すばらしき世界のレビュー・感想・評価
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分からないなあ
殺人を起こした暴力団に入っていた経験を持つ一人の男の物語。その男が刑務所から出所して社会復帰をしていく中での人々との出会いが物語られている映画。出所した人の約5割が再び犯罪を犯して刑務所に戻るという統計がある通り、出所した人を迎え入れる社会の土壌というか理解は程遠い事が描かれている。ある程度の割り切りが必要。見て見ぬふりをしないと自分の社会的立場が追いやられてしまう。人に対してムカついたり傷つけられてしまう人を見過ごすわけにはいかない。見て見ぬ振りが出来ずについカッとなって(「カッとなって」という言葉は好きではないが)、たとえ誰かを助けるためであっても暴力をもってその場を解決すれば社会的制裁を受けるのは当たり前の事であり、でも誰かが傷つけられることを見過ごしたり自分の正当性を表に表すために強い気持ちで意見を発したりを抑えたり、社会的地位を確立する事には我慢が必要というか、何だか生きにくい世の中だなあとも思うが、純粋に当人の力で問題を解決しようとすればそりゃ暴力が手っ取り早い時もあるだろうし、じゃあ問題解決にあたって暴力やはっきりとした正当性を示すための意見を周りを憚らず言うこと無しにどうにかしようにも、前科者として生きる協力者や理解者が限られている状態では苦汁をなめざるを得ない事ばかりで映画を見ていて強く胸が締め付けられた。どうする事も出来ない事に対して周囲に説明しても耳を貸してくれないのかもしれない。でも何かしら強気で出ないと、意見も行動も無しに世間の言う通りというか「偉い子」を演じるように社会が求める自分を演じても、自分を押し殺しても、なかったことというか当人の問題が明るみに出ずに世間のシステムで何となく処理されて終わり、的な事になりかねないから、そんな暴力というか行動というか意見というか何だか、よく分からないなあと思った。自分の意志を貫きつつもでもそれが過剰になり過ぎないように社会に合わせていかないと誰にも耳を貸してもらえないそんな世界の冷たさの中に、それでも自分が生きたいように生きる生きざまに共感してくれた(少なくとも理解を示そうとしてくれた)人々と、結局はどこか隔たりを感じてしまうのは、社会での居場所がある人が誰か弱い者とは一線を画す生き方、それこそがこの日本において(日本以外の事は詳しくないが)の推奨される生き方なのだと、僕も不器用な人間側なので何だかモヤモヤしている。でもたとえ結末がどうであろうがその結末までのストーリーの躍動感というか人間模様というか、凡庸な言い方ではあるが、当事者の何とか社会に適応しようとした中での瞬間瞬間のドラマの熱量は、やはり純粋に生きようとしている、社会で生きにくい人だからこそ見せられる景色なのかもしれない。僕はそう思いました。
少しドラマ仕立て過ぎる印象だが、役者陣の演技は大いに観ごたえあり
役所広司さんは言わずもがな、配役が完璧 方言もすばらしかった
ヒューマンドラマ好きの私にっては、心から「観てよかった」と思える作品でした。
どんなに素晴らしい作品であるかは、たくさんの方がレビューしてらっしゃるので、ここでは省略するとして、違う視点から…
配役が絶妙でした!
主人公の役所広司さんは言わずもがな、
フリーのディレクターの仲野大賀さん、
役所の北村有起哉さん、
スーパーの店長の六角精児さん、
橋爪功さん、梶芽衣子さん、キムラ緑子さん、白竜さん…
なんといっても、長澤まさみさんと三浦透子さんのなんてぜいたくな使い方!
