すばらしき世界のレビュー・感想・評価
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「娑婆は我慢ばっかりで、我慢したって何もいいことない。けれど空が広...
あっという間の2時間
優しさ+残忍さ=我らが"すばらしき世界"
やはり西川監督の作品は 生々しい
粗暴さから 社会に馴染めず弾かれ
しかし 人の優しさに救われ
自身の正義を曲げて 残忍な市民に同調することで
社会に馴染んで行く
なんと"すばらしき世界"
嗚呼 我らの"すばらしき世界"
劇中 悪意のある人物が 障害者のモノマネをして
周囲を笑わせるシーンがある
そのシーンの時 劇場内の観客の一部がクスクスと笑っていた
あの衝撃と絶望は 今後忘れられないだろう
嗚呼 この世はなんと"すばらしき世界"か
だけじゃない『すばらしき世界』
『ヤクザと家族』にない"社会側への問い"を我々に突き付ける、優しく鋭い傑作
『ヤクザと家族』がハマらなかった私の理由を突く、"社会と犯罪者"を鋭く描いた作品。社会で生きることを望んでいても、レッテルが阻む。そんな中でもがく男の、優しい物語。
元殺人犯の三上は、昔から刑務所にお世話になってきた経歴を持つ。今度ばかりは堅気ぞと括り、社会へと踏み出そうとするが、前途多難。反社のレッテルが剥がれることはなく、世間の受け皿はないに等しい。そんな彼を追うことになったのが、津野田。退職し小説家を志すも、吉澤のパシリのように仕事を頼まれ密着する。序盤はドキュメンタリーのように、三上の人物像を浮かばせる。母を知らず、愛を知らず、仇を取ることでしか手段を知らず。そんな彼に、暖かな人々が手を伸ばす。向き合うべき事に向かわせることしかできないが、実際に主観的になったら、そうなるのだろう。じっくり時間をかけ、解いてゆくしかない。さて、前述した、「『ヤクザと家族』がハマらなかった私の理由を突く」理由はなんだったのかをここで記す。それは、社会が起こすべき態度を描くことで、我々が受け皿として機能することの必然と難しさを同時に描いているかの違いだ。彼らの生き方を抑圧したところで、一般社会がどうあるべきなのかは指南されない。よって、煙たがっては排除する。その葛藤と変化を綴っていたことが、何より作品の暖かみを作っている。そして、我々以上に社会復帰が難しいという現実を突き付けている。
彼にとって、すばらしき世界だったのか。それを問われるのは、我々。生きやすい社会など、端からあるのか。差別や分断は個々人のレベルですら起こるのだから、ますます難しい。何年かけても解けにくい課題を社会に問う、優しく鋭いタッチの傑作だった。
どれだけ世界とつながっていられるか
前半は少しコミカルなタッチで、しかし後半にかけてどんどん引き込まれるシーンの連続だった。介護施設でのシーン、介護士の服部と障害を持っているであろう阿部のやり取りを、主人公三上が見つめる。そのあとのシーンも含めて最高のシークエンスだと感じた。
パンフレットに付属する脚本には上記シーンで「社会に適応するために、人間性を、捻じ曲げた」と書かれている。それまでの三上は自分の目から見た世界、主観的な世界だけを世界と認識して生きてきたのだと思う。彼の正義は一方通行で、ある意味身勝手なものである。「お前らみたいな卑怯な連中に混じるくらいなら死んで結構たい。」三上の言葉にはなぜ「お前ら」が「卑怯な」行動をとるのかに対する思慮がない。それは「お前ら(=我々)」が「弱い」からであるが、「強い」人間である三上はその弱さに対する配慮がない。彼は強くなるために、生きるために、弱い人間、つまり過去の自分を否定し続けなければならなかった。彼が歩んできた人生が、彼の視野をより狭く、より強固にしてしまったことが、一つ一つのカットから読み取れる。三上を「強くならざるを得ない存在」に育て、かつ、「弱い者」への配慮を徹底的に欠く存在に仕立てたのは、まぎれもなく彼の幼少期の環境だろう。津乃田の目に映る、母を求めて泣き叫ぶしかない男の子はまさに三上自身だった。男の子は母親によって見つけられたが、三上は母に迎えに来てもらえなかった。そんな男の子が、三上のような強く悲しい男にるしかなかった人生を想像させる、秀逸なカットだった。
