すばらしき世界のレビュー・感想・評価
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「この世界は、生きづらく、あたたかい」
◎現代人に突き刺さるメッセージ
この映画では度々印象的なセリフが登場する。
主人公の三上が刑務所を出て、バスの中で言った決意表明のような言葉。
「今度ばっかりは堅気ぞ」
ホルモン焼屋での長澤まさみ演じる吉澤の言葉。
「社会のレールから外れた人が今ほど生きづらい世の中はない。一度間違ったら死ねと言わんばかりの不寛容がはびこって。だけどレールの上を歩いてる私たちも、ちっとも幸福なんて感じてないから、はみ出た人を許せない」
旧友宅でのキムラ緑子演じるマス子の言葉。
「娑婆は我慢の連続ですよ。我慢のわりにたいして面白うもなか。そやけど、空が広いち言いますよ」
三上のアパートでの橋爪功演じる庄司の言葉。
「本当に必要なもの以外は切り捨てていかないと自分の身は守れない。全てに関わっていけるほど人間は強くないんだ。逃げることは敗北じゃないよ」
今を生きる我々にとっては、痛いほど突き刺さるその言葉一つ一つが、今でも脳裏にこびりついて離れない。いや、離したくない。
今を生きる我々には、心に響いてしょうがない言葉で溢れていた。
◎すばらしき世界にするもしないも、自分次第なんだ
この優しさ100点、この優しさ100点、この優しさもひゃ、、、120点!!
ミスタードーナツ!!!
ってな感じでこの映画には、人への優しさというテーマが一つあると思った。
同じタイミングで公開された同じヤクザ映画の「ヤクザと家族 The Family」とはある意味で真逆の作品だった。
何が真逆なのか、、、それは
主人公に”優しさ”を向けた人が、どこにいるのか。
「ヤクザと家族 The Family」では、同じ組の人たちや昔からの付き合いがある人たち、つまりは元々自分が生きていた世界の住人たち。
一方で「すばらしき世界」は、身元引受人の弁護士夫妻、スーパーの店長、ケースワーカーや若手テレビディレクターなど、主人公が刑務所から出てきて、再び人生を取り戻すために一生懸命に生きていこうとする世界で出会った人たち。
人はひとりじゃない、ひとりじゃ生きられない。
人との出会いは大切で、人への優しさも大切で、
そんな、当たり前だけど、どこか忘れがちな事に気付かされた作品だった。
◎とにかく可愛すぎる役所広司
なんと言ってもこの映画の最大の見どころは、乃木坂46なんかに負けない程に、キュートでキュートなキュートすぎる役所広司だろう。
歩き方ひとつとっても、まぁー笑っちゃうぐらい愛らしい。
強面の見た目と、ひとたびキレたら手をつけられない凶暴さを持った怪物の本性は、
誰よりも正義感が強く、お茶目で、真っ直ぐにしか生きられない、まるで時代遅れのヒーローのような人だった。
そんなバカ正直な三上という男が、刑務所から出たら、まるで知らない世界。
浦島太郎状態の境遇は、現代社会の生きづらさと通づるものがあり、それでもひたむきに生きようとする三上の姿に、ドンっと背中を押された気がした。
ザ・ノンフィクションを見てる時って、
どこか世界の痛い部分を見ている気がして、
ホラー映画と一緒で見たくないけど、
それでも怖いもの見たさでついつい最後まで見てしまう。
そんなザ・ノンフィクションの映画化と言えば分かりやすいか。
色んな人にオススメできる作品で、すごく観て感じて欲しい一本。
人とのつながり
どの視点からレビューを書くか迷うほど、深い洞察により創られた映画だと思う。
多数の前科を持つ主人公は、社会に適応できず短気を起こして罪を重ねる。それは、主人公が幼いころに育児放棄をされたことも影響しているのかもしれない。
一方で、社会に適応することが幸せとは限らない。福祉施設での職員に対するいじめを見て見ぬふりをすることが、最適解とは思えない。
最後に主人公が握った花には、いじめられている職員の純粋な優しさが込められていると感じられた。その花と、主人公の周囲の人の涙は、純粋な優しさが表れていて、まさにすばらしき世界だと涙が出た。
人生
人生ってすばらしき世界…なのだろうか?