でも、そんな名優のおふたりだからこそ出せる、
“撮れ高”のことしか考えてないプロデューサー(ディレクターかな?)の身勝手な感じや、障害のあるアルバイトの陰口に加わる介護士の、加わってるクセに「私言い出しっぺじゃないし」感というか、“余計なパス”出す感じとか…
ストーリーの中の重要なスパイスを演じられるのだと思います。
いったい、事務所にどんな感じでキャスティング依頼をしたのだろう…
ほんのちょこっとだけキャスティングに関わる仕事をしたことがあるだけに、そこがとても気になりました。
もう一つ、私が着目したのは、役所広司さんの方言。
福岡弁うまいなー、と思ってみてたら、長崎のご出身なんですね。
北部九州の県は方言が似通っているので、役所さんにとって福岡弁は、他の地方の方よりかは習得しやすかったかもしれないですね。
どの映画やドラマにも、方言指導の方はいるけど、どうしても出身地以外の方言を使ったセリフって、わざとらしくてウソくさくて、その地方出身者じゃなくても「あ、なんかイントネーション変だな」「違和感あるな」って分かるじゃないですか?
そういうのを見るたびに興ざめするのですが、役所広司さんの福岡弁は、ほぼ完ぺきだったんじゃないかと思います(福岡出身者が言うから間違いない)。
なんなら、福岡出身の橋本環奈ちゃんでさえ、福岡弁が台詞になると変にわざとらしさがでちゃってた(NHK『おむすび』)のに、
方言習得も含めた、役所さんの演技力のすごさを目の当たりにした気がしました。
改めて、本当にみてよかった映画でした。
原作も読んでみようかな、と思ってます。
カッとするたち
正直に生きるのは難しい
元ヤクザの男が出所して、何とか人並みの生活をしようとするが、弱い者がイジメられていたらほっとけない、激情型。自分を制御出来ない。
多分、この男は知的障がい者ではないかと思われる。
どうも上手くいかず、ヤクザの世界に戻ろうともするが、暴対法でヤクザでやっていくのも憚れる。ヤクザの女将さんに真っ当に生きる事を諭される。
手を貸してくれる人もいる。
施設の介護の仕事に就くが、やはりイジメられている人をほっとけない。自分に嘘をついて堪えて堪えてやり過ごそうとするが、部屋に帰って臨終する。
普段、自分達が見て見ぬふりして生きている事をほっとけないんだ。自分に嘘をついて生きている自分と正直に生きる男。
正直に生きるのは難しい。
受刑者が必ずしも「治らない」のではないということ。
「PERFECT DAYS」での役所さんの演技にあまりにも引き込まれてしまっていたため、別の人物を演じている彼を受け止められるかどうかと思って、少しほとぼりを冷ましてからようやく鑑賞しました。結果、やはり彼は素晴らしかった!
主人公の三上は、心優しく、あまりにも「真っ当」であるために生きづらい。
受刑者に対して世間は冷たいし、弱者に対して世間は意地悪だ。
そんな世の中で、何とかして「カタギ」になろうと奮闘する姿に
胸を打たれた数名が、彼の味方をして応援してくれる暖かさも描かれていて
強く心を揺さぶられた。「立ち直る」とは。「世間をわたっていく」とは。
また、母親に対する純粋で無垢な渇望に対しても胸を打たれて涙が滲んだ。
ああいう繊細な演技をやってのける役所さんの素晴らしさにも感動。
「今どき」の世間に対して俯瞰すると、沢山の正しき正義がくじかれてる場面も少なくないのだろう。みんなの心にそれぞれの「正義」があって、正義と正義がかち合って喧嘩になったり戦争になったりする。正しく生きているつもりで、他者を阻害してたりするのに。
様々な思いが交錯して、とても胸が傷んだ。
「すばらしき世界」とは、皮肉を込めてつけられたタイトルなのだなと感じた。
「身分帳」という現存した人を主人公にした小説が原案だとのことで
そちらもぜひ読んでみたいなと思う。
しばらくは、世間とは。正義とは。正しさとは。寛容と不寛容とは。と
ここらへんに関して、深く考えていくことになると思う。いい映画だった。
それでもすばらしき世界はある。
主演の役所広司、助演の仲野大賀、そしてその脇を固める心優しき支援者の皆さんのそれぞれの演技がどれも素晴らしい。
