Awayのレビュー・感想・評価
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この手探り感と疾走感がクセになる
彼に何が起こったのかはまるで分からない。パラシュートにぶら下がった位置から始まるこの物語は、得体の知れない島で、一つ一つの手がかりと足場を確かめながら目的地を目指す奇妙なものだ。ある意味、ロールプレイング・ゲームのようであり、同時に生死の境目で魂が彷徨っているかのような気持ちにさせる。はたまた、深層心理における心の浄化作用を詩的かつ寓話的に紡ぎあげた物語としても受け止めうるのかも。そこに現れる、宮崎アニメのデイダラボッチやカオナシを思わせる黒い影は一体何なのか。この存在について説明や理由づけが一切ないところが潔い。セリフを排することで想像力はかえって刺激され、主人公の一挙手一投足や影に追われる感覚さえもがリアルに入り込んでくる。ラトビア人のクリエイターがほぼ一人で作り上げたというこの世界。彼と私たちが、言葉や文化を超えて”感覚”によって繋がりあっていることにひたすら感動を覚える一作だった。
難解な作品
非常に抽象的かつ象徴的な作品
ストーリーはあるものの、その意味しているものを解釈するのは難解だ。
言葉はなく、音楽だけが漂っている。
ヒントはこの「Away」というタイトルに込められているのだろう。
Awayにある意味は様々だが、「離れて」とか「どこかへ行く」という物理的な意味よりも、「旅立ち」や「逃避」、または「再生」を意味しているように感じる。
冒頭、主人公の少年はパラシュートが木に引っ掛かっているシーンから登場する。
気が付くと巨人というのか巨大な獣人のようなものに捕まって食べられてしまいそうになるが、それをすり抜けて逃げる。
追う巨人だが、丸い輪の中にある世界の前で動かなくなってしまう。
この場所は「聖地」なのだろうか?
難し過ぎてレビューがあらすじになってしまう。
さて、
飛行機の墜落 命からがら脱出した少年 しかし仲間の多くが墜落死したのだろう。
仲間の霊のようなものと巨人の姿が非常によく似ていることから、巨人とは少年の中に巣食う「恐怖」や「不安」の象徴なのだろう。
そして巨人は動物たちの命を吸い取る。
命を吸い取られた動物は眠るように死んでいく。
また、
この島は少年らの知らない異国であり、少年がいた場所との相違があるのは間違いないが、リュックと中の道具、バイクがあるので、この世界は少年の内面を表現しているとも受け取れる。
飛行機事故と脱出は少年の現実だと思われるが、その出来事を含めて少年はその現実から「逃避」したいと考えていたのだろう。
しかし「現実」とは、少年の妄想、または夢の中にさえも巨人という姿を変えて登場してきた。
チャプター1「禁断のオアシス」
巨人が侵入できない場所であり聖地のようなところ
そこが「禁断」であるのは、そここそがどこにも通じない場所であり、少年の逃避現実がある場所だろうか。
水も食べ物もあるし居心地がいい場所だ。
しかし、地図には人々の住む街と船が記載されている。
誰もいないこの場所にいつまでとどまっていることができるだろう?
意を決した脱出
その先にあるのは巨人という一生付きまとってくる恐怖や不安
逃げても逃げても追いかけ続けてくる。
そこは少年の現実世界ではない場所であるにもかかわらず、同じような恐怖は存在した。
選択のすべては少年にある。
チャプター2「鏡の湖」
鏡が映し出すのは自分の姿であり、それこそ自分自身の心ということだろうか?
巨人を倒すために大きな石を転がして木の橋を壊したものの、巨人は地の底から這いあがってくる。
この不安とか恐怖とかからは絶対に逃げることなどできないのだろう。
チャプター3「眠りの井戸」
井戸の水を飲んで眠る猫の大群
現実逃避の象徴だろうか?
そのまま現実という恐怖によって死んでしまう選択肢もある。
何もせず、ただ死を待つという選択肢もあるだろう。
チャプター4「霧の入り江」
少年は雪山の登頂付近で力尽きた。
巨人に襲われ、死に取り込まれた。
それを救った黄色い鳥
ヒナだった鳥は少年に命を救われた。
人は皆不安や恐怖に勝てるのだろう。
一度勝てば同じ恐怖や不安は無意味になるのだろう。
あのリクガメは何だろうか?
カメとしてゆっくり歩くが、そこにある確かな目的
家族を探す旅だったのだろうか?
