ラスト・ディール 美術商と名前を失くした肖像のレビュー・感想・評価
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名画にサインがなかった理由
良い映画だと思うが、結局名画も売れず、娘とも仲直りできず、死んでしまう主人公はなんとも切ない。
淡々としていて盛り上がりに欠けるが、オークションで名画を落札するシーンと、後でその名画にサインがなかった理由が美術館からの回答を受けた時はちょっと感動した。
フィンランド映画ってこう来るか
冒頭のピアノ曲から、好き系の映画だっていう安心感を抱く。期待を裏切らない作品。この作品、ハリウッドなら山場がまったく違うんだろうなと何度も思った。歓びやカタルシスはこのフィンランド映画にとっては、けして重要じゃない、そこじゃないんだ。
救いようがないような商売への執着、家族との溝、失意、人生は楽じゃないって思い知らされる。でもけして、何もないわけじゃない。幸運を祈るって言い残す相手がいるのだから。
サインのなされない絵画がそのものが聖画だったように、何も残してないように思える人生でも、きっと何かあったのだ。口笛を思わずふきたくなるような歓びが。
常に生死の境目で生きているような感覚
美術商という職業は、常に生死の境目で生きていることなのだと感じさせられた。
「これは価値がある」自分自身がそう思ったら、それを最後まで貫き通す信念がいる。そして自分の全てを投げ打っても構わないと言わんばかりに、絵に全身全霊を欠けられる。それほどまでにアートに魅せられている。美術商とはいわば絵の「狂人」なのだと思った。
オークションのシーンなどは特にハラハラさせられ、手に汗握っていた。オラヴィが名画と疑わないあの絵を落札してからは、作中に漂う不気味な気配と落ち着かない挿入曲…見ていて常に胸騒ぎがするような感覚に常に襲われた。
最終的に、美術館からの連絡により自分の美術商としての目利きが正しいと分かったこと、そして孫からの心からの感謝(賞賛)があったことが、彼にとっての救いになったのではないかと思え安心した。
最期に大きな取引に果敢に挑戦できたことは、彼の長い美術商としての人生の幕引きとしては十分及第だったのではないか。最後に絵画を飾り始めていたシーン?を見る限り、おそらくこれからも美術商としてやっていくつもりだったのかと思うと少し寂しいが…
良くできた嘘の話
孫と老画商の交流の話としては良く出来ている。しかし原作かシナリオか分からないが脚本に関して言えば、美術業界の事に関しては素人がシノプシスを立ててるようだ。レーピンの絵を手に入れてからの顧客へのアプローチが杜撰すぎる。その位の絵であるなら同時になぜ美術館に先に鑑定に出さないか?顧客以上に興味を示すはずである。美術館が購入せずとも贋作のそしりを被ることはなくなる。孫の機知によって辛うじて美術館に問合せをしているがメールが出来なければファックスでするはずである。画商としての主人公の立ち振る舞いがキャリアがある設定になっている分不可解である。最後にこれだけは言っておくが孫と娘との交流、そして仲間との友情に関しては良く描けていたと思う。
フィンランドの縮図のような
アマプラで無料鑑賞
他の例に漏れず、美術品の価値とは誰が創作したものか、いつの時代のものか、どういったバックボーンを持っているかで、決して作品の出来、不出来ではないということが改めてわかる映画。
家族を省みず大きな商売をする事だけを追い求めてきた老輩の美術商が最後に一花咲かせたいと思っていたところに掘り出し物の肖像画を見つけ、それが売れないと返せない額の借金でオークション落札するが、作者の署名がないことを理由に買い手がつかず、店の権利を手放し、その後亡くなってしまうというのが大すじ。
物語は終始淡々と重く静かに進んでいくが、オークション側でさえ調査出来なかったものを、老人の経験値と孫のインターネットや足で稼いだりと粘り強い調査を重ね、リーピン(という著名な画家)の作品であることの証明にようやく辿り着くシーンではことのほか爽快な気分を感じることができる。
孫は当初何かやらかすのではないかと思うほどに現代っ子の危うい雰囲気を醸し出していたが、祖父を手伝ううちに自分で考え行動し始め自立心が芽生え、祖父の死後の遺品整理においては絵を手放してはいけないと強く主張するなど少年の成長(家族再生)物語的な側面も見られる。
本作はあまり日本では馴染みのないフィンランド映画ということで、街の雰囲気や市井の人々の生活など、どのような雰囲気かを見てみたいという興味の上での鑑賞でもあった。
幸福度ナンバーワンの国ということで、高齢者ケアや学費無料など福祉面では惜しみなく税金を投じる住みやすい国という前知識はあったが、個々の生活にまでズームしていくと当たり前にそれぞれ多種多様な問題を抱えているということがわかる。
若者が高い税金を納める事で、自らは社会に出る準備をさせてもらい、高齢者へは安心した老後を過ごす手助けをするという当国の縮図のようなお話であり、手放しでのハッピーエンドではないにしても心が温まる素敵な映画だと思う。
しみる
予告で知り、劇場で観たかったのだが、タイミングを逃してしまっていた。
なんか、よかった。
骨董とか、オークションとか結構好きだから余計にかな。
しかし、長年営んできて、絵画がゴロゴロしてたけど、名作以外はそれほど値がつかないものなのかなぁ。
テナントを明け渡す時に残っていた小さな額の絵が欲しかったわ(笑)
1万ユーロをかき集めるのシーンはドキドキしたわ。
追証払うためにかき集めてる素人トレーダーのよう(笑)
今時の子、オットーとの関係もよかった。
おじいちゃんのために調べ物をして、良い子じゃないか〜。
しかし、あの悪徳美術商?ひどいやつだ。
ああいうやつがいるから、贋作をつかまされたり、騙される人が減らないのでは?