西川美和監督が作り出すさまざまなシーンがとても考えさせられ、そして心をうつ。
今の世は、ヤクザの世界もカタギの世界も、不条理な現実により、どんどん生きにくくなっている。
怒りを暴力でしか表現出来ない人は簡単にスポイルされるだけだ。
しかし、三上の心優しき本質をわかってきた支援者は、三上の更正を信じ、我慢すること、逃げることを教えてくれる。
幼少期に受けるべき愛情を享受出来なかった三上も必死にそれを守る。
介護施設の同僚の心ない障がい者への差別にも、笑顔で同調する姿が辛い。
後半は私も映画館のお客さんも、もう三上に辛いことが起きないでと祈るような気持ちになる。
しかし最期はコスモスの花を握りしめている手と、悲しむ心優しき支援者、そして空、タイトルバックが、。
生きにくいよ、今の世は。それでもすばらしき世界はいつかきっと訪れる。と、信じています。
現代社会について深く考えさせられる作品です
現代社会に生きる我々が少しでもいいからレールを外れた人達に関心を持って寛容な心とちょっとした優しさを見せれば全てが変わる事はなくても救われる人が増えるのではないかと深く考えさせられました。
世間はレールから外れた人達をとことんまで排除し時には「正義」という名の下に自身のストレスを発散する道具にしていますが、そういう事をし続ければ結果的には社会の敵を増やすだけだといい加減に気付くべきなのではないかと思いました。(中にはどこまでも社会に適合できない人達もいるにはいますが、大多数は環境次第で変わっていける部分があるでしょうしね)
役所広司は素晴らしい演技でしたし映画自体もとても良かったですが、星半分減らした理由はラストの内容です。
主人公は刑務所に入り罪を償い出所してから一度は暴力で物事を解決しようとしてしまったものの、その後に少しずつ成長し周囲の人々の事を考え自身の衝動で全てをぶち壊すのではなく社会の不寛容さやしょうもなさをぐっと耐えて生きていこうとしていたのにあのラストは微妙だったように思います。
タイトルとは裏腹の「重々しい世界」
罪を犯してしまった人の立ち直りについては、政府(法務省)も、マスコットキャラクターを作るなど、力を入れています。
「更生ペンギンのホゴちゃんとサラちゃん」がそれで、「立ち直ろうとしている人をいつも温かく見守り、犯罪や非行のない幸せな社会を願う心優しいペンギンです。チャームポイントは胸の「生きるマーク」。更生保護のマスコットキャラクターとして、法務省保護局の公式ツイッターやパンフレットなどの資料に登場したり、各地の“社会を明るくする運動”の行事にも参加するなど、様々な場面で活躍しています。」(法務省ウェブページから引用)
彼・彼女らの更正には、別作品『手紙』(2006年・生野滋朗監督)にも鮮やかな描かれているように、周囲の人々との繋がりと見守りが必要だとは思われるのですけれども。
(そのことは、三上の生活保護の相談に乗っていた市役所の職員・井口からも、図らずも語られたところでした)
しかし、現実は、どうだったのか-。
本作の場合、テレビディレクターの津乃田はともかく、プロデューサーの吉澤は三上の人別帳(の手書きの写し)をネタとして、結局は三上を「取材対象」としてしか見ていなかったようですし、三上の兄弟分の「あきちゃん」こと下稲葉も、渡世人の見栄でしか三上を見ない。
豪勢な料理で三上をもてなすかのように見えても、他に「本業」での用事ができると、何の躊躇もなく三上をさておいて、さっさと出かけてしまう。
(三上には声をかけなかったのは、ようやく出所したばかりの彼をを巻き込みたくないからと弁解したのは、下稲葉の妻が、夫の立場を取り繕っただけだったのだろうという印象が、評論子には捨てきれません。)
むろん、服役のために更新できなかった運転免許証の取り扱いについても、警察は、お世辞にも親身とはいうことができない。
最初は、誤って万引きの嫌疑をかけてしまったスーパーの店長と客という、三上にとっては誠に不本意な間柄ではあったものの、同郷であることが分かり、結果としてはやや親(ちかし)い関係性を築けたといえば、件(くだん)の店長・松本と、最初は取材対象としてしか三上を見ていなかった津乃田が、少しずつながら三上との関係性を築いていったことが、救いといえば救いだったでしょうか。
