リチャード・ジュエルのレビュー・感想・評価
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一風変わったヒーロー映画
主人公リチャード・ジュエルはテロリストの陰謀から多くの市民を守ったヒーローであったが味方だと思っていたFBIとマスコミに裏切られ、今度は自分自身を守ることを学ぶヒーローの成長の物語。
予告映像からは想像できない内容でした。主人公は民衆を救った勇敢なヒーローであると同時に権力から自分を守ることもままならない弱者であった所が面白かったです。主人公は弁護士の助けも借りて他人だけでなく弱者である自分も救えるヒーローに成長します。とても満足しました。それとマスコミと政府が裏で手を組んで悪を行えば本当に恐怖だと思いました。一般市民全員がヒーローになりなさいというイーストウッド監督のメッセージなのかとも思いました。
権力者がひたすら汚ない
少し変わり者だけど善人そのものなリチャード。
全然怒らないしお母さんの事めちゃくちゃ大事にするし。ホアキン・フェニックスが演じていても違和感なくストーリーに入っていけそうな展開から始まった。
一方で野心満々の女性記者が下ネタ上等のギラついた目で特ダネを狙っており、あぁコイツがやらかすのかと展開を見守っていると、案の定、やらかすのでした。
そこから先は、容疑者にされてもいい人なリチャードとそのいい人ぶりに乗じてリチャードをカモにしようとするFBI捜査官、なんとか無実の罪から救おうとするワトソン弁護士(役名忘れた)の攻防が描かれる訳だが、ハラハラドキドキというよりはリチャードがいい人過ぎてもどかしい!!
最後はこのリチャードのいい人っぷりが勝つ訳なんだけど(ジョーカーにならなくて良かった)、ここは監督のメッセージ性が色濃く出てるなと感じた。
気になったのは、母親の記者会見の場でやらかした女記者が涙するシーン。お前が何で泣いてんだよ…とここだけは意味不明でした。悪い事したなって感じ?それともここも監督の願望?
スピーディーな展開やストーリーのドンデン返しが好きな人には向いていない作品だと思いますが、私は2時間以上あったはずの作品だったけど体感45分くらいに思えるほど没入しました。
ダーティなマグナム
爆弾。怖いですね。学校は、難しい公式や定理より、気に入らないことがあっても、爆弾を作ってはいけないことを、教えて。
疑わしきは、罰せずと云いますが、疑わしきは、サインさせる、音声録音をする。それが、法執行人の正義。
知る権利。概ね憲法で保証されますが、知る為なら、あらゆる手管を用いるのが、マスコミの正義。
弁護人。いかなる同調圧力にも屈しない、鋼のメンタルと、スニッカーズこそ、正義。
正しさ。どんなに不興をかっても、貫くことが、正義。
全米ライフル協会会長たる、イーストウッド御大の放つ、ダーティなマグナムは、御見物のどんな正義を撃ち抜くのか。取り急ぎ、ライフル協会が嫌いで、鹿狩りに興味ある方、及び、そうでない方も、みんな観てね。
前フリ長くて、ご免なさい。さて、本題です。
極東の島で起きた、第一通報者が疑われ、それをマスコミが助長した事件。あるいは、とある大陸で、通報して疑われたくない故に、轢き逃げされた子どもが、路上に放置された防犯カメラの映像。ある程度の年齢の方なら、ご存じですね。イーストウッド御大が、本当に撃ち抜たかった的は、何処なのか?。改めて御考慮願います。
面白かった!……がッ!!
