すばらしき世界のレビュー・感想・評価
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文句なしの傑作
2度目の鑑賞だったが、途中から涙が止まらなかった。
役所光司の圧倒的な存在感はいうまでもないが、登場人物全てがそこに生きていた。
文句なしの傑作。
「社会のレールから外れた人が、今ほど生きづらい世の中ってない。一度間違ったら、死ねというばかりの不寛容がはびこって、だけど、レールの上を歩いてる私たちもちっとも幸福なんて感じてないから、はみ出た人を許せない。」
劇中の長澤まさみのセリフだが、現在の日本の状況、特に匿名性が高いと思われているSNSの状況を考えるに、正鵠を射ているのだろう。
けれど、この映画を観た私たちは感じ取る。
役所光司演じる三上正夫を取り巻く人々が、初めは、「はみ出た人を許さない」眼差しを持っていても、やがては三上のかけがえない応援団になり得ることを。そして、それこそが「すばらしき世界」であることを。
例えば、六角精児演じるスーパーの店長。三上の万引きを疑った彼が、後には三上に罵倒されることがあっても、「三上さん、虫のいどころが悪いんだね」とかわして関係を切らず、三上が介護施設で働くことになったことを聞いて、「すごいじゃない。よかったね」と破顔する。
仲野太賀演じる津乃田も、三上の突発的な暴力性を目の当たりにして、一旦は距離を置くが、一番の理解者になる。
最初は生活保護も渋ろうとしていた北村有起哉演じる福祉課の職員も、介護施設就職への道を開く。
身元引受け人の橋爪功演じる弁護士夫婦は、最初から応援団だが、できることできないことはきちんと分けて、プライベートも守り、適切な距離感を保って無理しない。
そして、三上が頼った白竜演じる義兄弟と、キムラ緑子演じるその妻。ヤクザとして生きることの厳しさを肌で感じている妻の言葉が、胸を打つ。
「シャバは我慢の連続ですよ。我慢のわりに大しておもしろうもなか。やけど空が広いち言いますよ。」
介護施設施設で、不寛容な態度を示す職員も登場する。彼の言うことは、ある側面では正論だろう。けれど、冒頭の長澤まさみのセリフそのものだ。仕事内容の割に、低い報酬や待遇の悪さが透けて見えてくる。
あの映画のシチュエーションの中にいたとしたら、自分は三上の応援団になり得ただろうか。
階下の技能実習生たちと良好な関係を築けただろうか。
介護施設の中で、花に心を寄せるアルバイトの彼の素晴らしさに気がつけただろうか。
観ながら、様々な場面で自問させられたが、同時に、そういう自分でありたいという気持ちに素直にさせられる映画でもあった。
今回、再鑑賞したのは、とあるフォローさんのレビューを拝読して、西川美和監督の「スクリーンが待っている」という本を知ったからだ。
読んでみると、この映画にまつわる話がほとんどだった。読了してから観ると、何気ない一つ一つの場面でも、制作陣全員の本気度と、とても細やかな神経を行き届かせていることが伝わってきた。未読の方には、是非おすすめしたい一冊。
「或る男の一生」を変わった視点で観た感想
ある日、書店で西川美和著「スクリーンが待っている」を見つけ購入して読んだ。この本には、この映画の制作過程が綴られている。この映画のことを綴っているが、監督の考えや、現代日本の映画制作の現場を知る上でも大変面白い本だった。
当然、映画本編も観たいと思って本作を観たわけだが、その制作過程を企画段階から上映後まで知った上で本作を観るという、これまでにない見方をした映画になった(同じような経験をした人、いるだろうか?)。
あらすじは予めわかっている。はじまりも、結末もおおよそ見当がついている。それでも全編まったく飽きること無く観ることができた。各シーン、各シーンにそれぞれ意味が込められており、作り手の思いが凝縮されているということをしみじみと感じることができた。濃密な2時間だった。これは、本を先に読んだからこそ感じられたものだったと思う。
どうして濃密と感じられたか?それは本に詳しいが、監督が膨大な時間をかけて取材し、ときに俳優との真剣勝負のやりとりもしつつ何度も練り直した脚本と、その脚本の世界を、プロフェッショナル達がたった一瞬のカットであっても本物の「画」として撮り、「音」を撮ったということが実感できたからだ。そうした映画制作陣の仕事ぶりを、そこかしこのシーンで感じることができた。
この作品については、上記のような経緯で観たため、制作、撮影、音響、美術、宣伝といった裏方の仕事ぶりに注意が向いてしまったきらいがある。しかし、しかしだ・・・
やはり役所広司は凄いとしか言いようがない。見た目は役所広司なのだが、中身が出る映画の度に入れ替わっている。役所広司の見た目をしているが、もうすっかり全身「三上」なのだ。直情的で単純で不器用なだけに見えるこの主人公の、一筋縄ではいかない過去と心情を全身で表現している。恐縮し、緊張で強ばった目と体。激高して振るう暴力。子供と屈託のない笑顔で遊ぶ姿。泣き崩れる背中。一番星を見つめる目。この男をずっと観ていたい・・・そんな気持ちにさせるのだ。
役所広司だけではない。監督の指名で出演となった仲野大賀。彼の最後の演技で私は泣いてしまった。それまで冷静に観ていたというのに、どうして?
