「思わぬ日本製恋愛映画の佳作。巧みな脚本、確かな演出、確かな演技で、一つの恋の始まりから終わりまでを丁寧に描いて好感が持てる。」花束みたいな恋をした もーさんさんの映画レビュー(感想・評価)
思わぬ日本製恋愛映画の佳作。巧みな脚本、確かな演出、確かな演技で、一つの恋の始まりから終わりまでを丁寧に描いて好感が持てる。
①脚本が巧い。伏線の張り方が良く恐らく二度、三度の再鑑賞に耐えうる。ユーモア、皮肉、冷徹な視点等が塩梅よく散りばめられている。②土井裕泰の演出も『罪の声』(実際にはどちらが先だったかは知らないが)に続いて好調。③菅田将暉も『糸』では停滞しているように思えたが、ここではやはり若手きっての演技派の実力を見せる。有村架純もひけをとらない好演。④恋愛感情は2~3年続けば良い方と言われるが、ここでも生活という側面から二人の恋愛が揺すぶられ始める。当たり前と言えば当たり前の展開ではあるが、普通は女性の方がリアリストの筈がここでは男の方が先にリアリストになってしまうのが新しいか。でも男が仕事を言い訳にし出すのはどの時代でも同じか。⑤トラックごと荷物を東京湾に捨てた運転手のエピソードが途中で出てきて、運転手は「誰にでも出来る仕事が嫌だった。俺は労働者じゃない。」と動機を語っていたが、それは間違っていると思う。誰にでも出来る仕事の中でどう自分の色を出していけるかが出来るようになって初めて仕事をしていると言えると思う。「社会や世間に迎合して才能を潰すな」と言っていた菅田将暉の先輩が、やがて何時までも社会に受け入れられない鬱屈からDVに走り挙げ句は自殺同然の死に方をしたり、有村架純の両親が「新卒で社会に出ない人間は反社会的分子と見なしている」(笑える)人達であったり、社会・仕事・家族(世間と言ってもいい)をちゃんと描いているのが量産されるマンガ原作の浮世離れした恋愛映画と一線を画しているところ。⑥別れ話が切り出されるファミレスのシーンで、菅田将暉が未練がましく「別れたくない。結婚して家族になって“幸せ”になろう」とお決まりの曖昧な台詞を吐いた時点で、ああこの恋愛はもう駄目だな(その前から駄目になっていたわけですが)、と思った。「“幸せ”になろう」「“幸せ”になりたい」と人は簡単に言うが、“幸せ”って何なの?と思ってしまう。そもそも“幸せ”の概念が良く分からないし、人によって“幸せ”の意味や形は全部違う筈だから、自分の“幸せ”を人に押し付けている時点で終わりだと思うな。確かに恋愛と結婚とは別で、結婚を円満に続ける秘訣は「お互い空気のような存在になること」とは良く言われるが(それはそれで正論ではあるが)有村架純はそれを望んでいた訳ではないだろうから。⑦また、オダギリジョーの台詞で「一人で寂しいより二人で寂しい方が辛い」というのがあったが(私はこちら派)、恋愛感情がなくなっても或いは煮詰まっても一人にはなりたくないから、ズルズルと関係を続けたり結婚したりするんでしょうね。それを決して悪いとは言わないけれども。⑧まあ、そう言うわけで二人の恋愛にかこつけて色んな事を考えさせてくれる映画でもあるわけです。ラスト偶然再会した二人が背を向けたままバイバイするところはライザ・ミネリの『キャバレー』(1972)のオマージュかな、と思ったけれど。