すばらしき世界のレビュー・感想・評価
全468件中、21~40件目を表示
タイトルとは裏腹の「重々しい世界」
罪を犯してしまった人の立ち直りについては、政府(法務省)も、マスコットキャラクターを作るなど、力を入れています。
「更生ペンギンのホゴちゃんとサラちゃん」がそれで、「立ち直ろうとしている人をいつも温かく見守り、犯罪や非行のない幸せな社会を願う心優しいペンギンです。チャームポイントは胸の「生きるマーク」。更生保護のマスコットキャラクターとして、法務省保護局の公式ツイッターやパンフレットなどの資料に登場したり、各地の“社会を明るくする運動”の行事にも参加するなど、様々な場面で活躍しています。」(法務省ウェブページから引用)
彼・彼女らの更正には、別作品『手紙』(2006年・生野滋朗監督)にも鮮やかな描かれているように、周囲の人々との繋がりと見守りが必要だとは思われるのですけれども。
(そのことは、三上の生活保護の相談に乗っていた市役所の職員・井口からも、図らずも語られたところでした)
しかし、現実は、どうだったのか-。
本作の場合、テレビディレクターの津乃田はともかく、プロデューサーの吉澤は三上の人別帳(の手書きの写し)をネタとして、結局は三上を「取材対象」としてしか見ていなかったようですし、三上の兄弟分の「あきちゃん」こと下稲葉も、渡世人の見栄でしか三上を見ない。
豪勢な料理で三上をもてなすかのように見えても、他に「本業」での用事ができると、何の躊躇もなく三上をさておいて、さっさと出かけてしまう。
(三上には声をかけなかったのは、ようやく出所したばかりの彼をを巻き込みたくないからと弁解したのは、下稲葉の妻が、夫の立場を取り繕っただけだったのだろうという印象が、評論子には捨てきれません。)
むろん、服役のために更新できなかった運転免許証の取り扱いについても、警察は、お世辞にも親身とはいうことができない。
最初は、誤って万引きの嫌疑をかけてしまったスーパーの店長と客という、三上にとっては誠に不本意な間柄ではあったものの、同郷であることが分かり、結果としてはやや親(ちかし)い関係性を築けたといえば、件(くだん)の店長・松本と、最初は取材対象としてしか三上を見ていなかった津乃田が、少しずつながら三上との関係性を築いていったことが、救いといえば救いだったでしょうか。
そう考えると、本作の題名は、かなりの皮肉に満ちみちているというべきだと、評論子は思います。
本作は、評論子が入っている映画サークルが、2017年の年間ベスト作品に選んだ作品でもありました。
犯罪者の社会での更正-その重苦しい現実の一端を見事に浮き彫りにした一本として、その選定に狂いはなく、佳作の評価が相応しい一本だったとも、評論子は思いました。
(追記)
出所にあたって三上は、刑務所の医務官の診察を受けていたはずでしたけれども。
しかし、三上の疾患は、結論から言えば、すっかり見落とされていました。
結局のところ、三上の疾患は、市役所のロビー(?)で倒れたことをきっかけに、救急搬送された病院の検査で判明したようで、そうだとすれば、出所に際しての健康診査で、刑務所の医務官は、何を診ていたのでしょうか。
(問診して血圧を測定する程度の簡単な健康診査だけでは、それも宜(むべ)なるかなとも思いますけれども)
医療体制の面では、その貧弱さが敬遠されてか、医務官(もちろん医師免許が必要)へのなり手が少ないとも聞き及びますけれども。
本作の西川監督は、作品の本筋ではないのではありますが、そんな刑務所の実態にもクギを刺したかったのかも知れないと思いました。
(追記)
お役所の対応は、いわゆる「お役所仕事」として、けんもほろろに描かれがちですけれども。
それでも、本作の市役所職員・井口の対応には、評論子は、感心します。
三上との対応中に、井口に電話がかかってくる。
面倒な対応に困惑する職員は、往々にして、それを口実に接客の場を離れるということが多々ありますけれども。
