1917 命をかけた伝令のレビュー・感想・評価
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残酷。残忍。成し遂げたとしても虚無。得てして戦争とはこういうものな...
残酷。残忍。成し遂げたとしても虚無。得てして戦争とはこういうものなのだろう。友人の意思を継ぎ必死に脱輪した車を押す姿。
コリンファースからベネさんまでの道のり
冒頭から緊張の連続でした。敵地を抜けるなんて本当に無謀な伝令で...コリンファースからベネさんまで、錚々たる英国俳優が出演!!臨場感たっぷりの映像が素晴らしく、画面に釘付けになり、引き込まれます。ラストは観客の皆さんも彼と一緒に安堵した事でしょう。凄くやり遂げた感がある傑作でした。
映画らしい映画
昔の映画はCGなどなくともドキドキハラハラした。もちろん作品によるが。
CGのような映画技術に頼れない分、人の心理を巧みに利用することに長けていたように思う。
本作品はそのような昔ながらの良さを感じた。
エンターテイメントというよりドキュメンタリーのつもりで観たほうが良いかな。
それにしても主役の体力が素晴らしい。
ワンカットの先入観バリバリで鑑賞
観る前になるべくレビュー読まない主義なので…ワンカットの先入観バリバリで鑑賞しました。
ブラックアウトのところで、そう来たか、仕方ないなぁと。
しかし、皆さん書いておられる様にお話しは単純だけど、面白く引き込まれるので、ズルしたななんて思いませんょ。
ただ、これどうやって撮影したの?というシーンが幾つもあって、少しだけ気が削がれた(((^_^;)特に予告編でも使われている終盤のスコフィールド上等兵の回りに爆弾が落ちまくるところ。余程入念にリハーサルしたのかな?
それと、メイクさんを筆頭にスタッフはめちゃめちゃ大変たったろうなぁと。
以下はネタバレになるので鑑賞した方のみ読んで下さいねm(__)m
ブレイク上等兵が墜落した敵のパイロットに刺される場面で、スコフィールド上等兵が水を汲みに行ってる間に、急にキョンシーのように白い顔になっていて、あ~死ぬのだなと判ってしまった(((^_^;)
穿った見方をせずに、もう一度観てみたい、いい作品です。
ワンカットであるからこその没入感。ワンカットであるからこそのデメリット
全編通してワンカットの戦争映画。この宣伝文句が衝撃的なのは、日本映画の話題作になった「カメラを止めるな!」を知っていれば分かるはず。ワンカットで映画を作ることの難しさは映画に詳しくなくても想像がつく。それが戦争映画として作られる。それだけで映画館で観る価値があるだろう。厳密にはワンカットでなかったのだが、十分すぎる功績だと思う。
実際に観賞して率直な感想としては、宣伝に嘘偽りなし!その没入感は他の映画の比ではない。
しかし一方で、ワンカットであるがゆえのデメリットも感じた。シーンの繋ぎがないゆえに時間の経過に違和感があるのだ。例えばトラックに乗って移動するシーンは、映像では5分足らずであるのに、映画のなかでは一時間は移動したような形となっている。同じように感じた場面は多数あり、ワンカットで作ってしまうと脚本にもかなりの工夫がいるのだと感じさせられた。
また、戦争映画としては特別目立った点がないのも難点かもしれない。ワンカットであるというのは映画としての特徴なのだが、戦争映画として特徴はとくにない。主人公は幸運すぎ、ストーリーは淡々としている。濃い人物が出てくるわけでもない。実話を元にしているからそうなるのだろうが、何かしらの印象的なものがほしかったところ。
全体としては満足。ワンカットの偉業は素直に称えたい。
不思議な緊張感
VR体験という訳ではありませんが、まるで自分が兵士二人の背中を追って、ずっと戦場を走り抜けているような、不思議な緊張感が続く映画でした。
伝令というミッションを受けた二人の一日の任務を、ただただ描いた作品ですが、ワンカット撮影という挑戦的な映像手法が大成功した好例だと感じました。
ワンカットちゃうやん!
