てみたい、と思っているけど、なかなか機会が無い。
あっ、忘れてはいけない💦この映画はジェイコブ君の名演技あってこそですな。どんな俳優になっていくのかとても楽しみです。ナタリーポートマンも、あのマチルダから見事に素敵な女優になってくれました🥰
尤もらしいが、ツマラン。
アマデウスの構造に押し込まれた想定内の凡庸。
全部台詞で語らせて無駄話をオン。
字幕二時間読まされて幕。
快作、監督失格、シドアンドナンシーから引用か、そこだけは少し良い。
尤もらしいがツマラン。
普通の面白さ
少年の日々の回想を通して語られる、当時大ファンだった大スターとの文通の日々。
傑作とは言えないかも知れないが、鑑賞していて普通に楽しめる。
ゲイとして苦悩するイケメン俳優の姿はBLファンには萌えること間違いなし!
死と生、終わりと始まり
評判、興行収入も散々だったみたいだけど、
僕は面白かった。
ドランが自分の内面の内面を見せてくれてるように
感じられて愛おしい作品でした。
前半は煽りにもあった(作品の意図してた事とは違うと思うのだけど)ドノヴァンの死は自殺なのか、
事故なのか事件なのかと、
本当に文通はしてたのか?と言う謎がフックになって
作品に入らせてくれた。
自分に正直に生きたいドノヴァンとそうはさせてくれない
業界。
みんなを幸せにしたいはずなのに、
たぶんそういう気持ちもあって俳優になったはずなのに、
周りの人全てを傷つけて行ってしまう、
自殺の理由は誰も分からないけど、
偽りの自分になって行くのが耐えられなかったのか…
幸せを取り戻して眠りたかっただけなのか…
ただドノヴァンが託したものをしっかり受け取って、
次へと繋いでいくような
「マイプライベートアイダホ」を彷彿とさせるラストは
とても気持ち良かったです。
グザヴィエ・ドラン節満載
映像、脚本、衣装、音楽、演出、俳優の選び方、その他諸々、
グザヴィエ・ドランの作品を創るセンスが本当に好きです。
そのトータルバランスの良さによる作用なのか、
観終わってもジワジワと脳のどこかに残り続ける残像感がすごいです。
監督で観る作品をあまり選ぶことはないのですが、彼は観てしまう数少ないひとりです。
そして、あなたの母に対する、そして生(性)に対するコンプレックスの強さが
痛く心に染みてきます。今回もそうでしたね。
ただ、ラストのバイクで走り去る二人の姿には明るい未来が見えて、
オードリー同様なんとなく笑顔になりました。
マイ・プライベート・アイダホの感じにもニンマリでした。
次回作品も早く観たいものです。
私たちが愛する人から聴きたいことばは、 「あなたの全てを理解した」ではなくて、「もっとあなたを理解したい」である
1. クローズアップの映像美
ドラン映画の美しい役者の顔のクロースアップを見ていると、僕らは普段どれだけ人の表情から何かを読み取ることを怠っているのだろうかと、ハッとする。
そう僕たちは身の周りの人たちから沢山のサインを見逃してしまっている。
知った気になってしまっているのだ。
人は誰1人として、ひとりの人間のことを完全に理解することはできない不可能性を抱いているのにも関わらず。
だからこそ、本作の、1人の人間に対する虚実入り乱れながらも誠実に迫っていく姿勢には感銘を受ける。
もっと日常を大切にしなければと改めることができる。
僕たちはお互いに知ってほしいと思ってばかりで、知りたい、と願うことをやめてしまっているのではないか?
芸術というもののひとつの効用として、
「普段見慣れているものを「アーティストの視点」というフィルタを通して見ることによって改めて世界の美しさに気がつくことができる」
というものがあるのだが、ドランのクロースアップには明らかに映像という芸術にしかなし得ないそのような美学を感じる。彼は映画の芸術性を心得ているのだろう。
2, 音楽
ドランの映画といえば音楽が欠かせない。
本作はフランス映画の傑作「ベディブルー」の作曲家、ガブリエル・ヤレドが音楽に参加している。個人的には映画音楽界きっての美メロ作曲家であり、実際彼はフランス映画界の大家といっても過言ではない訳だが、本作でも要所要所で作品に彩りを与え、映画に気品をもたらしている。
ドランといえば映画「mammy」にて、
主人公の心が解放される映像に合わせてこれまで狭かっまアスペクト比を一気に解放して、そこにオアシス「wonderwall」を合わせるという非常にエモい演出で一種の革命を起こした訳だが、本作でのポップスの用い方も非常に印象的であった。
「hello」でドランがmv監督も務めたことで馴染み深いアデルの「rolling in the deep」を始め、イギリスのフローレンスアンドザマシンによる女性ボーカルの「stand by me」カバー、アメリカで根強い人気を誇るオルタナバンドlifehouseのヒット曲「hanging by a moment」などイギリスとアメリカのポップソングを往来しながら、ラストはukロック代表格the verve の大名曲「bitter sweet symphony」(テラスハウスで使われてたので聴いたことがある方も多いはず)で締めくくる。
「wonderwall」以来のエモさ炸裂である。
3, 不理解を乗り越えて
本作では本来ならば理解し合うはずのなかった「大人」と「子供」が、対立しあっていた「記者」と「役者」が、「過去」と「現在」、また「生」と「死」を通して、お互いの不理解を乗り越えて繋がっていく。
家族や友人や恋人らの間でどうしても発生してしまう不理解性と、それ以外の「他人」によってのみ開かであろうある種の理解性。これが本作のテーマの一つであるように思う。
この分断化社会で、家族、恋人、友人との距離は近いようでますます遠くなっていく。
最近のポップスではlauvというアーティストの
「modern lonliness」という曲のサビで
「モダンロンリネス、僕らは決して1人じゃない、でもいつも憂鬱で、友人のことは好きだけれども電話もメールも決してしない、ほしいものは手に入れて求められたものを与える、いつもハイになりたくてだけども落ち着きかたを知らない」
と現代人が抱える孤独感について顕著に歌われている。
思えば最近のアイコンであるビリーアイリッシュもフランクオーシャンも、普段は周りに打ち明けられないナイーブな部分、孤独について歌っている。
カリスマとは時代の若者の言いたいことを体現してくれる人物のことで、彼らは現代を生きる人間の孤独と脆弱さを体現してくれているのではないだろうか?
