「この監督はたぶんヒーロー映画が好きじゃない」ブラック・ウィドウ K Mさんの映画レビュー(感想・評価)
この監督はたぶんヒーロー映画が好きじゃない
これまでの作品は少なからずマーベル愛のようなものが感じられ、たとえば原作のオマージュであったり、ほかの作品とのつながりを感じさせる演出であったり、監督や脚本家がヒーローエンタメとそのファンの楽しみ方に寄り添った姿勢というものが見受けられるところが多々あったが、この作品からはそれが感じられない。
その最たる表れがタスクマスターの正体。なんだあれ?
いかにも「そうだ!タスクマスターの正体をアレして、ナターシャに苦悩させてキャラクターを掘り下げちゃうぞ!」といった安直な発想と狙いが見え見えで、そこにキャラクターに対する愛情は感じられず、あくまで監督の思い付きのような「見せたいもの」に既存のものを安易に流用しているだけの、怠惰な姿勢しか見えてこない。
もちろん、すべてにおいて原作に準拠させる必要などはなく、監督は監督の見せたいものを作る自由とやらがあるだろう。しかしそれがあまりに有名な原作を持つものであるならば、少なくとも見るものに対して解決できない疑問を抱かせるような改変をすることはあまりに強引に過ぎるし、強引にするならば、少しの疑問を抱かせるヒマもないくらいに見るものを興奮させ続ける責任があるんじゃなかろうか。少なくとも自分は「?」の連続で少しも興奮などは出来なかった。正体がアレでなんであんなに強いの? コピー能力の説明が「頭にチップ埋めましてん」…だけって、なにそれサボり?めんどくさかったの?
それらに限らず、とにかくこの作品には説明が出来ない細かな疑問が多すぎる。
あのやたらとグランジーな調達屋はどうやって森のど真ん中にあんなものを秘密裏に持ってきたというの?
「世界最高峰の諜報組織がどんなに探しても見つけられなかった」という組織の、その技術の粋を凝らした「空飛ぶ空中要塞」が、なんでエンジンひとつが爆発したくらいで次々にボカンボカンと誘爆していってついには制御不能におちいるの?そんな大層な技術を持った組織の総本山なのに、隔壁のひとつも備えられてなかったの?そんなバカな組織なのになんで見つけられなかったの?
直径なん百メートルもあるようなそんな空中要塞がバラバラになりつつ降り注ぎついには地に大激突するという、そんな未曽有の惨事が今まさに起こっている危険極まりない現場に「世界最高峰の安全保障組織」の長官本人が、なんでのこのこやってくるの?しかも「ただの車列」でやってきて、その長官はひょっとしていつ死んでもいいの?…ああそうか、そんな組織だから今まで見つけられなかったわけだ…
ほかにも、キャラクターはいかにも「状況に合わせた」言動を繰り広げるばかりで、そこには「生きているキャラクター」なんてものはみじんも感じられないし、ときおり見せつけられるユーモア(しかもメタ要素ふくむ)はとにかくお寒く、「ハイハイそんなことよりさっきのアレはなんでなんだ!」と怒りを増幅させるばかり。もちろん、ヒーローアクション映画に細かな疑問なんてものはつきものなんだが、くりかえしになるが、だからこそ見るものに息もつかせない展開や勢いや演出が必要なのだ。なのに奇妙な中だるみがそうさせてはくれない。そしてそこに展開されるのはまたもや「?」を灯す演出ばかり。そうやって見るものはストーリーやキャラクターについてではなく、「この映画」についてを否応もなく考えさせられ、そして一つの結論に至るのだ。
「この監督はたぶんヒーロー映画が好きじゃない」
自分はマーベル映画は全作見ているしブルーレイも全作所持しているし、ディズニー+にも加入している。おそらくマーベルファンといって問題ないはず。そんな自分が、2年も新作公開のおあずけを食らい、楽しみにし続け、仕事の調整もこなしてやっと観に行けた映画館で、しかも睡眠ばっちり元気いっぱいで観に行って、なんとウトウトしてしまったのだから、もはやこれ以上は何も付け加えまい。
ちなみにいうと、自分はウトウトしてしまったその時点からマーベル観賞ではなく「スカーレットヨハンソンのおしり」観賞に意識を切り替えて何とか覚醒を保つことができた。この映画を見に行くかどうかを考えいる方々には、スカーレットヨハンソンの(略 に対して2000円弱を支払う価値を果たして自分は見いだせるのかどうか、というものを、その選択を勘案するに際しての重要な事項として提案したい。