花束みたいな恋をしたのレビュー・感想・評価
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別れ話をするハメに
彼氏と行った。
まぁこう言うカップルもいるよなと言う気持ちで見ていた。私は等身大の恋愛をしたことがなかったから全く感情移入しなかったが隣で見ていた彼氏は涙ぐんでいた。
どこだ?どこで泣いた!?どこに泣きポイントがあったのか!?
それはさておき、あんなに仲良かった二人が5年も経つ頃にはすっかり冷め切りお互いの思考もすれ違いサヨナラという流れを見ていたら2年ごときでお互いのこと分かった風な感じになって結婚しようなんて言ってる我らヤバいなと思い別れ話を切り出したら彼氏再度涙
そもそも2人は恋愛していないのではないか?
そもそも主人公の2人が恋をしているという前提が感じられず、入り込めなかった。「この人でなくてはだめ」という関係性には感じらず、たまたま趣味が合っただけに見える。なので、別れてしまっても何の切なさも覚えなかったのだと思う。確かに出会った当初の思い出は綺麗なもので手放したくないものかもしれないが、それはあくまでも昔の出来事で「今、ここ」にあるもの(別れる時からみて)ではないのである。
特に、醒めてしまったのが喧嘩や倦怠期の描写である。なぜか同世代の私からみても幼く感じられてしまう。愛し合っていたなら、あのような自分の感情だけを吐き出すような、思いやりの欠片もないやり取りには至らないのではないか。
また、主人公たちの人柄に魅力が感じられなかった。主人公の2人は俗っぽくなく独特な感性の持ち主で、陰と陽のどちらでもない人なのだと感じる。だとしたら、精神的にもっと成熟していて知的さがあればバランスが良かった気がする。さらに、カップルとしても憧れる要素がなかった。本作品では、他の登場人物の影は薄くカップルの関係性を排他的に描いたものと思われるが、2人だけの世界が感じられなかった。うまく言えないが、もっとバカップルらしいところがあってもよかったのでは、そうしたらキュンとくることがあったかもしれないと思う。
散々偉そうなことを述べてしまったが、鑑賞できてよかったと思っている。ここまで感想を書いているのは強く影響を受けている証であろう。個人的には、自分も主人公と同世代で5年に渡る恋愛をしたものの(なんの前触れもなく相手の心変わりで)別れてしまった経験があったため、さぞ感情移入して辛くなるだろうと思ったが、見事に裏切られて、それが面白かった。私は5年間全力で恋をしていたのだと清々しい気分になれた。感謝している。
記号化したサブカル
美男美女のサブカル好きって時点で違和感を感じてしまうんだよね。まあそれはいいとしても、記号化したサブカルの固有名詞が飛び交うだけの会話ってなんか空虚に感じる。
「好きな言葉は替え玉無料」って自己紹介する絹の言葉をスルーするってありえる? そこって食いつくとこでしょう。記号化した単語をいっぱい並べるだけのセリフが結構あって、しっくりこない。
就職したからって興味がなくなるってことは、サブカル好きな自分に酔ってるだけなんだと思う。
共感できたのは、「好きなことを仕事にしたい」絹のセリフくらいかな。
恋愛感情がなくても家族になりたいって、いつの時代の感覚だよ。監督さん!
それはそうと、『街の上で』の女優さんがいっぱい出演していたのは驚いた。
その辺でガスタンクなら廻沢か平沼橋
2015年、終電間際の京王線明大前駅で出会った大学生カップルの5年間の恋愛映物語。
調布で独り暮らしをする男子大学生と飛田給の実家で暮らす女子大生。
名大前からだとタクシーで5~6000円ぐらいですかね?
それぞれお付き合いで参加した乗り気じゃないカラオケ帰り、終電を逃して時間を潰すうちに、共通点が沢山あることから意気投合し、交際して同棲して…大学生からフリーターになり就職しという、どこかでありそうなカップルの心境や環境の変遷と機微をただひたすみせていくというね。
決してつまらなくはないけれど、主人公の2人が自分とはまるで違うタイプの人間で、共感出来るものがほとんどなかったし、冒頭でオチをみせられていたからか、ふ~ん…という感じだった。
もっと若い時期に本作に出逢いたかったという嫉妬心
ラブストーリーほど観る者の価値観に左右されるジャンルはないのではないだろうか。それまでの恋愛経験や恋愛哲学、さらにはその恋愛をしていた年齢や時代さえも作品への評価へ影響を与えかねない。故に、この作品の評価が人によってばらつきが多いのは当然のことに思える。
かく云う自分はどうかと問われれば、それほどの共感を得られなかったタイプだ。若い二人が恋をして、甘美な時と厳しい現実に直面する時を経て、次第に変化する心境を紡いだ構成は見事であったし、恋愛のピークを超えて、感情がプラトーに達したやや退屈な日常さえも描いた思い切りの良さにも関心した。特段、前半で2人が居酒屋で語らうシーンの距離の縮め方のリアルさには頬を緩めてスクリーンを見つめていた。
だが、それは物語の輪郭にすぎないように見えた。2人のモノローグで語られるストーリーテリングは冗長に思え、展開が進むほどに2人のモノローグが左右で異なる音を出すステレオのごとく、不協和音となって耳に残る。無論、次第に変化するその微妙なセリフの食い違いこそが本作の魅力であるし、そこを読み解くことに物語の魅力が隠されているのだろうが、私にはセリフ過多のあざとい演出に思えてしまったのだ。
記号的に使われるサブカル情報が架空のものではなく、実在するものを登場させたことは諸刃の剣だ。同じ時代を生きた同じ世代の観客には響くトピックであっても、数年後、数十年後に本作を初めて観る者にはどう映るのだろうか?と首を傾げたのも事実。ただ、本作の主人公たちと同世代、同年代でこの作品を観賞したのであれば全く違った感情を持って観れただろうと思うと、もっと若い時期に本作に出逢いたかったという嫉妬心があるのも事実である。
人間は良くも悪くも変わっていくもの。 恋愛関係もずっと一緒ではいら...
