すばらしき世界のレビュー・感想・評価
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やさしい人達に
空は広い
豊穣なる哀しみ
自分を押し殺すことが幸せなのか?
正直このエンディングは勘弁してほしいというのが、見終わった直後の感想。空気を読んで力を持つ人間におもねることが「すばらしき世界」であれば、違和感が湧く。その「すばらしき世界」から逸脱しないように生きている自分にも情けなさを感じるが。
ラストの是非は別にして、役所広司の存在感は、改めて凄いの一言につきる。直情径行というか無邪気というか、自分の感情のおもむくまま行動する元極道を演じている。最初の旭川刑務所での刑務官とやりとりから引き込まれてしまった。気がつくと三上の感情に寄り添ってしまっている自分がいる。
原作は読んでいないが、30年以上前の作品なので当時は、携帯電話も暴対法もない。この作品では、昭和の元ヤクザが戸惑いながらもiPhoneを使いこなせるようになるところなど、コミカルな要素を若干織り交ぜながら話が進んでいく。
自分が止めどもなく泣いてしまったのは、三上が自分が育った施設で少年たちをサッカーに興じる場面。少年たちとふれあいで、三上は、無邪気な笑顔を見せるが、最後に、三上は積もり積もった感情を爆発させる。役所広司に完全にノックアウトされてしまった。
人は人に助けられて生きている‼️
実話だけに、あまり浮き沈みのないシンプルな展開です。
フィクションなら、こんな都合よく親切な人がいるか、そう思うでしょう。
でも、改めて、自分の半生に置き換えて考えると、助けられて生きてるな、そう思います。
どちらかと言えば、ヤクザと切り離して、不遇な生い立ちと、生き方でも、人の親切と、投げやりにならない気持ちが有れば、なんとかなるもんだ、そう思いました。
だから、運転免許と持病については残念でした。
自分を抑えることを覚えた、役所さんが初めて上手い演技だと思いました。
大賀と長澤まさみみの演技は、良いですね、最近、整形の女優が目立つ中、長澤まさみの笑顔が貴重です。
心が暖かくなる映画でした。
人に親切にされた分、人に親切にしよう、そう、思いましたありがとうございました。
ストレートな疑問
現代社会は、一度レールから外れた人間に対し不寛容で、やり直しが難しいという現実を深堀りしていたように感じました。
先日観た、『ヤクザと家族』にも似たテーマが含まれていましたが、あれとはまた違う描き方。
イギリスの制度批判を描いた、ケン・ローチ監督『わたしは、ダニエル・ブレイク』あたりが、近しいかもしれません。
差別や偏見、暴力から目を背け、見てみぬふりをして生きるのが本当に賢いのか?
トラブルに真正面からぶつかる人間は、(暴力しか解決方法を知らないとはいえ)悪なのか?
そして制度側にいる公務員は、法律を順守しているとはいえ、いつのまにか遵守することが目的となり、困難に直面した個々の人間をないがしろにしていないか?
自己責任論がまかり通り、(例えばコロナで経済的に)困窮した人間を踏みつけにしても心が痛まないような人間が増えていないか?
そういった疑問を、観る人間にストレートにぶつけてきて、胸が痛かったです。
正義と悪の境界線があいまいな、生きにくく醜い混沌とした残酷な「すばらしい世界」を描き切っていて胸が熱くなりました。
そんな世界で、主人公・三上の殺人犯という過去を知っていても、手を差し伸べる人々~ディレクターの津野田(仲野太賀)、スーパーの店長(六角精児)、役所職員の井口(北村有起哉)らの存在が輝いて見えました。
彼らのように、道を踏み外したことのある人へ直接手を差し伸べることはできないかもしれないけれど、少なくとも差別や決めつけはしないで、寛容な心を持ちたいと思いました。
すばらしき世界
不寛容な現代社会の生きづらさとホームドラマ
1 刑務所から13年ぶりに一般社会に復帰した男が、人との係わりの中で社会に溶け込み自己再生を図ろうとする話。
2 男の性格やこれまでの人生は、出所後の暮らしの描写やある協力を求められたマスコミの青年が行うインタビューを通じ、次第に明らかになってくる。前半のいくつかのシ−ンでは、ヤクザと刑務所の狭い世界のみで生きてきた男と一般社会との不適合ぶりが時にはユ−モラスに感じ、短絡で狂気じみた行動には恐怖を感じた。
