花束みたいな恋をしたのレビュー・感想・評価
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花束みたいな別れかた
私は恋愛不足だからか
人様の恋愛模様の記録を見てる感覚で
きっと恋愛してる人だったら共感する箇所、
生々しさみたいなのがあったのかな~・・。
「映画を見たあと、雨が降っていて
またコンビニでビニール傘を買って。
イヤホンが壊れて雨と街の音を
感じながらゆっくり歩いて。
大人と呼ばれる年齢になったけど
白線の上を歩いて帰るのは心地よかった。」
これを有村架純ちゃんが読んでくれたら
もうこの映画の雰囲気でちゃう。
ただの帰り道をぽく書いただけだけど。
あ、有村架純ちゃんの歌がすごく
好きだった。
最高の恋愛映画でした
花束みたいな恋をした
と言うタイトル通りの、切なくはかないラブストーリーでした
恋愛映画をはじめて一人で見に行きました
そして、恐らく、また、見に行きます
これまで同じ映画を2回見に行ったことはありません
物語が自分と妻に重なったことが引き込まれた理由だろうと思います
一つ一つの具体的なエピソード、その中での会話・表情が、自分の過去のできごとを思い起こさせました
男女には違いがあって、お互いに自分の絶対的な価値観があっても、それを日常のコミュニケーション、触れ合いを通して乗り越えていくことが大切なんだろうなと思いました
でも、それが簡単じゃないから、最高に惹かれあったカップルが別れるんでしょうね
この映画には様々な伏線が引かれていますが、それがどんどん、回収されていき、映画後半で「そういうことだったのか」となります
その最たるものが「花束みたいな恋をした」と言うタイトルだと思います
本当に素敵な映画でした
有村架純
有村架純がとにもかくにも可愛い。
こんなん惚れてまうやろ…。
菅田将暉も上手。モラトリアム青年から、イキりサラリーマン一年生の振り幅を好演。
出会い、告白からの交際、同棲スタートの希望に満ちた上り調子からの就職、社会、親からの圧力による下降線の描写がリアルだし残酷。
映画『何者』で主演二人が共演してたの思い出したりして。
でも若い二人だからいいじゃないか。20代の恋愛なんてそんなもんだよねと。これが30代、40代だったら悲惨ですよ。同棲解消なんて揉めるよマジで。
音楽、大友良英も雰囲気合っててよかったです。
サブカル、ファッションの偶然はちょい過剰だったかな。
あとサブカル男子と言えば、『モテキ』(2011年公開、10年前か!)ですが、今作に登場する映画、まんが、小説、バンドはバランスがよくて、大根仁が監督しなくてよかったなと。
まとめると、「思っていたのと違う」
麦がダメ!
あっさり始まりあっさり終わる
痛いほど分かる想いで苦しかった
30代母です。
告知を見て良さそうだったので、子供を主人に任せて久しぶりの一人映画。
いやーよかった。
面白かった。せつなかった。
これ書きたくて、このサイト登録しましたよ。
たくさん恋愛してきて、たくさんこういうやり取りを元カレとしたな、とか。
旦那さんと付き合ってるころしたなとか。
恋愛ってほんとに最初は燃え上がるし、すっっごく幸せなんだけど、その先にあるのって結婚か別れしかなくて。
それに気づいた27歳のころ、いろいろあったことを思い出した。
友人と恋愛って幸せで悲しいよね、どちらかしかないんだもん、って話をしたなって思い出した。
家での出張前乗りのやりとり、旦那と付き合ってるころこういうふうになったことが何度もあって気持ちが分かりすぎて思わず笑ってしまった。
こんなに長く一緒にいたのに会わなくなるなんて考えられなくて、
最初のころの二人を思い出して涙がとまらなくて
でももう、あの頃の二人には戻れないってお互いわかってて。
ほんと、胸が痛くなった。
カップルで観に行かない方がいいね。
女一人で見て、今の彼との付き合いを見つめ直すためにいいと思う。
すごく、素敵な映画だった。素敵な時間になった。
せつないけど。ほんと、最後も…
結構メンタル削られる
花束みたいな恋をした
途中から見てるのが苦しくなった。
好きな人とこれからと一緒にいるために、好きなことを続けるために、割り切って仕事をしている。けれど、その生活は相手の望んでいる生活ではなくなってしまう。相手にとって好きな自分ではなくなってしまう。
極端ではあるけれど、未来を覗いてる気分がした。仕事にとって大切な、趣味の合う、話しがたくさんしたい彼女は邪魔になってしまうのではないか。とてもつらく悲しい矛盾だよね。自分が仕事を頑張れば頑張るほどに、その距離は離れていく。
現状維持、愛情がなくなっても一緒にいれたらそれでいいと思える麦くん、好きなことをして共通の趣味の話をして2人だけで楽しい過ごしていきたい絹ちゃん。そのすれ違い。でも、じゃぁ結婚しようは言ってはだめ。
ではどうやって一緒に過ごせばいいのだろうかな。って考えさせられる。
でも今回の有村架純はむちゃくちゃかわいい。ほんとにこれはがち。
自分よりも大切にしたいと思える存在ができること、それはとても素晴らしいこと。でもそれで自分を消してしまっていいの?
「6週連続1位」
えっ!終わり?
サブカル好きの違和感
麦と絹が、最後まで、サブカル好きの男女に見えなかった。
もちろん、現実にはあんな美男美女いないし、
素敵なインテリア、服の着こなしは映画というフィクションなのだけれど、
出てくるサブカルは、ままごとだとかリアルだから、
ままごとの演劇を見に行っている私としては、
いや、「麦と絹はいない」と思ってしまうのである。
流行りに乗ってみた
観る人によって評価変わるね
期待しすぎた感
今回の菅田将暉は仮面ライダーには変身しません!