人間は良くも悪くも変わっていくもの。
恋愛関係もずっと一緒ではいられない。
ほとんどの恋愛はいずれ破局するし、結婚しても関係が冷え込む夫婦が多いのが現実でしょう。
この映画はそこを後味悪くなく、上手く描いていました。
でもデートムービーには向かないかな。
佐久間宣行のお勧めで
ノーマークの作品でしたが深夜ラジオで佐久間宣行さんが絶賛していたので、そうか、おじさんが観ても面白いのかと思い、公開1ヶ月遅れで映画館へ。
何となく昭和っぽいボーイミーツガール物語でしたが、主演の二人の演技が凄く巧すぎ。何十年か前の若かりし己の恋愛感情を思い出し、スクリーンに引き込まれました。
最後まで全く飽きずに鑑賞出来たのは劇中会話のセンス、と言うか素晴らしい脚本の出来と菅田将暉、有村架純のナチュラルな演技力の賜物でしょうか。
もしかしたら数年後に令和の東京ラブストーリーとしてエポックメイキングな作品と評価されるかも知れません。
青二才に捧ぐ
ひたむきさや熱い思いとやや対局な恋愛
セックスも淡白めなカップルの若さ故の破局
冒頭、歩行者量調査のバイト現場ロケ地(豊島区某所)
が徒歩1分の近所で、映った瞬間作品世界が現実とシンクロ率100%に、、、
モノローグがいやだった
合わなかった
モノローグで全て説明しちゃうのが嫌だった
イヤホンが有線だったり、猫の引き取りをじゃんけんで決めたりと、書きたいシーン、メッセージのために不自然になっている部分が気になりました。
さわやかの使い方は好きでした。
サブカルおじさん・おばさんの武勇伝
早稲田松竹で。
公開するなり一部で話題、時に阿鼻叫喚を巻き起こすさまを横目で見ていましたが、ようやく実物を拝むことができました。
もはや「コントが始まる」と「大豆田とわ子」の予習的タイミングになってしまいました。
オチやだいたいのストーリーは前情報で予想した通りでしたが、坂本裕二だしそこが重要じゃないと思うのでたぶんセーフ。
自分と近いタイプの人たちが中心のドラマですが、ラストは泣け…るどころか、やや不愉快な気持ちになりました。
↓その理由(結末について言及してます)。
それはモノローグ過多な語り口のせいもあるかも知れません。言葉が映像に溶け込むのではなく、明確に言葉>映像。こちらが想像で埋める余地をあらかじめ摘まれてしまうと、どうにも心が動かない。
それを差し引いても本気になっていく過程で相手のパーソナリティに執着してしまう感じがあまりしないかった。
運命の相手だ→過度な期待→すれ違って落胆、みたいな描写もあまりなかったし、結局のところ自分と似てる、自分の分身だから好き。で、そうじゃなくなって別れた、みたく見えてしまう。
だけど当の本人たちはほんとに大事で大好きだから、これ以上嫌いになりたくないから別れた、とか神棚に上げて暮らしていきそう。
このまま行けばさぞかし殺伐とした地獄だろうけど、これ以上の相手なんかいないんだからハラ決めて底まで落ちたらいいのに。単に覚悟が足んないだけでしょって思う。なにせ「花束」だからね。
その程度で、時間経って別の相手と付き合ったら? 距離を取ってみたら? 数年後に再会したら簡単に再燃しそう。むしろ泥沼の不倫に発展する中年カップルの前日譚だったのではとすら思えてくる。都合よく踏み台にされる未来のパートナーたちが本当に気の毒(すべて個人の妄想です)。
そして創作物もただのダシに過ぎないのでは。
私が知る範囲で創作物を深く愛してる人ってのは、とどのつまり人が好き、他人に興味があるってことだと思うのです。
だからこそ自分の好きなものを目の前の人に伝えたくなるとか、逆に相手の好きなものに興味が湧いたり。
決してコンテンツの中に自分を見つけて安心したり、人を選別するためではない。
なのでそこまで好きじゃねぇだろ…と言いたくもなるわけです。
なまじ愛が浅い人間ほど(私だ)ちょっとばかり齧った程度のことをこれ見よがしに語りがち。つまりマウントの一種。作品より自分が好き。耳が痛い。
しかし、そう考えると冒頭のくだりとか、色んな謎も解けてきます。
