おちをつけなんせのレビュー・感想・評価
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監督、脚本、撮影、編集
のんが主演し、監督、脚本、撮影、編集もこなした作品。
高校2年生ののんは妖怪が趣味、友人が将来を考えて進路を決めていくが、乗り遅れた感じだ。
好きな方向け。
ドキュメンタリーありきの作品
作品単体として見ていいものなのか???
観たきっかけは2月に公開のRibbonの前にのん監督主演の作品を観ておこうと思ったこと。
単純に映画と思って観たあとにYouTubeで公開された映画制作ドキュメンタリーの末に出来た作品と知った。
これは映画ではないわ。
作品を単体として観た感想は、あまりしっくりこなかった。
ストーリーがスッと落ちてこなかった。
浮いている、浮いている演出をしている。
それは浮き立たせ引き立てるという事では無い様に感じた。
世界観とは都合のいい表現だが、その世界観に邪魔される。邪魔する世界観を含めて、のんの個性として楽しめるなら良い作品なんだろう。
ドキュメンタリーは映画に良い影響を与えたのだろうか?
ドキュメンタリーを撮るために映画を作ったのでは?というのが全てを観終わっての感想である。
では、ドキュメンタリーはどうだったのか?
桃井かおりの独壇場であった。ドキュメンタリーとしては面白く良い作品と思えた。が、果たしてドキュメンタリーカメラが入らなくても同じような結果になったのだろうか?
誰もがカメラの前で演技をしていたに違いない。使われていない、演出意図に沿わないシーンも膨大にあっただろう。
この映画もどきは、興行収入ではなく広告収入で成り立っている。闇は感じないが、いわゆる映画とは違うビジネスモデルの上にある作品ではなかろうか。なので、ここにレビューや感想を書くべきか迷った。
のんさん、天才かもしれない。
スタイルはMVみたいにポップなんですが、作風自体は黒澤明っぽいです。美術が「夢」や「影武者」「八月の狂想曲」みたい(「夢」を引用したとしか思えないシーンがかなりあります)。薄曇りの雲の切れ間から日光が差し込むショットがあるんですが、「乱」みたいです。
望遠を多用する所や画面のレイアウトも。
黒澤を研究してしてワザとやっているとは思えないので、天才かもしれないです。のんさんも黒澤も絵を元は絵描きなので、絵描きの感覚が共通してるんでしょうね。
早池峰(はやちね)、六角牛(ろっこうし)、デンデラ野などのワードやアイデアが出てくるから「遠野物語」を読んでると更に楽しめます。未読の方はこれを切っ掛けに是非ご一読下さい。
ただし製作過程は面白い
昔、テレビで、つんくがモーニング娘。の本舞台までの、練習風景、葛藤、競争心などをドキュメントして、それが共感や親近感を呼び、アイドル演出の定番の方法論となったように、この映画=本舞台も、製作の過程映像EP1~EP10がなく、のんのファンでもなければ、そうとう見劣りがするものになっている。と思う。
まして、もし、映画にのんが出演しておらず、純粋に監督側にまわっていたら、つたなさしか残らなかった。
のんには絵の才能があり、すてきな女優なのは、間違いないけれど、この映画が一種の「企画もの」なのも、間違いない。
EP1に是枝裕和監督が出てくる。
のんが監督からアドバイスをもらうという場面である。
『わたしはその土地に行って、何が出てくるかっていうのを、そこで感じたものを、そのまま出すっていうのを、この企画でやろうとしています。』
──そう無邪気に話すのんに、監督は、いらだちを見せずに、いらだちながら(と感じた)、次のように言った。
『単純に自分の心情を吐露しただけのものを、垂れ流しって言っちゃうとあれだけどさ、それは別に、垂れ流せば済むことだから、人に見てもらわなくても、垂れ流すとすっきりするっていうことが自己表出なんだよね・・・。
表現って、たぶん表出とは違うから、表現って見る人間がいて成立するものだと思っているので、ちょっと言葉が違うんだけど、自己表現が悪いわけではないし、映画も自己表現だと思うのは、そういう部分だと思うけど、自己表出になってしまうと、たぶん観客を必要としなくなる。