しかし、本作の井口の対応はどうだったでしょうか。
本当に電話がかかってきたからなのか、同僚職員から声をかけられた井口は振り返るなり「(電話を)折り返します」と端的に切り返して、また三上と正面から向き合っての相談を続ける-。
役所の中では、そこまで一人の対象者に入れ込んでいることを知られるのが憚(はばか)られたのか、わざわざ三上の自宅まで出向いて、介護施設への就職をあっせん。
お役所に、こういう対応のできる職員は、そうは多くはないだろうとも思いました。
(追記)
作中でも、満期釈放になる受刑者の再犯率の高さが津乃田のナレーションて語られていましたけれども。
このままでは、三上も同じ運命を辿るのかと、正直なところ暗澹(あんたん)たる気分で観ていました。
しかし、本作の結末は、また別のところに。
案外、この結末は、結果的には三上にとっては必ずしも不幸な転帰とは言い切れなかったのではないか-評論子は、そんな思いも、どうしても払拭できません。
「暴力では何も解決しない」と言葉では教えられはするものの、その生い立ちから、暴力で問題を解決することしか理解できなかった三上にしてみれば。
(出所者の更生には人と人とのつながりが大切と前記したところではありますが。しかし、人と人との関係か「必要条件」であることは論を俟(ま)たないまでも、ただそれだけで、暴力(犯罪)でしか問題を解決することを知らない本人を果たして(本当に)矯正できるのか―本人の性格や更生に向けた意識・意欲のいかんなど、この問題を解決するための「充分条件」が必ずしも分からないこと。そして、それが出所者の個々人によって区々(まちまち)に異なること―が、この問題の最も難しいところではないでしょうか。)
(追記)
身元引受人の庄司が出所祝い(?)として振る舞ったのは、すき焼きでしたけれども。
ちゃんと牛肉を焼くという料理法でした。
実は、評論子の住む北海道でのすき焼きは、最初からすき焼きダレで牛肉(や野菜)を煮て食べる料理ということにになります。
北海道(旭川)の刑務所で服役していたという三上でしたけれども。
その身元引受人の庄司は、道外(東京?)に住んでいる人だということが、評論子には、すぐに分かりました。
(追記)
刑務所というと、とかく「迷惑施設」と言われがちですけれども。
異常気象の故か、最近は都市防災簿の観点から、その役割が見直されているとも言われます。
建物自体が、無駄に(?)頑丈にできているので被災しづらい/受刑者の運動のため、別作品『塀の中のプレイボール』で「野球ができるほど」という訳でもありませんが、十分に広いグラウンドを備えているので、救援ヘリの発着ポイントとして利用できる/人を閉じ込めておく施設だけあって、災害などで交通が途絶した場合に備えて、最低限の食料がストックされていて、被災者への炊き出しに活用できる。しかも、炊き出しに必要な労働力も豊富にある(おまけに、みんな「通い」ではなく「住み込み」で働いてくれる)
レビュアーの皆様の自宅のお隣にも、いざ災害というときのために、誘致しておいて、ご損はないように思います。
ボロボロ泣いた
なんとも言えない
人を変えるのは他人
我慢の割におもしくない、でも空が広い
役所広司と長澤まさみ、仲野太賀の3世代競演、そして音楽
キービジュアルの印象から何となく観ないでいたが、いざ観てみればよい意味でいつも通りの西川美和監督らしい世界観であった。小さなヤマ場を盛り込みつつ、テンポよく物語は進み、飽きさせられることはない。
人間の多面性・善と悪の同居。特にこの作品ではそれらがごく普通の人々のごく普通の日常の中にあることを感じさせられた。「悪」といっても明らかな悪意ではなく、立場が違えば、あるいは結果として、あるいはそうなるのも無理からぬ、というようなものだ。
小さいけれど、そういったものが積み重なって世の中ができている。時としてそれが生きづらさの原因にもなっている。ざっと総括すればそういう映画だと思う。
