花束みたいな恋をしたのレビュー・感想・評価
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いつか恋は終わり、花は枯れる。だからこそ美しい。
二人が付き合いはじめてすぐの旅行。海辺でのシーンが印象的でした。
一時だけ黙ってその場から離れてしまった麦に絹は取り乱しながら「居なくならないで」と懇願するように責め立てます。
カップルとなったばかりで劇中の二人は燃え上がり、それを見守る観客の我々も盛り上がっている段階であえて冷や水を浴びせるようなあの場面。
ミイラ展開催のニュースを見て内心ではむせび泣くほど歓喜していてもその表情からは全く察することが出来ないほど常に穏やかで、後に転職後のすれ違いで喧嘩をするときも、一瞬感情を昂ぶらせることはあれど冷静さを失わないよう努めている大人(と言うより物事を達観している)性格の絹が、劇中で最も感情的になった瞬間だったような気がします。
まだ序盤と言えるあのタイミングであのシーンを入れたのは、二人の未来を暗示していたのかなと感じました。
きっと絹は「二人で」というのを何より大事にしていたんだと思います。
恋愛も生活も二人で営んでいきたいという絹の姿勢がその後の二人の同棲中の様子からも伝わってきます。
駅から帰るのもお風呂に入るのも本を読むのも曲を聴くのも二人。べったりし過ぎじゃないかと思うほどに。
だから海辺でも麦が黙ってしらす丼を一人で取りに行ってしまって、片割れとして取り残されたことにあんなに声を荒らげたのかもしれません。
「美味しいしらす丼を食べさせたかった」という麦の気持ちを汲んでもなお動揺を抑えられない、という様子を有村架純さんがとても上手く演じていました。
対して、彼氏である麦としては男として「相手に何かをしてあげたい」という気持ちが先走りすぎて、
それが結局、先のことを考えるがあまり相手を置き去りにしてしまい、二人の関係にズレが生じてしまうことになったのかなと。
そうした彼女のために不器用なりに頑張る、でもそのために変わっていってしまう彼氏の姿を菅田将暉さんが好演していました。
見終わってから考えてみると、二人が出会った最初の夜の明大前駅から調布駅までの道すがらや、同棲開始後の河川敷を歩くシーンは二人の「人生」を表す暗喩になっている気がしました。
徒歩30分の道のりでも二人で一緒に歩いていれば全然問題ないし苦でもなさそうで、二人で歩いているときはその時間も含めて幸せそう。
そのぶん中盤以降、二人で歩くシーンが減ったのは二人のすれ違いを表しているようで悲しかった。
一人で毎日30分かけて歩いて帰るのはつらいでしょう。
そうして一人で帰宅してもまだ麦は仕事から帰ってきていない。
そんな日々が続くうちに「二人の人生」の道がわからなくなってしまったのかと思います。
絹が静岡出張に行く麦へ移動中にと勧めた『茄子の輝き』という作品を気になって調べてみたら、短編集ですが元妻との記憶を回顧するのがメインのお話のようです。
もしあのときに麦がもしその視点を持てていたらなぁ。。
とはいえ、別れを選んだシーンの美しさやその後の「二人の日常」まで描いてるあたり、本作は別れ=悲劇というかたちでは扱っていないと感じ、とても良かったです。
エンディングも泣かせにかかる情緒的な曲ではなく、ほのぼのとした曲とイラストでほのぼのとした日常を振り返るからこそ、悲しい結末では決してないということを示しているような気がしました。
「花束」というのは基本的に誰かから渡されるもので、古今東西異性へのアプローチに使われるものですが、
時が経ち、枯れて終わってしまっても「あの花束はきれいだったな」と思い出し心が温かくなる、そんな素敵な恋愛をした二人の、至上のハッピーエンドではないでしょうか。
ただ、カップルは一緒ではなく別々に観るか、劇場を出たあと自分たちに置き換えてゆっくり消化する時間があったほうが良いかもしれません。
こういう、フィクションだけどリアルな恋愛映画から気付きを得て、まだ枯れてないのに別れてしまうカップルが恋から愛へ進めるようになれたら良いなと思います。
素敵な作品を見れました。
調布で見られて良かった
突然妙な思いつきを互いに言い合ったり坂元裕二度は十分なんだけど、延々自分語りをするようなコテコテ感はない、うまいバランスで一般的エンターテインメントに落ち着いている。褒め言葉です。
聞くともなく聞こえてしまう前情報で見る前から終わってしまう恋の話と知る。辛いのは嫌だなあと思いつつもファーストシーンで二人が再会する所が面白く描かれていて、安心して映画に入っていくことができた。
「劇場」と違って住む部屋も景色も明るい中、菅田将暉と有村架純の絶妙な演技でまさに今そこにいる普通のカップルの数年間が描かれる。カメラマンの先輩や友達、さわやか、同年代のドライバー、多摩川、パン屋。オダギリ。いくつもの挿話を通して流れる時間、心地よく巻き込まれているうちに漂う倦怠感。(あと何か大事なことを思ったのだが忘れてしまった。)
別れることを決めた後、吹っ切れた2人が爽やかに描かれるのも良い。ここのところ恋愛映画はあまり見てないし、同じ映画を2回以上見ることは滅多にないんだけど、久々、またいつか見るだろうなと思った。
あと、清原果耶の登場は知らなかったのでまさに眼福(笑)。この子もうまいなあ。
追記:麦の好きな言葉「バールのようなもの」(笑)
言葉にできません。
前半傑作で後半は凡庸だった。映画として見るには少し物足りない。 こ...
