すばらしき世界のレビュー・感想・評価
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牙を抜けきれない男との出逢い
牙を抜けきれない男が社会に出て感じるジレンマや葛藤、喜びを淡々と描くことで、社会で生きることの難しさを描いた良い作品だと思います。
彼の想い(人生)は最後に叶った(満足)のか分からないけど、大切な思い出とする人が多くいることが彼の人生を満たしてる気がします。
この男を演じる役所広司さんの凄みも感じられる作品です。
すばらしき世界って本当は、、、
2021年、初の映画館での鑑賞作品。
お見事!ナイスチョイスわたし!と大満足。
原作は30年も前の実際に存在した男をモデルにした
小説だそうで。うまく現代に置き換えて作品は作ら
れており、最初から最後まで飽きることなく鑑賞。
主人公の三上を演じた役所広司さんは、たくさんの
作品に出演している日本を代表する役者だが、まだ
まだこんなにも観客を満足させてくれるのかと、そ
の存在感と演技力に驚かされる。
主人公に関わる、周りの役者もとても素敵で、仲野
太賀さんは、名演。私的には、三上の昔の繋がりの
あるヤクザの兄貴(白竜)の奥さん役のキムラ緑子さんがこれまた最高。
彼女が三上に伝えた言葉、
「シャバは我慢の連続。我慢したって大して良いこ
とはないけれど、空は広いって聞くよ」
この言葉がとても印象的だった。
我慢の連続である世の中だが、広い世界の中で生き
ていれば、いろんな可能性と出逢えるのだと。
三上の周りに少しずつ人と人の繋がりができていく
前のシーンだった。
就職先が決まった三上を、みんながお祝いするシー
ンは気持ち悪いと感じたが、それが今自分が暮らし
ている社会のあるあるだなと。正直者が馬鹿を見る。
そんな気がして、とても悲しい気持ちになった。
三上のように、実直で正義感にあふれた人間にとっ
てこの世の中は生きにくい。彼がもう少し当たり前
の愛情をかけて育ててもらっていれば、生き方は違っ
たのかもしれない。
もう一つ印象に残ったシーン。
福岡の昔の仲間に連絡した後、風俗嬢のリリーさん
とベットで横になって話をする。
三上がリリーさんの子供の話を聞いて「お母さんや
ね」と声をかけるシーン。その表情があまりにも穏
やかで優しくて。
三上にとって母親という存在がどれほど大切な存在
かその表情から伝わり、心が締め付けられた。
タイトルの「すばらしき」がわざわざひらがなであ
ることが気になり、「すばらしい」の語源を調べて
みた。
「素晴らしい」は、漢字を見ると、「晴れやかな気
分にさせられる」といった意味が浮かぶが、これは
後世の当て字だそうだ。「すばらしい」は、縮んで
小さくなるという意の「窄む(すぼむ)」や、「み
すぼらしい」などと使う、すぼまって狭いという意
の「窄し(すぼし)」と同源であり、もとは「あき
れた」とか「ひどい」という意味で使われていたの
だという。
↑ネットで検索。
これを見て、納得。
西川監督の意図はこれにひっかけているのかどうか
はよく知らないけれど、タイトルは皮肉のように使
われていて、現代社会に生きる私達に問いかけてい
るのでは?と感じた。
我慢の連続。それでもこの世はすばらしき世界な
のか?
