すばらしき世界のレビュー・感想・評価
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真に素晴らしき映画(ヤクザと家族のネタバレも有り)
【はじめに】
以下すばらしき世界の最初から最後の結末までネタバレされています。
元ヤクザの男が社会に復帰する様子を追うこの作品は「ヤクザと家族“第二部”」と扱うテーマが酷似している。
この2つの作品がほとんど同時期に公開されたのは運命の悪戯というべきかなんというべきか。
しかし、この二つの作品には当然ながら違う対立している部分もある。
そこを比較しながら書いていきたいのでヤクザと家族のレビューもぜひ参考にして欲しい。
まず、大きく違うのは主人公である。
ヤクザと家族ではヤクザの世界に入るきっかけから描かれていて、主人公に感情移入するように作られている。
そのため、我々観客はなぜ賢坊が社会復帰出来ないのかと周りの社会にヤキモキする。
一方で、すばらしき世界は、刑務所を出所してからの話で基本は三上目線で進むものの途中で取材が入る。津乃田の目線である。なぜかわからないが僕はこの津乃田の目線で物語を見た。
つまり、なぜ三上が更生して社会復帰しないのかと思った。三上に対してやきもきした。
これはなぜだろうか。
一つは冒頭の刑務所のシーンにあると思う。
僕は三上が刑務所で反省して社会復帰するまでの物語なのだろうと観る前は思っていた。
だから、冒頭の刑務所で刑務官に対して三上が「判決を今でも不当だと思っている」という言葉、さらにはお世話になった刑務官への言動の端々から「あ、三上は反省してないんだな」と感じたのだ。
だからこそ、三上がキレるとなんでそうなるんだよと三上に対して思うのだ。
そして、次に違うのは周囲の人々である。
ヤクザと家族では、賢坊は組を抜けても社会の人々から徹底的に煙たがられる。
誰からも手を差し伸べてもらえない。
仲良くしてくれる人もヤクザ時代からの馴染みの面々ばかりである。
対して、すばらしき世界には三上に対して救いの手を差し伸べてくれる人達がいる。
身元引き受け人の夫婦、生活保護を支給している役所の窓口の人、近所の行きつけのスーパーの店長、そして、津乃田。
途中まではこの世界はすばらしい世界だった。
元ヤクザでも関係なく仲良くして、親身になってくれる。
なのに、肝心の三上が聞き入れない。
引き受け人の夫婦や役所の人には甘えて、店長や津乃田の意見で自分の都合の悪いことには耳を貸さない。
これも相まって三上にやきもきするのだ。
考えてみれば不思議な話である。
ヤクザと家族の賢坊は組の抗争でアニキの罪を被ったとはいえ、刑務所に入所し、出所した後もそのままヤクザ稼業を続けようとしていた。
そして、経営が立ち行かなくなり組を抜けて社会に溶け込もうとした。
いわば、自分の意思ではなく周りの状況によって社会に出るのだ。
三上は、妻を庇って突入してきたヤクザものを刀で斬りつけた。元々の事件も三上の方が襲われているのである。
そして、刑期を満了して出てきて今度こそは堅気になろうと社会に出ようとする。
いわば、自分の意思で社会に出ようとしている。
しかし、僕は賢坊を応援して、三上に対して怒りに似た感情を覚える。
見せ方ひとつでここまで変わるとは、映画とは面白いものである。
話を元に戻そう。
兎にも角にも自分達に手を差し伸べてくれる人と衝突を繰り返した三上は福岡のヤクザの兄貴分に連絡してしまう。
ここがターニングポイントだった。
到着した福岡で女将さんから組の実情を知らされて、さらには警察による下稲葉組の検挙、女将さんの諌めもあって完全にヤクザに戻る前になんとか逃げる。
そして、自分が入っていた施設に津乃田と共に行き自分のルーツを探る。
この施設で自分のルーツを探ったことによって完全に更生(というと言い方が多少傲慢だが、ようは堅気になろうという本気度が上がった。)
ここから物語は明るい方へと向かっていく。
就職が決まるのだ。
これによって社会に一歩踏み出すのだ。
その壮行会ともいうべきお祝いの席にて三上は大事なことを教わる。
「辛抱が大事だ。人が辛い目に遭っていても自分のことを第一に考えて逃げろ。逃げる事は悪い事じゃない“勇気ある撤退”とも言える」(要約)
と。
