花束みたいな恋をしたのレビュー・感想・評価
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終わらせるにはもったいない二人
こんなにも感性の似た人と、こんな風に恋が始まったら楽しいだろうなと言う始まり。そして、何となく感情がすれ違いになり、浮気のような変なドロドロもなく、仲が悪いというわけでもなく、終わりを迎える二人。2時間の尺を長すぎると感じることもなく、見させてくれたのは坂本裕二氏の脚本のおかげかな。
アラカンおじさんの私から見ると別れるのは実にもったいないなあと思いました。これから人生、山あり谷あり。まだまだ色んなことが待ち受けているのになあ。それを諦めるのは実にもったいないことだと思う。
麦君が一生懸命に仕事をして絹ちゃんと感情的にすれ違っていくことが主要因だろうと思うのですが、女だって子供が生まれたらもうゲームだなんだと悠長に言ってられないときはある。それを思うと絹ちゃん、もうちょっとだけ何とかならんかったのかなと思います。
私は見て損したとは思わなかったけど、全然面白くないという人も結構いるだろうと思える映画でした。
かさぶた映画
文科系いやサブカル系男女が、もう忘れたと思ってた古傷を刺激され、引っ掻かずにいられない、そしてまたドクドクと血を流さずにいられないかさぶた映画。 世代が違っても登場する記号の固有名詞を入れ替えればいつだって「自分ごと」の物語となるのだ、幸か不幸か… 誰とも違うと思っている自分にぴったりなパートナーを見つけたという高揚感、そしてその後の食い違いとすれ違い、既視感しかないんですけど… そういう意味で神映画。 別れを決めてからの方が穏やかに仲良く過ごせるというのも分かる…
なぜ?
日本ではこんな映画がヒットするんだ。 内容は超地味で、ありふれた、なんの捻りもない話。スクリーンで観る必要性は無い。 この話はオタクのダサい男子とパットしない女子の話。よく駅の改札でイチャイチャしている需要と供給カップル(否定している訳ではない、幸せならOK)が似合う内容。原作者絶対カッコよくないし、モテなかったはず。ちょっと執着質な束縛男が書きそうな。トイレットペーパー持って電車にの乗る様な女子がする恋愛。自分の思い出に投影してる人が多いけど、過去なんて思い出す?でもそういう人がmajorityだから良い感想が多いいのね。出演者が人気のある俳優だから映画になっちゃうだけ……あっ、観てなかった映画。予告だけで判断しちゃた。 失礼致しました。
ちゃんと働いてくれる良い彼
当初は、若い俳優さん達のキラキラした恋愛映画なんだろうな、と思って見る予定はありませんでしたが、
レビューが高評価なので見てみました。
彼が夢を追えなくなっていったことや、土日も出張で一緒に過ごせなくなったり、ということは昔から比べると寂しい面も感じられますが、
仕事を全然してくれなくて、彼女の収入だけに頼っている人より私にはよほど頼りになる男の人に見えました。
多分学生時代に出会ってそのまま社会人になっても続くカップルの場合、それこそ新しい生活パターンに同時に、せーの!で移行出来ないと、
社会人と学生(フリーター)だと趣味に使える時間の取れるタイミングとかが合わなくなるので、うまく2人同時にパターンを移行出来なかった彼らは残念だったな、と思いました。
でも私は別れたら後にグーグルマップで写真が残ってたら、うわー、とマイナスな気持ちになるので、
別れてもふとグーグルで元彼女との姿を見つけて懐かしく笑って振り返られるのは、羨ましいほど良い別れ方したな、と思いました。
結婚していないのに、まるで結婚してるような同棲生活をあまりにも長くしていたから、中途半端な状態になってしまったのかな?とも思いました。
いくつか新しい出会いを重ねて、もしかしたら10年後くらいに復活婚しそうな2人で、キラキラしていて彼女も可愛いし、脚本としてはそれなりに良かったです。本当は、ハッピーエンドが好きなので★4からマイナス0.5にしました。
成長して、さらに大人になってね、と2人にエールを贈りたくなりました。
日本版500日のサマー
恋愛の中で動く感情、就活や社会人として生活する中ですれ違う想い、所々で自分の経験と重ねた。エンディングに大きな展開があるような物語ではなかったが、つい余韻に浸ってしまう。上手く言えないけれど、今までに1人でも大好きな人と恋をした人には是非観てほしい。
主人公たちはこの映画をどう評価するのだろう?