三上の最後のシーンが答えなのか。
とにかくまた面白い映画に出会えてよかった。
この世界はすばらしいのか
ヤクザとして生き、長い年月を刑務所で過ごした男が、シャバでカタギをめざすも思うようにいかず、息苦しくもがく物語。主人公の三上正夫だけでなく、観ているこちらも最後まで息苦しかったです。
曲がったことは見過ごせず、カタギになろうと必死にもがく三上は、きっと正義感と一本気のある男なのだと思います。裏社会に関わらなければ、幸せな人生を歩めていたかもしれません。しかし、元ヤクザという肩書きは、生きる場所を限りなく狭めてしまいます。そんな中で感じる、悩み、苦しみ、怒り、悲しみ、といった負の感情。そして、それを振り払うための暴力。若い頃から裏社会に身を置いていた三上には、暴力以外の解決手段がなかったのでしょう。
そんな彼にも優しく接してくれる人たちがいました。元ヤクザという肩書きにとらわれず、三上正夫という男自身に触れ、彼の力になりたいと思ったのでしょう。ただ、就職祝いの席で三上のためを思って説く現代社会の処世術が、「見て見ぬふりをしろ」「耳をふさげ」「逃げろ」というのにはドキっとしました。確かにそうだし、自分も無自覚にそうしているのですが、改めて言葉にされるとぞっとします。
博多の姉御が「シャバは我慢の連続。でも、空は広い。」と言います。広い空を見るには、我慢を重ねるカタギになるしかないのでしょうか。では、カタギとは何でしょうか。我慢して真面目に生きている人のことでしょうか。いや、他人の痛み悲しみ苦しみに目を瞑り、自分を守る要領のいい人間なのでは…、そんなふうに思えてきました。タイトルの「すばらしき世界」は、現代社会を生きる私たちに突きつけられた、痛烈な皮肉なのかもしれません。
主演の役所広司さんは、文字どおり体を張って、三上正夫を熱演しています。興奮すると出る流暢な博多弁、頭に血が上っての恫喝、怒りに任せた暴力など、ムショ帰りのヤクザそのものといった感じでした。あまりにも自然すぎて、役所さんが演じているというより、役所さん自身を描いているのではないかと思うほどでした。脇を固めるのは、六角精児さん、橋爪功さん、梶芽衣子さん、キムラ緑子さんら安定の布陣。「ヤクザと家族」では兄貴だった北村有起哉さんが、市役所職員として親身になっていたのはちょっと笑えました。このベテラン陣を向こうにまわし、圧巻の演技を披露したのが仲野太賀さん。三上への関わり方の変化がすばらしく、風呂場で背中を流すシーンやラストのアパートのシーンは涙をこらえきれませんでした。
広い空が、見ている我慢
ラストシーンを見て、私も、すばらしき世界の住人に、なれるかしらと思ったのですが、おつとめ帰りの方とは、どう接したらいいやら。だって、怖いもん。
先日、家族とプチ喧嘩。怒りたくなるわけですよ。ところが、翌日、家族は、けろっとしてる。私の怒りは、何だったのかしらと、思う一方、怒りに任せて、余計なこと言わなくて良かったようです。我慢することで、得たもの。そして、失うものも、あるようです。今日、どんな我慢しました?。広い空が見てますよ。
仕事にせよ、家庭にせよ、ヒトは居場所を探すもの。自分を、認めてくれる、無条件で受け入れてくれる処を、渇望するわけです。ここで、初めにつまずくと、暴力的になる、歪んだ承認欲求を抱くようになる。学校は、学力より、そこを教えて欲しい。つまり、ヒトは生まれながらに、法的に平等でも、個性と育つ環境は、明らかに不平等と云う事実。それに立ち向かう、知恵と勇気。足し算や掛け算覚える前に、他者の気持ちに、共感する想像力。ムショは、罰を与えるだけでなく、何が罪なのか、何がヒトを苦しめるのか、つまずいたヒトに、改めて伝えて欲しいものです。
本作ですが、「私はダニエル ブレイク」みたいな、いい話にも、できたはず。でも、まっすぐに生きると、他者を傷つける。我慢して生きると、他者を見棄てることになる。そんな裟婆の現実を描く、監督さんの心意気に、気持ちが、揺れる私です。
「時計じかけのオレンジ」