ああ、そうか、彼が演じる津乃田もまた、この三上という男をずっと観ていたい人間だったのだ。原案の作者の佐木隆三もたぶん同じだ。この三上という男には、言い知れぬ魅力があったのかもしれない。
六角精児、橋爪功、梶芽衣子、キムラ緑子、北村有起哉ら、三上を支える役柄の演者も上手かった。いい人すぎる、という意見があるかもしれないが、三上が、そして映画を観た我々が「すばらしき世界」を実感するには必要な役だった、と思いたい。
この映画が心に残った人は、西川監督著「スクリーンが待っている」を読むことをお薦めしたい。映画に出てくる端役についても、知られざる物語があったことを知れる。映画を見る目が変わる本である。
現代のテーゼ
良い映画です。違う形ではありますが、私も仕事柄刑務所上がりの方の生活支援をしたりする事があるので、見入ってしまいました。
役所広司さんが自然で引き込まれる演技力を見せてくれましたし、ストーリーは社会問題を題材にしながらも重くなりすぎないように仕上げてくれてたと思います。
仲野太賀さんも良い味を出してくれてましたね。
三上が不器用ながらに世間を渡り歩いていく姿を見てると応援したくなりますね。
こういう人たちに支援の輪がどんどん広がる事を願ってますし、僕も協力したいです。
三上が自然過ぎていて難しい
主人公三上という人物をそのまま描いた作品だと思う。
彼のアイデンティティは「身分帳」に記載されている、いわゆる前科者。
TV局は彼のドキュメンタリーを試みるものの、TVでは流すことのできない暴力を起こす彼に、企画中止せざるを得ない。
三上にとってこの世界はすべてが思い通りにならない。
免許証も市役所も騒音も買い物も…
努力はしている。しかし、いつも決まって問題が起きる。
最後はやはりヤクザ。
仲間を頼って九州に。しかしヤクザも生きていけない世界になっていた。
警察によるガサいれと、姐さんの指示でそこを去った。
何をしてもうまくいかないし生きずらい。
TV局から依頼されたツノダは、企画がお蔵入りになって仕事を失ったが、三上のことを本にして出版したいと考えた。
彼は三上の母の情報を手繰り寄せるが、結局母の行方は分からないままだ。
三上が子供たちと一緒にサッカーを楽しんだ後、泣き崩れたのはなぜだろう?
幼い頃の無邪気さを思い出したからなのか?
両親のいない子供たちに自分を重ね合わせたからか?
子供たちが腐っていなかったうれしさからか?
母に捨てられたという事実を受け入れるしかないとわかったからか?
それとも、それらすべてから母との別れを心に決めたからなのだろうか?