原作のタイトルである『身分帳』も、我々、つまり三上にとっての世界が一方的に彼を見たものの象徴である。彼がなぜそうなったか、なぜそのような行動をとるのかへの思慮はない。表面的に切り取られた殺人犯三上という人間がそこには描かれている。それは一方的で、身勝手な見方である。観客の目線を代表する津乃田も、始めはその見方しかできない。彼もまた三上を一方的に切り取り、はじめはその存在に恐怖し逃げ出す。しかし「あんたみたいなのがいっちばん何にも救わないのよ」と言われながらも、結局は逃げずに三上に寄り添う。それは彼が「何も救えない弱い人間」だからであり、だからこそ三上の弱さに寄り添えたのだろう。三上は津乃田という「弱い人間」に寄り添われて、自身の弱さと向き合っていく。彼がシュートを決めた男の子を抱きしめ嗚咽するシーンは「弱さを受けいれる」シーンだと、私は解釈した。
そして介護施設でのあのシーン彼の人間性は、イメージの中で服部を殴りつけたように変わっていない部分もある。だから「人間性を捻じ曲げる」という表現は正しい。しかし私にはあのシーンは、人の弱さに気づき、本当に強い人間となった三上の、弱い人間たちへの配慮のように見えた。服部もまた弱く、阿部もまた弱い。障害を持つ阿部を嘲笑する服部の「似てるでしょ」に、「……似てますかね」と頬を震わせながらひきつった笑顔を見せる。一方的に身勝手に押し付けるのではなく、相手に問いかける。真に強い人間の態度だと感じた。
登場する登場人物が、どれも強さと弱さを抱えたキャラクターとして描かれている。その人々作り出す良いも悪いもないまぜになったこの現実こそ「すばらしき世界」なのだろう。このすばらしき世界で私も懸命に生きなければならない。
西川監督もおっしゃっていたが、切り札役所広司のあまりのジョーカーっぷりにマイナス0.5させていただきます。
すばらしきまま彼は旅立つ
緊急事態宣言で20時で終わる映画館は
やっぱり行きづらいもんでなかなか時間作れませんでしたが
やっと観賞
殺人罪で13年服役して社会に放り出された元ヤクザ
三上正夫が自分の立場から娑婆の生きづらさに
直面しながらも生きる意味や生きる誇りを
探しながら覚悟を見つけていく物語
まず役所広司の手のうちに入れた演技が絶妙
シナリオ自体はそんなにややこしくなく
序盤から描写される三上の異常な高血圧と
いった描写からああ最後は死ぬんだなと
想像できますが三上のそれなりに社交性もあり
整理整頓や細かな仕事も刑務所で身に着けては
いるものの曲がったことが嫌いで
短気な性格とどこか暴力に対する意識が
希薄なままのキャラクターがすぐ
理解できるので移入度はなかなかのもの
そんな彼の周りには最初は色眼鏡で見たりした
ものの徐々に三上の屈託のなさに絆されて
彼を支援していく人々が増えていく様子が
さながらファンタジーに見えてしまいますが
娑婆の我々も見ている世界がそんなに奇麗なわけでは
ないことに気が付きます
そんな三上に目を付けたテレビマンが
しがない小説家志望の津乃田に彼の生い立ちを
記した身分帳の写しを送り付け取材させ
ドキュメントに仕立てようとします
しかし津乃田はその書類から三上に興味を持ち
その性格の問題点にも触れていき
三上を糾弾してしまいます
…この津乃田のキャラクターがちょっと弱い?
