失くした体のレビュー・感想・評価
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『ぼくを探○に』
アニメーションである理由が分からない。ストップモーションか、3Dアニメなら少しは評価出来たが。
フランスに限った事では無いが、西洋アニメ(アメリカンコミックとか)の人物描写がリアルなのは、アニメーションの意味にそぐわないと思う。その点、日本のアニメーションは人物をデフォルメしていて、アニメーションとしての芸術性は高いと思う。
脚本が地道で、少し前に流行った『ぼくを探○に』なのだが、主人公の人生と人生観が明確に表現されていないので、容易には全容を理解できない。
導入の設定がシュールで最後が尻切れトンボ。何に評価が集まったのか理解不能。まぁ『すずさんを見習え』だね。
兎に角、西洋の映画では『親がいない』と分かると、突然『それは悪かった』って直ぐに態度を変えて、相手を忖度するシーンがよくある。勿論、『孤児』は大変だと思うが、それが理由で、このアニメーションでは、ストーカーが肯定されている。また、手首を失くしたのがあまりに唐突で、しかも、事故の原因も容易に想像が出来てしまい、共感出来る内容になっていない。
アメリの原作者だと知り、少しショック。
丁寧に描かれた作品です。画面や構図に惹かれるものを感じましたが、好みも分かれそうです。
予告やポスターの画像を見たときに、妙に懐かしい感じがしたのですが
それが何故か分からず妙に気になってしまい、結局鑑賞することに。
※ 劇場では1週間しか上映期間がなく、結局Netflixで鑑賞
この作品、 「手首から先が、元の体を探して動き回る話」 です。
こう書くと何やらホラーな感じがしなくもないのですが、
「手首」が「体の過去の記憶」をフラッシュバックしながら話が進んでいきます。
手首と体の運命やいかに。
という感じで話が進むのですが、
この話、冒頭よりハエが飛ぶ場面が何度も登場します
しかも、描写がすごくリアル。
飛び回る音もとてもリアル。
這いずり回る感じもとてもリアル。 きゃー
ハエ以外にも、ネズミやら蟻やら鼻水やら…、どれも妙にリアルです。
観ている側を不安な感じにさせる目的があったのなら、非常に効果的。 うーん…
TVサイズの画面でなく、劇場スクリーンだったらもっと嫌だったかも。
といいつつも
とても絵の動きがとてもスムーズです。
画面全体も、とても考えられた構図と構成でできているのが分かります。
これはとてもいい感じ。
そして、「体」が思いを寄せるようになる女性との
恋愛模様も絡んでストーリーが描かれて行きます。 頑張れ~
ストーカーまがいの行動に女性に引かれてしまい、失意の底に… あららー
ここでまたまたハエが… うーん。
最後の場面
主人公もヒロイン女性も、何故か笑うのです。
声を出すわけではないけれど、確かに口元が微笑む。
そこで笑う理由がなんなのか、未だ図りかねています。
☆
キャラの絵柄
フランス制作なので日本風では無い訳です。 なのに、
観ている内に違和感がなくなっていくという、不思議な感じがしました。
観てから1週間ほど経って
湖川友謙さんの絵を見たときの感覚に似た感じと
思い当たったのですが、さてどうでしょう。 似てるかな… ←ちと弱気
↑(イデオンやダンパインのの作画監督やキャラデザの方です)
余談ですが
手首が自律的に動き回る話というのを聞いて、最初
古谷三敏さんの「手っちゃん」が頭に浮かびました。
かなりシュールな作品だった気がします。
まだ読めるのかとネット書店を検索してみたのですが、
扱っているところは多くなさそうでした。
読みたいような読みたくないような、思案中です。
最後に
すごく芸術性の高い作品だなと思いました。
ネット配信で「いつでもどうぞ」で正解のような気がします。
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
アナログな心地よさ
おしゃれでややラフな手描きのタッチ、そして近年の3Dベースのアニメに比べて「滑らか過ぎないコマ送りのような動き」が、むしろアナログな心地よさを感じられて良かった。
とは言え迫力も十二分に感じられるシーンは随所にある。切断された手が傘を持って高所から飛び降り、大通りを走り抜ける車の大軍を縫って舞うシーンは圧巻。ネオンやライトに照らされながら縦横無尽に飛び回る様は美しく、また秀逸なカメラワークも相まって思わず息を飲み、目を奪われる。
ストーリーに関しては解釈が分かれるところだが、私の印象をざっくり。
主人公ナウフェルは幼い頃に失くした両親との記憶をいつまでも忘れられない。そしてピアニストと宇宙飛行士という二つの夢にも未だ大きな未練がある。その想いは「手」のいく先々で伺い知ることができる。