きのこ帝国や羊文学などが出てきたところでニヤリとしました。 しかしながら、菅田将暉と有村架純が主演で「花束みたいな恋をした」というタイトルの映画を、主人公たちは、好んで観るのだろうかという疑問が沸きました。 それが、作り手の狙いだったら面白い。
リアルな恋愛映画
自分が長く付き合っている彼女がいたり、就活が終わって働き始めそうな時期に見たこともあってか、非常にリアルに感じた。 うまくいかない感じや、切なさ、どちらが悪いともいない状況が胸にぶっ刺さった。
隙間をついた作品
大ヒットだというので、観に行った。 確かに、こういう普通の恋愛映画でしかも邦画って、最近あまり思い浮かばない。 しかもオリジナル。 新鮮に感じた。 普通は企画が通らないのだろう。 けど、そこは坂元脚本。 ドラマの監督と脚本を揃えているの、TVドラマ臭がもっとするかと思ったら、そうでもない。 そこは菅田将暉が映画にしていると思った。 もう1回、観るか?と言われたら、充分だけど、 このコロナ禍で、コロナを忘れて、ちゃんと2時間楽しめた。
5年の生活が花の一輪。花束はドライフラワーにして胸の内に
beatsのイヤホンてそんな壊れにくいもんですか?これはbeatsのプロモーションを含んでるのでは?
冗談はさておき。
バター猫のパラドクスから始まるこの映画。後に登場する黒猫にはバロンと名付ける。「別れる男にひとつ花の名前を教えなさい」と説くのは元は川端康成。キノコ帝国のクロノスタシス。わたしの中の“サブカル”とも被っていたから面白かった。わたしはガスタンクではなく、店先のソフトクリームランプの写真を撮りためていたことがある。
否。サブカル、、というより自分の触れた好きなものを上手く醸成している2人のように見えた。興味のあるものに手を触れる時間と気力という特権は学生のものであるのは確か。重なる偶然を運命だと信じ切れるのも学生の特権だろうな。川の近くにアパート借りたいな。
ラーメンのレビューブログはもう何年も更新されていないだろう。互いの環境や立場が変わり、緩やかに枯れていく恋。ふたりでいるために就職したのに、それがきっかけですれ違っていく姿は辛かった。きっと言葉が足りなかった。言葉をかける時間もなかった。それぞれ互いを思っての生活なのに、互いを見つめているはずなのに、視線が交差しなくなっていく。5年という月日は、出会った頃のお揃いの靴を履くファミレスのふたりが変わってしまうには十分すぎた。ファミレスのあの席はもう空かない。
恋愛感情はなまもの。愛へと昇華できればいいが、大切なものがスッポリ抜けてしまえばそれはただの情。それに気づいた絹は揺れなかった。でも、最後の3ヶ月には確かにふたりの愛はあったよね?
