失くした体のレビュー・感想・評価
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『ぼくを探○に』
アニメーションである理由が分からない。ストップモーションか、3Dアニメなら少しは評価出来たが。
フランスに限った事では無いが、西洋アニメ(アメリカンコミックとか)の人物描写がリアルなのは、アニメーションの意味にそぐわないと思う。その点、日本のアニメーションは人物をデフォルメしていて、アニメーションとしての芸術性は高いと思う。
脚本が地道で、少し前に流行った『ぼくを探○に』なのだが、主人公の人生と人生観が明確に表現されていないので、容易には全容を理解できない。
導入の設定がシュールで最後が尻切れトンボ。何に評価が集まったのか理解不能。まぁ『すずさんを見習え』だね。
兎に角、西洋の映画では『親がいない』と分かると、突然『それは悪かった』って直ぐに態度を変えて、相手を忖度するシーンがよくある。勿論、『孤児』は大変だと思うが、それが理由で、このアニメーションでは、ストーカーが肯定されている。また、手首を失くしたのがあまりに唐突で、しかも、事故の原因も容易に想像が出来てしまい、共感出来る内容になっていない。
アメリの原作者だと知り、少しショック。
右手首が魂を持つ物語。記憶と希望。
内容は、体と切り離された右手首とが再び出会うかもしれない場面を描いた言葉の少ない映像作品。右手首から見た過去映像や自分や主人公ナウフェルから見た過去の映像が重なり微妙な違いが複雑な感じを抱かせる。主人公がハエを🪰恐れているのではなく右手自信が恐れている🪰を見るシーンは👁上手い表現と共に怖かったです。その前の鳩🐦にもパンチありました。好きな言葉は『腕時計でも買いに行け!』ピザの配達員🍕ナウフェルの上司に仕事注意された時の言葉。それが最後の伏線になっているとは…キチンと抑える所を弁えてて凄い。起こる出来事が全て逆らえない運命の様に見え、結果右手首を落としてしまうが、最後はそれすらも乗り越え飛んでいくという希望と僅かな再生に向けたストーリー展開が素晴らしい。これほどの映像作品は流石フランス🇫🇷と言わざるを得ません。好きな場面は、右手首を落とした直後のナウフェルに出会え、付いていた体にくっつきそうで付かない奇跡は起こらない所です。それと主人公ナウフェルは、深く世の中に絶望した所にピザの宅配から知り合ったガブリエルに会い、ストーカー紛いな行動から彼女に近付く場面。初めての自分を気遣ってくれた人に好意を寄せる独りよがりな場面が見ていて、そう!これこれっ!って感じになりました。実際はこんな感じで不細工なモノです。まさにこの作品で出て来るガープの世界そのものです。右手首が1人歩く…ホラーな感じが緊張感を伴い随所に寂しさと恐怖を感じました。映画内で常に右手と主人公ナウフェルの心理が表現されているのは、微妙な映像表現は見落としがちですがよく見ると声にならない右手首の声が聞こえて来る様で面白い。右手のホクロ・右手に付く赤いペンキ・よってたかるハエ🪰・コップと間違われる右手首・右手の腕時計⌚️右手が見ていた世界がこうだったのかぁー!恐れ入りました。長編映像表現での良さが繊細に描かれて克明にカタルシスの解放へと誘われ最後は、細やかな笑いと再生が何とも苦い。大人の感じが楽しめるアニメでした。これが実写なら怖すぎて映像に集中出来ないしね。右手🫲の細かなら作画は意気込みを感じます。最後に右手首が病院冷蔵庫から逃げ出す事から始まり本体ナウフェルに会いにいく話の流れで冒険の途中様々に見るモノが本当は見てないのかもしれないと感じる所に面白さがあるのかもと感じました。右手首はあの事故を防ぎたかったのかもしれませんが、失う事で得るモノもある。体の一部は失くしたかもしれませんが強く生きる魂を得る事が出来た事は、分かりにくいかも知れませんが、二度見すると非常に面白い映画🎞でした。
岐路
本作は手首が主人公という、異色の作品。