非常に面白い作品でありながら、「ここをこうしたらもっと良かったのに」という不完全燃焼が否めない作品になってしまっています。
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人一倍正義感の強い巨漢の男性である主人公リチャード・ジュエル。ある日野外ライブで警備員として仕事をしていたところ、ライブ会場近くで不審なリュックサックを発見し通報。それはパイプ爆弾であった。リチャードは率先して避難誘導を行うなどして爆弾事件の被害を抑えることに成功し、一躍ヒーローとして有名人となった。しかし英雄として持て囃されたのも束の間、とある新聞社が「FBIが第一発見者のリチャードを容疑者としてマークしている」と報道したことから事態は一変。リチャードは爆弾魔として世間の批判の的となってしまうのだった。
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こういった、メディアリンチやマスメディアの真実よりもエンタメを重視してしまう問題を描いた作品は数多くあります。
私が観た映画ではデビット・フィンチャー監督の「ゴーンガール」や、日本映画だと「白ゆき姫殺人事件」などがそれに当たりますね。
しかし今作「リチャード・ジュエル」はそれらの作品と違って「事実に基づいた映画」です。これが作品の肝でありながら、映画的な構成を制限してしまう足枷になっているような気がします。とても面白い作品なんですが、「こうすればもっと良いのに」と思ってしまうシーンが随所に見受けられます。
例えば、全ての発端となった新聞記事を書いた女性記者のナディアですが、騒動の元凶でもある彼女がリチャードが犯人ではないことを知り「なんてこと」と罪悪感を滲ませるシーンがあります。直前にリチャードと顧問弁護士のワトソンが新聞社に乗り込み「記事を訂正しろ!謝罪文を掲載しろ!」(うろ覚え)と叫ぶシーンがあったため、彼らの要望どおりに自らのプライドを捨てて記事の訂正と謝罪を行うのかと思いましたが、そのような描写は無し。あれだけリチャード家族の生活を脅かしながらも本人は何らお咎めを受けていないのです。これは観ていて不満が溜まります。
また、主人公のリチャード自身もかなり頭のおかしい人物として描かれているのも気になりました。ワトソンから「何も喋るな」と念を押されていた家宅捜索中にFBIとベラベラ喋るし「手伝おうか?」とか言うし、終盤のFBIとの直接対決のシーンでも廊下でうろちょろしてるし。多分リチャードの人間性や精神的な問題(ADHDとか?)を描くための描写なんだと思いますが、有罪になりたいのかと思うほどに余計なことばかりするリチャードを観ているととにかくイライラしてきますし、ラストシーンでリチャードの無罪が確定した時も、とてもじゃないけど「リチャード良かったね」とは思うことができませんでした。あそこまでリチャードを無能に描く必要性が分かりません。
最後にラストシーン。FBIに対してリチャードが「僕が犯人だという確たる証拠はあるんですか」と問うシーン。リチャードが無罪を勝ち取る決め手となったであろう重要なラストシーンなのですが、今ひとつ盛り上がりに欠けます。せっかくのラストシーンなのだから、もう少しどうにかならなかったのかという気になりました。
上記のような不満点も、単に「史実に基づいた映画だから」という理由で反論されちゃうんですけどね。「ここを改善して欲しかった」と思う私もいますし、「史実がこうなんだからこれで良い」と思う私もいます。なんとも収まりの悪い気持ちです。
多少の脚色は映画だから仕方ないとはいえ、史実を改変してしまう行為は劇中で徹底的に敵意をもって描かれていたFBIと同じになってしまいますから、映画製作陣としてはそこは絶対避けたいラインだったのでしょう。
私の個人的意見としては「めちゃくちゃ面白かったけど不完全燃焼」といった感じですが、前評判の通り十分楽しめる映画でしたので、オススメです。
#明日は我が身
彼は【英雄】or【爆弾犯】か(question)
死人に口なしとばかりに自分の出世と栄光しかみていない記者達、早く片付けたいFBIや警察官達のずさんで強引なやり口が本当に酷くてみていてとても辛くなりました。
ここから冤罪がうまれるんだなーって…日々メディアの情報右往左往している自分達も同じかもしれない( ᵕ̩̩ㅅᵕ̩̩ )
#リチャードジュエル #英雄か?#爆弾犯か?
#冤罪事件 #こわい #明日は我が身かもしれない
母と子の物語
本人としては「当然のことをしただけ」なのに、ヒーローに祭り上げられ、一夜にして社会の敵に貶められる。誰にでも起こり得るような恐ろしい事態。恐怖や不気味さをそこまで感じないのは、彼自身が、追い込まれてもなお「人々を守りたい」という信念を持ち続けているから。そして、息子を想う母の強さを改めて感じた。
まだこんな映画を撮れるイーストウッドに感服。
目のまわりが真っ黒メイクが最後まで気になった。
無実の罪を着せられる側と着せる側、両者の悪い部分も確実に描き、人間の本質を見せつけられた。
特に着せられそうになってるリチャードジュエルの内面をこてんぱんにえぐり出して、若干気の毒になる。
誇張気味な人物の描写も良かった。
金髪で目のまわり真っ黒メイクで胸元開けた服の新聞記者なんて、完全に軽々しくって完全やな奴じゃん!