でもみんな割と絵の扱いがぞんざいで、落としたりぶつけたりしないかとひやひやしたわ。
1万が12万になり、じいちゃんと孫でギャンブラーのように大喜び!とならず、オットーの手に渡ってよかったよかった。
しかし、名画なら12万でも安い気がしてしまう。
お宝鑑定団の観過ぎか?(笑)
しみじみ系のいい映画
主人公は高齢の画商。家族を犠牲にして、人生をかけてやってきた仕事だが、商売はあまりうまくいって無い。
そんな、老画商がオークションで、安値で売買されようとしている名画を発見し最後の賭けに出た。
そのために、今まで疎遠だった、孫の進学資金にも手を出してしまい、娘家族とは疎遠になり、オークションの経営者の妨害で最後の賭けにも負けてしまう。
孫と名画の真贋を調べて証拠を探し出す場面や、オークションでの競り合い、高値で売れるのか否かなど、どきどき感もあり、画商仲間との交流や娘との切ないやり取りなど、じーんとくる良作と言える映画です。
う〜ん、、
祖父と孫のヒューマンドラマなのだろうが両者それぞれの過去の経緯などが描かれていないので、感情移入できず中途半端。生意気な孫と、金に汚い情けない祖父にしか映らなかった。名画も意外と簡単にわかってしまったのに、オークションハウスも節穴。
画商の仕事って
画商のおじいさんが、ちょっと頑固そうな雰囲気で、やんちゃな孫とも最初は上手く行かない
絵の謎を文献から探す祖父と、ネットを駆使する孫が協力していくなかで、有名な画家の作品とわかり、
オークションで落札し、
画商なので、売って利益を得ようとすると、
オークション主催者が、絵の価値に気づいていなかったため、取り返すためにわざと、贋作と伝え破談にしてしまう
遺品として買い戻すと言って近づくと遺言があり、孫に譲ると
それぞれが問題抱えてそうな家族の話に、あまり身近でない画商の話ということで、好み別れそう
絵の謎を解き明かすのがメインでも面白かったかなぁと
ユーロの値段がいまいち掴めなかったけど😅
老画商と孫
ヘルシンキの老画商、オークションで見かけた肖像画に大きな賭けをする話を軸に疎遠だった孫の助けを絡めて名画発掘ミステリーと家族の再生のヒューマン・ドラマを融合した渋い作品。
脚本のアンナ・ハイナマーさんは自身も彫刻家であり美術作品の造詣にも深かったのだろう、真贋論争で揺れたダビンチの男性版モナリザ「サルバトール・ムンディ」のようにわずか45ポンドだった画がオークションで510億円に化けた例もあるから埋もれた名画は画商ならずも惹きこまれるプロット、問題の画は19世紀、ロシアのレンブラントと称されたイリヤ・レーピンの作と見抜くがサインが無い、レーピンを持ち出したのは彼が晩年フィンランド領に住んでいたことから埋もれた作品があっても不思議はないとの考察(もちろん映画上の架空作品)、日本人には馴染みが薄いですがフィンランド人には説得力が高かったでしょう。
家族ドラマの方は娘と疎遠になった原因が余り語られず画商一筋で家庭を顧みない父親の方に一方的な非があるように描かれるので老親が不憫に思えました、それでも孫の機転は素晴らしい、何よりのおじいちゃん孝行でしたね。劇中でフィンランドの画家のヒューゴ・シンベリの「老人と幼子」の絵を観て「命を歩んできた者とこれから歩みゆく者の絵だ、人生を全うした者にしか描けない」と絵の奥深さを孫に語るシーンが全てを物語っている気がします・・。
悪くはないが、肝心な点がどうも・・・
舞台はフィンランド。
長年、町で美術商を営んできたオラヴィ(ヘイッキ・ノウシアイネン)。
しかし、ここ最近は客足も少なく、そろそろ潮時かと考えていた。
そんなある日、やり取りの少なくなった娘から、孫のオットーの課外職業体験を引き受けて欲しいと連絡がある。
オットーは問題を起こしたので、他に引き受け手がいないからだという。
なし崩し的にオットーに仕事を手伝わせていたそんなとき、近々オークションに出品される予定の無署名の肖像画に目を奪われる。
これは、近代ロシア美術の巨匠レーピンの作ではないか・・・
といったところから物語で、副題のとおり、美術商と無署名の肖像画を通して、家族の物語が描かれていきます。
監督は『ヤコブへの手紙』のクラウス・ハロ。
丁寧な演出で魅せていきます。
しっとりとしたカメラもいいです。
