イーディ、83歳 はじめての山登りのレビュー・感想・評価
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美しい自然と心優しい若者
発端は父から届いた一緒に登山しようという絵ハガキ。
ジョニーという本当は心根の優しい若者との交流と美しいスコットランドの景色が素晴らしい。
イーディは誇り高いイギリス人なので、至るところで突っ掛かります。
最初は鼻につきますが、だんだんそれが可愛らしく笑いを誘う。
ただ、あくまで映画なので…ボート漕がなくでも行きたい方の岸に着いたり、テント飛ばされても山小屋を見つけたりします。
これを観た80歳以上の方々が無茶をしないか、若干心配です(笑)
娘さんとの伏線は回収して欲しかった。
あの留守電聞いたら絶対に心配してる…なので★-1です。
何かを始めることに遅い事はない
タイトルにも書いたとおり何かを始めることに遅い事なんてないんだ。この作品に関してはこれに限ると思う。
旦那を介護し時間を費やす事を否定することもなく、解放された今だからこそ何かを始め、自由に生きることは悪くないというのは、誰かを傷つけることなく幸せな気持ちで鑑賞できる。
しかし未熟ながらアラサーの自分にとってはまだイーディの気持ちが存分に理解できるほど経験が足りない。
親も健在で介護の辛さや、何かに自由を奪われるもどかしさなど何一つ経験が足りないためあまり感情移入して鑑賞する事が出来なかったため若干の退屈さは感じてしまった。
何年後かに見るとまた違った視点で見られるんだろうなぁ。自分にとってはそんな事を思う作品だった。
ガイド役が良い人でハンサム
83才と言えどもプライドの高い女性。
自立心が高いと言えば、長所になるか。
イーディは認知症もないし、足腰は立つし、もともとの体力があるから山登りもできたんだな。
列車やホテルの手配を一人でするだけの頭脳の明晰さもあり。
性格は、柔軟性がないと思ったけど。。それが、大自然に翻弄されて、イーディの性質も変わっていったみたい。
いくつになっても、挑戦できるし、成長できる。と感じた。
好奇心と勇気を青いリュックに詰めて・・
山頂から絶景を眺めるイーディの瞳は
「やんちゃ」だった頃の少女の瞳だと思えました🌠
ちょっぴりの頑固さと大きな好奇心を私も持ち続け、潔く歳を重ねて行ければ・・と
終演後ロビーに溢れる人生の先輩方の笑顔が素敵でした!
イーディから、この作品から元気を得た事でしょう🍀
映画って何よりも効果的なサプリメントですよね!
レビューの評価に期待して見てきましたが・・・。
面白かったか?と言われたらかなり微妙。
個人的な経験による感受性の問題だとは思いますが私には響く部分が少なかったです。
後半のサバイバル的な苦労や助けに来た彼とのやりとりも何かズレてる感じがしました。
ラストもスパッと終わって爽快感とは程遠い。
ただ館内では拍手してた年配の方はいました^_^
私の世代にはまだ早かった作品なのかも^_^
人生讃歌の傑作
老女が山登りをするだけの映画だが何故か感動する。役者陣の達者な演技はもちろんのこと、何よりスコットランドの自然が文句なしに美しい。イーディがLovely sightと感心するのもさもありなんと思う。
田舎のやんちゃな少女だったと自称するイーディは、結婚後の半生をずっと夫によって人格をスポイルされてきたと語る。しかし今こそ時は来たれり。心も身体も自分の自由でいることができる。
何かをするのに遅すぎるということはないという、行きつけのカフェのマスターの言葉に勇気づけられたイーディはスコットランド行きの列車に乗る。その時もまだ迷っていたイーディだが、列車が川を渡ると漸く覚悟を決める。その川はイーディにとってのルビコン川である。賽は投げられたのだ。
気位だけは高いイギリス婦人らしく、気安くイーディと呼びかける人々に「ミセス」と呼ぶようにたしなめる。その精神性の幼さに、なるほどと納得した。結婚後のイーディの人生は、夫に対する不満を溜め込むだけで、人間的には何ひとつ成長しなかったのだ。つまり83歳の小娘なのである。そう考えれば、舟を漕ぐのが下手なジョニーを思い切り笑ったり、娘と言い合いをしたりするのも当然だ。
と、ここまで考えて気がついた。世の女性たちはイーディと同じように、どんなに歳を重ねても、心の奥には小娘が棲んでいるのではなかろうか。本作品が世の女性たちの共感を得るとすれば、理由はまさにそこにある。さらに敷衍すれば世の男性諸氏も、どんなにジジイになろうとも心の奥には少年が棲んでいる。行ったことのない場所に行きたいと思うし、見たことのないものを見たり、どこかで誰かに出逢ってみたいと願う。イーディと同じなのだ。
という訳で本作品は人生讃歌の傑作である。世の中には美しい風景があり、優しい若者がいて、窮地を救ってくれる無口な山男がいる。出かけるのに遅すぎるということはないのだ。
素直に見れば感動ものだけど。
人生チャレンジするのにいつからでも遅いことはない、っていうのは感動ものだし老いという現実に向き合いながら前に踏み出す姿は感動だけど弱冠周囲を巻き込んでる感が自分本意に見えなくもない。山登りは危険だしね。
肉を食べるお年寄りは、元気で長生きする人が多いらしい
2階から車椅子エスカレータで降りてくる夫は、そもそも、2階でどうやって椅子に座れたの?服は自分で着ることできないのでは?