このTV局による一連の動きがこの作品の流れになっている。
やがて就職が決まる。
そしてすぐにかっとなる自分を戒めることに初めて成功する。
再び襲ってくる衝動にも耐えると、そのきっかけとなった障害者からコスモスの花束を分けてもらった。
元妻からの電話 「今度デートしようよ」
ようやく回り始めたこの世界での歯車… 三上のこみあげてくるような喜びを感じることができる。
白い目、すぐに問題にぶつかる。どうにもなじめない世界の中でも手を貸してくれる人々がいる。必死で葛藤しながらようやく見出せた素晴らしさ。
コスモスの花束を握りしめた三上は、きっと美しい三途の川を渡ったのだろう。
彼にとっては居心地の悪いと思っていたこの世界で、ようやく見つけた素晴らしさに気づけただけで十分な人生だったのかもしれない。
そして「あちら」には、ずっと探していた母がいたのかもしれない。
三上の些細な気づきと喜びは一瞬だった。彼の死と泣いてくれる人々。カメラはそのまま空へと向いてタイトルが流れる。
「すばらしき世界」 わかろうと思えばわからなくもないが、難しい。
そこに『素晴らしき世界は』あるのか
『ゆれる』や『ディア・ドクター』の西川美和、人間をどこか冷めた目で見てきた監督である。この映画、一筋縄では収まらない予感はした。役所広司が怪演するこの主人公を、真面目なのか馬鹿なのか、状況によって豹変する短絡的な人物として映し出す。13年の刑期を終えて出所したこの男もまた、社会に同化して生きてゆくにはあまりにも不器用すぎるのである。彼の周囲には、身元引受人として何くれとなく面倒を見てくれる弁護士や、生活保護や仕事の世話をしてくれる役所のケースワーカー、なぜか親身になってくれる地元スーパーの店長など、一人で頑張って生きていかなければならない一般の社会人から見ればあきれるくらい「恵まれた」環境がそこにある。それが犯罪者の社会復帰を手助けする社会構造のあり方か。まったく「素晴らしき世界」の中に彼はいる。それなのにこの元殺人犯は社会に同化することができないのだ。
映画はこの男の成れの果てをただ冷徹に提示してみせる。それはただ単に身から出たサビ、すべては自業自得、といっているようにも見える。刑期を終えた犯罪者が社会に同化できない世間の在り方を指弾するものでもない。ただただ道を誤った人間の、寄る辺なき姿を露わにして見せるばかりなのだ。監督西川美和の、人を見つめる鋭利なまなざしがここにある。
現代社会のリアル
前情報なく見たけど、意外と共感できる部分が多くあった。
ヤクザの社会での生きづらさは暴対法とかで聞いたことあるけど、カタギでも社会のシガラミに苦労することもあるくらいだから組抜けしていても比じゃないんだろう。
主人公の不器用ながらも正面からぶつかっていく愚直さは好感を持てたしちょっと羨ましい。
最後は急展開でポカンとしたけど、何事も善は急げだなと妙に腹落ちした。
暇潰しに見るには少し重いかな。
生きるための器用さとは
主人公は悪く言えば感情的、よく言えば不器用。
そんな不器用さに人が惹きつけられる展開だった。
ラストは障害を抱える同僚を職場の人間が馬鹿にしている時、“器用さ”を身に着けて一緒に笑ってしまうシーンは印象的だった。
☆☆☆☆★ 冒頭。鉄格子から見えた青空は、主人公には多いなる希望の...