美術商というのは一種のマニアみたいなもので、美術品への愛着がことのほか深く、それが妻との関係をこじらせ、結果、娘とも交流がなくなってしまった。
そこいらあたりは、よくわかる。
好奇心は猫を殺すが、好事家心は家族を壊す。
で、無署名の肖像画を通して、孫との信頼関係が芽生え、再び娘とも・・・となるのだけれど、その肖像画に対する扱いがあまりプロっぽくないのが致命的。
巨匠の絵かどうかの決め手は、古い美術書に絵の写真が掲載されていることだったり、無署名の理由はマニアでプロならば知っていて欲しかった。
ここに決定的な穴があるので、オラヴィが絵にこだわる動機が、大仕事・大きな取引(ビッグ・ディール)にしかみえず、これではただの山っ気老人。
やはり、失われた絵画、それも愛着ある作家のもの・・・というあたりに決着してほしかった。
なので、オラヴィの最期も、通り一遍の可哀想に落ち着いてしまいました。
悪くはないが、画竜点睛を欠く映画になったかなぁ。
つまらない映画だが、面白い
邦題に偽りはないものの、映画の内容を表しているとは必ずしも言えない。
(なお、原題(仮称)「Tumma Kristus」を、Google翻訳で訳すと「Dark Christ」。原題「Tuntematon mestari」は、「Unknown master」で「未詳の巨匠」くらいだろうか。)
普通なら、「名画発見。証明資料の発見。そして落札!」というオークション成功物語で終わるはずで、それなら邦題の通りだ。
だが、本作品は、そこからが不必要に長い。金の工面など、大したことない話が続く。
「娘親子の“思わぬ”過去を知る。」と言えるような面白い話でもない。絵の“目利き”も、家族の気持ちには“目利き”ではなかっただけ。
“第一部 落札”と“第二部 娘親子”という、本来は無関係な話が一体化されている変なストーリーだ。
“間一髪の危機”が2回出てくるが、なぜか全く盛り上がらない(笑)。
わざとさりげなくしているのかもしれないが、それならば本筋には不要な脱線を差し挟む理由が分からない。
買ったは良いが、売る苦労。
しかし、盗品ではあるまいし、レーピンの「キリスト」なら、12万ユーロで買う者はいくらでもいるはず。
フィンランド国内に残す希望はないのだから(スウェーデンの金持ちに売り込んでいる)、ロシアの美術関係者に声をかければ済むことだ。
古い写真付き専門書もあるし、美術館のお墨付きさえ得ているにも係わらず、町のオークション会社に贋作呼ばわりされただけで、なぜ売れないのだろうか?
自分には全く分からなかった。
しかし本作品の一番の“つまらなさ”は、オラヴィ老人の動機である。
画商であっても、これは、と惚れた絵は手放し難いものだろう。
題材と緻密な筆致を見て、レーピン作だと確信する。
しかし、老人からは、この絵に対する愛情が伝わってこない。
単に、「ラスト・ディール」だから大博打を打ちたかった、というだけでは寂しい。
最終的に、孫の手に残ったのは売れなかったからであり、また孫との思い出の品物だからだろう。絵そのものに対する思い入れではない。
にもかかわらず、面白い点が3つあった。
一つは、オラヴィ老人と孫のオットーが、ネガとポジのように、正反対のキャラクターであること。
孫は、老人が持っていない、あるいは失ってしまったものを提供する。
行動力、はったりや嘘、ネット情報収集力。
老人は、“貧すれば鈍する”とばかりに、いつからか、ビジネス能力を失っていたのだ。
もう一つは、“署名がない”という謎に、しっかりと“オチ”を付けたことだ。
美術館は、「聖画なので、画家は署名をしなかったのです」という判断だ。
とはいえ、そもそも美術館が“レーピンの「キリスト」”と断定した根拠は、謎のままだが・・・。
また、勝手にいろいろと空想してみるのも楽しい。
大きな絵が切り取られた感じで、肖像画にしては変な構図だ。
レーピンにしては“薄味”な印象の絵だし、親密な視線をこちらに向ける男には“イコン”的な雰囲気はなく、キリスト像と考られなかった理由がうなずける。
レーピンに限らず、キリスト単独の肖像画は珍しいはずで、「きっとレーピンが売買を企図せず、自分のために描いた絵なのかもしれない」という、背景のストーリーまで考えてしまう。
もちろん、レーピンの真作ではないのだが・・・。
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