この先、麦と絹は焼きそばパンをスーパーで見た時や、イヤホンのRとLを確認した時や、ゼルダの新作が出た時やファミレスのドリンクバーを薄く感じる度に相手のことを思い出すのだろう。毎年同じ場所で咲く花を見て、花の名前とかつての恋人を思い出すように。
花束みたいな恋だった。5年の中の出来事はひとつひとつが一輪の花で、それで繕った大きな花束。花もなまもの。枯らすのではなく、ミイラでもなくてドライフラワーにしてそっと胸の内に閉まって置く。
あ、賛否両論ありますが、わたしは恋人と観に行きました。良かったね、を皮切りにふたりのこと、今までのことを色々話しました。出会いは、教会。互いのTSUTAYAカードが某映画スタジオの名前を冠した期間限定デザインで運命だと思った。ふたり共まだ学生だったから、この出会いは神様の思し召だと信じた。あれから4年。すれ違い離れても、また手を取り合った過去がある。楽しいことも辛いこともあった。未来が不安になることもある。これからもきっとそう。わたし達にどんな未来と別れが待っていようとも、今ふたりでいることを選び続けている。それだけで十分ではないでしょうか。
背伸びしていない素朴な作品。ラブストーリーに求める期待を持たずに観るのが良いです。
【キャスト】 主演の有村架純さん、菅田将暉さんは、普通のカップルを好演されていました。 本作のお二人の演技ですごく惹かれた、という印象は薄いのですが、主演のお二人の存在感が華やかすぎないことで、本作の凡庸な印象を表現することができたのかもしれません。 【ストーリー】 この話のメインとなる麦と絹は、いわゆるサブカルに分類されるような音楽、映画、作家などが好きです。 学生の時に趣味が似ていて惹かれ合い、就職や社会人としての成長を通して趣味を中心に楽しみを重ねていた2人の生活から、これからも2人で暮らしていくために仕事を頑張る生活へと変化していきます。 彼に好きなことをやってほしいと願う彼女と、一方で好きなことで生計を立てることの難しさを実感し、不本意な始まりではあったが、地に足をつけて仕事をして彼女を支えたいと思う彼氏。 この思いやりのすれ違いが丁寧に表現されている作品でした。 それにしても、坂本監督のつける役名は独特でおもしろいですね。 個人的には、(終電がなくなったら知らない人たちと朝まで時間潰しすることがあるだろうか?)(彼氏が白スキニー履いたら別れるとか軽っ)とか小さなツッコミどころが多々ありましたが。 【技術】 いつくかブラックアウトが入ることがあり、急な挿入のために観ていて感情移入の切り替えが追いつかないことがありました。 全体的にじんわりとした印象が続くので、フェードアウトのほうがこの作品の調子に合っていたかもしれません。 全体的には、起承転結を通した物語の起伏が大きくないので、物足りなく感じる方もいるかもしれません。飾り気がない作品なのに大々的に宣伝してしまったからかもしれないです。 大きな感動を求めるでなく、人生で一度は経験するであろう若者の恋愛経験を描いた作品です。 どんな選択となった恋愛であっても、良い悪いをつけるものではない人生の豊かな経験の一つだと思える作品です。
見るつもりはなかったけど..
予告の時点で自分に合わなさそうなので、見るつもりはありませんでした。 しかしあまりのレビューのよさに驚き、時間あったので見てみました。 やっぱり私には合わなかったです。 好きな物の共通点が多いだけで恋が始まり、片方が忙しくなって仲良くそこに打ち込めなくなったから終わり、ただそれだけ。響いて来るものがなかったです。 そしてトイレットペーパーというのは、電車移動の必要な場所で、しかも終電乗るくらい時間がない時に両手いっぱいに買うものなのでしょうか? 私は家の近所でしか買ったことがなく、電車であんないっぱい運んでる人も見たことないので、全く理解できませんでした。
エモが詰まった花束みたいな映画だった 一つ一つの気持ちやエピソード...