演者も実力者揃いで危なげなく観ることができた。
それにしても役所広司、この人は本当に凄い役者である。
元ヤクザらしい激しさと危なっかしさ、世間では通用しない元犯罪者としての無力さ情けなさ、暴力によって敵を制そうとしたとき生き生きとした表情、ありとあらゆる側面・表情をみせながらも主人公「三上」であることにブレが生じることはない。説得力のある存在感。特に強く印象に残ったのは終盤のホームでの談話シーン。グッと怒りを飲み込み周囲に同調するような台詞を吐く場面。その笑顔の中にたくさんの複雑な感情と情報が押し込められているのがわかる。なんという演技力であろうか。改めて彼の力の底の知れなさを感じさせられた。
そして次に印象に残ったのが長澤まさみ。
「Mother」以来社会派の作品を選ぶことが多く演技に幅が出てきたが、この作品では彼女の演技力がまだまだ進化中であると思わされた。登場時間でいえばそれほど長くないにもかかわらず、彼女演じる人物がどのような者かしっかり伝わってきた。特に姿の映る出番としてはラストの仲野太賀とのやり取りのシーンは圧巻であった。「Mother」以来の荒いシーンであったが、明らかに「Mother」を上回る凄味があった。
クレジットでいえば2番手である仲野太賀は彼らしい真摯な演技であったが、
先の二人に比べればまだまだであるということを感じさせられたのは否めない。
長澤まさみと仲野太賀はそこまで年齢もキャリアもそこまで差はないが、長澤はデビューから第一線で揉まれてきて勝ち残ってきただけあり、仲野よりも一段上のステージにいる。
仲野はそれを追う立ち位置である。が、いまはそれでいい。
正直役柄的にもなくても作りようによっては話は回りそうで、仲野太賀を配したいがために作ったのかな、という気がしないでもないのだが、彼が先々西川組に参加していく足がかりのようなものと思えば、今後に期待しかない。
最後に、音楽が林正樹であったことは驚きであった。
ずっと劇伴が良いと思いながら観ていて、
「この感じ物凄く好きだな」「聴いたことある雰囲気だから、他の映画でもよく名前を観るような人に違いない」と考えていたら、まさかの私が今一番気に入っているジャズピアニストの彼であった。
劇伴はジャズ調ではなかったので、とても意外であったとともに、やはり好きなものはわかるものなんだなと自分のアンテナの自信を持ち(自己満ですが)、また、私が好きな西川監督もまた彼の音楽を好きなのだろうと思うとなんとなく嬉しいのである。
処世術とは
タイトルは「イライラおじさんの日常」
うん、よかったと思う、
あえてコメディタッチ
タイトルが秀逸
真っ直ぐすぎる人、一度レールを踏み外した人には生き辛いこの世の中。...
文句なしの傑作
2度目の鑑賞だったが、途中から涙が止まらなかった。
役所光司の圧倒的な存在感はいうまでもないが、登場人物全てがそこに生きていた。
文句なしの傑作。
「社会のレールから外れた人が、今ほど生きづらい世の中ってない。一度間違ったら、死ねというばかりの不寛容がはびこって、だけど、レールの上を歩いてる私たちもちっとも幸福なんて感じてないから、はみ出た人を許せない。」
劇中の長澤まさみのセリフだが、現在の日本の状況、特に匿名性が高いと思われているSNSの状況を考えるに、正鵠を射ているのだろう。
けれど、この映画を観た私たちは感じ取る。
役所光司演じる三上正夫を取り巻く人々が、初めは、「はみ出た人を許さない」眼差しを持っていても、やがては三上のかけがえない応援団になり得ることを。そして、それこそが「すばらしき世界」であることを。
例えば、六角精児演じるスーパーの店長。三上の万引きを疑った彼が、後には三上に罵倒されることがあっても、「三上さん、虫のいどころが悪いんだね」とかわして関係を切らず、三上が介護施設で働くことになったことを聞いて、「すごいじゃない。よかったね」と破顔する。