そう考えると、本作の題名は、かなりの皮肉に満ちみちているというべきだと、評論子は思います。
本作は、評論子が入っている映画サークルが、2017年の年間ベスト作品に選んだ作品でもありました。
犯罪者の社会での更正-その重苦しい現実の一端を見事に浮き彫りにした一本として、その選定に狂いはなく、佳作の評価が相応しい一本だったとも、評論子は思いました。
(追記)
出所にあたって三上は、刑務所の医務官の診察を受けていたはずでしたけれども。
しかし、三上の疾患は、結論から言えば、すっかり見落とされていました。
結局のところ、三上の疾患は、市役所のロビー(?)で倒れたことをきっかけに、救急搬送された病院の検査で判明したようで、そうだとすれば、出所に際しての健康診査で、刑務所の医務官は、何を診ていたのでしょうか。
(問診して血圧を測定する程度の簡単な健康診査だけでは、それも宜(むべ)なるかなとも思いますけれども)
医療体制の面では、その貧弱さが敬遠されてか、医務官(もちろん医師免許が必要)へのなり手が少ないとも聞き及びますけれども。
本作の西川監督は、作品の本筋ではないのではありますが、そんな刑務所の実態にもクギを刺したかったのかも知れないと思いました。
(追記)
お役所の対応は、いわゆる「お役所仕事」として、けんもほろろに描かれがちですけれども。
それでも、本作の市役所職員・井口の対応には、評論子は、感心します。
三上との対応中に、井口に電話がかかってくる。
面倒な対応に困惑する職員は、往々にして、それを口実に接客の場を離れるということが多々ありますけれども。
しかし、本作の井口の対応はどうだったでしょうか。
本当に電話がかかってきたからなのか、同僚職員から声をかけられた井口は振り返るなり「(電話を)折り返します」と端的に切り返して、また三上と正面から向き合っての相談を続ける-。
役所の中では、そこまで一人の対象者に入れ込んでいることを知られるのが憚(はばか)られたのか、わざわざ三上の自宅まで出向いて、介護施設への就職をあっせん。
お役所に、こういう対応のできる職員は、そうは多くはないだろうとも思いました。
(追記)
作中でも、満期釈放になる受刑者の再犯率の高さが津乃田のナレーションて語られていましたけれども。
このままでは、三上も同じ運命を辿るのかと、正直なところ暗澹(あんたん)たる気分で観ていました。
しかし、本作の結末は、また別のところに。
案外、この結末は、結果的には三上にとっては必ずしも不幸な転帰とは言い切れなかったのではないか-評論子は、そんな思いも、どうしても払拭できません。
「暴力では何も解決しない」と言葉では教えられはするものの、その生い立ちから、暴力で問題を解決することしか理解できなかった三上にしてみれば。
(出所者の更生には人と人とのつながりが大切と前記したところではありますが。しかし、人と人との関係か「必要条件」であることは論を俟(ま)たないまでも、ただそれだけで、暴力(犯罪)でしか問題を解決することを知らない本人を果たして(本当に)矯正できるのか―本人の性格や更生に向けた意識・意欲のいかんなど、この問題を解決するための「充分条件」が必ずしも分からないこと。そして、それが出所者の個々人によって区々(まちまち)に異なること―が、この問題の最も難しいところではないでしょうか。)
(追記)
身元引受人の庄司が出所祝い(?)として振る舞ったのは、すき焼きでしたけれども。
ちゃんと牛肉を焼くという料理法でした。
実は、評論子の住む北海道でのすき焼きは、最初からすき焼きダレで牛肉(や野菜)を煮て食べる料理ということにになります。
北海道(旭川)の刑務所で服役していたという三上でしたけれども。
その身元引受人の庄司は、道外(東京?)に住んでいる人だということが、評論子には、すぐに分かりました。
(追記)
刑務所というと、とかく「迷惑施設」と言われがちですけれども。
異常気象の故か、最近は都市防災簿の観点から、その役割が見直されているとも言われます。