手首が自分の本体を探す旅路を描いた本作、なぜ手首とナオフェルを切り離して考えなければならないのかというと、手首が切断されてから両者が別人格になっていく過程がテーマだからだ。
『失くした体』これは、手首が体という存在を喪失する物語なのである。
しかし、本作の素晴らしいところは、その背景、ナオフェルの過去の表現や比喩にある。
●ターニングポイントで毎回登場するハエ。
これは悪魔ベルゼブブとして不運をもたらす。
●どん底の人生に突如舞い降りたガブリエル。
彼女はナオフェルの天使として描かれている。
宗教的背景をベースに世界観の質を向上させたり、鳩と主人公の何気ない絡みのシーンさえ、ナオフェルの不幸な事故のメタファーとして描くなど、細部への拘りに感心した。
登場するリアルなキャラクター、若者の理想と現実、そして挑戦や飛躍、泥臭くも完璧に描かれていると私は思った。
ネタばれになりますが、最後砂浜に残された手形にノスタルジーを感じました。
是非、皆さんにもこの素晴らしい1時間20分を体感してほしいです。
不思議な体験
なんだこれは・・・?パリの街並みに彷徨う手首のイメージと手首の存在によってバウプレーヤーとなってしまった男の哀愁がパリの街並みとの対称でこの作品がこれ以上無いパワーと言う街のPVとなっている。パリをよく知る者にとってパリの非情さがよく表現されている。
僕の右手を知りませんか
2021年7月27日
映画 #失くした体 (2019年仏)鑑賞
男の手首のロードムービーと青年の恋の行方を描いた作品です、と言うと???となりますよね。
しかし、中身としては、うーん、色んな解釈ができる内容なので、評価はかなり別れそうな作品です。
もう少し分かりやすかったらな!
不思議と惹かれる
(フランスだけど)アメリカのアニメによく出てくるアジア人のタッチがあまり好きではなかった。
あとは話も結局理解できないまま終わってしまった。
なのに、何か惹かれる。「手」にも親近感を覚える。なんなんだろう、説明できない。
【大切なモノを亡くしても、”生きる”という事。哀愁溢れるトーンの中、薄ぼんやりと見える明るい未来を感じさせる作品。】
主人公はナウフェルというアジア系の風貌の青年と、”手首で切断された手”という可成り、ダークファンタジーかな?と思わせる設定。
”手首で切断された手”は序盤から、地下鉄の階段を一人で降りていき、ホームから落ちた際には、ネズミと格闘する・・。
-この手首が見ていると思われるアングルで描き出される画が、良い。-
オープニングシークエンスから裕福で両親から愛されていた、幼きナウフェルに何が起こり、その後、何が起きるかは何となく予想出来る。
-”手首で切断された手”の人差し指と中指の付け根の黒子・・。ー
青年になったナウフェルは、貧しき暮しでピザの配達をしながら生計を立てているようだ・・。そこで、出会った声の”ある優しき言葉”にナウフェルは惹かれ、その言葉を発した女性、ガブリエルの叔父が営む木工屋の見習いになるが・・。
・ナウフェルが大切にしているカセットデッキの意味も徐々に明らかになり・・
ラストの雪が積もったビルの屋上のシーンは少しハラハラするが、”ナウフェル君、君の事は彼女がきっと支えてくれるよ・・”、と勝手に思ってしまったよ。
<奇抜な設定と、それを描き出す画の不思議な美しさと、哀愁溢れる音楽が魅力的で物語に引き込まれ、(作品が81分と短尺な事もあり)あっという間に時は過ぎる。
大仰な展開があるわけではないし、セリフも少ないが独特な世界観が面白きアニメーションであった。>
ハッピーエンドなのかバッドエンドなのか
人生いろいろあるってことなのかもしれないが、なんでピザ屋にいたのかがわからなかった。
つまらなくはない。世界観は独特。ストーリー的にはよかったのかも。ただ、バッドエンドなのかな・・・。
Leap
ショートフィルムをそのまま長編にしたような作品。メタファーであろう手や蝿は、長編だと表現意図が見透かされすぎて、長く感じてしまう。
しかし、冷蔵庫に保管されていたのはどういうシチュエーションだったのだろうか?