誘惑される側も絵に描いた様なやな奴なのも笑えた。
そんな逆風を一喝する、サムロックウェル演じる弁護士ワトソンが気持ち良い。
唯一一片の迷いもないワトソンと理屈っぽいリチャードジュエル、イラッとさせながらも誘導する様は見事だ。
そしてこのコントラストが物語を面白くさせている気がした。
クリント・イーストウッドさすがです。こういう映画を観たいんだよ!
脚本、演出、音楽どれも整ってます。
いやー。淡々としてますが、全く無駄が無いし、俳優も引き立ってました。
ワトソン、ナディア、お母さん、本当に素敵でした。
信じてくれる人がいるって素晴らしいことですね。
シンプルでも、伝えたいことは十分伝わるんだなと感じさせてくれる映画です。
キャシー、リチャードのお母さんの会見で、泣く意味がわからない。なんの罰もなく、償う行動もなかったのは、不条理だなあと思っちゃいました。
ここでも光るサム・ロックウェル
前日にジョジョ・ラビットを見た中で主人公のジョジョを支える良い味俳優としてサム・ロックウェルが輝いて見えた。
ここでも主役をがっつりサポートする弁護士としてサムが熱演。良い俳優だー
さらに敵役であるFBIのクソ捜査官役にはなんとマッドメンのジョン・ハムじゃん!
そんな素敵なキャストに支えられて本物のリアルヒーローだったといえあまりにアメリカンな容姿のリチャード・ジュエルはマスコミに持ち上げられたかと思ったら、急降下させられるジェットコースター人生を歩む。
捜査段階での情報をリークしたFBIがほぼ全て原因(記事にした記者はそれが仕事っちゃ仕事だし)なんだけど、燃やすも消化するもマスコミのさじ加減というのは20年前も今もアメリカでも日本でも同じだなと思いました。ただアメリカの場合はこれを書籍化することなどで大逆転が図れるというのはアメリカンドリームというアメリカでしかできないワイルドカード。
外見に惑わされるなと云うほどに、外見は重要。
あの弁護士サムロックウェルだったのか… 松澤一之かと思った(うそつけ
人には 出来る事と出来ない事、したい事としたくない事があります。
『外見が重要』という視点なら「自分自身が」心がけるて事ですかね。 でも出来ない事やしたくない事だってあります そっちのが多いかも
で、『人を見た目で判断してはいけない』ですね。
「相手をみる」こちらの教訓がこの映画の話かと思いました
お粗末な先入観、偏見、固定観念をまんまプロファイリング捜査につなげてしまう無自覚な悪を感じます。
プロファイリングを盲信する、という恐怖。
悪意があるとも限りません。 日常でないことが起こると自分や家族を守るため ときには興味本位で または正義感から 人はいとも簡単に “そういう方向” へ飛ばされていきます
そうしてその噂や判断は大抵、力の強いもの、声の大きいものが優位になりがちです、人間てホント困ったもんですね
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故人だからこそ敬意を。
本作は実際の爆破事件を扱っていますが、当然のことながら演出上の脚色がなされています。
劇映画である以上、脚色自体は当然です。しかし本作における女性記者が捜査官を誘惑して情報を引き出した場面は、全くの創作である可能性が高いです(本人以外には知り得ない状況であるため)。事実でないとすればこの記者の名誉を著しく傷つけています。
だが件の女性記者は後に自殺しているため、本人から訴えられることはありません。それを踏まえてこの場面を撮ったとすれば、まさに「死人に口なし」とばかりに、敬意を欠いた振る舞いであると言わざるを得ません。
映画は、映像の作り方で容易に故人を貶め得るという事実こそが、表向きの主題以上に本作があぶり出した重要な問題でしょう。
映像的には安定のイーストウッド的な絵作りが楽しめるし、淡々としていても目を離させない演出の巧みさが健在なだけに(主題的には『チェングリング』などの過去作との既視感はあるものの)、上記の問題は本当に残念。
最初は面白いと思ったのですが
最初は冤罪をえがく、メディアリンチを描いた名作、と思ってました。昨日までは.....。
たまたま映画評論家町山智浩さんの解説を聞いて、面白かったけど名作ではないと思うに至りました。その理由ですが
①アトランタジャーナルの女性記者は映画の中のようなFBI捜査官との関係で情報取得した事実はない。