エモが詰まった花束みたいな映画だった
一つ一つの気持ちやエピソードがものすごく身近でリアルで、あるあるって思いながら気づいたら自分のことのように思えて
なんでこの世は恋愛物語ばっかなのだろうと思うけど、人の共感できる最大公約数が恋愛なのだとちゃんと心で理解できた気がする
恋の始まり
出会って気が合いすぎてテンションが上がって
うっかり浮ついた言葉を口走って意識して
でもお互いの気持ちの距離を小さく確かめ合いながら距離をつめて
女の子の影に少し冷めてだけどタイミングを逃すまいと追いかけて
大学生らしく勢いで相手の家にコロンと上がって
わかれたあとにニヤニヤが自然とこぼれて
帰って来た時に余韻から冷めたくなくて
まぶしくてエモくて胸がくるしくなった
夜食が焼きおにぎりなのも、同席した男女の挙動おかしくない?って笑うのも、小説を交換するのも、映画中寝ちゃうのも、濡れた髪を乾かしてもらうのにドキドキするのも、何もかもがまぶしかった
絹が「電車に揺られる」って言い方するんだなって小さな挙動にときめく一方、麦が「麦の描く絵が好き」って言われたことだけ何度も反芻するとこが男女の違いがうまく出ててよかった…
同じ生活をしてれば同じ価値観でいれるけど、やっぱり環境が変われば考え方は変わる
変わった方は「いつまで相手は変わらないんだ」といらつくし、変わらない方は「これまで二人で大事にしてきたものを無下にされていく」と感じる
どちらも悪くない、この中で磨り合わせてくしかない、でもそれができなくなって別れていくカップルが山ほどいる
それを坂元さんはものすごく緻密に丁寧に描くから刺さりまくる
ずっとベッドでうだうだする休日も、思い出なパン屋や映画も、共通の具体的ものが思い出が増えるほど大切になっていく
だからこそ、そこが閉店したり、好きな作家が死んだりすることで小さく心に水をかけられたような気持ちになる
それを坂元さんは知っている
別れるまでのくだりがとてもとてもリアルだった
すれ違う中で、小さなことだけど共有できなくなって、共通の大切なものが減っていって、それはお互いそれぞれに辛さがあるけど自分のことしか見えなくて汲み取れなくて、そうして無感情になっていく
うわって思ったのが、絹が転職することでケンカした時うっかり最低なプロポーズして、これまじでやばいケンカじゃんって内容なのに、「ごめん言い過ぎた」ってすぐ何事もなく仲直りしたこと
二人は関係が長すぎてもはやケンカにもならないし、ケンカした後の空気な戻し方を知っているんだ
だけどそれはさみしい方の慣れだった
お互い同じタイミングで別れようと思ったのに、淡々と事務的な話をする女の絹と、結婚式の後楽しく過ごせたからまたやり直そう結婚しようって言う男の麦の対比もわかりみ深い…
そうそう男はまたやり直せるんじゃとか思っちゃうんだよ…
でもファミレスで思い出の席に座れない時点で二人の運命はもう決まっていて、
結婚ならお互い空気みたいに恋愛感情なくなっても(って言い切っちゃうのがまた切ない)いられるんじゃ?嫌なとこ目つむって関係続けてる夫婦たくさんいるじゃん?って提案した後
自分達の座れなかった席に、かつての自分達みたいな恋のはじまりを体験しているカップルが現れて、それのまたまぶしいこと…!
その二人がまぶしくて尊いほど、二人がそれを失ったことを思い知る、その二度と手に入れられないものはあんなに大事だったんだと思い知る、それを惰性でこのまま関係を続けることで壊したくないっていう想いが二人に芽生えて抱きしめ合って別れる
言葉がなくてもわかる
二人は思えばずっと同じで、同じタイミングで付き合いたいとかどうでもよくなったとか別れたいとか思ってたね
同じだから恋ができて、同じすぎたから続けられなかったのかもしれないね
でも同じで大切だったから、終わり方もとても大切に広げた布を畳むように丁寧に静かにほどよく仲良く、これまで言えなかった答え合わせもできながら別れられた
その関係性もエモかった…
たぶん大切な恋すぎたから、大事にとっておきたかったんだ
そのままなあなあに、なんだったんだろうあの恋はって後で思わないように、綺麗なまま終わらせた
相手のいない日常の中にも、自分のなかにも、相手の影はあって、髪を乾かすとき、イヤホンをつけるとき、相手を思いだす