3 中盤から後半にかけて、男が社会のレ−ルに乗れるのかそれとも外れてしまうのか紙一重の中で進んでいく。養護施設辺りの幸福感に満ちたシ−ンや介護施設でのギクッとするショットが折り重なる中、嵐の夜に・・・。
4 西川の演出は丁寧な作りで緩める所と締める所が適宜あったが、いくつかの点で不満を感じた。劇中、不寛容な現代社会の生きづらさは、前半のいくつかのシ−ンで見せ、また身元保証人夫妻やケースワーカに語らせた。そこは説得力があった。主人公に力を貸した人々が、中盤ごろ、心無い言葉で罵倒されても見捨てることなく見守った姿には一時の救いを感じた。その一方、「現実社会ではそうはならないだろう」とも思った。ましてや、就職祝いで集まって自転車を贈るというほのぼのしたホ−ムドラマのようなシ−ンには違和感を感じた。リアリズムに徹するとセミドキュメンタリとなってしまうが、後半の展開には、西川の願いかもしれないが、甘さが感じられた。また、映画の終わり方としては、嵐の夜に帰宅した所でエンドにしても良かった。翌朝のシ−ンまで引っ張らなくても良かったと思う。九州の親分さんの女将さんの対応にも都合が良すぎるように感じた。
5 主人公の役所は善悪幅広く演じて安定していた。力を貸した人々、スーパー店主・六角の善良さやケースワーカ・北村の実直、TV制作マン・仲野の一途、身元保証人・橋爪と梶の親身な対応は、見ていてウルッときた。
6 また、テレビ局の傲慢な番組作りや外国人労働者、介護の現場での実相、身分帳なるものの存在に小出しながら光を当てていた。
津乃田は必要だったのか
吉澤の扱いが中途半端に感じた。津乃田との考え方の違いが描かれるのかと思いきや、後半はほとんど登場せず、どういう役割だったのかいまいちわからない。
そもそも津乃田というキャラクターも必要があったのか疑問。津乃田自身の物語は薄いし、三上と社会とのかかわりを描くにあたって、かかわり方が異質で異物感がある。こういう作り手の目線に近いキャラクターを出すことなしに、観客を津乃田の目線に置く必要があったのではないだろうか。
三上の物語も、格別丁寧に描かれているとは思わなかった。津乃田の立ち位置が異質なので、津乃田と三上が言い争ってもそれはエピソードにはならず、単に台詞で説明している感じがする。喧嘩の場面の嘘くささも気になった。
本編の"長澤まさみ的な人間"への問題提起。
女性監督と聞いて驚きを隠せない極めて男性的な社会派映画である。
はじめに、ここ数年見た邦画の中で間違いなくトップクラスの質量と品質だったと述べさせて頂きたい。ただ蛇足を感じたので本評価とした。
普段生活していて気付く方は気付く違和感をクローズアップしたドキュメンタリーだ。
役所の生き方を追うものであるが、その周りの関係者が私達身の回りの社会をリアルに表現できている。
特にディレクター(長澤まさみ)だ。彼女の振る舞いに問題を感じるか感じないかでこの作品への想いは変わってくるだろう。あなたは長澤的な振る舞いをしていないだろうか。
是非、本編をご覧になられた後、心を澄ませ自分の社会における立ち位置をご確認頂きたいものだ。
役所広司をはじめ、出演された方々全ての演技力には脱帽する。
(アイドルや無駄な演出を加えたがる邦画の残念な部分を取り除けたことにも)
男性的な映画と云うのは一般的に男性に好まれるとされる演出が多いためである。
一部内容を覆うとはいえ、濡れ場シーンで述べられた内容は本テーマから逸れ導入した理由に混乱する。
導入といった観点から
「アクション、笑い、泣き、濡れ場、社会問題」
と詰め込み過ぎが若干感じられた。
最後も実に蛇足を感じた。
批判的な意見を全面に述べたい訳でもなく、実に素晴らしい社会派の作品だとお伝えしたい。
短気は損気
子どもが大人になるまでの成長の話
すばらしい作品でした。
反社会的勢力にいた男が刑務所から出ても真っ当な人生を歩むのは難しい。
いくら反省して罪を償ったとしても、社会が受け入れてくれない。
仕事につくこと生活保護からの脱却、レールに沿った生き方をするのがいかに困難か切実に訴えていましたね。
前半は少しコメディ風でこのまま続いたら駄作になるだろうと思いましたが、中盤からしっかりとトーンを落としてシリアスになり、作品の伝えたいメッセージがズシズシと心に響きました。
中野太賀の正論ばかりの意気地なし野郎