少年は雪崩に巻き込まれるかそれとも決死のダイブをするのか試される。
最後は勇気だろうか?
最後にようやくたどり着いた街
そこに感じる安堵
逃避してきた人生に立ち向かったことで得られた何か。
Awayとは、苦しみや困難から「離れる」こと、つまり再出発の意味があるのだろうか?
象徴的で解釈が難しい作品だが、普遍的な概念を描いているのだろう。
「ラトビアの秀作」
flowからのaway ラトビア ブルーの世界
ギンツさん25才の作品「away 」リバイバル上映、武蔵野館。
今上映中の映画 商業評判は別にして、ここでのホントの評価の高いもの選んでみた。
flowと世界感共通してる 人類の終焉の世界、awayの作成が先と。
flowはエンドロールの後 干上がったクジラが押しよせる水で息かえし、
海でジャンプしてた、希望があった。
awayは やっとの思いで 黒い影から 逃げたのに、そこにはやっぱり白い影がウヨウヨ待っていた、っていう
死からの回避、生存への新たな恐怖、外の世界にでる時のある意味オタクのギンツさんの恐怖が投影されてると感じた。
awayは20代のオタッキーな若者の持つ未来への潜在的な恐怖を描いており、
flowはそこから脱却した後の まだ大人になりきってない、無垢でありながら
大人の残酷性と 次に待ち受ける「生命の未来」への期待がある。
きっとギンツさんにも社会活動や、カノジョでもできたのでしょう、
意識の変化があったんですね。。
タイトルは きっと 「away 」長い長い時間をかけた孤独な作業の中、
どこかに、 解き 放れたかったから、でしょう。
そして未来の成功も確信しながら
称賛と評価という待ち受ける 潜在的恐怖を 白い巨人で表したのでしょう。
言葉として「flow away」うまく関連付けたと思います。
新宿武蔵野館 時代劇「陽が落ちる」の直前に観ました。
謎の巨人がいる世界
シンプル 愛 生と死
美しい作品
その先に何があるのか
こちらも『Flow』同様にセリフはなし。飛行機が墜落して1人だけ生き残ったことは分かる。だけど事故なのか、あの巨神兵の仕業かは分からない。
ずっとついてくる巨神兵、なんだかんだ旅を引っ張る黄色い鳥と、サポート役の白い鳥。それぞれが何を意味するか分からないけれど、『Flow』と同じく生きている人の気配がない、夢か現実かも分からない世界を旅する青年。なんとなく監督の死生観ってこういうものなのかもなぁと思った。
その後の彼は木彫り工房で猫と暮らしました、なんてことを妄想。
『Flow』に比べるとやはり、個々のキャラクターの作画に拙さは否めないけれど、それでも景色の描写は美しい。特に鏡の湖はとても綺麗だし、湖と白い鳥の大群は素晴らしいコントラスト。
同じく1人で作った『JUNK HEAD』は7年かかってるから、やはり相当な作業量なのだろう。どちらもよく1人で作り上げたものだと感心。
1人で作っているから、当然ながらエンドクレジットは短い。
頭で考えず心で感じる
穏やかだが、どこか死の気配を感じさせる世界観に引き込まれる一作
第97回アカデミー賞において長編アニメーション賞を受賞した『Flow』(2024)の監督、ギンツ・ジルバロディス監督が2019年に発表した作品。
本作は単体でも十分映像作品として感銘を受けることは間違いないのですが、現行ではジルバロディス監督の作品はこの二作しか鑑賞できないことを踏まえると、『Flow』の予習としても、または鑑賞後にさらにジルバロディス監督の世界観を理解する上でも、大変貴重な作品といえます。
ほとんど台詞がない作劇、ファンタジックかつ不思議な美しさに満ちた世界観など、本作からは様々なアニメーション作品の影響を見出すことができるんだけど、監督が意識しているかどうかは別にして、『風ノ旅人』や『Sky』といったアドベンチャーゲームも想起させるものがあります。
ふとしたことで世界に迷い込んできた主人公が様々な手がかりを解き明かして(インタラクトして)世界の謎の一端に触れていく、という物語の筋立てなど、類似点はさまざまに挙げることができますが、どこか「死」の雰囲気を漂わせている点に、とりわけ強い共通項を感じました。
これだけ確立した世界観とそれを表現する確固たる技術に裏付けされた映像を、ほぼ単独で作り上げた手腕には驚かざるを得ません。本作の経験があったからこそ、『Flow』につながっていったことを強く実感させてくれる一作です!