詩的作品
個人評価:3.0
コマ落ちしたような動きだが、動きも見やすいアニメだと感じる。
非常に暗示的ストーリーで、詩的とも言える。
過去の自分を、切り離された手と比喩し、最後はわかりやすくジャンプする。
好きな作風ではないが、いい作品だと感じる。
希望を捨てた青年
原作は『アメリ』の脚本家ギヨーム・ロランが書いた小説『Happy Hand』。事故で切断した主人公の手が持ち主を探し求めて、パリのうす汚い街中をさまよう一種のロードムービーなのだが、アダムス・ファミリーの“ハンド”を連想させる不気味の谷を埋めるために、映画化にあたってはアニメーションという手法がとられている。全編を通じて暗―いムードが漂っているので、ファミリー観賞にはむいていない大人(特に若い人)向けの映画となっている。
裕福な家庭で育ったモロッコ移民であるナウフェルの夢は宇宙飛行士とピアニストになること。音楽家の母親が奏でるチェロや、家族の楽しい会話、ドライブ中風の音をマイクで集音してカセット・テープレコーダーに録音するという一風変わった趣味を持っているナウフェル。そんな一家がドライブ旅行中交通事故にあい両親が即死、生き残りのナウフェルは施設に引き取られる。青年に成長したナウフェルの仕事は先の見えないピザ配達員だった…
人体パーツが保管された施設から脱出したナウフェルの右手、触覚のみならずちゃんと五感が備わっており、失った身体にくっついていた時の記憶まで持ち主と共有しているという設定だ。“外敵”や“餌”と勘違いされた右手は、屋根の鳩には突き落とされそうになるわ、地下鉄のネズミにはかじられるわで、盲導犬にくわえられピアニストの部屋にたどり着いたもののネズミと間違われあわや…そんなナウフェルの右手が(運命を変えようと行動をおこす度に)道中出くわすさまざまな困難を描きながら、幸福だった幼少期の記憶と、図書館司書ガブリエルへの淡い恋がカットバックで挿入される。
このアニメーションにはまた、ナウフェルの運命が暗転する直前に必ず悪魔の使者“ハエ”を登場させている。旅行中交通事故の原因となった山羊の角にとまるハエ、そしてガブリエルにふられ二日酔いの状態で命じられた木工作業をしている時にもナウフェルの目前に現れる。まるでナウフェルを導くかのような動きを見せるハエをやっとこさ捕まえた時ある悲劇がナウフェルを襲うのだ。『君僕』に比べるととても分かりやすいベルゼブブとして描かれる。
主人公の方から“何か”を探し求めアクションを起こすのが普通の映画だとすれば、本作はあえてその探し求めれている“何か”を擬人化し主人公にした演出が実に効いているのだ。「何か異常なことをしたら、運命を変えられるかも」とガブリエルに語ったナウフェル。ビルの屋上からクレーン車に飛び移った瞬間何か憑き物が落ちたように笑いだすナウフェルは、はたして自らの運命を変えることができたのだろうか。両親、恋人…そして仕事までも失いそうなナウフェルが捨て去ったもの…それは右手という“希望”だったのかもしれない。
“希望”などというきれい事に踊らされてるうちは人生なんて切り開けっこない。すべての“希望”をすて目の前の現実に向き合ってこそ、未知なる運命へと一歩前に踏み出すことができる、そんな人生の真理をこの映画は我々に語りかけているのではないか。
丁寧に描かれた作品です。画面や構図に惹かれるものを感じましたが、好みも分かれそうです。
予告やポスターの画像を見たときに、妙に懐かしい感じがしたのですが
それが何故か分からず妙に気になってしまい、結局鑑賞することに。
※ 劇場では1週間しか上映期間がなく、結局Netflixで鑑賞
この作品、 「手首から先が、元の体を探して動き回る話」 です。
こう書くと何やらホラーな感じがしなくもないのですが、
「手首」が「体の過去の記憶」をフラッシュバックしながら話が進んでいきます。
手首と体の運命やいかに。
という感じで話が進むのですが、
この話、冒頭よりハエが飛ぶ場面が何度も登場します
しかも、描写がすごくリアル。
飛び回る音もとてもリアル。