これが恋なんだと全力で思わされるとても素敵な作品だった…
今村夏子の『ピクニック』を読んでも…
土曜日、『花束みたいな恋をした』を観てからというもの、麦と絹が僕の頭のなかに住み着いてしまっていた。それも、2人とも、前を向いているのではなく、未練を引きずった状態で住んでいた。望まなくして2人と生活を共にすることになった僕であったが、2人を見るたびに否応なくあの頃を思い出してしまう。思い出して、苦しくて、悲しくて、どうしようも無くなっていたので、木曜日、もう一度観て、レビューを書いて、2人には申し訳ないが僕の頭の中から出ていってもらおうかと思う。
この映画を観て1番悲しかったのは何かと聞かれれば、それはやはり麦が社会に揉まれていく様を見せつけられたことである。麦が読む本は小説からビジネス書になり、食べるものは手作りのパスタからコンビニのうどんになる。人間というのは、小学生から中学生、高校生と成長するにつれて、体内に取り込む食べ物や本などは自然と変化していく。それは、生きていくうえで、色々なことを経験し、知っていくことで視野が広まった結果であって、それは全く問題ない。何故なら、そこには感受性というセンサーが働くからである。そのセンサーが体内に取り込むものを自動的に取捨選択してくれる。今回、ポップカルチャーの好みが驚くほど同じであることが2人を繋いだ。それは、いってしまえば2人の体を構成する要素が同じであることとイコールである。遺伝子レベルでの繋がりを感じることができた2人は、俗な言い方をすれば「運命の人」であると互いを認識できたのだろう。
しかし、社会に出た麦には、果たしてセンサーが作動していたのだろうか。本屋で前田裕二の『人生の勝算』を手にさせたのは、スマホにパズドラをダウンロードさせたのは、近所のパン屋が潰れてしまったという絹のLINEに「駅前のパン屋で買えばいいじゃん」と返信させたのは、本当に麦のセンサーだったのだろうか。おそらく、「社会」に埋もれていった麦のセンサーは機能不全に陥ってしまったのだろう。機能不全に陥ったセンサーは、イラスト用の道具を机の端に追いやり、絹が麦に薦めた本を無造作に積み上げていく。かつて絹に圧迫面接をした面接官に対して、麦が言った「その人はきっと今村夏子の『ピクニック』読んでも何も感じない人なんだと思うよ」という台詞。時が経ち、麦の取引先のおじさんに対して、同じ台詞を絹が言ったときに、麦が「俺ももう感じないかもしれない」と口にしたのはあまりにも悲しい。
絹は、麦に本を薦めたり映画に無理やり連れていったりして麦のセンサーが正常に作動してくれるのを望んだ。しかし、その望みは虚しく打ち破られてしまう。本を薦めても麦は仕事の車の中にその本を放り投げてしまうし、映画を観させても麦は何だか退屈そうだ(映画を観終わった日の夜、麦は絹に「映画面白かったね」と、およそ機械的に言う。昔だったら、観た映画について何時間も語り合っていたはずだったのに…。ここも、僕が悲しいと感じたポイントの一つだ)。何をしてもセンサーはもとに戻らない。それが分かってしまったため、絹は麦と別れることを決意したのかもしれない。
麦のセンサーが壊れたまま2人が別れ、映画は終わってしまったのであれば、その映画を観た僕たちモラトリアム人間は、おそらく誰一人として「社会人」になることを望まないだろう。何故なら、彼らは観たあと、「社会人」になるということは、自分たちの精神の拠り所であったセンサーを壊すことである、とそれとなく理解するからである。しかし、そうでは無いのがこの映画の面白いところだ。別れることを決めた絹と麦は、「最後くらい楽しく」ということで、それはそれはまるで付き合いたて2人のように、楽しく、カラオケをし、缶ビールを飲みながら歩き、別れたあとは映画も観た。時間の経過もそれを助けたのだろうが、別れることを決めたことで、麦のセンサーが復旧したのである(このことは、最後のシーンで、麦が沢山の本が詰まった本棚の前で手作りパスタを食べ、ストリートビューをしていたことからも分かる)。これを理解できたのは2回目に観たときであったが、このとき初めて、僕の胸のなかにあったもやもやが、すーっと消えていくのを感じた。そうか、別れることで幸せになれたのか、と腑に落ちることができた。