仲野太賀演じる津乃田も、三上の突発的な暴力性を目の当たりにして、一旦は距離を置くが、一番の理解者になる。
最初は生活保護も渋ろうとしていた北村有起哉演じる福祉課の職員も、介護施設就職への道を開く。
身元引受け人の橋爪功演じる弁護士夫婦は、最初から応援団だが、できることできないことはきちんと分けて、プライベートも守り、適切な距離感を保って無理しない。
そして、三上が頼った白竜演じる義兄弟と、キムラ緑子演じるその妻。ヤクザとして生きることの厳しさを肌で感じている妻の言葉が、胸を打つ。
「シャバは我慢の連続ですよ。我慢のわりに大しておもしろうもなか。やけど空が広いち言いますよ。」
介護施設施設で、不寛容な態度を示す職員も登場する。彼の言うことは、ある側面では正論だろう。けれど、冒頭の長澤まさみのセリフそのものだ。仕事内容の割に、低い報酬や待遇の悪さが透けて見えてくる。
あの映画のシチュエーションの中にいたとしたら、自分は三上の応援団になり得ただろうか。
階下の技能実習生たちと良好な関係を築けただろうか。
介護施設の中で、花に心を寄せるアルバイトの彼の素晴らしさに気がつけただろうか。
観ながら、様々な場面で自問させられたが、同時に、そういう自分でありたいという気持ちに素直にさせられる映画でもあった。
今回、再鑑賞したのは、とあるフォローさんのレビューを拝読して、西川美和監督の「スクリーンが待っている」という本を知ったからだ。
読んでみると、この映画にまつわる話がほとんどだった。読了してから観ると、何気ない一つ一つの場面でも、制作陣全員の本気度と、とても細やかな神経を行き届かせていることが伝わってきた。未読の方には、是非おすすめしたい一冊。
「或る男の一生」を変わった視点で観た感想
ある日、書店で西川美和著「スクリーンが待っている」を見つけ購入して読んだ。この本には、この映画の制作過程が綴られている。この映画のことを綴っているが、監督の考えや、現代日本の映画制作の現場を知る上でも大変面白い本だった。
当然、映画本編も観たいと思って本作を観たわけだが、その制作過程を企画段階から上映後まで知った上で本作を観るという、これまでにない見方をした映画になった(同じような経験をした人、いるだろうか?)。
あらすじは予めわかっている。はじまりも、結末もおおよそ見当がついている。それでも全編まったく飽きること無く観ることができた。各シーン、各シーンにそれぞれ意味が込められており、作り手の思いが凝縮されているということをしみじみと感じることができた。濃密な2時間だった。これは、本を先に読んだからこそ感じられたものだったと思う。
どうして濃密と感じられたか?それは本に詳しいが、監督が膨大な時間をかけて取材し、ときに俳優との真剣勝負のやりとりもしつつ何度も練り直した脚本と、その脚本の世界を、プロフェッショナル達がたった一瞬のカットであっても本物の「画」として撮り、「音」を撮ったということが実感できたからだ。そうした映画制作陣の仕事ぶりを、そこかしこのシーンで感じることができた。
この作品については、上記のような経緯で観たため、制作、撮影、音響、美術、宣伝といった裏方の仕事ぶりに注意が向いてしまったきらいがある。しかし、しかしだ・・・
やはり役所広司は凄いとしか言いようがない。見た目は役所広司なのだが、中身が出る映画の度に入れ替わっている。役所広司の見た目をしているが、もうすっかり全身「三上」なのだ。直情的で単純で不器用なだけに見えるこの主人公の、一筋縄ではいかない過去と心情を全身で表現している。恐縮し、緊張で強ばった目と体。激高して振るう暴力。子供と屈託のない笑顔で遊ぶ姿。泣き崩れる背中。一番星を見つめる目。この男をずっと観ていたい・・・そんな気持ちにさせるのだ。
役所広司だけではない。監督の指名で出演となった仲野大賀。彼の最後の演技で私は泣いてしまった。それまで冷静に観ていたというのに、どうして?
