「回避不可避な偏見ミスリード。司法とビジネス両正義の共存共栄。」無垢なる証人 ソビエト蓮舫さんの映画レビュー(感想・評価)
回避不可避な偏見ミスリード。司法とビジネス両正義の共存共栄。
いやあ、善き映画っす。最近、お風呂に入ろうとすると気持ちが酷く沈む。
今日もまたか。うんざりしてくる。
(´Д`)ハァ…
その原因は「垢」だ。
毎日お風呂に入ってるのに、ゴシゴシ体を洗っても、
翌日になると風呂の水がどんよりと濁り、予想以上に汚れている。
毎日お風呂の水を取り換えれば済む話。ただ、昔はこうじゃなかった。
何しろ、うちのお風呂は現在、私1人しか入らない。
1日の利用者は1人1回だけ。4人家族だったら1日だけで4回。
だったら私は4日で4回入れるじゃないか。
でも、風呂水は汚れている。
足を伸ばせるくらいの風呂なのに、水は垢だらけだ。
老いを感じる。新陳代謝の悪さを痛感する。
私は汚れてしまった。垢まみれの人間なのだ!
((+_+))
法廷モノ作品であり、自閉症の人が法廷に立つ事から、
繊細な社会派ヒューマンドラマの映画とも言えるこの作品。
ある殺人事件の国選弁護側として、殺人→自死による無罪にしようとする主人公弁護士なのだが、
この裁判が物語本筋の中心で、その裁判に絡む形で、証人として登場する自閉症のJKが、もう一人の主人公になる。
この作品は法廷ミステリーとしても面白いのだが、
面白さの濃い原液部分は、そこよりも、「社会派」部分と「人間模様」部分になる。
まず、社会派部分の面白さは、
自閉症やしょう害者などに対する、先入観や差別意識の炙り出し。
この弁護士も、そして観客も、真実の為に公平公正な目で物や人を見ようとする。
自閉症JKを差別する事なく、彼女に寄り添おうと、意識的に見たり接したりしてるつもりなのだが、
自閉症という発達しょう害に対して、無意識のうちに偏見の目を持っている。
その結果、弁護士も我々観客も、とんでもない「ミスリード」をしてしまうのだ。
(゜o゜;
無自覚の偏見。無自覚の差別。
そんなはずじゃなかったのに!!!
そう叫ばずにはいられない炙り方をされてしまう。
自分の心が透かされてしまうような感覚。
心を暴かれてしまうような痛恨の一撃を食らい、
茫然自失する瞬間が作品の中盤移行に訪れるはず。
その「してやられた感」がとんでもなく面白い。
もう一つの人間模様部分というのは、主として3つあるが、
まず、主人公とやや認知症に傾きつつある父親との、父子の親子愛。
主人公が弁護の事でガックリきてる時に、父から誕生日を祝う手紙をもらうシーン。
親からの無償の愛を感じるし、
不条理を生きる息子に対しての励ましの文面に、
観客である自分も励まされた心地になる。まず、ここで泣く。
(TOT)アリガト
次に、JKに「あなたはいい人ですか」と幾度か尋ねられるのだが、
いよいよという時にこの投げかけを思い出し、
自分の「良心」をグワングワンと揺さぶってくるし、
忘れかけていた「良心」の本質を思い出させる。
そして「良心」を貫くには自己犠牲を伴った、裁断を下す必要がある。
感動物語の鉄板級最終奥義は、大体「自己犠牲」だからだ。
そしてもう1つが、ようやく前フリの回収となる「垢」の話。
弁護士事務所の上司から、もっといい仕事をするには「垢をつける」必要がある、
と主人公は指摘される。
つまり、弁護士として垢まみれになって、汚れて初めて、一人前になるのだよと、
主人公の未来を暗示したような心構えを諭される。
そして、実際に主人公は段々と垢まみれな弁護士になっていく。
ここに、私のようなオジサン世代はグッときてしまう。
(;´皿`)
若い頃は、垢まみれの大人になんてなりたくないと、みんな思ってたはずだし、
だって尾崎豊がそう歌っていたじゃないか。
でも、いつしかそんな初心を忘れてしまい、経験を積み、失敗を重ねるにつれ、
垢まみれになっている自分を鏡で見ても、何も思わなくなっていた。
むしろ、垢まみれになる事は、化粧水や乳液の代用品だと思う程になっていた。
なぜなら「金は天下の回り者」ではなく、
「金は汚い輩の懐の中に貯まっているもの」だと、
どこかで気づいてしまうからだ。
確かに私にも覚えがある。私のは、普段から「貧乏人相手に商売しても損するばかり」という考えになっていた。
裏を返せばそれは「金持ちを相手にすると、貧乏人相手よりもコスパよく金が入る」事を意味する。
同じ労力で、入ってくる金額には差がある。だったら楽な方と考えるのは、自然の理だろう。
だが、自然の理であっても、それは社会的存在としての、人間の「良心的」に正しい事かと言われると、自信が無い。
この映画は、良心に何度も何度も問いかけてくる作品なのだ。
資本主義は、お金を稼ぐ事が正義だ。
だが、司法という世界の正義は、資本主義の正義が通用しない領域でもある。
しかし実際には、司法の世界で働く者も、
会社として営利を出すために、組織として維持するためには、
資本主義の論理に一旦組み込まれる必要がある。
これはバランスの問題であり、司法人は司法の正義を追及する人々だが、
司法組織は司法の正義以外の、ビジネス(資本主義)の正義も考慮しなければならない。
司法の正義とビジネスの正義の「共存共栄」が求められる以上、
このバランスを保つためには「良心」が必要になる。
良心が崩れると、このバランスも崩れる。
バランスを崩した人間は、良心に代わって「垢が付着する」事を許容してしまう。
そういう社会派の描くテーマを、人間模様から良心を引きずり出し、
バランスを崩してませんかと問いかけ続ける映画なのだ。
最終的に主人公弁護士が、その良心を取り戻せるのかが見どころであり、
それは弁護士以外の観客にも身に覚えがあるテーマなので、
投影感も没入感もある。
だから面白いのだろう。