②アトランタジャーナルがジュエルが疑わしいとFBIが見ている事実を載せようとしたが、彼女がそれが事実かFBIに聞いている。そのために掲載を遅らせた。
③弁護士は決したあとアトランタジャーナルを名誉毀損で訴えたが敗訴。
④なぜなら疑っていたのは事実だから。
⑤映画でもあったが、彼女自身公衆電話と現場を歩いて彼が犯人でないことを確証、記事にしたがそのことは映画では省かれている。
⑥訴えられたあと彼女は精神的に病んで薬物中毒で自殺。
⑦エンドロールにそういった彼女のその後はどうなったか、ジュエルと弁護士は字幕で紹介したが彼女への言及はなし。
町山さんは事実の隠蔽としていたが、まあ、エンターテイメントとみればいいのかなとも思いました。
権力を持った人間はモンスター
ワトソン弁護士が言ってた台詞に『確かにそうだ』と思いました。
ワトソン弁護士役の
サム・ロックウェルは
【ジョジョ・ラビット】にも出演していて、キャプテンK役で憎めない人柄を演じてますよね。
今さらながらですが、『いい役者』を発見しました。
この作品に登場する【権力モンスター】はどこの国にも生息していて厄介極まりない。何とか退治する術は無いものか?
視点
イーストウッドの作品は、普通の監督が作ると極々普通の映画になりそうだが、彼は視点を変える事によって見る者に違った観点で作品を鑑賞させる能力が高い優れた監督です。
今作品も御多分にもれず、普通ならリーク記事を書いた新聞記者をもっと掘り下げるとか、対峙するFBI側の視点に立って物語が展開してもよさそうなものを敢えて主人公のリチャード・ジュエルの視点だけに焦点を当てて、そこから最後までズレることはない。
いつも彼の作品には感心させられる。
最後に裏話を。
『クリント・イーストウッド監督『リチャード・ジュエル』で「悪役」にされている女性記者キャシー・スクラガスがセックスを使ってFBIからスクープを得るシーンは名誉毀損レベルの捏造。また、彼女はジュエルに濡れ衣を着せたと訴えられて自殺している。』(映画評論家 町山智浩氏のTwitterから引用)
アトランタオリンピック どんな大会だったか全く記憶にないんだけど...
アトランタオリンピック
どんな大会だったか全く記憶にないんだけど爆破事件があったことはうっすら覚えてる。
亡くなった方もいらっしゃるし
被害を受けた方が大勢いらっしゃるのに
不謹慎な言い方だけど
リチャードが真っ正直(過ぎる)で
余計なフィルターを掛けない心の持ち主
だったから発見出来たのかなぁなんて。。
そんなリチャードの性格や気質を
見せてゆくくだりの構成が素晴らしかったし作品の主軸となる人達の描き方は
余計なものを削ぎ落とした感じなのに、
それぞれの人物に感情移入できちゃうのは役者さん達の演技の上手さなのかなぁ。
キャシー・ベイツの弱さも強さも見せる
母親役は、早く安心させてあげたいって
思ってしまったし
サム・ロックウェルの抜け感からの信頼感を感じさせてくれた男気が頼もしかったし
そしてリチャード役の
ポール・ウォルター・ハウザーが
とにかく良かった。
終盤の対峙のシーンの真剣な表情にはちょっと感動したし。
「アイ・トーニャ」の時は
マジでムカつく💩野郎でしたけど(笑)
個人的には、本作でオスカーの主演男優賞にノミネートされてもよかったのになぁと思うくらい。
それとサム・ロックウェルの秘書?
事務員?の人。
サムとの絡みになんだかほっこり。
どこまで本当なのかはわからないけど
なんだかんだ言いながら相手を
動かしちゃうところ、
ああいうことを自然と出来ちゃう人
憧れます。
派手さはないけど
一つづつ積み上げてゆく
リチャードの人物描写や
思い込みで産み出してしまう
「冤罪」の恐ろしさ、
登場人物を通して
「差別意識」の怖さを訴えてくるあたりは流石な脚色だなぁと。
時代背景の演出も良かった
マカレナダンスには不意を突かれましたw
ただ、女性記者の人物像を
前半で結構な割合で映し出してたのに、
後半にかけての彼女の心の変化の描写が
乏しくて脚色が雑な感じになったのは残念。
映画を鑑賞した後で女性記者の扱いを
巡って論争が起きてることを
知ったんだけど、女性記者は故人だし
もう事実がどうなのかわからんけど、
死人に口無しの脚色だとしたら
それはそれで怖い
実話職人!