這いずり回る感じもとてもリアル。 きゃー
ハエ以外にも、ネズミやら蟻やら鼻水やら…、どれも妙にリアルです。
観ている側を不安な感じにさせる目的があったのなら、非常に効果的。 うーん…
TVサイズの画面でなく、劇場スクリーンだったらもっと嫌だったかも。
といいつつも
とても絵の動きがとてもスムーズです。
画面全体も、とても考えられた構図と構成でできているのが分かります。
これはとてもいい感じ。
そして、「体」が思いを寄せるようになる女性との
恋愛模様も絡んでストーリーが描かれて行きます。 頑張れ~
ストーカーまがいの行動に女性に引かれてしまい、失意の底に… あららー
ここでまたまたハエが… うーん。
最後の場面
主人公もヒロイン女性も、何故か笑うのです。
声を出すわけではないけれど、確かに口元が微笑む。
そこで笑う理由がなんなのか、未だ図りかねています。
☆
キャラの絵柄
フランス制作なので日本風では無い訳です。 なのに、
観ている内に違和感がなくなっていくという、不思議な感じがしました。
観てから1週間ほど経って
湖川友謙さんの絵を見たときの感覚に似た感じと
思い当たったのですが、さてどうでしょう。 似てるかな… ←ちと弱気
↑(イデオンやダンパインのの作画監督やキャラデザの方です)
余談ですが
手首が自律的に動き回る話というのを聞いて、最初
古谷三敏さんの「手っちゃん」が頭に浮かびました。
かなりシュールな作品だった気がします。
まだ読めるのかとネット書店を検索してみたのですが、
扱っているところは多くなさそうでした。
読みたいような読みたくないような、思案中です。
最後に
すごく芸術性の高い作品だなと思いました。
ネット配信で「いつでもどうぞ」で正解のような気がします。
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
アナログな心地よさ
おしゃれでややラフな手描きのタッチ、そして近年の3Dベースのアニメに比べて「滑らか過ぎないコマ送りのような動き」が、むしろアナログな心地よさを感じられて良かった。
とは言え迫力も十二分に感じられるシーンは随所にある。切断された手が傘を持って高所から飛び降り、大通りを走り抜ける車の大軍を縫って舞うシーンは圧巻。ネオンやライトに照らされながら縦横無尽に飛び回る様は美しく、また秀逸なカメラワークも相まって思わず息を飲み、目を奪われる。
ストーリーに関しては解釈が分かれるところだが、私の印象をざっくり。
主人公ナウフェルは幼い頃に失くした両親との記憶をいつまでも忘れられない。そしてピアニストと宇宙飛行士という二つの夢にも未だ大きな未練がある。その想いは「手」のいく先々で伺い知ることができる。
そんな彼はいつもどこかぼーっとしていてふて腐れている。観ているこっちが苛立ってくる。まるで目標を掲げながらそれに向かって行動になかなか移そうとしない自分を見ているようだ。しかし全ては終局へ向けての伏線である。
彼はそれら全てをラストシーンのジャンプで断ち切った。失われた手と共に。
背景画、構図、構成が秀逸
見事な背景画と構図で確固たる世界観が築かれているように感じた。
構成もかなり凝っていたように思う。いつの間にかアニメというより、ある一つのドラマを見ている意識に変わっていた。
これまでに見たことがないような視点や光景を生み出すような着想も素晴らしいと思ったし、あくまでアニメの強みである自由なカメラ目線というものを存分に生かし切っていたように思う。
ただ、個人的には感動や共感的なところは薄かった。
「失敗もある、それが人生」