☆☆☆☆★
冒頭。鉄格子から見えた青空は、主人公には多いなる希望の青空だった…のだが。
原作読了済み。
※ 原作を読み、予めに要約した読後のレビューを書いてはいた。
映画本編鑑賞直後には、(作品の出来の)素晴らしさに感激して、勢いと情熱のみで突っ走ったレビューを書きなぐり。もうあと少し…と言うところで、訳あって一旦休憩。
さあ!もう少しでこの長文も完成…と思ったら、、、痛恨の押し間違えから、近年では自分としてもかなり満足出来る内容だったレビューが脆くも泡と消えてしまった。
_| ̄|○ もう死んだ! 余りのショックに寝込みたくなった程。
翌日に観に行く予定だった洋画2本も一気に観る気が無くなってしまった。
(夜中に起きた地震の影響は少なからず有ったのは事実だけど…)
何しろ本編は、〝 傑作 〟との称号は多くの作品に当てはまるとは思うのだけれど。〝 真の傑作 〟と呼ぶに相応しいくらいに【崇高な高みへと昇って行った】作品だったのだから。
少なくとも、2000年代に入ってから公開された日本映画の中で、間違いなくトップ中のトップに位置する作品だと思ったから…それゆえに、自分のレビューが消えてしまったショックは大きかった。
日が経ってやっと再度レビューを書く気にはなったものの。やはりレビューってヤツは、鑑賞直後に書く【情熱と勢い】こそが、最良のレビューになる…と思っている。例えその文章に大いなる間違えや勘違いが有ったとしてもだ💦
(コレ、、、いっもやっちゃうんだよなあ〜!勿論間違いはしっかりと正しますが…)
…との恨み節は(出演者の中に梶芽衣子が居たから…って訳ではありません( ̄^ ̄)キッパリ)まあ、この辺に止めて改めてレビューを。
原作は元ヤクザで殺人で長期間服役した男が、《現代の浦島太郎》として社会に戻るが。堅気になる為には、生きづらい社会になっていて。それに抗いながらも、必死に生きて行く姿を描いている。
実は、原作を読んだ人ならば分かるのだが。彼の中では大きな変化が起きてはいるものの。(原作の中では)特別に大きな事件等は起こらない。
勿論、近隣とのトラブル等多少の揉め事は起こるものの。警察が介入したり…と言った、大事には至っていない。
と言うのも。ひとえに、彼が生活をするにあたり。周辺の人々が彼を手厚く支え。且つ、様々な面倒を見てあげる。
絶えず、「それは駄目だよ!」「何で我慢出来ないの!」…と、この男に皆んなが甲斐甲斐しく関わって行き。道を踏み外さない様に見守って行く。
何故ならばこの男、確かに罪は犯したものの、人として誰よりも…
【純粋で情に熱い男】 だったから
そんな人物である彼は、正面から周りの人に包み隠さずに己の姿をぶつけて行く。それに周りの人達も次第次第に巻き込まれて行ってしまうからだった。
しかしながら、そんな彼にとっては。何かと世知辛く生きにくい世の中であるのは変わりない。
だからか?常に癇癪を起こしては周りの人に迷惑をついついかけてしまう。
彼にとってはそれらの一つ一つが、口では「何でですか?」と怒りながらも。心のどこかで、自分のだらしなさを感じてしまう為か。その怒りを発散出来ずに、もどかしい思いを日々繰り返す毎日が描写されている。
そんな生きづらい世の中で喘ぐ彼のところに、映画は原作には登場しない津乃田と言う人物が密着し始める。
とは言え原作には、当初ライター志望の男が存在していたのだが。このモデルの男が時折見せる暴力性に怯んでしまい、いつの間にか居なくなる。
映画は、途中からその津乃田とモデルの男の交流を通じながらの〝 母親探し 〟へと発展して行く。
元々原作では、何度も元妻への連絡を試み。最後にデートへとこぎつける。(但し男の子付きだが)
そんな展開ではあるのですが。それを敢えて外し、別の方法へと変えた事で。スンナリと母親探しの旅へと移行出来ている。
実はこの辺りの描写こそが、監督西川美和本人としての《クリエイターとしての挑戦》であり、更には《女としての独特なカン》が働いた結果…なのではないか?と私は思っています。
津乃田=西川美和
復刊された原作には、後にこのモデルになった男が福岡市で一人寂しく孤独死をする。その後に判明し、また更なる謎だけが残った部分等を含めた《顛末記》を書いた「行路病死人」が掲載されている。
最初に、原作自体には特に事件等は起こらない…と書いた。
この「行路病死人」に於いても、(多少のいざこざを除いては)特別に大きな変化が起こる訳でもない。
ないのだが、この《情に熱く皆んなから構ってあげたくなる》男の最期に立ち会えた人達の、その〝 思いの共有 〟が文章から感じられる。
東京の安アパートの下に集った市井の名もない人達。
福岡市で男の最期を看取った出版・役所関連の人達。
そのどちらにも、熱い人間性が溢れている。
だからこそ…だと思うのだが。このモデルとなった男の最期に、クリエイターとしての興味を掻き立てられながら、、、
《その人々の中には入って行けなかった》
そんな思いを持ち続けていた…と思えるのが、監督西川美和本人の〝 もう一つの寂しさ 〟だったのだと思う。
それだけに。本来ならばスーパーの店長で町内会会長が、何度も何度も言い含める様に諭した「暴力では何も解決しないよ!」との言葉を、津乃田に言わせているのも。この男の魅力に嵌って行った監督の、素直な気持ちの表れだったのかも知れない。
本人も死に、原作者も死んだ。
題材を決めたものの、、、
話をどう繋げて行けば良いのか?