でも映画は他者がいないと、成り立たないメディアなんで、自己表出を、どう自己表現に転換していくかっていうためには、あの、自分が気持ちいいだけではいけないので・・・。
もちろん僕らがやっている映画は、表現、アートかもしれないけど、その一方で商品だから、お金もらって見せるものだから、もちろんそこは考えないわけにはいかないんだけど・・・。
でもやっぱり監督なら監督が、どうしてもこれを作りたいって思った切実さっていうのは、うまい下手超えて届くから、あの、下手だと見てて腹立つから怒るけど、でも切実であれば、そんなに否定しない。』
──話も対話もそこで終わるが、それに応じて、のんは以下の意見を述べる。
『是枝監督は考えて考えて考え抜いて、作り上げていくっていう方法だと思ったんですけど、のんは、女の子のエネルギッシュを放出するときの感覚をすごく大事にしていて、人に面白がってもらえるものになるように、作っていくっていうことが楽しい。その違いはすごく感じました。』
是枝裕和監督が言いたかったのは──その場で感じたものをそのまま出す──では、映画にはならないんだよ、ってことだ。
明確に『自分が気持ちいいだけではいけないので』と言っている通り、簡単に言えばのんに対して「おめえさん自慰してんじゃねえよ」とアドバイスしたわけである。
ただ、相手が有名人かつ人気者なので、後ろのほうで少し変節させ、かつトーンを落とし『でも切実であれば、そんなに否定しない』と、まとめたわけである。
しかし要点は「感覚的では商用作品として成り立ちませんよ」ということだった。
ところが、のんは、それを、まったく理解しなかった。
是枝裕和監督が言ったのは、是枝監督の独自の意見ではなく、商業監督がどういうものか、であったのに、のんは『その違いはすごく感じました。』と言ったのだ。
それでは、人に面白がってもらえないよ、と言ったのに『人に面白がってもらえるものになるように、作っていくっていうことが楽しい。』と言ったのである。
そんな蒙昧なアーティストタイプの言説に個人的には幻滅した。
ポーズかもしれないが、26歳としてはかなり幼稚な人だ。
「女の子のエネルギッシュを放出するときの感覚」って、可愛げや素性で、容赦・寛恕されることが解っているアイドルの言い草だと思う。
この「企画もの」の白眉はやはり、是枝裕和監督の、その発言だった。
とても基本的な話だが、そんな基本的な話を是枝裕和監督が言ったことに、感銘をうけた。
それを話している時の、監督は、相手をおもんぱかって、言葉を選び、言いよどみながら、話した。
あたかも映画同好会の高校生に話すような感じだった。そこに、思いやりを感じた一方でのんの表現者としてのレベルもあらわれていた。
ただ、そんな監督の発言を引き出したのんにも、一定の功績はあったと思う。
総再生回数1000万回超え
のんたれの視聴回数はyoutube オリジナルのホームページの動画の一覧から人気順に並び変えると、のんたれの各エピソードの位置するランクが理解できる。EP1-480万超え、EP2-300万超え。こうして各エピソードの数字が掌握できる。計算した結果、1000万回超えを達成している。特にEP1は英語の書き込みが圧倒的に多く、外人が多数見に来ている。
作品は3時間に及ぶ長編だが、飽きることなく興味津々で見れた。とくに桃井かおりとの掛け合いには興奮した。スタッフも一流を集めているので相当制作費がかかっていることが分かる。
のんにYOUTUBEからオファーがあって資金もYOUTUBEから出ているので作れた映画である。YOUTUBEはすでにアメリカではすでに幾本かのドラマを作っている。日本でもいよいよドラマ作りに参戦してくる。のんたれはその魁になった映画である。のんはもう民放に出る必要はない。
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