北村有起哉の頭の固い役所職員
六角精児の意地悪そうな店長
どれもむかつきました、そして上手でした。
何より味方になってくれてからはめちゃくちゃいい人達、演技の使い分けか脚本の技か豹変するのではなく自然に打ち解ける感じがよかったです。
人は見かけによらないのですね、深く知りもしないのに互いに嫌なレッテルを張り合っている。
自分もそうなってはいないかとハッとさせられた。偏見はよくないですね。
よくぞ入れたと思ったシーン
終盤の介護施設でのモノマネシーン、あれは今の映画じゃなかなか見れないと思う。
そして主人公の「似てますね」の作り笑い。
耐える事を覚え大人になったと共に元の率直さや正直な少年の心を殺した瞬間でとても心を揺さぶられました。
「そんな生き方するくらいな、死んでけっこう」とまで言った男の成長と落胆、とってもいい表情と場面です。
この作品を通して、日本はレールから外れた人に厳しいが救いを一応用意している。
もし自分がレールから逸れてしまっても希望があるのだと教えてもらえました。
「ヤクザと家族」でもいかに社会復帰が大変か、生き方を変えるのが辛いかを映し出していたが本作も負けず劣らず厳しさと救いがあるいい映画でした。
主人公と役所職員のやりとりを見ていてなんか既視感があるなと思っていたのだが
想田和弘監督のドキュメンタリー「精神」か「精神0」のどちらかのラストに出てくるスクーターのおっちゃんだ。
全然似てないのだけれど、多分あのおっちゃんはこの物語の主人公と似た立場なのではないかと勝手に想像してしまった。
気になる方は「精神」「精神0」をご覧ください、とっても興味深く楽しい作品です。
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劇中セリフより
「空が広いらしいですよ」
広い空を見るために私たちは窮屈なルールに縛られている。
でもその空を見る価値は確かに有る。
うーーん
娑婆は我慢の連続ですよ。でも、空は広いち言います。
原作既読。予告編はややキャッチ―すぎる印象があった。しかし本編は、硬派で無味乾燥気味のあの小説から、主人公の人物像をみごとに立ちあげている。前半、監督の得意とする"感情を振り回す"技が弱いな、と感じていた。いや、案じていた。これじゃ物足りない、と。
しかし。後半、みごとにやられますよ、いつものように。それも、怒鳴ったり、泣きじゃくったりとかのシーンじゃなく、三上の人が変わったような優しいまなざしを目の前にした瞬間に、ぼろっと。人は変われるのだ、と。いや、そもそも思い込みで人を仕分けしちゃいかんのだ、と。もともと真っすぐな人だったじゃないか、ただ筋を曲げることが嫌だっただけだ、と。そして、そんな三上がようやくそのコツをつかんだ矢先・・・。そう原作でもそうだったわ、忘れていた。そうか、津乃田は佐木隆三か。ある意味、この映画は佐木隆三へのレクイエムだ。
愚痴をこぼすのは簡単。世の中、温かい人はちゃんといるよ。だけど、相変わらず冷たい人だってどこにでもいるよ。大事なのは、自分自身の態度次第。それで自分の周りをどうにだってできるよ、世知辛い世間にだって、"すばらしき世界"にだって。
普通とはなにか
社会に溶け込む事の意味
二回目の鑑賞
この原作の映像化、その心境が分かる気でいる。反社でも半グレでも無い人間も、“彼は私だ”との思いで、心握りしめられたカットが幾多あるだろう。その切り取る視点のセンスに惚れ込んで以来、西川美和監督の新作を待ち侘びながら日々を過ごしているとは、決して過言では無い思いだ。時代に即した、社会の片隅で人知れず耐える生活者の心理を投影した、「映画だから問いかけられる人の葛藤と温もり」を、絶えず根底に宿した仕事に共感を重ねてきたからだ。今作でも、都市に内在する新旧の価値観と普遍性、淘汰する事だけで正常は測れない社会の真相。意図的に差込まれるスカイツリーと東京タワーの対比には、その様な心理も掻き立てられる。外の“空は広い”と言う…重ねる辛抱こそ堅気の条件とも人は言う。彼は、最後に耐え抜き、触れた優しさに涙し、希望を抱いた。社会への順応と約束を胸に、嵐を楽しむ筈だった。やがて、心身は耐え切れず八切れとなり嵐は去った… この一連の描写に、社会の一端が濃く注ぎ込まれていると受け止めた。あぁそれでも…無頼で愚直な人生の最期の幕切れには、側で悲しみ俯く人間達が囲んでいた。