……まぁ、そうか笑
けど、それにつられて
普段は見ない戦争映画を見ることにしたので
ちょっと、残念😓
ワンカット(風)のため、
テンポ運びがかなり難しく
若干会場からいびきが聞こえてきて
私も途中ウトウトもしてしまいましたが
演じる方は、さぞハードだったと思います
見たあと疲労感に包まれます。
没入感とエンタテイメントの調和
没入感がすごい。
一見、戦場から離れているように見える景色から塹壕へと数分歩いただけでグイグイと戦場に近づく臨場感、
塹壕から少し頭を出すだけで撃ち抜かれるかもしれない緊張感でエンタテイメントとしても楽しめる。
終盤の大佐の言葉が重い。戦争映画では、上層部が悪に描かれがちだが、実際には彼らも更に上の指示に従わざるを得ず、たくさんの部下を失っていたのではないだろうか。過度に屈折した人物も出てこない。敵も味方も普通の人間で、ただ生きる為、家族の元に帰る為に戦い傷ついている。
なんとも虚しいものである。
終わってみれば平凡な
ストーリー。でもしょうがないよね、このような戦争映画は。戦争を美化してもよくないし、悪者を決めるものでもないし。内容そのものがどうかということではなく、観に行ったことをちょっと後悔しています。
個人的にこういう映画に弱いのです
巻き込まれた主人公が、流れの中でその信念や正義感・使命感が目覚め、もう始まってしまった事態、もう大勢は変えられない事態であることを知っていてもなお、自らの命をかけて(恋人でも家族でも親友でもない)一人でも多くの他者の命を救おうとする。
私はそんな話にとても弱い。
ここ数年だと『ハクソーリッジ』や『タクシー運転手』とか。古くは『シンドラーのリスト』なんかもそれに近い。
今回もクライマックスの戦場シーンは涙と鼻水でズルズル。
この映画の「ウリ」でもある、ひと続きに紡がれた映像は、まるで観ている自分が主人公と共に移動している感覚になり、スクリーンからは、カメラの角度や方向・高さが変化するたびに新たな局面が訪れていることを伝えてくる。
敵の塹壕に入った瞬間、その造りや残された物から分かる、物資や技術といった戦力の違い。
照明弾に照らされる焼き払われた街の残骸はまるで墓標のよう。
地獄から抜け出しても次の地獄が待っているという辺りは、「天国も地獄も表裏一体」という気さえする。
ここはどこなのか、あの人影は敵なのか味方なのか…
主人公の彼は表情を抑えているので、こちらが彼の心情を覗き込もうと前のめりになってしまう辺りも、監督の上手さなんだろう。
そしてラスト、主人公から指令を伝えられた上官が漏らす、嘆きとも諦めとも覚悟ともとれるあの一言。
要所要所で現れる上官役のハリウッドスターは、私は(予備知識入れずに観たので)個人的には得した様な気になるが、余計かな…と思わなくもない。
そんな小細工は必要ないほど、ストレートで分かりやすく、計算され尽くした…としか言いようの無いカメラワークで畳み掛ける映像は、営業的には確かに「全編ワンカット」を謳い文句にさせるんだろうが、むしろその演出が生み出す感情や効果をこそコピーにすべきはず。
(おかげでことさらにワンカットで無いことばかりを指摘するレビューが増えることになる)
などと本編とは関係のないところに憤りを覚えながら、『パラサイト』のアカデミー受賞で話題を持って行かれてしまったものの、もちろんこちらが受賞しても何の違和感もない、私にとっての大傑作。
爆発や銃声の恐ろしさを体感する意味でも是非劇場へ。
「プライベートライアン」以来の傑作戦争映画
いい「木」がいっぱい出てくる映画。
ロジャーディーキンスが生み出す映像美には終始うっとり。
通信網が途絶えるとこんなにも大変な事になってしまうのかと思い知らされる作品だ。
当たり前のよーにスマホでホイホイ通信できてる今の日常生活をありがたいと思わないといけない。
ワンカット風の撮影方法が話題になっていた本作だが、実際にはシンプルな人間ドラマもとても良かった。
「プライベートライアン」でのリアル描写をさらに進化させた新しいスタイルの戦争映画と言ってもいいのではと思った。
ワンカットの意味
内容も迫力も、ちょっと感動する感じも良かったと思う。
伝令を受けてからの時間制限は映画と同じ2時間ではない。
だからこそ、ワンカットに無理があるし、
何故この作品をワンカットで撮りたかったのか、
そこが分かり難かった。
結局、ワンカットって所にとらわれて、
無理を感じる場所があるし、
ここをワンカットって言うのは、って思うポイントもある。
一方、どうやったらここはワンカットで撮れるんだ?って単純に感心する所も。
同じストーリーで、ワンカット撮影じゃないものを観たいなぁって思った。
カメラ撮影 編集の技すごい
いったいどこにカメラを配置して撮影しているのかびっくり。全カットワンシーンとか?