長々と書いてきたが、今ふと頭の中を覗くと、そこに二人の姿は、無かった。…良かった。これで僕は生きていける。そんなことを思いながら、僕も絹のような女性と出会うことを夢見て、きのこ帝国の『クロノスタシス』を再生しつつ、映画の半券を挟んでおいた文庫本のページをめくるのであった。
肝心な事言えてなかったじゃん
辛いと思った時の対処の仕方
彼女が思い続け実行していた話
そこには先があって
男はその「あと一歩」を乗り越えたいタイプだった。
好きな子の誘いについ動いてしまったり
タンク映像を切り捨て出来なかったり
海でギリギリしらす丼を買って来たり
後輩の甘さに怒りきれなかったり
がんばっている事を褒められたいと思う気持ち。
凄くわかります。
同じ趣味、喜びを共用したい二人だが
彼女が彼と同じように成長して助けたいと思うのは
今の世の中だと思った。
女性の自立と結婚の選択を理解できなかった自分は
かなり痛みを感じる映画でした。
とてもリアリティのあるラブストーリー
とてもリアリティのあるラブストーリーでした。こんな恋愛を経験してきた人もいるかもしれませんし、そういった人にとっては本当に共感できる作品であると思います。 それだけに、主人公たちに共感できないとキツいかもしれません。 ちなみに、元々恋愛経験のある2人が主人公であり、彼らは恋愛に対してある程度積極的です。 そう言った意味で、恋愛経験の無い方や、奥手な人には不向きな映画であるかもしれません。
恋愛映画の中では1番泣けなかった
ごく平凡な男女の5年間の恋愛ドキュメンタリーみたいな作品で、話題になっていたから見に行きました。 期待をふくらませて良すぎてたせいなのか、私の心がすさんでいるのか途中眠たくなるような作品でした。 ただ、リアルな人の恋愛感情が表現されてた作品だとは思う。 最後は泣くシーンがきたきたと思ったらえっ?終わり?ってなるくらい泣けなかった。 高評価なのが私には理解できないくらい。 きっといろんな修羅場を乗り越えた恋愛をしてる人には物足りないかも。 途中菅田くんのすね毛が濃いところで笑っちゃったのはわたしだけ?
いや~👍いいですね☺️
老年として、これは感動の詰まった良い作品でした。 最初はオタク映画かと思ったけど、だんだん引き込まれた。 話をたんたんと進め、次は次は?と思っていると、急に話がかわってくる、、、、、、、、 そして最後に、どっか~んと清々しい感動の涙が溢れだす。 この手法は山田監督の『遥かなる山の呼び声』を思い出す。 まあ兎に角劇場ならではですね。
坂本裕二さんらしい凄い映画
坂本裕二さん脚本じゃなかったら観てないであろう映画
やはりただの恋愛映画ではなくてとっても良かった!!
これを普通の恋愛ものと思ってしまう人もいるのだろうけれど意見が分かれそうです。
とても趣味が合う相手と出会い、恋愛して、価値観がだんだん変わっていきすれ違っていく4年間の恋人たちのお話。
恋愛は生モノという言葉もでてきたけれど、恋がなくなっても恋人としてじゃなく結婚だったら続けられるのかとか、そこはそれぞれの価値観あるよね…と改めて考えさせられた後半ファミレスシーン凄かった。
若い頃いつも自分たちが座ってた席に昔の自分たちのような若い男女がそこに偶然いて、自分たちと重ね合わせる対比シーンは泣ける。よくこんなの思いつくよ。
坂本裕二の「カルテット」でも恋がなくなった後はどうするテーマがあったのだけど、この方はなんでこんなに本質がわかってるんだろうか…一体どんな恋愛してきたの?
心にグサっと刺ささる所がある。
別れても4年間の恋と想いをそれぞれがずっと心の中で大切にしながら別々の道を生きていく。
誰しも一度は経験した事あるようなあるあるな話だからこそ自分に重ねたり共感できる部分があって良かったんだろうなと思った。そして、ラストシーンは悲しく終わるんではなく笑える!
あと、サブカル固有名詞がたくさんでてきたのもツボで二人の本棚中身が昔〜今の自分とめちゃくちゃ似てたし、穂村弘、きのこ帝国、マムアン、ゴールデンカムイ、ストレンジャーシングスなど好きなものが沢山でてきたり。カラオケシーンが何回か出てくるんだけど、音楽の趣味がぴたりと合う人ってなかなかいなくて、そんな人とのカラオケって最高なんだよなー思ったり観終わった帰り道余韻に浸った映画でした。
自分がちょうど片思い中で、恋愛映画を見たい気分だったので1人で映画...