お客様からのよくある質問
Q「菅田将暉は仮面ライダーに変身しますか?」
A「今回の菅田将暉は仮面ライダーには変身しません」
昨年の糸に続きまたもや恋愛映画に抜擢された菅田将暉。
またいつものように自暴自棄になるシーンで仮面ライダーに変身してしまうのではとヒヤヒヤしていたが、今回はどうも様子が違う。
よくある夢を追う大学生というか、ちゃんと麦君という青年を演じている。
それだけではない、日本映画によくある芸能事務所のゴリ推しでねじ込まれたミスマッチな人選やあからさまなステルスマーケティングと言ったうんざりする要素が無いのである。
監督から「菅田将暉を使ってやるから後は口出しすんな、広告代理店なんてコロナで経営ボロクソだしお前らが映画作ってるわけじゃねーんだから勘違いすんなや」と言わんばかりの気概が手にとるように感じられとても好印象である。素晴らしい。いつもなら売れている芸能人の一人でも出てきて作品の空気がぶち壊されるところだがそういう心配もない。しっかりと主人公の二人にフォーカスされており話があちこちに飛ばない。
なんと言っても絹の両親が広告代理店である。その親がまた世間ズレしていて痛いセリフを吐いてくるのだから見ていて気分がいい。人生は責任て、中抜きして他人様のお金を巻き上げてるだけの人間がどの面下げて言っているのか、と私もお金をもらって感想を書いているわけではないので規約に違反しない程度で好き勝手言える。
さらに脚本の構成、カメラワーク、セリフの言い回しなど細かい部分までよく練られており、冒頭から最後まで1秒足りとも飽きるシーンがない。最後、エンドロールが終わって劇場が明るくなって初めて終わったことに気がつくほど。これだけ映画に集中できた作品はなかなかない。
特によかったのが、麦と絹が二人でレストランで話をする物語の山場のシーン。横からの固定のアングルで、向かって右側に麦そして左側に絹の配置。非常に単純かつシンプルな構図である。これは映像では非常に珍しい。下手な監督ならここで唇のアップやら喋っている人物の背後から相手を抜くような構図にしながら横にスライドするだろう。
そして語りが麦から絹へと移ると今度は逆に絹が右側、麦が左側となるのである。
何故この重要な場面でこのようなカットとしたのか。おそらくこれは映像ではなく「マンガ」の手法を取り入れたのではないか。マンガは映像と違い「本」である。日本では右から左に読むため、自ずと会話の流れは右手が上手、左手が下手となるのである。この概念は自由に画を動かすことができる映像にはない。しかし自由であるからこそこのような表現は盲点であり、斬新に映る。おそらく、画を動かしすぎると話の内容が入ってこなくなるからだろう。止まり切っている画だからこそ言葉の重みがある。
そう思える理由は、作中に幾多も実在するマンガが登場し、先述したように単なる道具ではなくきちんとリスペクトを感じられるからである。またマンガだけではなくゲームや文芸や劇団への愛情も感じられ、サブカルチャー全体への配慮が伺える。今回のテーマがテーマだけに、作品の出来が悪いと映画好きな人をただ批判するだけの内容となってしまう。そうならないように、あくまでも娯楽としての立ち位置を忘れないところに拘りを感じた。
ベランダから外に出るだけのシーンでも、足元から舐めるようなアングルで始まり、ガラス戸を開けて多摩川を一望した後に二人を包み込むように柵の外からゆっくりとぐるっと回り込んでから会話が始まるシーンはなかなか映像ではお目にかかれない表現である。おそらくドローンか何かを使ったものと思われるが、こういった表現はゲームなどでは頻繁に見られるのである。ゼルダというかマリオのジュゲムと言った3D上をフワフワと漂うカメラアングルは影響を受けているはず。
構図ばかりの講釈が続いてしまったが、1つ1つのセリフも印象に残る。ややネタバレではあるが、カラオケ屋に見えないカラオケ屋、サンキュー!押しボタン式、社会性は才能の敵だ!などなど。脚本の構成も因果応報というか、巡り巡って自分に帰ってくるというギミックが要所要所で決まっている。なかなか計算高い。基本的な天丼はお手の物。
また、現実的な話をすれば夢を追い続けるのが男性の麦で現実的なのは女性の絹になるはず。それを付き合いを深めるうちにお互いの良いところ悪いところに影響されてしまい、そうなってしまった経緯を考えると実によく考えられた作品だと思う。
1つだけよく分からなかったところが、終電を逃し改札の前で出会った行きずりの4人がバーで飲むシーン。解散したあとサラリーマンとその彼女はタクシーでそそくさと千歳烏山まで帰ってしまうが、始発まで飲んでいたのではなかったのか?タクシーで帰るなら終電を逃してもさっさとタクシーに乗ってしまえばいいのに。
最後に視聴した人間として年齢的にかなり心に刺さる内容ではあったのだが、これだけは共感できたのが「結局のところ夢は諦めない方がよい」ということである。夢を諦めて現実をもぎ取ろうとしてもそれは「次の夢」であって現実ではないのである。つまり人間とは永遠に夢を追い続けるものであって、現実とは今ここの一瞬一瞬に存在するものである。そう考えると麦も絹もまだまだ人生ここからなんだろうなと思い劇場を後にした。
と、ここまで書いてふと思ったことがある。
花束とは、そういう意味だったのかと。
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