介護士の芝居がリアルすぎて…
いつの時代もマイノリティの援護や擁護をする映画があり、それは映画の一つの役割だと思う。LGBTや障害者に焦点を当てた映画も数多く作られてきた。この映画の三上という男もマイノリティには違いないが、彼の場合、殺人という罪を犯しており、手放しで擁護していい相手とは言えない。
それなら劇中で三上が社会から妻弾かれる様は、全て自己責任で妥当であると片付けていいのかというと、、、
社会で生きていくには、矛盾に気付かないフリをするような小器用さが必要で、三上はそれに抗う。三上が小器用な人間に向ける軽蔑の目は、自分たち観客の心をえぐってくる。
でも、小器用に生きることは悪いことじゃない。ただ、その大多数の小器用な人間の枠から外れた人はどこで幸せになれば良いのだろう。
映画を値段以上に楽しむコツは、120分を終えた後も、頭と心で吟味し尽くすことにあると思います。
役所広司、最高でした。。
【希望のある世界】
この作品は、佐木隆三さんの「身分帳」が原作で、三上正夫の人物像など原作のイメージ通りだが、ストーリーは結構異なるし、補遺の「行路病死人」の要素も加えた物語となっている。
そして、この身分帳には実際のモデルがいる。
西川美和さんが、この文庫「身分帳」の復刊にあたり寄稿を寄せ、このモデルの方が存命の頃、ドラマ化の話が出たことがあって、佐木さんが、俳優は誰がいいかと聞いたら、高倉健さんと答えたらしいと、そのエピソードを紹介していた。
そして、今回の映画化で、高倉健さんも既に亡くなっているが、西川美和さんは、役所広司さんという随一のキャスティングをしたと胸を張っていた。
今回の作品は、西川美和さんの「ゆれる」や「永い言い訳」が、僕の心の闇や弱さを、キュッとつまみ出すような感覚を覚えたのに対して、アウトサイダーに対して社会がどう向き合うのかを考えさせられる。
(以下、ネタバレ)
物語は、出所後の三上正夫が、自分の置かれた生活保護を受けているという惨めな気持ちや、なかなか入り込めない社会システム・好奇の目に対する怒り、弱者に寄り添おうとする正義から生まれる暴力で解決しようとする衝動と向き合いながら、周囲の協力を徐々に取り付け、社会に溶け込んでいく様が描かれる。
ヤクザ稼業の衰退を目の当たりにし、自分の選択肢が如何に少ないのかを感じ取ったり、幼少期の辛い思い出に触れ泣き崩れたりする様子も、内面の微妙な変化をよく伝えていると思うし、ライターの津乃田と、スーパー店長の松本、ケースワーカー井口との交流が三上正夫の背中を押す様は、胸が熱くなる。
そして、介護施設で疎外されたり、イジメにあっている同僚が、忍耐強く、前を向こうとする姿勢は、三上正夫の生きる最大のヒントになったはずだ。
コスモスの花束。
久美子からの電話。
三上正夫は確信したはずだ。
自分もやっていけると。
帰路、雨の中、一生懸命漕ぐ自転車のペダル。
エンディングは悲しい。
だが、三上が未来を見ながら、こときれたのだとしたら、それは救いだ。
三上正夫の見たのが、「すばらしき世界」だったことを願わずにはいられない。
このモデルになった方も、故郷の福岡に帰ったものの、アパートで病死している。
自然死、孤独死だった。
欧州の一部の国では、再犯を防ぐ目的もあって、収監中の服役者を、完全に塀の中に閉じ込めるのではなく、日中は、受け入れてくれる施設や会社で働く機会を予め与え、社会復帰をスムーズにすることと、社会の側にも出所した人間を受け入れやすくさせるという試みがポピュラーになってきているという話を聞いたことがある。
日本でも小規模だが試みられているはずだ。
暴対法の適用が厳格になったことを考えると、アウトサイダーの更生の方法にも柔軟性や多様性が確保されるべきだと思うし、行政の側が出所後の生活が成り立つようにより積極的に関わる必要性があるのではないかと考える。
そして、それこそ再犯の減少に繋がるのではないか。
アウトサイダーの社会復帰が容易になるのではないのかと思ったりする。
西川美和さんは、「身分帳」で「山川一」だった主人公を「三上正夫」とした動機も語っていた。
もし、興味のある人は、復刊した原作も読んでみて下さい。
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