彼が身分帳から三上の複雑な生い立ちに
興味を持った感じはわかりますが
津乃田自身の生い立ちなどと
どう相関があるのかという描写が
ないため突然三上に協力的になったように
見えるご都合的展開にも感じる部分がありました
印象的だったのは一時的に頼った福岡の
旧友ヤクザの姐さん
もうヤクザではやっていけないことや
三上のもう堅気になる道を選ぶよう進めて
警察沙汰から逃がす場面は涙を誘います
こんな優しい人たちが本当にいるのかは
わかりませんが他人でもより良い内面を知る
機会があればこれくらい優しくすることは
出来るのかもしれませんね
なかなか他人の内面をそこまで理解する
機会やスキルが失われている現実が
あまり関わろうとしない社会を生んでいる
のかもしれません
少しでもいいことをしようとする人がいると
偽善問う言葉が口を突いて出てきてしまう人
けっこういますよね
友人にも生活保護課の公務員やってる人が
いますがなんでも申請を断りたいわけではなく
今は仕方がないが仕事に復帰したいという意欲を
持った人が来ると全力で応援してあげる気持ちは
持っている(けどなかなかそういう人がいない)
と言っていました
結局自分の持っているやさしさを食い物にされる
のが怖いという部分もありますよね
でもそういう気持ちを前面に出せたら
この映画のような人々がすばらしき世界を
作ることができるかもしれません
三上は幸せの最高潮で逝きましたがそれが
幸せなのかかわいそうだったのか
観る人で色々と変化のある映画だったと思います
観てよかったです
西川美和監督、ベテランの域
下界の空は確かに広い。
人生の大半を塀の中で過ごしたヤクザで元殺人犯の三上。今度こそカタギになると胸に誓い現代社会の中に居場所を作ろうともがく。
そんな三上を利用して番組を作ろうと画策し近寄るTVプロデューサーとディレクターの津乃田。津乃田が覗くカメラに映るまるで子供のように笑顔ではしゃぐ三上。その一方で生き生きとした表情で血生臭い狂気を見せる。突然キレる暴力性と弱者を守ろうとする徹底した正義感。そのバランスがコントロールできない。故に自らの罪に対する罪悪感は皆無。
三上の根底にある優しさを察し彼の自立をサポートしようとする周囲。世間は前科者に甘くない。どうしたって色眼鏡で見られてしまう。それでも耐えて見て見ぬふりをしながら生きてゆくしかない。それが現代社会なのだから。それができなければ彼らの帰る場所は1つしかない。
役所広司だから表現できた三上というキャラクター。そして何より仲野太賀が大健闘!めっちゃ良かった。アパートでケーキを囲むシーンやこども園で三上を見つめる表情が印象的。そしてキムラ緑子さんがこれまた最高だった。
三上という男のなんて憐れで滑稽な人生。それでも彼の元に集った人達の無償の優しさが本物だったことは疑いようもない。下界の空は確かに広い。三上にとってこの世界が素晴らしきものだったかどうか。この社会を生きる一人一人にとってはどうか。今、問いかけられている。
自由で不自由なこの……
刑務所から出てきた元ヤクザの三上の、社会復帰を切り取った物語。主演の三上には役所広司。直情的で子供の頃から家庭に恵まれず、道を外して生きてきた初老の九州男児。
彼に感情移入できるかといえば、なかなか難しい。自分だけの正義を振りかざし、その一点だけで他者を受け入れ無い奴は好きになれない。そんな嫌悪感もいだきながら画面を追うのだけど、それも含めて西川監督の思惑にハマっていくわけだ。
役所広司の演技はもちろん抜群だ。出所して社会復帰を目指すが、性根では何も変わっていない。時折悪たれる姿はとても"憎めない"で済まされる人柄では無い。憎めない悪い奴とか、ヤクザとかいう単純な話ではなく、裏家業で育ってきた、普通の人では無いという異質感を表現できる役者は、そうそういないだろう。
