「ファーストラブの意味」ファーストラヴ SP_Hitoshiさんの映画レビュー(感想・評価)
ファーストラブの意味
小説は未読。
冒頭、誰が嘘をついているのかわからない混沌とした状況が出てきて、サスペンスドラマのわくわくした期待感をもたせられる。
しかし話が進んでいくと、犯人当ての推理ドラマではなく、心の複雑な問題に分け入っていく話なのだとわかってくる
正直、最後のどんでん返しや、あっと驚く展開は無い。その点で物足りなさを感じつつも、脚本は丁寧で一貫してリアリティを保っており、面白く観ることができた。
この話の本質は女性にしか分からないのかも知れない。そういったリアルなテーマを描いている。
映画の冒頭に出てきた言葉。
子供が引きこもりなどになったとき、親は、それが子供の問題であり、自分には何も問題がない、と考えてしまう。親が根本的な原因になっていることがあることを、なかなか理解してもらうのが難しい。
これが、映画で一貫して訴えていることのように思う。
親の論理と、子供の論理
そして、男性の論理と、女性の論理
明示的な論理と、非明示的な論理が
繰り返し対比されて提示される
親の論理、男性の論理、明示的な論理は、理由がはっきりしていて、理屈が通っていて、倫理的に正しく、世間体的に恥ずかしくない、いわゆる正論に属する
しかしそれによっておしこめられて、水面下に隠された「本音」の歪みを押し付けられた弱者が、異常行動という形で事件を起こす。
今やっている洋画の「スワロウ」も同じテーマだろう。
父親は、不貞で生まれた娘を自分の娘として受け入れる。これは道徳的には正しいことであり、自分は道徳的な人間だと思いたいからそうしたのかもしれない。
しかし潜在的には妻と娘を憎んでいたかもしれず、それが妻や娘への無意識の虐待につながった。
無意識であるゆえに、関係者の誰も、加害者、被害者の意識がなく、その行き場のない感情が最も弱い存在である娘におしつけられる形になった。
裁判というのは、論理的、明示的なものだけが重要視されるものだ、ということも繰り返し強調される。
だから、最後に主人公サイドが裁判で負けることには大きな意味がある。
これは、現代社会というものが、男性的で論理的なものを正しいとして秩序を保とうとしている、ということを意味している。
最後に、ファーストラブの意味を考えてみた。
これは、子供の親への愛のことだろう。
どんな人間でも、まず愛するのは親である。
それに対して、親は子供への愛がファーストラブというわけではない。
その非対称が虐待の問題の根本の一つなのかもしれない。