「すばらしき人間力」すばらしき世界 シューテツさんの映画レビュー(感想・評価)
すばらしき人間力
映画を観ながら「何処がすばらしき世界や」と思いつつ、すばらしい映画ではありました。
西川美和監督作品なので、今回はどういった捻りを見せてくれるのかと観ていましたが、本作は監督初の原作モノらしく、物語上では最後まで捻りはなくド直球の人間ドラマになっていました。敢えて捻りを探すとこのタイトルだったのかも知れません。
本作を観て、西川美和監督の監督としての成長というより人間としての成長まで感じられ、役所広司も言わずもがなのベストアクトでした。
で本作の詳しい内容は、私よりもずっと丁寧に深く書かれたレビューが世間には溢れているのでそういう人達にお任せして、私はいつも通り私が気になった部分だけにスポットを当ててのお話をして行きます。
本作を観終わって、少し前に書いた『岬の兄妹』の私の感想を思い出していました。
私はその感想の中で
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本来この物語の様なケースの人達を具体的に援助できるのはそういうお役所の人達なのですが、近隣・縁者・友人等々の助けがない場合は決して其処までには届かないというのが現状であり、我々一般庶民である隣人達は、極力この様な人種との関りを避けたいというのが本音であって、無責任に「そこまで堕ちる前にもっと頭を使え」などと上から馬鹿にするのが現実社会であり、そこにこそ問題の深刻さがあるのでしょう。
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と書いていて、あの作品の兄妹達には他者からの助けという助けが殆どなかったこと対して、本作の主人公の三上に対しては幸運にも何人かの助けがあり、一体何処にこの差が出来るのか?という事が無性に気になりました。
社会には重度の社会適応が出来ない人々が一定数います。本作の様な反社・ヤクザ・チンピラ・前科者と呼ばれる人達もいれば、障害者やニートと呼ばれる人達もいる中で、一般人からすると、そういう社会不適応者と呼ばれている人達とは(面倒ごとに巻き込まれたくないという理由から)出来れば関わらずに済ませたいと思うのは極自然だとも思います。しかし、人間って不思議な生き物でそういう人達を助けたいという気持ちも何処かにあります。
でも、現実には上記のような差が出来てしまいます。
多くの人々は『岬の兄妹』の主人公には助けたいという気持ちが湧かず、本作の三上には助けたいという気持ちが湧く、これって実に不公平ですよね。というか、元々人間は不公平な生き物なんだという事をこの2作品は語っていた様な気もしました。
人間が心動かされるのは、結局その人間に備わっている人間的魅力であり、本作の三上という男は今の社会に適応しなかったというだけで、元々そうした人間力を備えていたのかも知れません。この人に関わることによって自分自身も救われるという気持ちにさせるようなキャラクターだったような気がします。
更に言うと、人間には善性と悪性とが共存し、特に人と接することがスイッチとなりそのどちらかが出てくるのですが、基本的に人は自分の善性が出ることに喜びを感じ、(例外もいますが…)自分の悪性が出てしまうような人と敢えて接したいとは普通は考えません。恐らく三上は、人の持つ善性の方を引き出せるタイプだったのかも知れません。
しかし、世の中には元々攻撃的な人間も存在しますが、そうでなくても攻撃したくなるようなタイプの人間がいることも確かであり『岬の兄妹』は多くの人が感じるこちらのタイプに属していたような気がします。
しかし、だからと言って『岬の兄妹』の二人が救われないのは、やはり不公平であることは間違いなく、政治(役所)が本来やるべきことは、そうした非常に人間的な不公平をなくした援助が出来る体制を作らなければならないという事だと思います。
と、ちょっと本作のテーマから逸れた話になってしまいました。三上という男の人生が幸福であったのか不幸であったのかは本人の判断次第ですが、最低でも5人以上のそうした人間の心を動かせる力を備えて(産まれた)いたという事への感謝が、母親への思慕(拘り)に繋がっていた様に感じられました。