ここまでは真にすばらしい世界だった。
三上が見上げる空は希望に満ち溢れていた。
ここで終われば後味の良い更生することの難しさを描いた作品になっていたのだろう。
実際ここまでは僕も“更生”がテーマだと思っていた。
このすばらしい世界で更生するむずかしさを問うたのだろう。
ヤクザと家族がヤクザの社会復帰に対する問題提起だとしたら、この映画は一つのモデルケースを描いて見せたのではないか。
さて、社会復帰を誓った三上だが、早速試練が訪れる。
職場で暴力が振るわれてる現場を目撃するのだ。
以前の三上ならば、焼肉屋の帰り道のように襲いかかって暴力を振るったかもしれない。
しかし、三上は踏みとどまる。
そばにあったモップを手に取ったが、踏みとどまる。
こういう時に逃げること、見て見ぬ振りをすることが社会復帰への道だと信じて、耐える、カッとなって上がってくる血圧を抑えながら、苦しみながら、血圧を下げる薬を飲みながら、耐える。ひたすらに耐える。
三上は、耐えた。
しかし、そんな三上に第二の試練が襲いかかる。
中で縫い物をしていると先程いじめていた職員が戻ってきていじめられていた人の悪口を言い始めるのだ。
そして、いじめられていた人をおちょくるようなモノマネをして三上に聞くのだ
「似てますよね??」
なんという試練か。(無論職員には試練を与えている意思はないが)
三上は裁ち鋏が目に入りながらグッと堪えて笑顔でこう言う。
「似てますね」
三上は社会に入った。
しかし、その後いじめられていた職員の優しさに触れる。
そして、その嵐の晩だろうか、三上は死ぬ。
自殺か病死か死因は明確には示されない。
三上の死に場所に駆けつけた津乃田達がアパートの前で悲嘆に暮れる中空が映し出されて子供の笑い声が聞こえる。
なるほど、真に“素晴らしき”世界である。
この余韻がとてつもない。
ラスト30分足らずでのタイトルの意味のどんでん返しがとてつもない。
よく邦画の宣伝文句で「ラスト〇〇分のどんでん返しを見逃すな!」というのがあるが、この映画の前ではどんなどんでん返しも霞むのではなかろうかと感じた。
更に宣伝でも上手だなと思うのは、予告編では出所した三上を吉澤と津乃田が取材するという筋のみを出していてメインを三上、吉澤、津乃田、の三人だと思わせていた事。
実際には吉澤はこの話にはほとんど関わらない。
津乃田と三上を出会わせるくらいしか役割がない。
実はこの話の主人公は三上とその周囲の手を差し伸べる人々だったのだ。
その上で、役者陣の演技がとてつもない。
役所広司さんは、まさに人間国宝級。
生まれつき短気な人物を前半で演じきったからこそ、施設でのシーンが映えるし、就職先でじっと耐える姿が胸にくる。
そして、津乃田を演じた太賀さんが役所広司さんと比べても見劣りのしない出来で、最後の最後のシーンは太賀さんの演技で泣いた。
橋爪さん、六角さん、北村さんと周りも手揃い。
特に北村さんはヤクザと家族では若頭を演じながらこちらでは元ヤクザに手を差し伸べる役所の人役を演じていて、その演じ分けの綺麗さ、見事。
ぜひ映画館で見て欲しい傑作だった。
振り子のように問いかけられる
「ここは、すばらしい世界でしょうか?」と、常に西川監督から、振り子のように問いかけられ続ける映画です。 常に映画の軸がしっかりしていました。 主人公が望む生活は、牢屋の中の暮らしと比べて、果たして幸せなのか。 私たちに問題提起してくれる良質な映画だと思いました。 個人的には、役所広司さんと松浦慎一郎さんが開始早々共演していたことに感激し、「長崎バンザイ!」って思いました。
善とは、悪とは、
元々悪い人間なんて、いないんだろうな。 先日観た「ヤクザと家族」の時にも感じた愛にあふれた人なのに、社会ではうまく生きられない。 本当に考えさせられます。 だからこそ、愛ある人たちがまわりにいる。 役所さんの福岡弁は、とてもしっくりくるし圧倒的な演技で代表作になりそうな役でした。 お産の時の記憶。それは、かぁちゃんしか知らない。とても印象に残ったセリフで自分がどんな風にこの世に生まれてきたのか、絶対に聞いておくべきだ。しかも、説得力ある言葉だった。 最後は、やっぱりだめなのかとあきらめかけて思わず目を背けたくなったけどいい意味で裏切られて。ちゃんと、すばらしき世界で終わった!