ラ・ラ・ランドを思い出した
本作を見て「ラ・ラ・ランド」がまず頭に浮かんだ。もちろん内容は別物だが、仕事によるすれ違いや最後の回想などの心打たれるシーンには通ずるものがあった。
コロナ前の普通に遅くまで飲んで語れるあの映画の世界に早く戻って欲しい。
菅田君サスガ
可愛いけど幼すぎる
一番好きなのは、麦くんが絹ちゃんの髪をドライヤーで乾かしてあげるところ。菅田将暉にぴったりで自然だった。びっくりしたのはファミレスでデートすることですごく驚いた。絹は恋愛指南のブログを読んでいる恋愛教信者で、大学生にしては幼い。色んな本を能動的に読んで頭使って考えているのであればあり得ないと思った。麦が思ってたことを翻して別れたくないと言ったのは本心で、大人になったのだと思う。涙が美しかった。麦の描く絵は私も好きだ。
この映画でうっとりしたり昔の甘苦いことを思い出して沢山の観客がいい時間を過ごせたんだと思います。私もです。でも若い人達の大変さを考えざるをえませんでした。
おまけ (2024.8.3)
今、新宿の紀伊国屋書店ではどのフロアでも平積みの『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』を読み終え最後のあたりでは泣いてしまった。麦と絹の関係性と変化を通奏低音にした本書の著者は1994年生まれ。この映画を何となく突き放して見ていた自分はノイズを避けていたのか、上から目線だったのか。
有村架純
人の本棚を見るのは楽しい。その人が何でできているのかわかる気がするから。
内容的には普通ならスルーしている作品だが、東京テアトル、ユリイカにもしやと考え直して、今年初の劇場鑑賞へ。
ちょっとめんどくさいマニア気質な二人の5年間をニヤニヤ、アワワワ、しんみり、〇〇〇〇に眺めるお話。固有名詞を大量に投入というとスティーブン・キングを連想してしまうが、ある種のリアリティがあり共感を持つことができる。大人の事情ならこのチョイスにはならないだろう。舞城王太郎、いしいしんじに反応。「好き」を仕事にすると逆に辛いこともあるのにね。早稲田松竹行ったことない。『希望のかなた』をみる麦の生気のない目に、もうダメなんだなと悟る。
モノローグの多さは制作過程を聞くと納得はできるが、やはりもうすこし少ない方が主演二人の演技をじっくり観られて良かったのに。流石に終盤のファミレスでは抑えてあって、とてもよいシーンになっていたが。
またかとは思うよまたかだから
見終えたいま麦くんと絹ちゃんがこの世に生きてる気がしてなりません
誰もが経験した事ある
見ていてああ私の話だって思う方いると思います
趣味の共通点が一緒の人って意外と沢山いて
たまたま終電を逃した二人だっただけで実は麦と絹は全然違う
付き合ってすぐの時から絹は別れを意識していて
麦は未来を意識していた
過去に引っ張られる絹と
未来に引き寄せられる麦
だからなんで変わってしまったんだ
なんで変わらないんだ
そこの考え方が根本的に違うからすれ違う
だから倦怠期を迎えた二人の喧嘩シーンはピリピリした
だけど絹は大人だったな…そこは育ちの違いが見えた気がする、麦には余裕が無い
私は女だからパン屋無くなった返事が
そんなの駅前で買えばいいじゃん
は悲しくて仕方なかった
そういう問題ではない
絹はパンが食べたい訳では無い
結婚を意識する前の同棲はおすすめしません!!
