ジョン・F・ドノヴァンの死と生 : 映画評論・批評
2020年3月3日更新
2020年3月13日より新宿ピカデリーほかにてロードショー
ビター・スウィートな感情のシンフォニーを喚起する、ロマネスクなドラン・ワールド
子供の頃、きっと誰もが1度や2度は夢見たことがある、憧れのスターとの対話。孤独で、人生が灰色であればあるほど、きっとあの人ならわかってくれるという思い入れ、幻想を越えた根拠のない確信によって、退屈な思春期をサバイブした人は意外と多いのではないだろうか。その思いが秘密裏であればあるほど、それは強さとロマンを帯びてくる。
そんなある意味月並みで、気恥ずかしくもあるテーマを、ここまで壮大に、ロマンティックに語れるのは、おそらくグザヴィエ・ドランを置いて他にいないだろう。なぜなら、8歳のときにレオナルド・ディカプリオにファンレターを書いたドラン自身が、そんな経験をした本人であるから。その少年時代が、退屈であったかどうかは別として。
硬派なジャーナリストのオードリーは、上司から、いま話題の新進俳優ルパートの出したセンセーショナルな本について、本人の取材を頼まれる。10年前に、29歳で謎の死を遂げたスター、J・F・ドノヴァンと、当時子供だったルパートが交わしていた書簡を公開したものだ。たかがセレブの暴露本と斜に構えていたオードリーは、ルパートの語る鮮やかな回想に、徐々に引き込まれていく。
ディテールにこだわるドランが付けた題名は、ジョン・F・ドノヴァンの「生と死」ではなく、「死と生」。スターであるドノヴァンの死を経て初めて明かされるその素顔は、「いつか僕らの真実を語ってほしい」という遺言のような彼の言葉を、ルパートが時を経て初めて実現させる。
ドノヴァンとルパートの絆、母と息子の関係、少年の成長物語、そして人に夢を与えるスターで居続けることの困難。さまざまなテーマを内包しつつ、それらが感情のうねりで繋がり、鮮烈な人間模様のタピストリーを織り上げていく。
本作のキー・ソングとして、去って行った恋人への思いを切々と歌うアデルの「Rolling in the Deep」と、ザ・ヴァーヴの「Bitter Sweet Symphony」が効果的に使われているのは、ドランならではのセンスだ。とくに艶やかなシンフォニーが万華鏡のような世界を彷彿させる後者は、苦悩(ビター)と幸福(スウィート)を経た末に、新たな地平にたどり着き、謎めいた微笑みを浮かべるルパートの心境を代弁しているかのようである。
ドランが初めてハリウッドに進出し豪華なキャストが顔を揃えた本作は、アメリカでは辛口な評価で迎えられたが、そんな外野の声は正直どうでもいい。このエモーションの塊のような、純粋でロマネスクなドラン・ワールドに浸れるか浸れないか、観る者それぞれが彼の鮮烈なロマンを共有できるか、最終的な評価の分かれ道はそこにある。
取材を終えたルパートが、リバー・フェニックス似の友人が運転するバイクにまたがり去っていく姿は、言わずと知れた「マイ・ブライベート・アイダホ」のリバーとキアヌ・リーブスへのオマージュだ。分かち難い絆で結ばれていたあの映画の彼らの関係が、そのままルパートとドノヴァンの姿にシンクロし、ルパートが最後に見せる笑顔が、清々しい青春の芳香を観る者の心に残す。
(佐藤久理子)