人生に正解は無い
取り戻しようがない人生や時間の重さを感じる。 ”広い空”の下で、だれも傷つけずに終わったことが良かったことなのか。 三上の正義のために傷つく人は居る。しかし、あのエンディングはストレスでしょう。 野生の中で自由に暮らしていた動物をペットにする。人にしっぽを振りながら長生きして認知症で死んでゆくペット。そんな不条理な世界を思い起こさせる。
何で人を判断するのか。その判断軸を持っていない自分に気付かされる。
目の前にいるその人は、いかなる人間なのか。
いい人とは? 悪い人とは?
そんなことの判断軸も、自分が持ち合わせていないことを、まざまざと痛感させられる作品だった。
いい、悪いで判断することが、そもそも違うのか。
三上さんを前にして、その過去を知った時、自分はどう振る舞うのか。そんなことを考え続けている。
素晴らしき世界にたどり着く難しさ😱
「満期で出所した者の50%は刑務所に戻ってくる。」ラストの仲野太賀の言葉。
今度こそ、シャバで生きていくと覚悟をするが、すぐにキレる性格が止められない三上(役所)。
ある意味真っ直ぐな三上は、すぐに喧嘩を売り暴力を振るいます。この時点で逮捕されててもおかしくなかった。(また刑務所送り)
多くの人に心配、支えられるが、
我慢が限界に達してヤクザの世界に戻ろうとする三上を止める組の姉さん(キムラ緑子)の言葉。
「空は広いんだよ!」これが素晴らしき世界に繋がってるのかなと思いました。
身元引受け人の弁護士(橋爪功)
「逃げることも自分を守るのに必要!」という言葉も三上の心に刺さったし、自分にも刺さりました。
就職も決まり、教習所にも行けるようになった三上が再出発の歯車が回り出した時に見る夕暮れの広い空に一番星が素晴らしき世界への正に入口だったのかな。
やっと素晴らしき世界の入口が見えてきたところでラストになります。そのラストシーンが複雑な気持ちなりました。これからだったのに。
是非観て欲しいです。役所広司さんの九州弁は見事でした。(長崎出身)
ものすごく温かい
すごく寂しくて苦しくて、でもものすごく温かい。 西川作品としては初めて原作もの。これだけでも気になっちゃいますね。 自分のいられる場所を精一杯に探して生きる、それはロードムービーのようでした。 何より三上役の役所広司、彼の芝居がすごい。 彼のやるせなく、何処にも向けられない苦しい気持ちがダイレクトに伝わってきました。 だからなのか、所々で涙してしまうんですよね。 特にサッカーのシーン、私は一緒に泣き崩れていました。 涙しながら「え?何で泣いてるんだろう?何でだ?」とずっと自問していましたよ。 もう2〜3日して落ち着いてくると分かるかもしれません。それ位入ってしまう場面でした。 そうして頑張り何度も躓きながら、その度に色々な人々に支えられ、そこがすばらしい世界である事に気付く。ラストに添えられた香もやさしかった。 深く胸に響く、とてもすばらしい作品でした。
三上にとって素晴らしき世界とは…。
今度こそカタギになるとゆう強い信念の元、不器用だけど真っ直ぐな心が回りを動かしていく。
真っ直ぐすぎるから生きづらいみたいな話があった。ずっと普通に生きている私でも生きづらさを感じるのに、三上はどれだけ窮屈か想像もできない。
梶芽衣子演じる保護観察員の奥さんが歌う《見上げてごらん夜の星を》は涙が止まらなかった。あの歌で少し救われた気がする。
カメラアングルがとても良く、特に大雨の中になびく三上のランニング(?)。あの真っ白なランニングが、暗く冷たい雨の中になびいている様は三上の人生を象徴しているかのように感じた。
