「スコフィールドの伝えようとしたもの」1917 命をかけた伝令 ワンコさんの映画レビュー(感想・評価)
スコフィールドの伝えようとしたもの
僕が、このワンカットの映像で、より強く感じたのは、危険と隣り合わせの戦場を横断し、目的地に向かって突き進む伝令のリアリティもそうだが、意外にもスコフィールドの使命感に対する想い/表情が様々な危険や出会いを通じて徐々に変化する様だった。
休憩場所の木陰。
死屍累々の塹壕の戦場。
長閑な牧草地。
廃墟と化した街。
豊かで静寂な森。
移り変わる風景を見ると、本来は戦場であるべきではないところで、彼らは戦っていたことがわかる。
戦争での名誉にさほど興味のないスコフィールドは、友人ブレイクを亡くしたことによって、たった一人で使命を全うしようとするが、この短いと旅を通じて、その最も重要な目的は、1600名の兵士の撤退より、ブレイクの兄に、ブレイクの遺品を手渡し、メッセージを残すことに変化したように感じた。
最後にブレイクの兄と交わした握手で、スコフィールドの伝令は完了したのだ。
第一次世界大戦は、大量の弾薬の使用や、戦車、初期の戦闘機、毒ガスの使用、日米豪印ニュージーランドの参戦が大きな特徴として語られるが、最も悲劇に導いたのは、多くの志願兵を募り、民間人の協力も得た総力戦となり、民間人の死傷者も数百万人規模にのぼったなことだ。
スコフィールドもブレイクも志願兵のように見えるし、途中トラックで移動する場面ではインド人兵士も登場する。
トラックの荷台でインド人兵士が言うジョークはお国柄だし、他の仲間も明るい。
廃墟の半地下に隠れて過ごす女性と親を失った赤子を見たら、誰だって助けたいと思うに違いない。
そして、親しい人には生きていて欲しいと強く願うのも当たり前だ。
更に、そんな親しい人が戦死したのであれば。その生きた証を伝えたいと思うのも当然のように思う。
1600名もの兵士の命を救ったことは重要なこととして語り継がれる。
だが、人が何かのために生きようと考えるのであれば、そんなにも多くの人々というより、大切な人を思い浮かべるのではないか。
撤退命令を受け取ったマッケンジーが、スコフィールドに言う。
「また、来週には別の命令が下る」と。
今日生き残っても、明日の命は知れないのだ。
戦争は虚しい。
木の幹に腰を下ろしてスコフィールドが取り出したのは、家族なのだろうか、愛する人の写真だった。
スコフィールドは、生きて帰還すると心に誓ったのではないか。
そして、生きて帰ってこそ、実はこの伝令が完了することになるのではないのか。
今の時代、SNSであっという間にメッセージは拡散するが、実はそれ自体が目的化してないか。
本当の意思を伝えるとしたら、誰に、どんなメッセージを伝えたいのか。
実は、そんなことも考えさせられる秀作だった。
「伝令」を「メッセージ」として捉え、その「メッセージ」がその本来の意味を超え変化して行くストーリー。ワンコさんと本当に同感です。「メッセージ」に何を込めて何を伝えるのか、現代こそしっかり考えてみることの提言でもあるように感じました。
素敵なレビューだと思いました。ありがとうございます。