そんな彼はいつもどこかぼーっとしていてふて腐れている。観ているこっちが苛立ってくる。まるで目標を掲げながらそれに向かって行動になかなか移そうとしない自分を見ているようだ。しかし全ては終局へ向けての伏線である。
彼はそれら全てをラストシーンのジャンプで断ち切った。失われた手と共に。
「失敗もある、それが人生」
このところのフランスアニメの質の高さには本当に脱帽である。決して派手さはないし、あからさまなデフォルメや異次元設定は余り無いが、きちんと丁寧に文学的に制作されていて、見応えが沢山ある。今作も又、ファンタジーではあるがしかしほろ苦いメランコリックさとノスタルジー、しかし未来を信じる前向きさみたいなものをしっかりとメッセージを届けている。そして作品に通底するフランス精神である“セ・ラヴィ【C'est la vie】”。この精神を日本にいてどれだけしっかり認識出来るのか、自分には分らない。なにせ、根っからのペシミストであるから、この、「これが人生さ」という達観はデフォルトで使用しているのだが、今作品のテーマは多分自分の意味合いやニュアンスではない筈だとは良く理解出来る。ハッキリと前向きとも違う、かといって後ろ向きでは決して無い。ベクトルで言うならば斜めなのだが、それが上下ではないもしかしたら四次元の空間に向いているのかもしれない。そんなデタラメまで考えてしまう程、魅惑的な不可思議概念なのである。
文学的なストーリータッチである今作は、構成として3つの時間空間軸が交互に場面展開してゆく。元々オープニングの手が動き回るというシーンはそのホラー感を誘う不気味な画風やBGM、脱出劇として独特のアイデア演出が巧みである。その後の鳩との闘いやその後続く数々の“手”というかなりユニークな物体が小動物の如く運動する様と、しかしピンチにはしっかり本来の手の動作を発揮しながら、途方もない目的地へ旅をしていく、ロードムービー的側面が一つ。そして手の本来の持ち主であった主人公の失った原因を探るパート、そして物語を形作る上で非常に密接する幼い頃の想い出シーンのパートで3つ目である。この3つの軸がまるで相互補完をするように絡み合いながら収束されていく。その構成の妙もさることながら今作の賛否両論的な部分は、ミスリードをきっちりストーリーに織込んで観客を飽きさせない作りなのである。観る人によっては、結局関係性がなかったという“裏切り”が今作そのものの評価にダイレクトに結びつけてしまうのではと危惧するのだが、自分としてはその弄ばれ感も又映画の醍醐味なのではと好意的に捉えているのだ。具体的には、そもそも手を切り落としてしまう直接の原因が、最近まで一緒に住んでいた親戚?の男(パンフには載っているのだろうが不明)が絡んでいるのだろうと思いきや全く関係無く、不安感、不穏を煽りまくっての、実は幼い頃の、蠅を掴むという遊びを木工作業中にやって、グラインダーでそぎ落としてしまったという自分の不注意というあっけない原因なのだ。或る意味驚愕であり、その落差に愕然とする。手が自分勝手に動くというかなり攻めたファンタジーを、リアルに起こり得る通常の自損事故由来にしてしまう顛末は、もし邦画だったらかなりのバッシングかもしれない。しかしそれをフレンチなスパイスで仕上げると又違った見え方になってしまうから不思議である。両親との死別やその後の過酷な極貧生活への天国と地獄的環境転換、恋愛話を折込ながらも、しかしそこでハッピーエンドに安易に着地させず、サプライズを逆に捉えられてしまった失恋と事故。そこで主人公がまるでコインの裏表のゲームをするかのように、自分の運命を託すゲームをするかのようにビルから隣のクレーン塔へ飛び乗るサスペンス感。若さ故の無鉄砲さと自意識の過剰さを表現しながら危険なシーンへと流れ込む作りは、アニメならではの表現方法としては秀逸であると感心した。伏線回収を彼方此方に散りばめながら、しかし全てを拾わず肩透かしを喰らわせる演出も憎いw。
敢えて言うなら、折角テープレコーダーをセットしていたのだから、飛び移りの成功のシーンは直接的に描かなくても良かったのではと思う。周りの風景や、部分的な写し方でのカットで、よりエモーショナルを駆り立てたほうが効果的かと思ったのだが・・・。
結局、持ち主へ辿り付いた手は又離ればなれになってしまうのだが、あの手は一体これからどうなるのだろうかと心配になってしまうのも又、興味深い。もしかしたら続編有り?という下衆な考えが頭をもたげてしまうのも一興である。作中に“ガープの世界”が登場するのだが、それも又“セ・ラヴィ”、そして“ケ・セラ・セラ”の達観を紹介しているのかもしれない。自分にまつわる全てを受容れてそして生きていく、過剰に喜ばず過剰に悲しまない。その人生の妙を俯瞰で見ながら淡々と感慨に耽る。そんな人生観溢れる作品である。
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