最期三上は、どんな気持ちでコスモスをにぎりしめていたんだろう。三上にとって素晴らしき世界は《普通に生きれる世界》だったのかな、と。ビジュアルのコスモスは、観る前後では全く違く見えた。
役所広司は凄みとコミカルを兼ね備えている数少ない存在で、《渇き》や《弧狼の血》でのヤバい存在感を演じたら右に出る者はいないんじゃないかな。日本を代表する映画俳優に違いない。
仲野太賀には面食らった、ますます目が離せない。
しばらく
役所広司が凄いのは当然なんだけどさ。視点が完全に「役所寄り」の映画...
役所広司が凄いのは当然なんだけどさ。視点が完全に「役所寄り」の映画、かと思いきや、このひとが出所後に一方的に迫害させて「これでいいのか現代社会」っていう話では全然ない、ったことだ。
出所後に「今度こそ、堅気ぞ」と決意した、わりには、このひとは結構やらかす。次々に起こる困難を、罵声と暴力で解決っしようとする、その衝動がなかなか抑えられない。これは、社会に受け入れられないほうが当たり前だ。そもそも彼は自分がかつて犯した殺人を全く反省していない、自分は正義だったと信じている。だから、正義の名のもとにスイッチが入ってしまう自分の衝動を抑えられない。
あれえ? これは、元殺人犯という特殊な人間の話なのか? いや違うんだ、たぶん。現代に生きる人間は、誰もが三上なんだ、たぶん。
この男が社会に受け入れられようともがく姿は「成長物語」にも見える。
この映画は(たぶん原作者の佐木隆三氏を反映したかのような)崖っぷちルポライターの仲野大賀が、もう一人の主人公である。暴力に恐怖して走って逃げる仲野大賀。取材対象との距離の置き方に悩む仲野大賀。感情移入しすぎて傷ついてしまう仲野大賀。これも他人事ではない。
役所広司を取り巻いているのが、仲野大賀と、弁護士の橋爪功、スーパー店長の六角精児、ってメンバーなのが、またいい。「すばらしき世界」というタイトルは、決して反語でも皮肉でもない、かもしれない、と思わせる瞬間が、確かにある。だからこの映画は愛おしい。
ささやかな、希望と再生の物語
良い作品でした。 ちょっとキツイ話だったけど、観てよかった。 ただシリアスというだけではなく、おかしみを感じるところもあり、ダレることがなかった。 根は悪い人じゃないのだけれど、感情を制御できず、すぐに爆発させてしまう元ヤクザの三上(おそらく人格障害なのでしょう)。 世間の多くは、彼のようなニンゲンにはあまり関わりたくないだろう。 そんな三上にあえて関わって支えていく人々。えらいなぁ。やさしいなぁ。 けれど、大きく脱線した車輪を再びレールに乗せるのは、並大抵のことではない。 言うまでもなく、はみ出し者には、世間の風は冷たく厳しい。 僕自身もある意味カタギではないので、まったくの他人ごとというふうには観ていられませんでした。 けっきょくは、母と子、家族からはじまるのだなぁ、と思ったり。 観終わったときは、少しだけ物足りないかも、と感じたけれど、それを補うようにあとからじんわりときました。 家に帰るあいだも、いろんな思いが胸に去来した。 先ほどのシーンがよみがえってきて、また涙がにじんだ。 とにかく、三上は生きた。 不器用だが、懸命に。 この「すばらしき世界」の中で。 追記 それにしても、役所広司は素晴らしい。 あれほど凄みの出せる役者はそうはいないでしょう。 日本の宝だ、と思いましたね。 助演の仲野太賀も好演だったし、脇をかためる俳優陣もいい味だしてました。
世の中捨てたもんじゃない
