テッド・バンディのレビュー・感想・評価
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そんなに美化されてない
テッドバンディ、R15と来たから殺人シーンがたっぷりかと思いきや、テッドバンディとエリザベスの私生活が中心。
アメリカではテッドバンディのドキュメンタリーなんか沢山あるし、今ではネットフリックスなどでも鑑賞できるから、どんな犯罪をやったかは重視しなかったのかもしれない。海外ではこの映画が美化されているなどの批判が多かったが、そんなに美化されていない印象だった。たしかにバンディが自ら弁論するシーンや、チャーミングな男性というシーンが多かったが、でもそれも事実だと思う。美化されていたとすれば、バンディがリズに不快な思いをしてこなかったように見せたところと、リズ自身だと思う。(ドキュメンタリーなどと比べたら個人的な感想)
思うのは1人の人物の一生を1つの映画で全て収めるのは難しい。あ、飛ばされたなというような構成だった。たしかに、頭がよくチャーミングな少年というイメージはあるかもしれない。だが、原題の”極めて邪悪、衝撃的に凶悪で卑劣“を忘れてはならない。
ザックの演技は必見!!
1970年代に実際に起こった殺人事件、実在の人物をザックエフロンが見事に演じています。殺人事件の裁判が中心で物語りが進んで行くので、遺体などのグロいシーンは少ない印象。IQ160で頭脳明晰、端正な顔立ちのテッドバンディ、女性を虜にし、巧みな話術に観ているこちらが騙されてしまうほどでした…イケメンのザックにはぴったりな役、ザックの演技は必見!!
殺害シーンがあるわけでもなく、基本的には同じような法廷シーンの繰り...
殺害シーンがあるわけでもなく、基本的には同じような法廷シーンの繰り返し。眠気がおそう。
私が一番期待していた、、テッド・バンディが殺害を行う際にどんな精神状態だったのか?どんな感情だったのか?などや、無罪を主張し続けた上で、最後の最後に全ての殺害を自供したのは、どんな心境からだったのか?なども、この作品には全く含まれておらず、なんだか非常にがっかりでした。
Extremely Wicked, Shockingly Evil and Vile 裁判の主文が題名に
”Ted Bundy's Girlfriend and Her Daughter to Speak Out In New Amazon Prime Docuseries” フランス語で「彼女」を意味するフランスのファッション雑誌ELLEの2019年10月の記事から、この映画の原作であるエリザベス・ケンドールの回顧録「The Phantom Prince: My Life with Ted Bundy(1988)」が一度は絶版したものが、amazon.comにより娘のモリーの章を加筆されて再度出版される運びになっていると....。 死刑執行30周年記念か?
この作品は、もともとはアメリカを含め海外では、大手動画配信会社が放映権を買い取った為にVOD形式で配信された媒体で、それ以外では、多くの映画フェスに招待された作品とされている。その中でもクリスマスシーズンにほかの配給会社は、夢のある映画を視聴者に提供しているのと比べると連続殺人犯の映画を取り上げている配給会社の意外性がうかがえる。
映画の冒頭、このような言葉も......
Few people have the imagination for reality. -Goethe それは、現実は見た目だけではなく、そのもの自体が、状況によって異なる可能性があるという意味合いからゲーテのフレーズを引用したのか?
この映画自体に問題があるので、これだけを見ればあたかもテッド・バンディが無実であるかのように錯覚し、映るのは自然の話で、何故なら告白書や宣誓書に書かれた克明な自白証言がこの映画には一切登場しない。しかも一説には30人以上を殺したとされる殺人犯の映画で犯行を犯すシーンが皆無でラストのたった数分間もない場面にしかないという盛り上がらない映画にどうしてなったのか?そして最後のシーンだけに女性を直接殺害する場面がなぜ出てくるのか? なぜゲーテの言葉を映画のオープニング・クレジットに載せたのか?
それは、あくまでもエリザベス・ケンドール(クレプファー通称:リズ)の回顧録「The Phantom Prince: My Life with Ted Bundy(1988)をもとに映画化がされているので彼女の”視点”からでしかバンディの人柄やそれに伴う出来事やまた殺人事件を描いていないために中途半端で訳の分からない映画になっている。死刑囚としての最後の願いが通じて、リズとの接見の場で彼女からの必死でしつこい程の質問にバンディが答えた面会用ガラスに”HACK SAW”と書く場面は、彼しか知らない秘密を吐露していて、リズの家の暖炉で起こった被害者であるドナ・メイソンのエピソードが原因とされる。
崇高という文字の存在しないこのような映画を盛り上げるには、刑務所内で起こったとされる性的凌辱などをエピソードにも加えてもよかったし、「バットマン」に登場するスーパーヴィランであるハーレイ・クイン自らがのたまうように「サイコパスでなくてソシオパスよ!」のソシオパスの観点から彼を描いてもよかったのではないかと...? 何故ならテッド・バンディの研究家が彼はソシオパスと断言している。
製作総指揮と監督のある意味、趣味の悪さが、マスコミを集めた前で彼に死刑を言い渡す場面の裁判長をジョン・マルコビッチにしたのは、ミスキャストと言え、もっと灰汁の抜けた俳優のほうが、バンディの一人芝居が目立つものとなり、裁判エンタティメントとして成立したかもしれない。ただ言えるのは、実際の映像を見る限り、マルコビッツがふんぞり返ってバンディに判決を言い渡すのではなく、その当時の裁判長は少し緊張気味に彼に自分の言いたいことを冷静に分かってもらいたい様子がうかがえるし、彼にその内容を理解してもらいたいという要求から丁寧に説明している姿勢が個人的には感じ取れた。
”California governor signs executive order stopping state's death penalty for now”CNNニュース”California death penalty: Governor Gavin Newsom halts executions”BBCニュースの2019年3月13日付のヘッドラインニュースで読み取れるところは、せっかくカルト教団の教祖マンソンのおかげで死刑制度が復活したのに、その50周年に合わせるように州知事がサインをしているのは、何故か? それは精神障害と人種差別による冤罪が原因とされる。この映画では、あまり関係ないと思われがちだが、実際に30人以上の犠牲者全員がテッド・バンディひとりの蛮行と言えるのか?事件の解決しか考えない地元警察は幕を閉じたくて、模倣犯の犯行もバンディの犯行としたのではないかと考えられないか?