自分がちょうど片思い中で、恋愛映画を見たい気分だったので1人で映画館に足を運んだ。
よくある大学生の恋愛、という感じの内容でその生々しい感じに途中至極気持ちが悪くなったが大学生の自分には感じることの多い作品であった。互いがどれだけ愛し合っていて永遠に一緒に居たいと思っていても、価値観の違いだけは擦り合わせることができない、その残酷さが酷く頭にこびり付いている。お互いに永遠に恋愛感情を持ち続けられる恋人達は存在するのだろうか?永遠に同じ愛情を抱き続けることは不可能なのだろうか?それが不可能だとして、その緊張感のない関係のまま付き合い、結婚し、家族になることは妥協なのだろうか?大学生の自分がこれから向き合っていく問題が多く取り込まれている作品であったので、恋愛に何か少しでも悩みを抱えている学生は1度見てみることをお勧めします。
【追記】
二回目見に行ってきました。相変わらず二人の所謂サブカル好きに若干の嫌悪感を抱きますがそれはさておき、これ、二人の出会いはいかにも偶然偶然が重なり運命的な出会いをしたかのように描かれていますし本人たちも多分そう思っていますが、実際は案外普遍的な出会いなのかもしれません。追記冒頭に記載しましたが二人とも所謂サブカル好きで、まあさすがにガスタンクとかミイラ展に関してはお互いに少し無理して合わせていたところもあって本当に「サブ」という感じがしますが、お互いの読んでる本は実は小難しいように見えて案外読みやすい作品が多いように思えますし、お揃いのスニーカーもあんな白のスニーカー誰でも持っているわけですよ、最後のファミレスのシーンの男女もそうであったように。天竺鼠のライブを二人とも見に行かなかったのは運命だと思いますが、それ以外は別に一つ一つの事象が偶然運命的に一致したのではなく、ただ二人が典型的なサブカル好きで、その二人が出会った、ただそれだけなんじゃないかと思います。色々な見解がありますが、私は最後のファミレスのシーンも、私たちだけの特別だと思っていた出会いも、広い世界で見れば至って珍しい事ではないんだよ、と狭い世界の二人を広い世界へ解き放つためのシーンに思えました。
ここまで二人の出会いは別にそこまで特別ではないよ、と二人の恋をディスるような発言をしましたが、恋愛中の彼らやその別れ際は本当に羨ましい、と思うほど私の理想的なものでした。私もサブカル好きになって、その普通から少し外れた狭い世界の中で趣味のあう人間を見つけて恋をしてみたいものです…。
総評として追記の前の感想でも言いましたがぜひこの映画は恋愛中の方もそうでない方も皆さん一度は見てみてほしいです。今見て、また少し時間がたった時にネットフリックスなりDVDなりでもう一度見てその時思った事と今感じることの違いを楽しむのもいいと思いますし、この作品人によって本当にとらえ方が違いますので(男友達は絹ちゃんに腹を立て、女友達は麦君に腹を立てていました)友達と感想を言い合うのも楽しいと思います。ただ恋人同士で言い合うと破局に繋がりかねないのでお勧めしませんが、多分この映画の感想で破局に繋がるという事はこの先いずれ価値観の違いでぶつかると思うので、遅かれ早かれいいのかもしれませんけどね(笑)
とはいえ麦君の仕送り五万円だけは許しません。
以上、貧乏女子大学生のレビューでした。
私は結構好き
好き嫌いが本当に分かれると思う。 恋愛のドキュメンタリーのよう。 感覚が似てたり言葉がハモったり服被ったり やっぱ、感覚が「似てる」って 「好き」になるツボだよね。 ってことで こんな恋愛体験してない(感覚似てる人と付き合っても、そこがキュンポイントではない)人には 同感できない=面白さを感じない んだと思う。 この映画が面白いかどうかも(正解はない) それぞれの感性によるかなってことで。 サブカル好きにはやっぱサブカル好きが合ってるよね!
全780件中、461~480件目を表示