罪と罰の在り方を、無理やり問い糺すお話。本作と併せ観るのは、ほぼ間違いですが、私のすばらしき世界は、あなたにとって生き地獄みたいな寓話を、ふと、思い出しました。
観てきました、素晴らしい映画でした。
不器用で、真っ直ぐな前科者
先日鑑賞した、『ヤクザと家族』もそうだが、こうした男の生き様を美化してはいけないとは思う。どちらも、刑務所から娑婆に出てからの社会の仕組みになかなか適応できない生き難さに、フォーカスしている。しかし、刑務所に入るまでは、人の道を外した生き方をしてきたのだから、そのハンディを負う中で生きなければならないのは、仕方ないことなのだろう。それは、ジェンダー問題とは別物だと思う。
とは言え、そうした男・三上を主人公に据えて、不器用で真っ直ぐな心意気の一人の男の生涯を通して、ヤクザあがりの人間にも、生きていくための受け皿と立ち直る権利が行使できる社会の必要性も、訴えかけてくる。また、三上がヤクザとなった根底には、幼い頃に置き去りにした母のトラウマによるものであるというのは、現代社会への警鐘とも言える。
また、娑婆では外れ者の三上だが、そんな彼に何とか手を差し伸べる人がいるのも事実。今度こそ、真っ当な道に導こうとする人々の優しさと思いやりを通して、観る人の心情に訴えかけてくる、ヒューマン・ドラマとしても、西川監督が仕上げている。何度か熱いモノが込み上げてきて、正にタイトル通りの『すばらしき世界』でエンドロールを迎えて欲しかったのだが…(涙)
そして、何んと言っても役所広司の演技は、やはり素晴らしい。瞬間湯沸かし器のような性格の三上の喜怒哀楽を見事に演じている。ヤクザあがりで現代社会には通用しない男のそこはかとない哀愁を、背中で演じることができる役者は、他にはいないだろう。コメディー、ミステリー、任侠…と、何を演じても一流だ。
もう一人、冴えないジャーナリスト役の中野太賀は、最近、あちこちの作品で重要な脇役として顔を見るようになり、父・中野英雄の血を引く演技で、これから楽しみな俳優だ。
現在日本最強監督の「長い」最新作
役を生きる役所
「娑婆は我慢ばっかりで、我慢したって何もいいことない。けれど空が広...
あっという間の2時間
優しさ+残忍さ=我らが"すばらしき世界"
やはり西川監督の作品は 生々しい
粗暴さから 社会に馴染めず弾かれ
しかし 人の優しさに救われ
自身の正義を曲げて 残忍な市民に同調することで
社会に馴染んで行く
なんと"すばらしき世界"
嗚呼 我らの"すばらしき世界"
劇中 悪意のある人物が 障害者のモノマネをして
周囲を笑わせるシーンがある
そのシーンの時 劇場内の観客の一部がクスクスと笑っていた
あの衝撃と絶望は 今後忘れられないだろう
嗚呼 この世はなんと"すばらしき世界"か
だけじゃない『すばらしき世界』
『ヤクザと家族』にない"社会側への問い"を我々に突き付ける、優しく鋭い傑作
『ヤクザと家族』がハマらなかった私の理由を突く、"社会と犯罪者"を鋭く描いた作品。社会で生きることを望んでいても、レッテルが阻む。そんな中でもがく男の、優しい物語。
元殺人犯の三上は、昔から刑務所にお世話になってきた経歴を持つ。今度ばかりは堅気ぞと括り、社会へと踏み出そうとするが、前途多難。反社のレッテルが剥がれることはなく、世間の受け皿はないに等しい。そんな彼を追うことになったのが、津野田。退職し小説家を志すも、吉澤のパシリのように仕事を頼まれ密着する。序盤はドキュメンタリーのように、三上の人物像を浮かばせる。母を知らず、愛を知らず、仇を取ることでしか手段を知らず。そんな彼に、暖かな人々が手を伸ばす。向き合うべき事に向かわせることしかできないが、実際に主観的になったら、そうなるのだろう。じっくり時間をかけ、解いてゆくしかない。さて、前述した、「『ヤクザと家族』がハマらなかった私の理由を突く」理由はなんだったのかをここで記す。それは、社会が起こすべき態度を描くことで、我々が受け皿として機能することの必然と難しさを同時に描いているかの違いだ。彼らの生き方を抑圧したところで、一般社会がどうあるべきなのかは指南されない。よって、煙たがっては排除する。その葛藤と変化を綴っていたことが、何より作品の暖かみを作っている。そして、我々以上に社会復帰が難しいという現実を突き付けている。