ああ、そうか、彼が演じる津乃田もまた、この三上という男をずっと観ていたい人間だったのだ。原案の作者の佐木隆三もたぶん同じだ。この三上という男には、言い知れぬ魅力があったのかもしれない。
六角精児、橋爪功、梶芽衣子、キムラ緑子、北村有起哉ら、三上を支える役柄の演者も上手かった。いい人すぎる、という意見があるかもしれないが、三上が、そして映画を観た我々が「すばらしき世界」を実感するには必要な役だった、と思いたい。
この映画が心に残った人は、西川監督著「スクリーンが待っている」を読むことをお薦めしたい。映画に出てくる端役についても、知られざる物語があったことを知れる。映画を見る目が変わる本である。
現代のテーゼ
三上が自然過ぎていて難しい
主人公三上という人物をそのまま描いた作品だと思う。
彼のアイデンティティは「身分帳」に記載されている、いわゆる前科者。
TV局は彼のドキュメンタリーを試みるものの、TVでは流すことのできない暴力を起こす彼に、企画中止せざるを得ない。
三上にとってこの世界はすべてが思い通りにならない。
免許証も市役所も騒音も買い物も…
努力はしている。しかし、いつも決まって問題が起きる。
最後はやはりヤクザ。
仲間を頼って九州に。しかしヤクザも生きていけない世界になっていた。
警察によるガサいれと、姐さんの指示でそこを去った。
何をしてもうまくいかないし生きずらい。
TV局から依頼されたツノダは、企画がお蔵入りになって仕事を失ったが、三上のことを本にして出版したいと考えた。
彼は三上の母の情報を手繰り寄せるが、結局母の行方は分からないままだ。
三上が子供たちと一緒にサッカーを楽しんだ後、泣き崩れたのはなぜだろう?
幼い頃の無邪気さを思い出したからなのか?
両親のいない子供たちに自分を重ね合わせたからか?
子供たちが腐っていなかったうれしさからか?
母に捨てられたという事実を受け入れるしかないとわかったからか?
それとも、それらすべてから母との別れを心に決めたからなのだろうか?
このTV局による一連の動きがこの作品の流れになっている。
やがて就職が決まる。
そしてすぐにかっとなる自分を戒めることに初めて成功する。
再び襲ってくる衝動にも耐えると、そのきっかけとなった障害者からコスモスの花束を分けてもらった。
元妻からの電話 「今度デートしようよ」
ようやく回り始めたこの世界での歯車… 三上のこみあげてくるような喜びを感じることができる。
白い目、すぐに問題にぶつかる。どうにもなじめない世界の中でも手を貸してくれる人々がいる。必死で葛藤しながらようやく見出せた素晴らしさ。
コスモスの花束を握りしめた三上は、きっと美しい三途の川を渡ったのだろう。
彼にとっては居心地の悪いと思っていたこの世界で、ようやく見つけた素晴らしさに気づけただけで十分な人生だったのかもしれない。
そして「あちら」には、ずっと探していた母がいたのかもしれない。
三上の些細な気づきと喜びは一瞬だった。彼の死と泣いてくれる人々。カメラはそのまま空へと向いてタイトルが流れる。
「すばらしき世界」 わかろうと思えばわからなくもないが、難しい。
そこに『素晴らしき世界は』あるのか
『ゆれる』や『ディア・ドクター』の西川美和、人間をどこか冷めた目で見てきた監督である。この映画、一筋縄では収まらない予感はした。役所広司が怪演するこの主人公を、真面目なのか馬鹿なのか、状況によって豹変する短絡的な人物として映し出す。13年の刑期を終えて出所したこの男もまた、社会に同化して生きてゆくにはあまりにも不器用すぎるのである。彼の周囲には、身元引受人として何くれとなく面倒を見てくれる弁護士や、生活保護や仕事の世話をしてくれる役所のケースワーカー、なぜか親身になってくれる地元スーパーの店長など、一人で頑張って生きていかなければならない一般の社会人から見ればあきれるくらい「恵まれた」環境がそこにある。それが犯罪者の社会復帰を手助けする社会構造のあり方か。まったく「素晴らしき世界」の中に彼はいる。それなのにこの元殺人犯は社会に同化することができないのだ。
映画はこの男の成れの果てをただ冷徹に提示してみせる。それはただ単に身から出たサビ、すべては自業自得、といっているようにも見える。刑期を終えた犯罪者が社会に同化できない世間の在り方を指弾するものでもない。ただただ道を誤った人間の、寄る辺なき姿を露わにして見せるばかりなのだ。監督西川美和の、人を見つめる鋭利なまなざしがここにある。
現代社会のリアル
全468件中、21~40件目を表示