ヤクザでもこちらのヤクザはカタギとして真っ当に生きようともがいている。 長い間、極道と刑務所の中で生きてきた三上には、こちら側の世界は本当に生きづらい。世の中は13年前とはまるで変わっているのに、古い考えで何をやろうとしても壁にぶち当たる。 それでも、周囲の温かい人達に支えられ、何とか少しずつでも軌道修正してもらいながら、就職もできたのだ。 彼は根は真っ直ぐで優しい男だ、正義感も強く、曲がってることをしてる奴を放ってはおけない、でもその加減ができずにやり過ぎてしまうという不器用さがある。 罪を犯した人が娑婆で、人並みに生活できるようになるには並大抵の努力が必要だろう。これは、以前から社会問題としても取り上げられているが、こんなに周囲の人々に恵まれたことは奇跡に近いのではないか。 ケースワーカーの北村さん、橋本さん、梶さんの弁護士夫婦、スーパーの店長の六角さん、そしてプロデューサーの仲野太賀さん。 中でもお風呂でのシーンの仲野さんの台詞と眼差しには優しさが溢れていて、胸に打たれた。 また、三上が介護施設で共に働く、知的障害の仲間に自分の生きづらさを重ねて涙するのには世間一般ではマイナスと捉えられるコンプレックスを抱えた者の辛さを痛いほど感じた。 そして、西川監督の笑いの要素を絶妙にいれてくるあたり、なかなか素敵でした。 三上、きっと思ったんじゃない。俺はこんな生き方してきたけど、別れた奥さんとも話もできたし、就職もできた、こんなに自分のことを必死に考えてくれる人達にも出会えて、意外とすばらしいんじゃないかと、この世界も捨てたもんじゃないって。
“すばらしき世界”
役所広司×西川美和、これは観るしかないではないか。 “今回はカタイぞ”これは堅い=まともな人間になるということ、その決心が固いということ。 予告の時からかなり印象的でした。 誰に言うでもない短い台詞だけど、とても重みがあり、簡単に発することができない言葉だと感じました。 人が本当の幸せを掴むには“心の豊かさ・余裕”が必要なんですね。 その手段は様々でお金なんかはその内の一つ。 三上にとっては“社会で普通に生きること”と、そして“愛”だった。 ディレクターの津乃田に身元引受人の庄司夫婦、スーパーの店長・松本、ケースワーカーの井口、みんな自分のできる範囲で三上を助けてくれる。 誰も全く恩着せがましくなく、まさにそれは“愛”だった。 “人は1人では行けていけない”という言葉の意味について考えてみた。 それはただ“助け合わないと生きて行けないから”ということだけではなく、“その人たちがいるから=自分の為だけに生きることはできない”ということなのだと感じた。 仲野太賀くんは本当に素晴らしい役者さんですね。 何でしょうね、怖いけどビビリながらも答えを模索して行動している感じ?“情けないと勇敢が入り混じっている”のがとても魅力的でした。 もちろん他三上を囲むキャスト陣も良かったです。 それぞれ三上とタイマンでの繋がりだったのが、就職祝いで一同が集まるシーンはとても温かい気持ちになりました。 波風を立てないことが最善とされつつある現代。 三上のような“0か100”の人間にはとても苦しいですよね。 非常なこと、どうしようもないだらけで嫌になることばかり。 それでもこの映画に“すばらしき世界”という題名が付けられました。 歩道橋で一番星を見つけた時の三上の顔が忘れられません。
さよなら絶望
タイトルから皮肉モリモリな作品でした。 希望が見えたと思ったら絶望が始まり、希望が見えたら絶望が始まるという繰り返し続ける簡単に言ってしまえば地獄映画でした。世間が悪と見る暴力は、守らなければならないといけないと思う正義感が先走った結果の行動で、必ずしも悪ではないし、かといって悪事を見過ごすことは自分を守るためであり、こっちも悪ではないなと思います。見事に善と悪を突きつけられました。 少しでも優しくされたら、自分も優しくされたように感じるのも痛い気持ちになりました。 死亡フラグを高速建築し、ラストまでも絶望に満ちてしまっていたのはスッキリしなかったので惜しかったです。 良い作品でした。 鑑賞日 2/17 鑑賞時間 12:35〜14:50 座席 K-20