スコットランドのインバネス駅のホームに降り立ったイーディに、ジョニーの恋人フイオナがぶつかった。倒れたイーディのこと、二人ともあまり心配してないし…
途中までは、いまひとつ現実的ではないなあ…と思って観てましたが…
イーディさんに笑顔が増えてきて、凍った心が溶けていくのがわかって、気がついた。
そうか、これは、ある意味、『女の子の物語』なんだなあと。
その後も、独りで山に行かせる?道迷い・疲労凍死高率!3日分の食料やテントの入ったザックは重たいだろうし……。オールを落としたボートは都合よく岸に着くし。
でも、これは『女の子の成長物語』。だから、ある意味、なんでもあり。現実だけど現実でなくてもいいんだと。『Wの悲劇』、『あずみ』、『ダイナー』なんかと同じように。
イーディさんは、結婚してからは時間が止まってたのかもしれない。
雨の夜、実際の猟師でも、お父さんのメタファーでもどちらでもいい(焼くことができなかった、大事に持っていた葉書。窓辺にそっと置いて小屋を出ました)。
息をのむような美しい景色があいまって、ひとつひとつのシーンが心地よく、清々しく響いた。ずーっと、うるうるして観ました。
そして、スイルベン山が、はっとするほど美しかった。
イーディ役のシーラ・ハンコックさんがサイコーにカッコよかった。
スケールは違うかもしれないけれど、(屋久島の)モッチョム岳を思い出しました。
Never too late!
僕達の日本にも通じるような物語だ。
仕事や生活に追われて、その後は、介護や生きていくことに精一杯になって、年齢を重ねて、いろんなものから解放されて、ふと振り返った時…。
特に、イギリスはサッチャー改革で、「ゆりかごから墓場まで」といった高福祉社会は、ずっと昔のことになってしまった。
Never too late!
よく言われるセリフだ。
でも、人によっては、反感を覚える人がいると思う。
今更、何をやれって言うの!?とか、
もう、無理無理!?とか。
でも、おせっかいな人は周りにきっといるし、自分から歩み寄ることも出来る。
助けを借りて、何かを達成したって良いような気がする。
僕の母親は、85歳になって軽い認知症の症状が出てきてしまった。
でも、60過ぎてから、スキーを始め、中斜面だったらスイスイ滑れるようになった。
70になってから富士登山をやった。
それで、自信をつけ過ぎて、骨折して手術して、入院して、しばらくしたら認知症の症状が出てしまった。
でも、本人には後悔はないように思う。
これを読んでくれてる人に、僕は直接手を差し伸べるようなことは出来ないが、もし良ければ、僕の大好きなサミュエル・ウルマンの「青春の詩」という詩を読んでみてください。
最後の一文は、ちょっと説教くさいですけど…。
青春の詩(Youth)サミュエル・ウルマン
青春とは人生の一時期のことではなく心のあり方のことだ。
若くあるためには、創造力・強い意志・情熱・勇気が必要であり、安易(やすき)に就こうとする心を叱咤する冒険への希求がなければならない。
人間は年齢(とし)を重ねた時老いるのではない。理想をなくした時老いるのである。
歳月は人間の皮膚に皺を刻むが情熱の消失は心に皺を作る。
悩みや疑い・不安や恐怖・失望、これらのものこそ若さを消滅させ、雲ひとつない空のような心をだいなしにしてしまう元凶である。
六十歳になろうと十六歳であろうと人間は、驚きへの憧憬・夜空に輝く星座の煌きにも似た事象や思想に対する敬愛・何かに挑戦する心・子供のような探究心・人生の喜びとそれに対する興味を変わらず胸に抱くことができる。
人間は信念とともに若くあり、疑念とともに老いる。
自信とともに若くあり、恐怖とともに老いる。
希望ある限り人間は若く、失望とともに老いるのである。
自然や神仏や他者から、美しさや喜び・勇気や力などを感じ取ることができる限り、その人は若いのだ。
感性を失い、心が皮肉に被われ、嘆きや悲しみに閉ざされる時、人間は真に老いるのである。
そのような人は神のあわれみを乞うしかない。
Cranky old cow! あらッ嫌だわ…Viel Glück
男の頑固もいただけないけど女性の場合はもっと大変です…周りが....