まあ継ぎ目はいくつもあるけど、カメラマンの息遣いまで聞こえるほどハードな撮影の連続。
ストーリーはよくあるパターンだがなんといっても戦場を駆け抜ける命がけの人の心理が良く描かれてあっというまに最後のシーンまで突っ切った。秀。
気合いを見せてもらいました!
この作品を観たあととても疲れました。戦地が描かれていて、生死が紙一重の中を走り続ける主人公。それだけでも充分に緊張感のある作品でした。
加えてワンカメでの撮影から生まれる緊張感と臨場感。まるで自分がそこにいるかのような感覚。まさに「異次元への没入体験」でした。
全編ワンカット!ということが宣伝の目玉にもなっていました。それはある意味ネタバレを意味するのですが、今回は知った状態で観ることで楽しみが増えたように思います。「どうやって撮っているのだろう?」それを想像するのも楽しみのひとつとなりました。
そして作品冒頭から溢れ出る‥作り手の気合い!スクリーンからビンビン感じました。こういう作品のエネルギーはCGでは作れないだろうなと思います。
そんな気合いを感じるなら絶対劇場が良いです!
作り手の気合いを感じながら、最後は戦争について考える、僕たちの生活がその犠牲の上に成り立っていることを思い出してはいかがでしょうか?
〝come back to us‘’戦争を望む者などいないのです。
計算された美しさをもつ戦争映画
この作品は宣伝でもあるように、全編ワンカットに見えるように作られたというのが最大の特徴です。
ストーリーは至ってシンプル。ドイツ軍に対する攻撃停止命令を前線に届ける任務を帯びたスコフィールドとブレイクの二人のイギリス兵士の物語です。監督の祖父の体験がもとになっており、物語は伝令役の二人から離れず展開していきます。
2時間の映画ですが、かなり没入感の高い映画でした。
戦争映画は次に何が起きるのかわからない緊迫感がありますが、この映画は場面の切り替えがなく、二人の兵士からほとんど離れていかないワンカットの撮影方法により、一般的な映画よりも映像と見ている観客との距離が小さいものになっていると思います。
ただ、そのワンカットというのはこの作品の最大の特徴ではありますが、それだけではなく、この作品の映像は美しいです。
もちろん時には人が無惨な姿でそこかしこに転がっているわけですが、それも含めて二人の目の前に広がる雄大な光景には息を呑むものがあり、木々に花びらが咲いているようなささやかな光景には不安を覚えたり救われたりして、そうしてわたしたちは二人とともに一歩ずつ進んでいきます。
例えば物語の途中で、建物の中で気を失っていたスコフィールドが目覚めて夜(早朝)を迎えるシーンがありますが、窓の向こうに広がる建物を燃やす炎の明かりと、照明弾に照らされて姿を見せる廃墟の映像などは、こう言うのは適切なのかはわかりませんが、大変美しかったです。普通の照明は使えないため、何秒の照明弾が必要なのかや影の動きなどを計算した上で撮影したと鑑賞後に見たインタビュー記事で読みましたが、計算し尽くされた映像はあんなにも美しくなるのだなと改めて思いました。
この作品は、内容としては普通の兵士が体験した出来事であって、特段社会的なメッセージが強い作品ではないとわたしは考えますが、現代一般市民がほとんど体験したことのない戦争というものを没入体験でき、その上で何を考えるかは各自に任されているという、観客にとってはとっつきやすいものになっていると思います。
戦争映画に求めるものによっては、綺麗すぎるとか、メッセージ性が弱いとか色々あると思いますが、これはこれで良いのではないかと思います。
この映画の没入感は映画館の大きなスクリーンでこそ体験できるものだと思いますし、ぜひ前方の席でスクリーンが視界に目一杯入る位置で観てほしいです。
☆☆☆★★★ 〝ハラハラはするがドキドキにまでは至らない〟 (又は...