建物自体が、無駄に(?)頑丈にできているので被災しづらい/受刑者の運動のため、別作品『塀の中のプレイボール』で「野球ができるほど」という訳でもありませんが、十分に広いグラウンドを備えているので、救援ヘリの発着ポイントとして利用できる/人を閉じ込めておく施設だけあって、災害などで交通が途絶した場合に備えて、最低限の食料がストックされていて、被災者への炊き出しに活用できる。しかも、炊き出しに必要な労働力も豊富にある(おまけに、みんな「通い」ではなく「住み込み」で働いてくれる)
レビュアーの皆様の自宅のお隣にも、いざ災害というときのために、誘致しておいて、ご損はないように思います。
ボロボロ泣いた
なんとも言えない
人を変えるのは他人
我慢の割におもしくない、でも空が広い
役所広司と長澤まさみ、仲野太賀の3世代競演、そして音楽
キービジュアルの印象から何となく観ないでいたが、いざ観てみればよい意味でいつも通りの西川美和監督らしい世界観であった。小さなヤマ場を盛り込みつつ、テンポよく物語は進み、飽きさせられることはない。
人間の多面性・善と悪の同居。特にこの作品ではそれらがごく普通の人々のごく普通の日常の中にあることを感じさせられた。「悪」といっても明らかな悪意ではなく、立場が違えば、あるいは結果として、あるいはそうなるのも無理からぬ、というようなものだ。
小さいけれど、そういったものが積み重なって世の中ができている。時としてそれが生きづらさの原因にもなっている。ざっと総括すればそういう映画だと思う。
演者も実力者揃いで危なげなく観ることができた。
それにしても役所広司、この人は本当に凄い役者である。
元ヤクザらしい激しさと危なっかしさ、世間では通用しない元犯罪者としての無力さ情けなさ、暴力によって敵を制そうとしたとき生き生きとした表情、ありとあらゆる側面・表情をみせながらも主人公「三上」であることにブレが生じることはない。説得力のある存在感。特に強く印象に残ったのは終盤のホームでの談話シーン。グッと怒りを飲み込み周囲に同調するような台詞を吐く場面。その笑顔の中にたくさんの複雑な感情と情報が押し込められているのがわかる。なんという演技力であろうか。改めて彼の力の底の知れなさを感じさせられた。
そして次に印象に残ったのが長澤まさみ。
「Mother」以来社会派の作品を選ぶことが多く演技に幅が出てきたが、この作品では彼女の演技力がまだまだ進化中であると思わされた。登場時間でいえばそれほど長くないにもかかわらず、彼女演じる人物がどのような者かしっかり伝わってきた。特に姿の映る出番としてはラストの仲野太賀とのやり取りのシーンは圧巻であった。「Mother」以来の荒いシーンであったが、明らかに「Mother」を上回る凄味があった。
クレジットでいえば2番手である仲野太賀は彼らしい真摯な演技であったが、
先の二人に比べればまだまだであるということを感じさせられたのは否めない。
長澤まさみと仲野太賀はそこまで年齢もキャリアもそこまで差はないが、長澤はデビューから第一線で揉まれてきて勝ち残ってきただけあり、仲野よりも一段上のステージにいる。
仲野はそれを追う立ち位置である。が、いまはそれでいい。
正直役柄的にもなくても作りようによっては話は回りそうで、仲野太賀を配したいがために作ったのかな、という気がしないでもないのだが、彼が先々西川組に参加していく足がかりのようなものと思えば、今後に期待しかない。
最後に、音楽が林正樹であったことは驚きであった。
ずっと劇伴が良いと思いながら観ていて、
「この感じ物凄く好きだな」「聴いたことある雰囲気だから、他の映画でもよく名前を観るような人に違いない」と考えていたら、まさかの私が今一番気に入っているジャズピアニストの彼であった。
劇伴はジャズ調ではなかったので、とても意外であったとともに、やはり好きなものはわかるものなんだなと自分のアンテナの自信を持ち(自己満ですが)、また、私が好きな西川監督もまた彼の音楽を好きなのだろうと思うとなんとなく嬉しいのである。
処世術とは
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