束の間の夢を見た
タイトルの付箋回収出来ず...
感想が無いことが感想、何も言えない。
話の流れに無理がないというか、明らかなフィクションという部分が一切なく、本当にリアルに作られていた。
そのおかげで自分のこれまでの恋愛経験や恋愛観を見つめ直しながら見ることが出来た。
私は映画上映中には泣くことは無かったが、帰りの車の中で映画の内容を整理していたところ涙が止まらなくなった。
時間差で涙が出てくるなんて初めての経験だった。
危うく事故を起こすところだった笑。
映画を通して感じたことは、男女の考え方の違いである。
愛しているが故、絹ちゃんに不自由なく幸せに暮らしてもらうために自分の本来やりたいことを諦めて労働者となった麦くん。
一方、趣味や価値観が合うことがきっかけで付き合ったことを大切に想っている絹ちゃんは、出会った頃と同じように好きな事を共有したい気持ちを持ち続けている。
この違いが歳月を経て大きな壁となり2人に別れを告げるのだと思った。
もし、麦くんが絹ちゃんの本当に願うことに気づけていれば…、また麦くんが絹ちゃんに直接聞くことが出来ていれば…。
もし、絹ちゃんが麦くんの真意を心から理解して変わっていく麦くんを受け入れてあげることが出来ていれば…、また麦くんに直接望んでいることを話せていれば…。
(絹ちゃんは、麦くんが言っていた「僕の人生の目標は絹ちゃんとの関係の現状維持」という言葉を信じていたのかもしれないが…。)
こんな”たられば”を思ってしまう映画だった。
お互いに愛しているのに離れていってしまう儚さ。
恋は始まった段階で終わりへと向かっているという悲しい現実。
この2つのことを痛感させられたが、それ以上に恋をすることは素晴らしいと教えてくれる作品。
個人的に印象に残っているシーンは、お互いが相手を想ってクリスマスプレゼントとしてあげたワイヤレスイヤホンが、後々お互いを避けるようにして使うことになってしまう点だった。
改めて考えるととても切ないと思う。
また、別れた絹ちゃんがイヤホンを触りながらSMAPのたいせつという曲についても思い出して口に出していたところも印象的だった。
この曲はポップな曲調で2人の時間が大切であるということを強く伝えてくれる曲である。
それを別れた後の思い出として語っているところが、麦くんとの時間は思い出として割り切れているのだなと感じさせられるシーンだった。
最後に。
”花束みたいな恋をした“は、本当に素晴らしい作品だった!!!
思ってたのと違ったけれど
。
ちょっとでも本作が「刺さった」人は、パンフレット必携の一作。
この種の映画としては王道的な展開で、物語としての意外性はそれ程ありません。しかし「恋愛映画」の枠にはめ込んでしまうのは勿体ない傑作。もちろんデート映画として鑑賞するのもありだけど、その場合はタイトルの時制をよーく見てから判断しましょう。
また作品と同様、パンフレットもデザイン、情報量ともに素晴らしいできばえで、この値段は安すぎると思わせる力作!
いわゆる「サブカル」好きな男性と女性が出会い、ちょっと現実味の薄い共同生活を始める序盤、そして徐々に現実が侵食してくる中盤の展開は、ちょっと岡崎京子大先生の『うたかたの日々』を連想させるような夢見心地の美しさ(作中で「リバース・エッジ」と読めるTシャツが出てくるんだけど、偶然?)。洪水のように飛び交う文化アイコンや固有名詞に共感できるかどうかも、確かにちょっとは本作への感情移入の仕方に影響するかも知れないけど、菅田将暉と有村架純の表情、演技はとても自然で素晴らしく、たとえ彼らの「好き」そのものはあまり理解できない人でも(含自分)、作中世界に入り込ませる力があります。
ただ彼らが共有する世界と現実を対比させる象徴として、「ゼルダ」ではなく「パズドラ」、「文学」ではなく「ビジネス自己啓発本」を持ち出す当たり、ちょっと単純では…笑いました。これらが好きな人は、「自分って現実に妥協しているんですかー(涙)」となりそう。
終盤のやり取り、菅田将暉の訴えは理屈としては間違っていないんだけど、その場面で言うのは…、決定的に…、という、ある種の共感と断絶を同時に示すという見事な演出・演技。そこにさらにもう一つとどめを入れるというたたみかけがすごい。これがないとここまで後味爽やかにならなかったし、下手すると『レボリューショナリー・ロード』(2009)みたいな展開になっていたかも…。
恋愛映画が苦手な人でも
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