若者の自殺について、昨今は我が国でもある事件が話題を呼んだが、これはもう世界中のトレンドとなってしまっている。(あえて「トレンド」と言わせてもらう)
僕らの心の闇については、現代科学も経済学社会学もSNSも無知である。
「君の心の闇、理解しているよ」と説く心理学や宗教、占い、自己啓発書も、果たしてどれだけの人間のことを救っているのだろう?
そんなもんで自殺者を救えるのか?
こういった人たちはみな、「君のことを完璧に理解している」だなんて口を揃えていうが、そんなもん、誰がはっきりと断言できる人間がいるのだろうか。
思想家、文学者の内田樹がとある著書で
「私たちが愛する人から聴きたいことばは、「あなたのことを全て理解した」ではなく「あなたのことをもっと理解したい」である。」
という言葉を残していた。現代思想にまつわる本だ。
本作はこの不理解の世の中に対する、理解しようとすることの大切さを説いている。
「あなたのことをもって教えてほしい、理解したい」
そんなことをお互い同士でもっと素直にコミュニケイトしていけたならどれだけ素晴らしい世界になるのだろうか。
連環する生き方を眺めるライター。
えっと、えっと、えっと。イギリスとアメリカ(カナダ)で各々撮影して、くっつけた感しかないんですけど。
ってのはさておいて。少年の人格には、ジョンの影が落ちている。ジョンは、昔の自分に語り掛けるように少年に手紙を書く。ループする様に繋がっている、二人の人生の象徴がラストシーン。少年の生き方は、ジョンが生きたかった人生。
共感スイッチを押してくれる要素が無くって、終始、淡々とした気持ちで眺めてしまいました。ナタリー・ポートマンは母親メイクの老けメイクですよね?実際、こんなになっちゃった?嘘やろ?と、個人的には5分間ほど軽くパニックになりましたw
いずれにしても眠かったw
個人主義の内省的な脚本が苦手な理系脳の俺には、あんまり向かない映画でした。
ドラン監督の子供時代を支えたもの
アメリカからの転校生でテレビドラマの子役。学校ではいじめられている。担任の先生が味方になって注意してくれるのだけれど止む気配がない。母親は自分の悩み事で頭が一杯で主人公の心は無視されがち。ハリウッドスターとの文通で心を励ます日々。
一方でスターの生活が語られる。人気を気にかけるあまり、本当に大切な人の心を踏みにじる生活。スキャンダルの暴露。少年との文通も否定してしまうスター。やがて大切な人達は去ってしまい、希望のない孤独な暮らしに陥る。が、有名になる前に通っていた食堂の厨房で哲学者のような老人に温かい言葉をかけられ明るい顔つきになる。
主人公はスターのおかげで今の自分があると、とてもスターに感謝をしている。だから、スターの死についてのスキャンダラスな面よりも真実の姿を記事にしてほしいと、人道派の敏腕記者に依頼する。そして最期のスターからの手紙に二人は希望を見出した。
この映画でハリウッドで生きることの大変さを痛感した。主人公、母親、学校の先生、スターとその恋人、友人など全ての登場人物の気持ちに寄り添う描写が多く優しさも感じた。
性愛シーンが、最近の露出が多いほどベター!みたいな風潮の中では控えめで有難い。画面構成が顔のアップが多くて劇画調。監督の好きな映画へのオマージュシーンがちょいちょい出てくる。私の印象に残ったのは敏腕記者の黒人女性の凛とした美しさ。横顔が「Diva」のようにステキだった。
彼を望む人
結局、曖昧に終わっちゃた気もするけど、不満はありません。
あの曖昧さに彼の魅力が際立った気がする。
やっぱり、生きて欲しかったな。
自殺ではないかもしれないけど。
彼を愛してる家族、ファンはいたのに。
売れっ子俳優でなくても良かったのに。
でも、彼の本心を知る人がいて良かった。
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