感想
この作品を見終えて感じたことは、 人の人間性の根本的なところは、幼少期に育った環境や経験が根深く関係していて、 子供にとっての母の存在の大きさ、母親の子に対する責任の重さを思い知るような、そんな映画でした。 役所さん演じる主人公は、根は真っ直ぐな善人だと思います。 だけど不器用で、一般社会での生き方を知らないから、想いを伝える手段はいつも(暴力)に頼り、自分の感情を上手くコントロール出来ずに苦しんでいる。 彼が最期にしてしまった事は、 彼があまりに純粋で、それ故の生きづらさに対する葛藤の表れなのかなぁと強く思いました。 現代が抱える様々な社会問題を集約した、 切ない映画でした。
男をネチネチ、不自然さ、そして高倉健じゃなくて・・・
西川監督作品は「ゆれる」と「ディア・ドクター」しか知らないが、男が観ても全く違和感がないほど“男を描く”ことに長けているだけでなく、“男を描く”ことにネチネチと執着している印象がある。 この作品でも全く同じで、女優(梶・キムラ・安田・長澤)は、切れ味鋭く脇を固めているにすぎない。 西川監督にとっては、女性は自明の存在で、事細かに描く必要性がないのかもしれない。 西川監督の作家性というか、“性(さが)”を強く感じる。 本作で不自然に感じるのは、三上が自分のやくざな生き方に疑問を抱いていないにもかかわらず、なぜ多くの“娑婆”の人間が、三上に親切なのかということ。 前科者の“疎外”や“不寛容”がテーマのはずなのに、それを緩和する登場人物が多いという矛盾がある。 そもそも佐木隆三の原作にも、「周囲の人が善人ばかりで不自然だ」という批判があり、西川監督も「悩んだ」という。 リアルを少し捨てて、「小さな関わり」を徹底して描くことで、三上のキャラクターを生き生きと浮かび上がらせると同時に、ハートウォーミングな作品に仕上げたのだ。 「中年の男が刑務所から出てきて、ただ単に何でもない日常が続くだけでドラマがあるわけでもない」映画が、ここまで面白いのは、自分も役所広司の素晴らしさだと思う。 しかし、役所広司の力だけではない。 西川監督の演出は、驚くほど“ベタ”だ。スローテンポで、じっくりと主人公を輝かせている。 山田洋次監督が高倉健なら、西川監督には役所広司だということなのだろう。
素晴らしかった
去年から今年にかけてヤクザ映画を続けて見ているのだけど、とうとう最高傑作が現れた。ヤクザではなくヤクザをやめた男の話なのだけど、本当に素晴らしかった。いい場面がたくさんあったのだけど、自分のルーツをたどって児童養護施設に行って、子どもと一緒にサッカーをしていたら感極まって子どもに抱き着いて泣き出して離れなくなって子どもが困惑するところが特に印象深い。子どもが持つ無垢な魂に触れてたまらなくなってしまったのだろう。オレは普段から子どもと接しているので抱き着いて離れなくなることはないのだけど、そうしたくなる気持ちはとってもよく分かる。
就職が決まってテンションがあがって自転車で走りながら「シャブやってるみたいだ」というのも最高だ。
いい感じで介護の仕事についてこれからというところで死んでしまう。残念だと思う一方、最高の時期に死ぬのはうらやましくもある。大抵の場合、厳しい日常に苛まれてにっちもさっち行かなくなって弱り果てて死ぬ。素晴らしい出来事があった翌朝に死んでいるのが一番だ。