観客が自由に書き込める余白
今年のアカデミー賞で長編アニメーション賞を獲得した『Flow』を観る前に、同じ監督の前作を劇場で予習します。アニメーション制作が盛んとは思えないラトビアで、20代の青年がたった一人で作り上げた作品です。事故を起こした飛行機からパラシュートで見知らぬ島に降下した少年が、乗り捨てられたバイクにまたがり生き延びようとする物語です。
この島はどこ? なぜ彼はここに? 黒い巨人は何者? あのゲートは何? などは一切語られず、と言うより、本作には台詞が全くありません。しかし、そこに独りよがりの窮屈さは感じられず、観客が自由に書き込める余白に映りました。
年間興収上位をアニメが独占するアニメ大国の作品にはこんな自由を感じる事ができないのは何故なのだろう。作ろうとする人が居ないのかな、上映の機会が与えられないのかな?
拾ったバイクで走り出す
心地良すぎてめちゃくちゃ眠くなる
好みが分かれる。
雄弁なカメラと鮮烈なオブジェクト
3DCGののっぺりとした肌理にもかかわらず奥行きとテクスチャの感じられる作品だった。
ゲームのように壮麗な風景グラフィックもさることながら、カメラの有機的な動きが本作に躍動感を与えていたように思う。洞窟の斜面から黒い巨人を俯瞰するショット、森の上を飛翔する鳥群を上空からドリーで追跡するショット、少年の疾駆に息遣いを合わせるようフレームが不安定に揺れ動くショット。セリフを一切排した寡黙な物語はこうしたカメラの雄弁さによって補われており、いわゆるアンビエント映画のようなとっつきづらさは感じない。
少年、黄色い小鳥、黒い巨人を軸とした物語は、三者の出自がほとんど明示されていないがゆえに如何様にも寓話を読み取ることができる。誰もが容易に入り込むことができるという点では確かに本作はロールプレイングゲーム的といえるのかもしれない。にもかかわらず最小公倍数的な薄っぺらさを感じないのは、登場するオブジェクトのビジュアルにハッとするような力強さがあるからだ。黒い巨人も青空を反射する湖も竹林の猫の集落も、とにかく画として鮮烈だ。一度見たら忘れられない。その力強さがある意味漠然とした物語にくっきりとした輪郭線を与えている。
本作はCG撮影から編集から音楽から監督まですべての工程をギンツ・ジルバロディスが担っている。堀貴秀『JUNK HEAD』と同じくインディペンデント映画の極致的なアニメーション作品だといえる。熱意さえあれば本当にたった一人で製作ができてしまうというのはアニメーションという媒体の強みかもしれない。何はともあれラトビアなる映画史的未開拓地にヒョイと現れた本作を逃さず捕らえて国内上映にまで辿り着かせた配給担当の審美眼と仕事ぶりに惜しみない拍手を送りたい。
バイクの音まで心地よい
ピ、ピ、ピーヨコちゃんだ・・・
ある島にパラシュートで不時着した少年。巨人の魔の手から逃れ、楽園のような入り江で楽しみながらも骸骨となった人のバイクを拝借し、人が住んでいる町を目指すロードムービー。
セリフは一切ないけど、ヒヨコ(?)が相棒となり、「ピー、ピー」という機械音が和ませてくれた。輪郭線もないCGぽい絵は、違和感があるものの次第に心に溶け込んでくるかのような錯覚にも陥ってしまう。一匹の巨人から逃れ、ヒヨコとともに成長を続ける姿は事故から一人だけ助かったという自責の念も感じられるし、孤独から希望へと変化を遂げる姿が清々しかった。
巨人の風貌は、『風の谷のナウシカ』の巨神兵、『もののけ姫』のデイダラボッチ、『千と千尋の神隠し』のカオナシをも想像させるような謎の存在。監督(製作、編集、音楽)のギンツ・ジルバロディスも日本に影響を受けてると述べていることから、宮崎アニメを見たことがあるに違いない。さらにウユニ塩湖風の映像やドローン撮影したような背景とキャラの動かし方に新しさをも感じる。
少年が苦難を乗り越える壁のような存在、巨人。島をゆっくり移動するカメや自由に空を飛び回る鳥と、ヒヨコの存在も少年に勇気を与えるのだ。キーポイントとなった寂れた橋への石落としとヒヨコのピンチにはハラハラさせられたし、緊張感と平穏のコントラストを絶妙に表現するテクニックも上手い。気持ちの良いアニメだと思います。
一人の力で!感服。
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