苦しいこと、我慢しないといけないこと、悔しいこと、うまくいかないこと…
たくさんある。
役所広司は演技がうまい。
さすがだ。
引きつけられて、あっというまに終わった。
自分と重ねて、不器用な生きかただけど、1人でも涙を流してくれたら、いいなあ
薄べったいが、高校生には観やすい映画
題名に「哉(かな)」はつかず、そして題名に「人生」より「世界」を選んだ。
あえて言うなら「世界」を「社会」に替えれば、高校生にはもっと解りやすかっただろう。
本作の脚本家が描いた事と違い
原作者は「身分帳」という題名で
「積み上げると1メートル?超すものがあった」と言う事から、
原作は何故そうなったのかを書き記したものだと推測できる。
原作の35年前の景気のいい時代では、こんな社会風潮ではなかった。
出所祝いに、いろいろしてくれた親分さんは居たとは思うが、
当時は女性プロデューサーもまず居ないし、フリーの番組ディレクターもフリーのライターと比べてそんなに居ない時代。
映画の肝になる冪ところなので、こういった味付けは逆効果。
当時は「反社」という言葉もなく、社会の在り方も違う。
現代では出所後を配慮して、出所前から受刑者の髪を伸ばさせてくれるのかもしれないが、
35年前の受刑者はもっと解りやすい風体なので、社会復帰の第1歩はそうとう難しかった訳で、
「一般社会よりも刑務所の方が、規則正しく純で、暮らしやすい」「前科者は繰り返す」等と言われていた時代だ。
主人公の出生地から、その辺の背景も想像できるが、
映画の中で、ソレを描かなかった事は好感が持てる。
原作は読んでいないが、今回の映画は無意味に
だいぶ逸脱した味付けをしてしまったと思われる。
不良を扱った映画に「実在した人物をモデル」「事実をもとにした、映画」という
保証書をつけたかったのだろう。
そんな小作な事はせず、もっとちゃんとしたオリジナル脚本をどうどうと書く冪だったと思う。
原作の本髄を伝えやすくする為に、
35年前の出来事を、むりむり現代に置き換えたのなら理解はできるが
題名と固有名詞こそ代えているが
本作は残念ながら原作が言いたかった事をちゃんと伝えていない映画なのではないだろうか?
斜め方向から、ついついみてしまう映画だ。
長澤なつみさんと、安田成美さんの劣化には驚いた。
また成美さん出演の全シーンはすべてなくても、作品は成立するので、サービス出演なのか?
いきなり"切れる"のはいかにも、そっち系の人みたいだが、通常時の目が優しすぎる。優しい眼の中に、身分帳1メートルぶんの鋭くも怖い眼を数カット、監督裁量で映画に入れ込む冪だった。
役所広司さんの今回は演技ダメです。35点
九州での女将さんから「気持ちいい薬をあげようか。。。」といったセリフが出るが
僕は迷わず、バイアグラ系だと思ったが、シャブなんですねぇ~
そんな会話から、僕とは別世界の話である事が実感できた。
原作に近い映画は「佐々木、イン、マイマイン」なのではないだろうか?