昨今、実話ベースの映画やドラマが増えているが、それはやはり実際に起きたという力強さがあるからだろう。もちろん実話だけに結末も調べたり、当時を知っていれば分かっている事だけに、報道されなかった裏を観れるのは映画やドラマの良さだと素直に思う。多少の脚色や改変はあるだろうが、最後のエンドロールに当事者たちの名前が載っていることがクリントイーストウッドの映画は、他と少し違うように思える。
実際、アメリカンスナイパーはイーストウッドだから許可が出たと聞いた記憶がある。
今作も、真面目で純粋な青年が犯人扱いされてしまうという日本でも何度も映画化されている題材ではあるが、イーストウッドが撮ると作品への没入感が半端ではない。あと何作イーストウッドの監督作が観れるか分からないが、一本でも多くこの世に残して欲しいと切に願う。
FBIの捜査、すでに捏造。
容疑者と扱われた人間が、疑いが晴れたら警官にもなれるっていうのが、アメリカのすごい成熟してるとこだなと感心した。
しかし、F BIひどい。確信的にでっちあげをしてる。彼らは罪に問われないものなんだろうか?
「正しい」は力なり
どんなに納得が行かなくても、
どんなに信じてもらえなくても、
どんなに時間がかかっても、
正しい事をしている事が、お守りなんだなぁ。
カッコいいなぁ。
イーストウッドの人間を見る眼は、
静かで、優しくて、淡々と戦い続け、
コツコツと鍛錬し、どんな仕事にも、
手を抜く事をしない人を見つめる。
主人公ジョエルは、そんな人だが、
校長の心なさから焦るFBIに真犯人にでっち上げられ、
ハゲタカの様なマスコミに煽りまくられ、
ほとんどの人がジョエルを犯人と疑う中、
弁護人ワトソンは「俺は信じる」と言う。
お母さんも、当然ながら息子を信じる
誹謗中傷が連日続き、プライバシーも奪われ
忍び難きを忍びながら、記者会見を行う。
悲しい事件の死傷者を悼む
人を守る仕事をした息子を誇りに思う
でも、なぜ疑われるのか?
地獄を味わされる不条理を、
切々と訴える。
(大統領助けて!は皮肉だろう)
ワトソンの秘書ナディアも、信じる。
関係者で最初にいい仕事をするのは、彼女だ。
ワトソンに必要な仕事をさせる!
彼女もまた「見る眼がある」
男にすべき事をさせる態度は、気持ちがいい。
この映画は、
本人以上に、周りが本人に詳しいという恐ろしさが
テーマかもしれない。
それは、今の時代の
データ社会への警鐘を鳴らしているかの様だ。
「気を付けろ、情報は人の見方を変える」
「次から次へとお前の情報は雄弁に出てくるぞ」
説明出来ても否定出来ない。言い訳しにしか聞こえない怖さ。
そんな時、「普段の姿」と「それを観ている人がいる」が頼りだと。「正しいは、お守りだ。人間と人間の絆が頼りだ」と。
そして流石なのは、
映画として無駄な場面がない。
予告編から含めて、
全てがきちんと計算されている。
いつ爆弾が悲劇を起こすのか?
疑いはどうやって晴らせるのか?
予告編を通じて、起きる事(爆発)ことがわかっているので、逆にはらはらするように仕掛けられている。
英雄が真犯人?と展開がどんどん悪くなるので、イライラして不安になる。そんな展開だ。その力が最高潮に働くころ、母の切切とした訴えが、観客の共感を呼び、反撃が開始される。
身の潔白を晴らす大事な場面でさえ、
ゲイじゃないと友人を助ける。
そして、最後は、後に続けるのか?
人を守れるのか?と言い、
司法を助ける。
「じゃ、帰ろう」と淡々と立ち上がり捜査室を出るジュエルに、「あっぱれ」とニヤリと得意な顔で続くワトソンの顔がいい。
流石だ。
映画としての完成度が高い。
いい映画だ。
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