大きく変えても良いのか?
いっそのこと全てを投げ出してしまいたい、、、
その様な葛藤が津乃田とゆうキャラクターの中に全てが詰まっていた。
そして長澤まさみのキャラクターには、(おそらくは)監督本人の【面白がり】の心の一部である〝 猪突猛進 〟の一部分が、、、
四年余りの田村氏との付き合いで、問わず語りに母の話をしたことがある。わたしの母は七年前に肝臓ガンで死んだが、戦争未亡人として四人の子をかかえて辛酸をなめた。大柄な母が体中にヤミ米を巻きつけ、上からだぶだぶのコートを着て列車に乗り、経済警察に追われて必死に逃げたことを話すのを、彼は涙ぐんで聞いてくれた。田村氏の短歌や俳句には母親を詠んだものが多く、「母親は騙し易しと言う囚人に何の怒りぞ孤児の我」が印象に残っている。
田村氏の発言の記憶は、割烹着をつけて孤児院に面会に来て、手を振りながら大橋の方へ帰った後ろ姿だそうである。彼が死んだアパートが、福岡市南区大橋だったことを思うと、愛惜の情を禁じ得ない。今年の四月に福岡へ移るとき、わたしに直接は言わなかったが、最後まで母親捜しを諦めていなかったのだ。
(「行路病死人」より)
敢えてなのか?男が存命中には描かなかったと思える原作者自身の〝 その想い 〟を、監督西川美和は《女としてのカン》を敏感に感じ取ったがゆえに作り上げた〝 母親探しの旅 〟だったのだろう?と思う。
復刊された「身分帳」の監督後書き より
何れにしても山川がシャツを破って啖呵を切ったところで、通用するものなどもはや何一つないだろう。私は大きく原作とは時代設定を変えて映画を作ることを決めた。どう描いたって、この分厚い小説が語ったものは語りきれないし、小説とは異なるものを描かない限り、映画の存在意義などない。
〜 略 〜
亀有で逮捕されたバーの店長の名前は〈三上正夫〉とあった。前橋の家族で戸籍を作られた十五歳の時、警察の調書に書くのが面倒でない文字を並べて適当につけたという名前。「山川一」は佐木さんが小説のためにつけた仮名だったのだ。山川一と三上正夫。同じように字画の少ない漢字ばかりの並びを見て、生き別れていた二卵生双生児を引き合わせたような嬉しさに駆られた。佐木さんも亡くなり、山川の縁者も見つからず、誰に断る必要もないことを少し寂しく思いながら、私は映画の主人公の名前に、この名をもらうことにした。実名で描くのはまずいのかかもしれないが、彼のためにまずいと思う他者が存在するのかさえわからない。文句がある人がいれば私のところにぜひ申し出て欲しいのだ。「私は三上を知ってる」と。
〜 略 〜
映画は役所広司さんが「三上正夫」を演じてくれることになった。健さんももういないが、私は随一の俳優をキャスティングしたと胸を張っている。よかったねえ、素晴らしいことだよ、役所さんが演ってくれるんだよ。と、私はまるで離れて暮らす家族に報告するような気持ちで、山川を思った。
田村氏が平成三年二月二十日までに、有期懲役に相当する犯罪を犯さなければ、これまでの〝 前科 〟は消える。よく田村氏は「五年たてば事を起こしても〝 準初犯 〟で刑が軽くなる」と語った。それに付け加えて、)五年間もおとなしくしていれば、事件を起こすのがバカらしくなるでしょう」とわらっていた。あと四ヶ月生きていたら、大きな解放感を味わえたに違いないのである。
(「行路病死人」より)
思えば、西川美和監督作品には【死】とゆうキーワードは絶えず付き纏っていた様に思えてならない。
これまでは、その【死】に対して対峙する人々にはどこかに〝 心の闇 〟であり、他人には見せようとはしない〝 魂の苦悩 〟と言った、《人間味》感じさせない人物像が多かった。
これまで描いて来た(心の)内側に暴力性を秘めた人物とは真逆で、絶えず暴力性を漂わせる。
それらを考えると。今回描かれたモデルの男は、映画監督西川美和が見つけた〝 新たなる人間像 〟に他ならない。
だからこそ、真実は寂しい最期だったこの男の最期に、監督西川美和としては「行路病死人」の人達を彼の最期に集まって貰った。そしてその場面には、自身の想いを投影させる人物も添えて。
映画のラストは広々とした青空が、、、
しかし…主人公が望んだ社会は、彼が歩んで来た過去には冷たい社会で。その青空は見た目とは違って閉ざされていたのだった。
最後にこれだけ言わせて貰いたい。
◆ 来年のアカデミー賞 頑張れ!