古いものを大切にし、使えるものは何時までも使う。新しいものを買ってかえるなんてもってのほかという言葉をお題目のように唱えている人がいれば若い人でなくとも要らない物を整理する時なんかにいい加減にしてほしくはならないか? この映画の主人公のイーディェーはそれだけではなく非常に頑固で自分の考えが一番正しいと思っている、そんな人です。
イーディェーの部屋をかたずけている娘からこんなことを言われてしまう。
I want to stare at your mouldy rubbish?
売り言葉に買い言葉の典型的な親子喧嘩を見ていると娘さんもあと20年ほどしたらモンスター・ババアの仲間入りになるのは間違いがない。ババア発言取り消します。失礼しました。嫁・姑なんて地獄です。しかも自分の娘だからと言って、言いたい放題に30年間つもりに積もった父親の悪口を聞いていると彼女の態度からこの人、父親っ子だったような。。。あらあら
Anyway, he hid it when you were around, his rage.
He dictated where I went who I could talk to.
If I wanted to buy something, he'd say, "That's a waste of money.
You don't need that."
I admit I didn't love him. But I looked after him and you.
I did my duty.
Yes! For all those years.
むかし日本のCMで”イギリスにはフィッシュアンドチップスしか美味いものはない”なんて今そんなCMをテレビで流せば、速攻でレッドカードを切られてしまいそうになるけどそんなフィッシュアンドチップスのオヤジにイーディェーがフライドポテトの追加注文…
Am I too late for more chips?
別の意味だと思うけどイーディェーさん
Never too late for you, Edie.
イーディェーが冒険こころに火が付き、スイルベン山に登山始動モードに突入してしまうが、夜行列車に乗ったのはいいが、やっぱりダメダ・コリャと冷静になった時はすでに遅く列車はスコットランドに向けて動き出していた。
駅で偶然にも鉢合わせになったジョニーとイーディェー。その二人が、「隠し砦の三悪人」に出てくる太平・又七や「スターウォーズ」のR2-D2・C-3POのように始めはいがみ合っていたけれど見ているうちに仲の良さが見えてくるように最初はジョニーの絵にかいたような人の良い好青年でもこのある意味、"Cranky old cow" と揶揄されるような彼女の性格に嫌気がさしていきながら時間が過ぎるとお互いの立場を理解し打ち解けていくという話の運び具合が、いい感じのヒューマンドラマに仕上がっちゃっています。
ある日、若作りをしてバーに飲みに行った時に地元の若い子から自尊心をモロに傷つけられ、そのことが原因か?酒の飲み過ぎか?意識をなくしてしまい....
I'm tired, I'm exhausted. I'm too fucking old!
Look, if you knew from the start I wasn't going to do it,
why did you lead me to believe that it was possible?
このジョニーに言った言葉が乙女心全開のように聞こえたんだけれども早とちりかな?
イーディェー役のシーラ・ハンコックさん。今年、御年86歳って!! そんな実年齢なんて…はぁ~? ジョニー役のケビン・ガスリー。まあ凄いという言葉が当てはまる好青年を演じていました。
この映画で言えることは、スコットランドの景色。すばらしすぎる!…だけど多分、ほかの人はせいぜいつけても☆3です。悪しからず。
余談:フィッシュアンドチップスは確かにたまに食べるには美味しい食べ物であるのは言えるけれども店によっては日本でもあるように見栄えの為に衣に合成着色料を加えたり、日本の出前やコンビニで売られているようなしっかりした容器は使われずに新聞紙なんかに包んで塩とトマトソースをかけただけのものもあるので神経質な方はご用心ください。外国では今でこそ刺身を食べる習慣の人も増えたと聞くけれども大方のフィッシュアンドチップスでは、臭いのしている魚も平気で使われています。
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