そして、@クザ映画は「冬の華」「昭和残侠伝 死んで貰います」等の健さんがいい。
この”素晴らしくない”『すばらしき世界』
13年の刑期を終え出所した、還暦も近い元ヤクザの殺人犯の社会復帰ドラマを描いた本作は、主人公・三上正夫が堅気として一般社会で生きていく過程を、津乃田という一人のルポライターの目を通して描いた作品です。
奇しくも、藤井道人監督の『ヤクザと家族 The Family』に相通じるテーマですが、本作では家族も係累も友人もいない、それゆえに西川美和監督は、徹底して“一般社会の人間”側から捉えたといえます。
本作の映像が一貫して置かれる小説家志望の津乃田の視点、それは小心で臆病で、揉め事から目を逸らし避け通す、世の中のマジョリティーを占める典型的小市民であり、これが世間的価値観の標準的尺度です。
一方で、役所広司扮する主人公のような、正義感が強く猪突猛進の行動力がある熱血漢は、本作では、その暴力性が滑稽で面白可笑しく捉えられこそすれ、決して称賛や憧憬の対象にはしていません。寧ろ引きのショットで冷淡に客観的に撮っています。
劇中で、嘗ての弟分の妻から呟かれる「娑婆は我慢の連続だ。」が象徴的で、彼なりに懸命に奮闘するその生き様には、嘗てのヒーロー物の残像が漂いつつも、只管辛抱と忍耐を強いられる映像には、主人公の葛藤と苦悩と諦観が見てとれ、徐々に小市民化していく姿には虚しく枯れた寂寥感が残ります。
世の中に起きる森羅万象には、大小様々な不満と憤怒と憎悪が蟠り、誰しも鬱々たる思いが滾ることがあります。けれど殆どの人は、それを心中に押し殺し穏便な言動に終始することによって平穏な社会が保たれています。
偉大なる小市民社会にエールを送ると共に、“素晴らしくない”『すばらしき世界』の高質な価値を称えたいと思うしだいです。
あの電話
社会から孤立しそうになる男を描いているが、振り返るとずっと誰かの支えの手があって、孤独ではない。でもずっと孤独にみえる。なんでだろう。
『わたしは、ダニエルブレイク』は社会の不寛容との戦いだったが、これは自分が背負う信条との折り合いが描かれる。佐木隆三の人物造形は西川美和の手つきというより役所広司の力技でたいへん締まりのある映画になってるなーと思いました。
ラストの元妻との電話は本当につながっていたか?
面白い映画だ!役者の演技がすごい
とにかく役者の演技がすごい。
役所広司の演技は本当に迫力がある。最初のほうは少しダラダラとした話になっているが、後半かなり盛り上げてくれる。
オチも素晴らしい。
実際にいた人の話らしいが悪と正義がめちゃくちゃになった最後は良かった。
しかしながら個人的に本格的なヤクザの話を期待していたが、ハートウォーミングなストーリーになってしまったので期待を超える事はなかった。
演技を見ると言う点では良いだろう。ただ、2度目は無い
「いい話」では誤魔化せない映画としての限界
いわゆる「いい話」だ。
人間同士の心の通わせ合いなんて、昔はなんとも思わなかっただろうが、歳のせいもあるんだろう、確かに心に響くところもある。
普遍的で人を選ばないメッセージだ。
社会において大切なものを描いていると思う。
しかし劇として、映画として、面白くない。
どうしてこうも脚本がだらっとするのか。邦画によくある感触。展開のメリハリがとにかく弱い。
映画の中心は必ずしもメッセージである必要はないが、もちろんメッセージを中心に置いてもいい。だが中心のメッセージがしっかりしているからといって、いい映画ではあり得ない。映画として面白いからこそ、より強く、深くメッセージが刺さるはずなんだが。
そしてディテールの欠落。
キャラクターがどれも既視感のある、わかりやすくディフォルメされた人物ばかり。アクションやコメディならまだしも、人間を描く映画で、これはあんまりどうなんだろう。
分かりやすいいい話で、ストーリーも簡易。きっと客も入り、評価もされるだろう。今回の作品の第一目的がそこにあったんだろうことも窺える。
しかし、考えもなしにヤクザの親分に白竜をキャスティングし、風呂場で背中を流し合い、差別者を適当にリアリティなく描き、何の意味もない長澤まさみの役のような存在を放置するといった判断の数々は、決してその影に隠されていいものではない。
邦画界が描く人間ドラマの到達点であり、これが限界点なのだろう。
すばらしき世界のひとつの有り様
役所広司はさすがの演技力でぐいぐい引き込まれた。中野太賀も不器用で実直な青年を演じていてとてもよかった。長澤まさみは、実はこの映画を見ようと思ったひと押しだったけれど出演時間はあまりなかった(目立つから主役でない限りはこのくらいがいいのかな)。
刑務所から出所した人間が堅気の世界に戻って四苦八苦する様子。周囲にとても恵まれて、現実はあのような恵まれた環境にいることができるのかなと思ってしまう。顧問弁護士、役所の担当員、TVディレクター。彼らがいなかったら、ほぼ間違いなく、ヤクザの世界に戻っていったように思う。
感情を押し殺し、いっときの怒りもやり過ごし、平穏に生きようとする堅気の世界の窮屈さ。それをすばらしき世界と呼んでいるような、そんな風に受け止められる。それをヤクザの世界のような暴力に訴えるのでもなく、平穏なやり方で見過ごしていかないようなそんな努力も必要なのかなと思った。それにしても、周りの暖かい人たちには感動させられる。あんな仲間をもちたいと思える。
本当に現代は「すばらしき世界」なのか?