2021年 2月13日 TOHOシネマズ日比谷/スクリーン7
※ 基本的には他のレビューサイトとの併用して利用しています。
◆ 結果は残念にも参加も叶わずT_T
しかし、自分の中での評価は変わらない。
伏線か?(笑)
パーフェクトデイズに続く(?)ややこしい経歴のおっさんの物語。もちろんそんなつもりじゃないんやろけどパーフェクトデイズを観た後ではそう感じてしうかな。でもよかった!我慢して我慢して最後は…でも本人はきっと幸せ!でも最後のあれは注意してほしかったなぁ…
作品の役者の重量
死の際に手に取った切り花のその花は彼が父だと告げることがなかっただろう娘であり妻であり、向ける彼の愛情だったのだろう、俳優が作品に重さを与えている。役者に支えられている作品だと思う。特殊な世界と人生の人のようであってそれは人の生きる様。
役所広司
実在した人物をモデルにした小説を原案に映画化
人生の大半を刑務所で過ごした殺人犯の三上。
ようやく出所なのに反省や後悔や罪悪感などないようにみえた。
しかしそんな犯罪者には世の中甘くない。
それでも、そんな三上でも応援してくれる人が周りにはちゃんといてくれて、だんだん三上も我慢する事ができるようになった。
でも我慢は見て見ぬ振りも含まれてなんだか世知辛い
ようやくうまくいきそうだったのに
残念
考えさせられる
面白かった。
短気だが信念を持つ刑務所上がりの元ヤクザが
生活を始める話。
信念によりトラブルを起こすのだが、
最後はこの世界で生きていくために信念を曲げてしまう葛藤がはかなくせつない。
なんとも考えさせられた。
すごおおおくよかったのに❗️ ラストが!台無し!こんな無責任な終わ...
すごおおおくよかったのに❗️
ラストが!台無し!こんな無責任な終わりかたある⁉️彼のこれからの人生をきちんと描けよ!いや描かなくてもいいけど、さてこれで彼はどうなっていくのか?がキモでしょう⁉️
とは言えラストまではたいへん分かりやすく考えさせられる。若者に見てほしい。
普通であることの難しさ
一度道を踏み外したら、普通から少しでも外れてしまったら
元に(普通に?)戻ることが困難。
でも普通って実は様々な罪を見て見ぬふりをしているだけなのかも
しれない。と感じた。
偽善者がいない世界
ポスターに描かれているコスモスのように監督自身の優しさが映像の隅々に満ちているように感じた。現実の厳しさをリアルに描きつつも、酷さを煽るようなことはせず、きれいごとで済ませることもなく、ほんの少しの人の温かさを丁寧に掬い取って描いている。登場人物には偽善者がいないし、主人公を全否定する人もいない。それをすばらしい世界と呼ぶのだと思う。
主人公は堅気になると誓い、世知辛さや屈辱にも耐えようとしているが、喧嘩の仲裁などの場面で昔の癖が発露して生き生きとすることがあり、そのような様子を見ていると、その人のこれまでの人生を全否定してその人らしさを奪うことが更生ではないと感じた。その人らしさを残しながら世間の感覚と乖離しないようにコントロールするのが本当の社会復帰なのだろう。
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