観終わってみると、全体的にサブカルおじさん・おばさんの武勇伝ていう感じ。
老害になる未来が目に浮かぶよう。
飲み屋で胃を半分取った話をするおじさんは20年後の麦くんかもよ、絹ちゃん…
「500(日)のサマー」とか、「ラ・ラ・ランド」の日本版みたいな作品ですが、ドメスティックすぎて海外に持っていって共感を得られるのかは未知数。
劇中、ふんだんに飛び交う固有名詞に(特定のモデルに取材した結果だそうですが)自分が触れたことがあるかどうかでも、刺さり具合が分かれそう。
ちなみに私はマンガはだいたい知ってるけど小説はほとんど読んだことがない、というレベルでした。
麦くんのマンガ本棚は30代後半の弟が高校生の頃みたい(AKIRAはともかくあの世代にドラゴンヘッドって…歳上すぎないかい??)。
ただ、パンデミック前の密、密、さらに密!な若者たちの風景は無闇に懐かしくて泣きそうでした。今となっては失われた懐かしい景色。期せずしてそこの訴求力が一番強くなってしまったという。。
撮影時期の問題か、あえて避けたのかはわかりませんが、あそこまで時期を言明されると逆にマスクしてないのが引っかかったなー
若者のリアル
若い頃はお金がないが夢がある。
少し道を外れてもその気になればいつでも修正が効くと思っている。
一度軌道から外れると、いざ元の軌道に戻ろうとした時に想像の何百倍もの負荷がかかり、お金も時間もなく、また夢を語る余裕もなくなり、疲弊し切って喧嘩が絶えなくなる。
精神的な大きな変化は、学生から社会人になるとき、結婚して子供ができたときの2回来ると思うが、そこで考え方がシフトするかどうかは個人差があって、ここが一番、価値観の違いが生まれ易いとこではないか。
自分の過去と重なる部分が多過ぎて、苦笑いする場面が多く、とても面白かった。
邦画ラブロマンスの傑作
邦画ラブロマンス、とりわけ若年層をターゲットにした映画は、その多くが安い「胸キュン」シーンの押し売りに過ぎず、その上で恋愛以外のよく分からない要素(SF、不治の病、エロ、風刺等)を無理やりに付け足すことでなんとか形にしているだけの駄作です。私自身何度もガッカリさせられていますが、この作品には良い意味で想像を裏切られました。
決して奇をてらっているわけでもないのに、ありがちなテーマなのに、最後には涙が出てきてしまう。ロングヒットも頷ける、間違いなしの傑作です。一度でも人と交際した経験のある方なら、観て損はないと思います。
綺麗な花束はそのまま朽ち果てさせるか、ドライフラワーにするしかない。
ふたりの趣味がぴったりと合う事は素晴らしい事で、それが理想的だ。
そのまま結婚すれば、きっと一生うまくいく。
しかし一貫した趣味をもっていても、片方が仕事に対する考えは飽きっぽく、場当たり的すぎたので、結末は悲しい。 そんな恋は、ただ朽ちるしかない。
1クールドラマにしてもいい内容を、映画の枠に収める意味を理解していない監督と脚本家は
ふたりの心の声をすべてを劇中で、語ってしまう程に薄く
映画を観ている者に何も考えさせず、想像もさせない
まるで深みのない"男女のすれ違い"を表面ずらで仕上げた脚本になった。
何度も繰り返す”パンが裏返しに落ちる”という比喩の意味が不明である
何かのオマージュなのだろうか?
有村架純さんはブヨッた。
最後は誰の結婚式なのだろうか?
同じように”長すぎた春”を扱った最近の映画は「あの頃、君を追いかけた」だ。
見比べると。。。
花束みたいな別れかた
私は恋愛不足だからか
人様の恋愛模様の記録を見てる感覚で
きっと恋愛してる人だったら共感する箇所、
生々しさみたいなのがあったのかな~・・。
「映画を見たあと、雨が降っていて
またコンビニでビニール傘を買って。
イヤホンが壊れて雨と街の音を
感じながらゆっくり歩いて。
大人と呼ばれる年齢になったけど
白線の上を歩いて帰るのは心地よかった。」
これを有村架純ちゃんが読んでくれたら
もうこの映画の雰囲気でちゃう。
ただの帰り道をぽく書いただけだけど。
あ、有村架純ちゃんの歌がすごく
好きだった。
全528件中、181~200件目を表示