このところのフランスアニメの質の高さには本当に脱帽である。決して派手さはないし、あからさまなデフォルメや異次元設定は余り無いが、きちんと丁寧に文学的に制作されていて、見応えが沢山ある。今作も又、ファンタジーではあるがしかしほろ苦いメランコリックさとノスタルジー、しかし未来を信じる前向きさみたいなものをしっかりとメッセージを届けている。そして作品に通底するフランス精神である“セ・ラヴィ【C'est la vie】”。この精神を日本にいてどれだけしっかり認識出来るのか、自分には分らない。なにせ、根っからのペシミストであるから、この、「これが人生さ」という達観はデフォルトで使用しているのだが、今作品のテーマは多分自分の意味合いやニュアンスではない筈だとは良く理解出来る。ハッキリと前向きとも違う、かといって後ろ向きでは決して無い。ベクトルで言うならば斜めなのだが、それが上下ではないもしかしたら四次元の空間に向いているのかもしれない。そんなデタラメまで考えてしまう程、魅惑的な不可思議概念なのである。
文学的なストーリータッチである今作は、構成として3つの時間空間軸が交互に場面展開してゆく。元々オープニングの手が動き回るというシーンはそのホラー感を誘う不気味な画風やBGM、脱出劇として独特のアイデア演出が巧みである。その後の鳩との闘いやその後続く数々の“手”というかなりユニークな物体が小動物の如く運動する様と、しかしピンチにはしっかり本来の手の動作を発揮しながら、途方もない目的地へ旅をしていく、ロードムービー的側面が一つ。そして手の本来の持ち主であった主人公の失った原因を探るパート、そして物語を形作る上で非常に密接する幼い頃の想い出シーンのパートで3つ目である。この3つの軸がまるで相互補完をするように絡み合いながら収束されていく。その構成の妙もさることながら今作の賛否両論的な部分は、ミスリードをきっちりストーリーに織込んで観客を飽きさせない作りなのである。観る人によっては、結局関係性がなかったという“裏切り”が今作そのものの評価にダイレクトに結びつけてしまうのではと危惧するのだが、自分としてはその弄ばれ感も又映画の醍醐味なのではと好意的に捉えているのだ。具体的には、そもそも手を切り落としてしまう直接の原因が、最近まで一緒に住んでいた親戚?の男(パンフには載っているのだろうが不明)が絡んでいるのだろうと思いきや全く関係無く、不安感、不穏を煽りまくっての、実は幼い頃の、蠅を掴むという遊びを木工作業中にやって、グラインダーでそぎ落としてしまったという自分の不注意というあっけない原因なのだ。或る意味驚愕であり、その落差に愕然とする。手が自分勝手に動くというかなり攻めたファンタジーを、リアルに起こり得る通常の自損事故由来にしてしまう顛末は、もし邦画だったらかなりのバッシングかもしれない。しかしそれをフレンチなスパイスで仕上げると又違った見え方になってしまうから不思議である。両親との死別やその後の過酷な極貧生活への天国と地獄的環境転換、恋愛話を折込ながらも、しかしそこでハッピーエンドに安易に着地させず、サプライズを逆に捉えられてしまった失恋と事故。そこで主人公がまるでコインの裏表のゲームをするかのように、自分の運命を託すゲームをするかのようにビルから隣のクレーン塔へ飛び乗るサスペンス感。若さ故の無鉄砲さと自意識の過剰さを表現しながら危険なシーンへと流れ込む作りは、アニメならではの表現方法としては秀逸であると感心した。伏線回収を彼方此方に散りばめながら、しかし全てを拾わず肩透かしを喰らわせる演出も憎いw。
敢えて言うなら、折角テープレコーダーをセットしていたのだから、飛び移りの成功のシーンは直接的に描かなくても良かったのではと思う。周りの風景や、部分的な写し方でのカットで、よりエモーショナルを駆り立てたほうが効果的かと思ったのだが・・・。
結局、持ち主へ辿り付いた手は又離ればなれになってしまうのだが、あの手は一体これからどうなるのだろうかと心配になってしまうのも又、興味深い。もしかしたら続編有り?という下衆な考えが頭をもたげてしまうのも一興である。作中に“ガープの世界”が登場するのだが、それも又“セ・ラヴィ”、そして“ケ・セラ・セラ”の達観を紹介しているのかもしれない。自分にまつわる全てを受容れてそして生きていく、過剰に喜ばず過剰に悲しまない。その人生の妙を俯瞰で見ながら淡々と感慨に耽る。そんな人生観溢れる作品である。
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