「向き合う共有が恋愛、同じ方向を向く共有が結婚」花束みたいな恋をした ソビエト蓮舫さんの映画レビュー(感想・評価)
向き合う共有が恋愛、同じ方向を向く共有が結婚
京王線沿線に住む大学生の男女が、あるきっかけから交際し、別れるまでの恋愛映画。
2人を結びつけるのは、「ファッションセンス」「価値観」などの他に、
「小説」「漫画」「音楽」「お笑い」などのエンタメコンテンツ。
それらが思いのほか合致する。
相性ええやんええやん、
か〜ら〜の、学生気分からの卒業、
仕事と恋愛の天秤、価値観のズレ。
何よりもまず、エンタメコンテンツ共有できなくなってるやん!
か〜ら〜の、お別れバイバイ。
あるある展開ではあるが、エンタメコンテンツの共有割合が濃い時にくっつき、
減っていくと同時に気持ちも冷めていく所が、この作品最大の肝といった所になっている。
またしても、オードリー若林語録からのラジオ引用になってしまうが、
若ちゃんが、年齢が一回り以上年下で、差のある現パートナーの「ニョボ林」との馴れ初め。
付き合うきっかけは、やはり、価値観の共有であった。
相性ええやんええやん、から始まっている。
そして結婚し、子供も生まれ、今現在、若ちゃんが心掛けているのは、
「恋愛期は互いに向き合い共有する事を大事」にしていたが、
「結婚期は互いが同じ方向を向いて共有する事を大事」にしているのだそうだ。
未だ未婚のオジサンな私は、
「なるほどおおお勉強になるわあああああ若ちゃんすげえええ」
と思った。そして、そんな事すらもわからないオジサンな私は、
悲しくって自然と涙が出てきた。誰か助けて下さい。
閑話休題。
恋愛期は、向き合った共有をしてればいいのであり、
結婚期は、同一方向を向いた共有にシフトする必要がある。
この作品では、主人公の二人は5年付き合って、未だ向き合った共有をし続けている。
結婚も視野に入った頃合で、倦怠期を迎え、価値観にもズレが生じているが、
それでも強引に結婚しようとした過程で、
ある状況を目撃してしまい、同じ方向を向く共有よりも、
むしろ、向き合う事が自然にできていた頃の共有の楽しさに、
憧憬や懐古の念が強くなってしまう。
うまくシフトチェンジできなかったのだ。
この、決定的な共有不可に気づくシーンが、一番の見どころで涙を誘う。
そういうわけで、切ない恋愛映画だなと思う反面、
そういえば、似たもの同士な相手さえ見つからない私は、
圧倒的に二人よりも不幸じゃねーかと、
自身の境遇に絶望してしまった為、別れた瞬間、
ざまあああああと思いスッキリした。
こういう恋愛映画、そもそも嫌いだったわ、な分の点数低めで。