彼にとって、すばらしき世界だったのか。それを問われるのは、我々。生きやすい社会など、端からあるのか。差別や分断は個々人のレベルですら起こるのだから、ますます難しい。何年かけても解けにくい課題を社会に問う、優しく鋭いタッチの傑作だった。
どれだけ世界とつながっていられるか
前半は少しコミカルなタッチで、しかし後半にかけてどんどん引き込まれるシーンの連続だった。介護施設でのシーン、介護士の服部と障害を持っているであろう阿部のやり取りを、主人公三上が見つめる。そのあとのシーンも含めて最高のシークエンスだと感じた。
パンフレットに付属する脚本には上記シーンで「社会に適応するために、人間性を、捻じ曲げた」と書かれている。それまでの三上は自分の目から見た世界、主観的な世界だけを世界と認識して生きてきたのだと思う。彼の正義は一方通行で、ある意味身勝手なものである。「お前らみたいな卑怯な連中に混じるくらいなら死んで結構たい。」三上の言葉にはなぜ「お前ら」が「卑怯な」行動をとるのかに対する思慮がない。それは「お前ら(=我々)」が「弱い」からであるが、「強い」人間である三上はその弱さに対する配慮がない。彼は強くなるために、生きるために、弱い人間、つまり過去の自分を否定し続けなければならなかった。彼が歩んできた人生が、彼の視野をより狭く、より強固にしてしまったことが、一つ一つのカットから読み取れる。三上を「強くならざるを得ない存在」に育て、かつ、「弱い者」への配慮を徹底的に欠く存在に仕立てたのは、まぎれもなく彼の幼少期の環境だろう。津乃田の目に映る、母を求めて泣き叫ぶしかない男の子はまさに三上自身だった。男の子は母親によって見つけられたが、三上は母に迎えに来てもらえなかった。そんな男の子が、三上のような強く悲しい男にるしかなかった人生を想像させる、秀逸なカットだった。
原作のタイトルである『身分帳』も、我々、つまり三上にとっての世界が一方的に彼を見たものの象徴である。彼がなぜそうなったか、なぜそのような行動をとるのかへの思慮はない。表面的に切り取られた殺人犯三上という人間がそこには描かれている。それは一方的で、身勝手な見方である。観客の目線を代表する津乃田も、始めはその見方しかできない。彼もまた三上を一方的に切り取り、はじめはその存在に恐怖し逃げ出す。しかし「あんたみたいなのがいっちばん何にも救わないのよ」と言われながらも、結局は逃げずに三上に寄り添う。それは彼が「何も救えない弱い人間」だからであり、だからこそ三上の弱さに寄り添えたのだろう。三上は津乃田という「弱い人間」に寄り添われて、自身の弱さと向き合っていく。彼がシュートを決めた男の子を抱きしめ嗚咽するシーンは「弱さを受けいれる」シーンだと、私は解釈した。
そして介護施設でのあのシーン彼の人間性は、イメージの中で服部を殴りつけたように変わっていない部分もある。だから「人間性を捻じ曲げる」という表現は正しい。しかし私にはあのシーンは、人の弱さに気づき、本当に強い人間となった三上の、弱い人間たちへの配慮のように見えた。服部もまた弱く、阿部もまた弱い。障害を持つ阿部を嘲笑する服部の「似てるでしょ」に、「……似てますかね」と頬を震わせながらひきつった笑顔を見せる。一方的に身勝手に押し付けるのではなく、相手に問いかける。真に強い人間の態度だと感じた。
登場する登場人物が、どれも強さと弱さを抱えたキャラクターとして描かれている。その人々作り出す良いも悪いもないまぜになったこの現実こそ「すばらしき世界」なのだろう。このすばらしき世界で私も懸命に生きなければならない。
西川監督もおっしゃっていたが、切り札役所広司のあまりのジョーカーっぷりにマイナス0.5させていただきます。
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