この映画を観ると、見てみぬふりをして我慢して生きる現代の日本社会が正しいのか、三上のように純粋に生きるのが正しいのか分からなくてなる。確かに助けてくれる人達もいて、世の中捨てたもんじゃないと言うこともできるが。カタギの世界は「空が広いよ」と言うセリフが印象深い。空を見て不条理に耐えなさいと言う事かも知れないが。所々に挟んである日常の景色がとても素晴らしい。横断歩道橋に登るサラリーマン、商店街の夕暮れの空、ぼやけた丸い光から夜の飛行機へのカットなど。とても良い映画でした。
素晴らしき脚本、素晴らしき監督。
西川美和×役所広司という素晴らしきタッグで、待ちに待った本作品。私個人としては、期待を裏切らない素晴らしさで、今年度私アカデミーでは第一位に躍り出ています。
西川美和監督は、光の陰影で物語のキャラクターの心情や環境を表現するのがとても上手いと思います。台詞で無く、光に語らせるような「間」があり、それが例え心の闇を描いているシーンだとしても、見ていてとても心地良いのです。
役所広司さんは変わらず狂気と優しさの狭間を演じさせたら、何時間でもずっと観てられます。ある時は善人に、そして次の瞬間はとてつもない狂人に、画面を見ていて恐怖さえ感じさせてくれる役者さんなどそういないでしょう。
このような映画を観る度に、映画は本当に素晴らしい。
また今度いつこんな作品に出会えるかな、とワクワクします。
全ての映画ファンともしかしたら初めて映画を観る人にも、自信を持っておススメする、素晴らしき、映画です。
最後にタイトルがずっしり響く
この世は「すばらしき世界」だ。
原作の題名「身分帳」をこのタイトルにしたことがすべてを表している気がする。
人はどこで誰から生まれるかは選べない。人生とは時に残酷なものである。でも、毎日は止まることなく訪れるし過ぎていく。生きていかなくてはならない。
格差をはじめ生きづらさが蔓延する現代、嘆くことは簡単だが、世の中捨てたもんじゃない。
努力はきっと誰かが見てくれているし、人の優しさだって溢れている。それに気づけるかが、ささやかな幸せを感じられる秘訣だ。
主人公の三上は善人なのか悪人なのか…どちらもだと思う。それがリアルだし、生々しい人間とは単純に分けられないものだ。
その両面を持ち合わせ、自分の本心を押し殺し、悩みながら必死に生きていく男を見事に生ききった役所広司の芝居に脱帽。それを観るだけでも価値のある作品だ。
すばらしい、の意味。
誰かを助けようとしたのだとしても
大声で怒鳴って威圧したり
暴力で解決しようとしたら
結局は自らが悪者になってしまう。
声を荒げず冷静に対処したり、
関わらないようにするのが
正解なのかもしれないけど
それが上手くできるかできないか。
自分の気持ちを押し殺してまで我慢するのは
正義感がある人ほど辛いことだと思う。
施設のシーンで、殴ってやりたい気持ちを堪えて
主人公が一緒になって笑っている姿を見て、
社会でうまくやるにはこれが正解なんだろうけど
こんな胸糞悪いやつらと一緒になって笑ってるのって
虚しさとか生きづらさを感じるだろうな。
暴力は悪いけど、暴力はふるってないけど
クソみたいなやつなんて世の中には沢山いる。
さいごのカットで、空に降り上げて
すばらしき世界と文字。
うーん、私にはこの世の中を
素晴らしい。という目で見れない。
なんとも報われない世界。
追記
すばらしいの語源は、小さくなる、狭くなるという意味の動詞「すばる(窄)」からだという説がある。
「すばる」には「すぼる」という語形もあり、その形容詞形「すぼし」は古くから、みすぼらしい、肩身が狭いという意味で使われていた。この意味の例は鎌倉時代の初頭までさかのぼれるので、マイナスの意味のほうが先だった可能性が高い。
肩身の狭い世界か。
ああ、なるほど。納得。
不寛容で排他的な現代を生き抜くには
嫌なことは聞き流す。
聞こえないふりをする。
逃げるのは恥じゃない。勇気ある撤退だ。
大事なのは孤立しないこと。
だれかと繋がっていることだ。
生きていくって大変だ。