面白かった。この映画は映画館で観ましょう。
不器用。まっすぐ。普通になりたい。母への憧憬。それぞれのせめぎ合い。 あらゆるエピソードがこれを表現しているのだと思います。 タイトルから終わるまで惹きつけられました。 役所さんと太賀さんの演技か冴えてます。この映画は映画館で観ましょう。集中して観る映画考えて観る映画だと思います。 西川監督、期待通りの映画でした。次は期待の上を期待して?しまいます。
不思議な映画だった・・・
28年と人生の大半を刑務所で過ごした男が出所し、「今度ばっかりは、カタギぞ」 と普通の人生を送ることに取り組む話。なにも起こらない。 自分は役所さんの鬼気迫る演技にももちろん感心だったが、この映画では、さまざまなシーンでクリエイターと呼ばれる人たちの矜持を感じていた。 主人公のケンカを撮っていたが、その狂気に怖くなって逃げだすディレクターに、長澤さんがかける言葉。「撮らないのなら、ケンカに割って入ってとめなさいよ! 止めないのなら、撮って、伝えなさいよ! (撮らずに逃げるなんて)お前みたいなのがいちばん何も救わないんだよ!」 いやあ、強烈。これが、「撮って伝える」 というTVマンの矜持か。俺も怖くなって逃げちゃうだろうなあ。 「カメラは、もう、ないです。でも俺、三上さんのことを書きますよ。普通になるんですよ、三上さんは。それでも書けます。僕は、書けます」 作家になりたい仲野さんのセリフ。「書いて、伝える。たとえそれが、ただの普通な人生であっても」 これがライターの矜持か。 そして、この映画自体、何も起きず、主人公がもがき、周囲が見守るだけ。それを撮って伝えるのは、映画監督の矜持か。 と考えながら観ている俺の前で、そんな素直に終わってはくれないこの映画。主人公にこらえることを心から伝えたのは、同じように生きているアベくんだったのかなあ。嵐の中のコスモスだった・・・ かすんだ青空に、「すばらしき世界」 と浮かぶエンディング。主人公にとって、観ている我々にとって、なにがいったい 「すばらしき世界」 だったのか? 何もすばらしくない世界だからこそ、逆説的な言い方をしたのだろうか。 いや、自分はそうは思わなかった。カタギになろうとした主人公、そのもがき続け、あがき続けた姿が 「生きる」 ということ。それこそが、すばらしき世界なのだろう。 かって所属していた組のあねさんが、別れ際に主人公に言ったセリフ 「今はヤクザじゃ稼げない。シャバは、我慢の連続ですよ。でも、"空が広い" と言いますよ」 ・・・ レビューは以上なのだが、何回も身につまされる思いをした映画でもあった。 その代表的なシーンをひとつ。TV取材を受けようとする主人公に、「食い物にされるだけだ。TV番組ひとつで世界が変わるとは思えない」 と進言し、主人公に口汚く罵られた際に、「きょうの三上さんは、虫の居所が悪いんだね。また日を改めて話そう」 と語るスーパーの店主。このセリフ、言えるか、俺は? 普通ということ凄さを思い知らされる。 おまけ 本編とさほど関係ないのだが、裁判所でのシーンでは、検察や弁護士と、被告や証人とのやりとりというのは、誘導尋問のオンパレードだなあ、と必要悪を痛感した。
好きと嫌いの両方がある作品
殺人の刑期を満了し出所した三上は次こそ真っ当な人生を過ごすため職を探し始めるが…。 西川美和監督作。見たくないものから目を逸らすことこそが現代社会の生き方と言う皮肉の込められたヒューマンドラマ。メッセージは好きだが、一方で嫌いな部分も多い作品でした。
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