テレビの取材対象として、三上と関わるライターの津乃田(仲野太賀)。当初彼の見せる暴力性に引くが、逆に興味は増してつきあいを深め、心底彼を心配するようになる。作家を目指す貧乏青年。いかにも普通の人物だ。津乃田をはじめとして、三上を応援する周りの面々が、組み上がった城の石垣のように、ガッチリと配置される。
最初は色眼鏡で三上の万引きを疑うスーパーの店主に六角精児、身元引受人の弁護士夫妻に橋爪功と梶芽衣子、津乃田に三上への取材をそそのかすテレビ局員に長澤まさみ、市役所のケースワーカーに北村有起哉など。見ていて安心感しかない。
彼らが普通であればあるほど、そうなれない三上の苛立ちや悪しき所が目立つ。直情的で堪え性の無いところが特に。見ているうちに「それじゃ社会では通用しないよ」という言葉が観ている自分の中で繰り返されるが、そんなしたり顔の大人が言うような言葉に、嫌悪感が生まれる。努力しなければ、なれない普通とはなんだろう。
ラストシーンは、今年一番。ヤクザものの社会復帰という物語を鏡にして、そこに投影された普通の人が自由で不自由なこの「すばらしき世界」って、皮肉な声が響いているように感じた。
地味だけど、味のある作品
殺人→13年の刑期を終えて出所→その後社会にどう馴染んでいくかをテーマにした作品。
元ヤクザだけにいい意味だと曲がったことは許せないし、気に入らないとケンカ張りに対応してしまい後悔することもありながら、元受刑者への世間の冷たさを痛感していく。
そこに興味半分で近づいてきたTV製作者がさらに怒りを買うような対応をしていく。
ヤクザに戻ってしまうのか、なんとか周りの応援によって社会復帰できるのか、という地味な内容とも言えるが、これはセリフの微妙な心境の変化を見ていく、感じていく作品である。
・13年も刑務所にいて刑務所での規律・ヤクザの喧嘩っ早い様子
・公衆電話しか連絡方法がないし、就活しても出所者には冷たい現実を知る様子
・スーパーや老人ホームで理不尽な状況に出くわしてもグッと呑み込んで不器用な笑いでやり過ごす
・スーパー店長がだんだん真っすぐな正夫に魅かれていく
・フリーのディレクターが商業ベースで行方不明の母親を探し、更生していく様子を撮っていこうとするも、次第に正夫の真っすぐな人間性に魅かれ、小説家として人間としての正夫を題材にして書こうと決意し、人間同士の心の通った交流をしていく
・役所の生活保護の課の人が適当にあしらっていたのが熱心に質問しに来たりそれと同じ熱量で資格取得しようとする姿に親身になっていく
ざっと挙げたが、それぞれの登場人物の発していく言葉のちょっとした変化や語尾で、心境の変化を読み取っていく作品で、地味だと思われるがとても奥が深い。説明臭くなく、説明を会話や表情で読み取っていくのは疲れる作業でもあるが、その疲れが涙となって洗い落としてくれる。
ラストのシーンが何よりも正夫に関わった人たちの本心があらわれている。
ヤクザには生きにくい世の中なんですね。
本を読まずに鑑賞。
三上さんの真っ直ぐなところ、切れやすいところ、バカ正直で言葉に引っかかり自爆するところ、そのくせ妙に文章をきっちり読んで理解力が高かったり、自分の身分帳を開示請求かけて写筆したり、差が激しい。ひょっとして障害があるのかぁと感じました。劇中でも似たような事を示唆する場面がありました。
ストーリーは、明るく、軽く進んでいきます。重いシーンもあぁ…と思いながらも受け入れることが出来ました。いろいろ考えること・思うことが多い作品、脚色があるにしても実話を元にしているだけあって共感を得やすかったです。比べると、ヤクザと家族はエンタメ性が高かったですね。
ラストはグッときました。
泣いてくれる人、駆けつけてくれる人が出来てよかったね、三上さん。
役所広司はやっぱり凄い。
受刑者が刑期を終えてから社会に戻る話です。
役所広司さんの演技が本当に凄いです。
役所さんの演技に共演者の皆さんが引っ張られていっています。