☆☆☆★★★
〝ハラハラはするがドキドキにまでは至らない〟
(又はその逆とも言える)
2020年2月15日 本編を鑑賞しましたので↓ 参考作品の下にレビューを書き込みました。
【注意 先ずは参考映画として或る作品の詳細を載せておきます】
誓い (映画)
1981年のオーストラリアの映画
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『誓い』(ちかい、原題:Gallipoli)は1981年のオーストラリアの映画。ガリポリの戦いに参戦する二人の青年を描いた戦争ドラマ。ピーター・ウィアーが監督を行い、『マッドマックス』で一躍有名になったメル・ギブソンが主演を務めた。
誓い
Gallipoli
監督
ピーター・ウィアー
脚本
デビッド・ウィリアムソン
原案
ピーター・ウィアー
製作
ロバート・スティグウッド
パトリシア・ラヴェル
製作総指揮
フランシス・オブライエン
出演者
メル・ギブソン
マーク・リー
音楽
ブライアン・メイ
撮影
ラッセル・ボイド
製作会社
Associated R&R Films
配給
オーストラリアの旗ヴィレッジロードショー
アメリカ合衆国の旗パラマウントピクチャーズ
日本の旗CIC
公開
オーストラリアの旗1981年8月13日
アメリカ合衆国の旗1981年8月28日
日本の旗1982年3月20日
上映時間
111分
製作国
オーストラリアの旗 オーストラリア
言語
英語
製作費
A$3,000,000[1]
興行収入
A$11,700,000[1]オーストラリアの旗
$5,732,587[2]アメリカ合衆国の旗
テンプレートを表示
同年のオーストラリア・アカデミー賞で、作品賞・監督賞・主演・助演男優賞など多数の賞を獲得した[1]。
Wikipediaより一部を転載
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クリエイターとゆうのはとことん強欲だ!自身の作品製作の成功の為ならば、どんなに困難な要求でも突き付けて来る。
勿論、全てが受け入れられる訳ではないので、どの辺りで折り合いをつけるか…が重要になる。
〝 映画全編をワンカットでの撮影 〟
…との触れ込みで、本場のアカデミー賞でも本命視された本作品。観終わって「ワンカットじゃあなかったな」とは思いつつ。「そりゃ〜そうに決まっている。現代の技術を持ってすれば、スケールの小さい作品ならば可能でも。これ程のスケールの大きな作品でそれは不可能と言うものだ!」…と。
それでも、見事にアカデミー賞を取ったロジャー・ディーキンズの撮影は、本当にお見事と言うしかない。あの条件下に於いて、あれほどまでの流れる様にスムーズな撮影は、素晴らしいの一言ではありました。
映画黎明期には、映画撮影に於いてカットを割る…とゆう概念は存在せず。更には、カメラが移動する事すらなかった。役者はフレーム内の中で動き回り。「カット!」の声が掛かるまでは、サイレント映画特有と言える過剰な演技が続いて行く。
かって、あのヒッチコックは。映画全編をワンシーン・ワンカットで撮る野望を『ロープ』で実践する。
果たしてヒッチコックがワンシーン・ワンカットでの映画製作のはしりだったのか?の真意ははっきりとは分からないのだけれど。以降、多くのクリエイターが、この撮影方法に挑戦している。
但し、それらの作品の中で。どれくらいの作品が《成功作品》としての地位を築いたのか?…は、どうだったのだろうか。
ヒッチコックは『映画術』の中で、トリュフォーとのインタビューに(はっきりとは覚えてはいないが、自身の体験談として)「無理があった」…とゆう意味合いの発言をしていたと記憶している。
映画が、作品の世界に観客を引きずり込む為に必要な《モノ》それこそは、編集に於ける〝リズム感〟に他ならないのではないか…と。
※ 1901年
再現ドキュメンタりー映画「マッキンリー大統領の暗殺」公開 「火事だ!」