自分を守るために見て見ぬフリをする術を会得し、他者との適当な距離を私たちはいつ覚えたのだろう。
親から教わったのだろうか。
易怒性は、親に捨てられたからなのか。
一人の、反社会的勢力から足を洗おうとした男を捉えた話。
それぞれの人物が、よく描かれている。
クールなTVディレクターの長澤まさみ、スーパーの店長、弁護士、生活保護の担当者、小説家志望の仲野君。
心の動きや想いが、リアルに寄せて描かれていて、淡々としていながらも妙に現実的。
熱演が圧巻。現代社会でもがく男の、切なすぎる物語。
【賛否両論チェック】
賛:演者さんの怪演・熱演が見事で、思わず圧倒されてしまう。現代社会での社会復帰の難しさや、そんな中でも必死に生きようとする男の姿が、切なく描かれていく。
否:物語自体はかなり淡々と進むので、興味を惹かれないと退屈してしまいそう。暴力シーンやラブシーンもあり。
物語全体を通して、役所広司さんの熱演が見事で、観ていてとても切ない気持ちになってしまいます。綾野剛さん主演の「ヤクザと家族」でもそうでしたが、一度道を外れてしまった者が社会復帰する難しさや厳しさを、非常に身近な物語として感じさせてくれるようです。
ただ、やはり小説の映画化なせいもあってか、ストーリーそのものはとても淡々と進んでいくので、人によっては観ていて退屈してしまうかもしれません。
暴力シーンやラブシーンもあるので、気軽に観られる映画ではありませんが、現代社会で必死にもがこうとする主人公を等身大で描いた作品ですので、是非ご覧になってみて下さい。
死ぬわけにはいかない
刑務所から出たヤクザが更正しようと必死に生きていく話。役所広司の耐える演技が良かった。怒りを耐える、理不尽を耐える、生きていくことに耐える。ひいてしまうような瞬間的にキレる狂暴さを、社会から孤立させまいと順応させていく人々の優しさがありがたかった。最後は、ずっと、社会の片隅のどこかで、ひっそりと色んなことに耐えながら生きている終わりかたが、今の自分にはありがたかったかな。でも、ヤクザが普通に生きていく選択肢を選ぶ映画は新鮮で、泣いてしまった。
スルメの味わい
見終わった後は、なんだかちょっとガッカリした様な不足感があったが、感じた事をまとめようとすると後から後から、あの時のカット台詞動きは、「こんな意味があったのかもしれない」と西川さんの映画は、いつも何かを考えさせ、沢山語りたくなる。スルメの様に味わい深い。
何気ない映像は、絵画的でストーリーを膨らませてくれる。
バス、電車、飛行機が映し出される。
いずれも引きのカメラで遠くから動いている様子を見せる。それは、出所後時間は動いている、変化している事を現し、新しい世界へ行く事を現していると思った。
また、東京タワーとスカイツリーの対比、空、雲、丸い雲の中の青空は、三上が希望に満ちて新しい世界へ歩もうとしている事をイメージさせた。
出所後、社会からの疎外感から、昔の仲間に再び入ろうとする三上に対して、キムラ緑子扮する女将さんが、「コッチ側で見る空と自由な世界で見る空は違う、だから、帰れ」と劇中で諭す。
中々社会に馴染めて行けない三上だが、彼を心配するヒトは、本当に少しだが、居た。
「カメラ止めて仲裁に入るか、取り続けるのよ、だから中途半端なのよ」と怒鳴られた津乃田役の中野大賀。途中カメラを持って逃げ出したシーンからグッと良くなって来た。
きちんと三上と向き合って痛みを持った彼の人生、出所後の日々を書こうとしていた。
映画の最後は、三上に関わった人達を上空から映す、まるでそこは、未だ狭かったけれど素晴らしかった世界のように。
三上が見た空は、ムショの窓から見たより素晴らしかったはずだ。ヒトは、他者と繋がってこそ生きる、生かされていく。コミュニティの中の自分。何か失敗をしたヒトでも、それぞれの少しの寛容さがあれば、ちょっとづつ繋がって生き直して行ける筈だと言っている映画だと思った。
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