登場人物のそれぞれの立場がリアルに描かれており、都合よく奇跡のようなことは起きません。
そのリアルさがこの映画の良さを際立たせています。
126分の上映時間はあっという間に過ぎました。
なぜ「すばらしき世界」この名前にしたのか、分かりませんでした。
もう一度みて確認してみようと思います。
皆さんもぜひ見てください。
素晴らしい映画でした。
すばらしき世界とは?を考えさせる映画
真に素晴らしき映画(ヤクザと家族のネタバレも有り)
【はじめに】
以下すばらしき世界の最初から最後の結末までネタバレされています。
元ヤクザの男が社会に復帰する様子を追うこの作品は「ヤクザと家族“第二部”」と扱うテーマが酷似している。
この2つの作品がほとんど同時期に公開されたのは運命の悪戯というべきかなんというべきか。
しかし、この二つの作品には当然ながら違う対立している部分もある。
そこを比較しながら書いていきたいのでヤクザと家族のレビューもぜひ参考にして欲しい。
まず、大きく違うのは主人公である。
ヤクザと家族ではヤクザの世界に入るきっかけから描かれていて、主人公に感情移入するように作られている。
そのため、我々観客はなぜ賢坊が社会復帰出来ないのかと周りの社会にヤキモキする。
一方で、すばらしき世界は、刑務所を出所してからの話で基本は三上目線で進むものの途中で取材が入る。津乃田の目線である。なぜかわからないが僕はこの津乃田の目線で物語を見た。
つまり、なぜ三上が更生して社会復帰しないのかと思った。三上に対してやきもきした。
これはなぜだろうか。
一つは冒頭の刑務所のシーンにあると思う。
僕は三上が刑務所で反省して社会復帰するまでの物語なのだろうと観る前は思っていた。
だから、冒頭の刑務所で刑務官に対して三上が「判決を今でも不当だと思っている」という言葉、さらにはお世話になった刑務官への言動の端々から「あ、三上は反省してないんだな」と感じたのだ。
だからこそ、三上がキレるとなんでそうなるんだよと三上に対して思うのだ。
そして、次に違うのは周囲の人々である。
ヤクザと家族では、賢坊は組を抜けても社会の人々から徹底的に煙たがられる。
誰からも手を差し伸べてもらえない。
仲良くしてくれる人もヤクザ時代からの馴染みの面々ばかりである。
対して、すばらしき世界には三上に対して救いの手を差し伸べてくれる人達がいる。
身元引き受け人の夫婦、生活保護を支給している役所の窓口の人、近所の行きつけのスーパーの店長、そして、津乃田。
途中まではこの世界はすばらしい世界だった。
元ヤクザでも関係なく仲良くして、親身になってくれる。
なのに、肝心の三上が聞き入れない。
引き受け人の夫婦や役所の人には甘えて、店長や津乃田の意見で自分の都合の悪いことには耳を貸さない。
これも相まって三上にやきもきするのだ。
考えてみれば不思議な話である。
ヤクザと家族の賢坊は組の抗争でアニキの罪を被ったとはいえ、刑務所に入所し、出所した後もそのままヤクザ稼業を続けようとしていた。
そして、経営が立ち行かなくなり組を抜けて社会に溶け込もうとした。
いわば、自分の意思ではなく周りの状況によって社会に出るのだ。
三上は、妻を庇って突入してきたヤクザものを刀で斬りつけた。元々の事件も三上の方が襲われているのである。
そして、刑期を満了して出てきて今度こそは堅気になろうと社会に出ようとする。
いわば、自分の意思で社会に出ようとしている。
しかし、僕は賢坊を応援して、三上に対して怒りに似た感情を覚える。
見せ方ひとつでここまで変わるとは、映画とは面白いものである。
話を元に戻そう。
兎にも角にも自分達に手を差し伸べてくれる人と衝突を繰り返した三上は福岡のヤクザの兄貴分に連絡してしまう。
ここがターニングポイントだった。
到着した福岡で女将さんから組の実情を知らされて、さらには警察による下稲葉組の検挙、女将さんの諌めもあって完全にヤクザに戻る前になんとか逃げる。
