「ブルックリン・ドジャース。今、見応えがある作品」マザーレス・ブルックリン ワンコさんの映画レビュー(感想・評価)
ブルックリン・ドジャース。今、見応えがある作品
ドジャースが、ブルックリンからLAに移転が決まった頃の物語だ。
もしかしたら、NYブルックリンの再開発に伴って、スタジアムの移転を余儀なくされたドジャースに、良いタイミングでLAのオマリー一族から買収の話が舞い込んだのが発端だったのかもしれない。
因みに、ドジャースの語源はブルックリンを走っていた路面電車の前を人々がかわし(dodge=ドッジ)ながら横切る様を表現したものだ。ドッジはドッジボールのドッジだ。
物語は、ブルックリンの再開発に伴う開発業者と政治家の利権絡みの話にとどまらず、黒人やマイノリティに対する差別、そしてレイプ、地上げ、野心、裏切りなどが散りばめられていて、NYやアメリカ社会の闇の深さを感じさせる。ただ、再開発絡みだと日本にも似たような話は沢山あるに違いない。
そして、チック症を抱えながらも闇に迫るライオネルの知性と、ミナへの忠誠心や、ローラへの優しさは、流れるジャズの音楽と伴に、ストーリーに一本の強固な芯と重厚さを与えている。
ハードボイルドだ。
モーゼス言う。法律の先を行くのだと。
まるで、今のネット社会のプラットフォーム・ビジネスと同じではないか。
ルールの先を行って、自分達に都合の良いルールを後付けで決めていく。
マンハッタンとブルックリンの間に橋を架けて、橋の通行料を徴収する。
プラットフォームだ。
昔も今も、考え方は一緒なのだ。
どうやったら人々から搾取出来るのかが重要なのだ。
でも、僕は、エドワード・ノートンはこの作品で、現代に対する警鐘として、そんな都合良くは行かないんだよと言ってる気がする。
取り残される人々。
しかし、抵抗する人々。
スクラップ・アンド・ビルドを繰り返しながら、社会は進展した来たのだ。
振り子のように振れながら、発展してきたのだ。
アメリカで進む分断の先には、反対の方向に戻そうとするエネルギーも、きっと大きく蓄積されているのだ。