劇場公開日 2021年7月8日

  • 予告編を見る

「待望の単独作にして、スカヨハが演じる最後のブラック・ウィドウの姿を観ろ!!」ブラック・ウィドウ バフィーさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0待望の単独作にして、スカヨハが演じる最後のブラック・ウィドウの姿を観ろ!!

2021年8月22日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会

本来であればMCUフェーズ4のスタートを飾る予定が、新型コロナの影響でドラマシリーズが先に公開されてしまったわけだが、今作を観ると、なぜこの『ブラック・ウィドウ』という作品が第1弾だったのかがよくわかる。

マーベルの今後の製作体制の意思表明でもあり、少なくともフェーズ4が「補い」のフェーズであることを示している。

アメコミにおいて、大まかなストーリーラインとは別に、様々なキャラクターの視点で描かれるスピンオフを大量に作ることで、描き切れなかったことを補っていくことがひとつの文化として定着している。

例えば「シビル・ウォー」ひとつをとっても、アイアンマンの視点、スパイダーマンの視点、ヴィランの視点など…それぞれの物事の見え方というのを描いている。

これは、様々な人種やマイノリティが共存するアメリカという国ならではの見え方を反映しているのかもしれない。

しかし、映画となると限られた尺で要素を詰め込まなくてはならず、どうしても省かなければなら部分も出てきてしまう。特にアクション映画というジャンルにおいては、ある程度は大味になってしまう。

最近は日本でも割と翻訳されるようになった「プレリュード」というシリーズも、映画では描き切れなかった部分を描いているのだが、ディズニー傘下となり、散らばっていた多くの権利を取り戻すことができたマーベルだからこそ、映像は映像で補いたいという意識も強くなってきたように思える。

Disney+での配信予定が発表された作品の多さに驚くものの、本来これをやりたかった。つまりアメコミのスタイルを映画、ドラマ業界にも持ち込みたかったのである。

「補い」のフェーズとなれば、無視できないのは、やはりブラック・ウィドウ。

ブラック・ウィドウが初登場したのは『アイアンマン2』

アベンジャーズの初期メンバーであり、計7本のMCU作品に登場ながらも、バックボーンが部分的にしか描かれていなかったブラック・ウィドウは、ホークアイやニック・フューリー同様に、たびたび単独作の製作が噂されてきたキャラクターのひとりであるだけに、「補い」のフェーズのトップを飾るに相応しい。

かつては少女時代から洗脳教育を受けて、訓練されたロシアの傭兵のひとりであったナターシャが抱えている過去のトラウマを描くにあたって、『さよなら、アドルフ』で自らの意志とは関係なく、ヒトラーの子供、戦争犯罪人の子供として扱われる苦しみの中で懸命に生き抜く姿を描いたケイト・ショーランドが監督に選ばれたというのは、もはや必然ともいうべきではないだろうか。

時代や戦争による異常なモラルの中で作られた擬似家族。作りもので作戦の一部であったかもしれないが、作り物が本物に変わることだってある。

アベンジャーズがアメリカにおいての「家族」であるならば、今作で描かれるのはロシアにおいての「家族」の物語。それぞれが、いわゆる一般的で普通の家族像を知らない不器用な者たちではあるが、手探りで見つけようとしている姿には感動できる部分もある。

特殊能力がないブラック・ウィドウだけに、地味になりがちかと思いきや、全然そんなことはなく、スパイアクション映画としての娯楽性も十分に詰め込まれていて、コピー能力をもつ原作の人気キャラクター、タスクマスターとの空中戦は必見。

何気なく観ていたブラック・ウィドウの登場キメポーズの理由をメタ的視点で扱ったことや、『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』の服装に繋がるエピソード、ドラマシリーズを観ていれば驚くサプライズゲスト、そして数々の小ネタの回収と更なる伏線の根を育てるといった点でも見所の多い作品である。

「地球消滅規模の大きな出来事」の裏で見えなくなっている、「小さくない事件」には、ヒーロー不在である事実。

救っている気になっていたという、無力感を描く点でもフェーズ4の描こうとしているものには、今までのMCU同様に物理的に繋がる部分に加え、「補い」というテーマとしても大きく区分をしていることが今作を観たことで明確に伝わってきたのだ。

残念ながらスカーレット・ヨハンソンが演じてきたブラック・ウィドウは今回で最後。

しかし、原作同様にブラック・ウィドウというコードネームは、次世代に引き継がれるだろう。それが誰かは、今回複数の候補を残していて、今後レッドルームの者たちがどう動き、どう成長していくかという点でも無限の可能性を提示してみせている。

バフィー吉川(Buffys Movie)