そして、自分が入っていた施設に津乃田と共に行き自分のルーツを探る。
この施設で自分のルーツを探ったことによって完全に更生(というと言い方が多少傲慢だが、ようは堅気になろうという本気度が上がった。)
ここから物語は明るい方へと向かっていく。
就職が決まるのだ。
これによって社会に一歩踏み出すのだ。
その壮行会ともいうべきお祝いの席にて三上は大事なことを教わる。
「辛抱が大事だ。人が辛い目に遭っていても自分のことを第一に考えて逃げろ。逃げる事は悪い事じゃない“勇気ある撤退”とも言える」(要約)
と。
ここまでは真にすばらしい世界だった。
三上が見上げる空は希望に満ち溢れていた。
ここで終われば後味の良い更生することの難しさを描いた作品になっていたのだろう。
実際ここまでは僕も“更生”がテーマだと思っていた。
このすばらしい世界で更生するむずかしさを問うたのだろう。
ヤクザと家族がヤクザの社会復帰に対する問題提起だとしたら、この映画は一つのモデルケースを描いて見せたのではないか。
さて、社会復帰を誓った三上だが、早速試練が訪れる。
職場で暴力が振るわれてる現場を目撃するのだ。
以前の三上ならば、焼肉屋の帰り道のように襲いかかって暴力を振るったかもしれない。
しかし、三上は踏みとどまる。
そばにあったモップを手に取ったが、踏みとどまる。
こういう時に逃げること、見て見ぬ振りをすることが社会復帰への道だと信じて、耐える、カッとなって上がってくる血圧を抑えながら、苦しみながら、血圧を下げる薬を飲みながら、耐える。ひたすらに耐える。
三上は、耐えた。
しかし、そんな三上に第二の試練が襲いかかる。
中で縫い物をしていると先程いじめていた職員が戻ってきていじめられていた人の悪口を言い始めるのだ。
そして、いじめられていた人をおちょくるようなモノマネをして三上に聞くのだ
「似てますよね??」
なんという試練か。(無論職員には試練を与えている意思はないが)
三上は裁ち鋏が目に入りながらグッと堪えて笑顔でこう言う。
「似てますね」
三上は社会に入った。
しかし、その後いじめられていた職員の優しさに触れる。
そして、その嵐の晩だろうか、三上は死ぬ。
自殺か病死か死因は明確には示されない。
三上の死に場所に駆けつけた津乃田達がアパートの前で悲嘆に暮れる中空が映し出されて子供の笑い声が聞こえる。
なるほど、真に“素晴らしき”世界である。
この余韻がとてつもない。
ラスト30分足らずでのタイトルの意味のどんでん返しがとてつもない。
よく邦画の宣伝文句で「ラスト〇〇分のどんでん返しを見逃すな!」というのがあるが、この映画の前ではどんなどんでん返しも霞むのではなかろうかと感じた。
更に宣伝でも上手だなと思うのは、予告編では出所した三上を吉澤と津乃田が取材するという筋のみを出していてメインを三上、吉澤、津乃田、の三人だと思わせていた事。
実際には吉澤はこの話にはほとんど関わらない。
津乃田と三上を出会わせるくらいしか役割がない。
実はこの話の主人公は三上とその周囲の手を差し伸べる人々だったのだ。
その上で、役者陣の演技がとてつもない。
役所広司さんは、まさに人間国宝級。
生まれつき短気な人物を前半で演じきったからこそ、施設でのシーンが映えるし、就職先でじっと耐える姿が胸にくる。
そして、津乃田を演じた太賀さんが役所広司さんと比べても見劣りのしない出来で、最後の最後のシーンは太賀さんの演技で泣いた。
橋爪さん、六角さん、北村さんと周りも手揃い。
特に北村さんはヤクザと家族では若頭を演じながらこちらでは元ヤクザに手を差し伸べる役所の人役を演じていて、その演じ分けの綺麗さ、見事。
ぜひ映画館で見て欲しい傑作だった。
振り子のように問いかけられる
善とは、悪とは、
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