イギリスでアルバート・スミス(写真師)とジェームズ・ウィリアムソン(薬剤師)がショットをつなぐ手法を用いて完成させた映画でストーリーのある映画第一号と言われています
※ 映画の歴史【編集】でネット検索より。
(昔、この短編を紹介した映画を、旧ユーロスペースで観た様な記憶が…)
映画に始めて【編集】とゆう概念が生み出され、その技術を最大限に発揮・発展させ。芸術の域に押し上げたのがエイゼンシュタインであり、グリフィスであったのだろうと思う。
エイゼンシュタインは【モンタージュ理論】を確立し。グリフィスは自身の作品の中のクライマックスで【クロスカッティング】を実践し、観客の心のハラハラドキドキ感を見事に操ってみせる。
奇しくも『1917』年は、グリフィスが『イントレランス』でクロスカッティングを最高に発揮し完成させた翌年の物語。
冒頭の防空壕の中を縦横無尽に動き回るカメラワークにはじまり。その後も戦場・都市や草原・川を…と、主人公目線で動き回る。
指令を受けた2人の若者は、途中で思いがけない出来事が起こり…と。ここまでで映画本編の凡そ半分弱。
以降は、指令以上に【約束】とゆう大きな〝任務が生まれ、主人公は〝それ〟に命を投げ出し。遂行する使命感に心が突き動かされる。
ある程度の嘘は、映画に於いては必要と考えてはいる。この作品の中で突如銃撃を受け、画面はブラックアウトを起こす。
正確を期すならば。この時点で、全編に及ぶワンシーン・ワンカットの概念は崩れる。それはまあ良いとして、この直後に主人公がドアを開けるといきなり目的地周辺の都市に入るのは…う〜ん、どうなのだろう?映画に多少の嘘は必要とは思いつつ。流石にドラえもんのどこでもドアみたいなのはどうなのよ?とは思って観ていた。
そして、この時の《敵陣突破》の場面を観ながら感じたのだった。「映画には、やはり編集とゆう概念が必要なのだ!」…と。
主人公が敵陣突破を果たす時。その時、当たり前だけど映画は主人公目線で展開される。
画面には絶えず主人公が映る。観客は主人公と同化している為に、主人公同様に不安感を感じながらこの敵陣突破を体験する。
これがもしも普通のサスペンス映画だったならばどうだろう?
静かに周りを見渡しながら進む主人公。そんな主人公を殺そうと物陰から密かに待ち受ける敵の姿。
そんな描写があるからこそサスペンスは盛り上がり、観客は固唾を呑んで画面を見つめる事となる。そんな状況をどうやって主人公は駆け抜けて行くのだろう?…《ハラハラ》と《ドキドキ》が最大限に盛り上がる。
『1917』はそんな状況を(敵は彼に気が付いていない)一気に駆け抜けて回避しようと行動する。
その為に敵は突如襲っては来るが、(当たり前だけど)敵側から見た主人公の動きがスクリーンに映る事はない。
常に主人公目線だけで進むと。ハラハラ感は持続するものの、ドキドキ感が最高調に達するには至らない…とゆうこのジレンマ。
更に、映画のクライマックス。司令官にこの指令が届くのかどうか?しかし、既に攻撃命令は発せられてしまい。多くの若者たちが命を散らし…
主人公は走る。全身全霊で自分の力の限りを全て使い果たし走る。
(編集の概念がないこの作品では)当たり前の様に、この時のカメラは1台であり。この主人公の周りを回り込みながら「果たして間に合うのだろうか?」とハラハラさせる。
その為に、この時の主人公の走りを数台のカメラで撮影し、それをクロスカッティングで繋いだりはしない。
主人公の周りをカメラが絶えず回り込む事で生まれるワンシーン・ワンカットによるタイムログは。必ずしもアクションシーン等の場面では、最善ではないのではないか?クロスカッティングで瞬時にその瞬間を切り取り。【編集】によってリズム感が生まれ躍動する技術こそが(勿論、絶対だとは思っていない) 観客の心を掴む最良の方法への近道なのではないか?…と。
2020年2月15日 TOHOシネマズ西新井/スクリーン10
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