サイコパスを描くのは難しい
試写会にて。
テッド・バンディは「シリアル・キラー」の語源になったと言われる人物である(ロバート・K・レスラーが彼を称してそう呼んだとされる)。彼の主に「逮捕以後」の姿を描いてサイコパスの姿を浮かび上がらせようとした作品である。
犯罪実録映画において「犯行を描かずに裁判を追うこと」で人物像を浮かびあがらせようとした作品は少ないだろう。テッド・バンディは30名以上を殺害したとされているが、彼は死の直前まで告白せず、それも完全ではなかったので、真相は闇の中である。
テッド・バンディを知らないと、「冤罪を訴える情熱的で頭脳明晰な青年」に見えるんだろうなあ、と思って観ていた。そしてそれが監督の狙いでもあった。身近に潜むサイコパスの恐怖。恋人も騙される。その笑顔に。態度に。そして熱狂的ファンを生む。まあ典型的サイコパス的描き方だ(でも実はバンディは反社会性パーソナリティ障害であって明確なサイコパスとはいえないという説もあるのだが)。
ザック・エフロンがテッド・バンディを演じることで、テッドが「良い人間」に見える側面に傾く場面もいくつかある。恐らく、全く何も知らない状態で観ると「この人冤罪では?」と思ってしまうのではないだろうか。そこからラスト・シーンに持っていって鑑賞者に気づかせる、という構成は非常に巧みである。取り込まれそう。
しかしなあ。私、テッド・バンディについては昔からそこそこの知識があったため、知識があると「ああサイコパスっぽい振る舞いだな...」と思ってしまうという難しさがある。騙されそう、を逆さまから観ると「ものすごく典型的にサイコパスな描写だな」になる。その匙加減はすごく難しい。知ってる人間でも騙されそう、というとこまでいかないのが難しい...。
彼の言っていることを判事がこれっぽっちも信じていないことは、裁判中の態度と、彼が最後にかけた言葉で分かる。陪審員も結局彼を信じなかった。映画で見せられると難しいところがあるが、あれだけの頭の回転は、彼を逆に不利に追い込んだとしかいえない。彼はまさしく「人間性を無駄遣い」したのだ。
サイコパスぶりを強調したかったのか、物語にはいくつか改変が入っており、ヒロイン・リズの部分でそれは顕著である。ドキュメンタリーではない分、彼の邪悪さを強調する意味では生きていた。
ザック・エフロンの起用については、やはりアイドル的なところから入った彼が「サイコパス・シリアルキラー」を演じることで「信頼に足るように見える人間も危ないのだ」というメッセージを出したかったように見える。彼の母親は、リアルタイムで裁判を見ていたため、彼がその名を出したときに動揺したらしい。それほどの役をただならぬ決意で演じたのが分かる。
サイコパスの描かれ方が典型的過ぎるかもしれない、という危惧はありつつ、じゃあお前はどうやって表現するんだよと言われれば躊躇う。恐らくはっきり描くにはもっと彼の若い頃から描き込む必要があったが、それだと長過ぎるだろうし、脚本の妙味が損なわれる。この映画は限られた範囲内で、テッド・バンディをわかりうる限り忠実になぞってはいる。自分がリズの立場に置かれないと気づけないことがあるのだろうか。そうなのかもな。
ハーレイ・ジョエル・オスメント君、もう君て呼んじゃダメそうだけど、いい味でした。あの路線でいってくれ。
この結末は、神のみぞ知る…。深い闇の衝撃的な真実!
これはなかなか、闇の深い映画を探り当ててしまった…。
この映画に隠された衝撃の真実に、脳天打ち付けられたかのような気分…。
今回は、監督が来日してのトークイベントということで、いろいろ裏話も聞けました。
この映画のターゲットは、猟奇殺人者のテッドを知らない20代の若者たちとの事。
甘い言葉で人を誘い、鋭利な刃物で斬殺し、死体を玩ぶという異常者の存在に、警笛を鳴らす為に作ったとのこと。
監督は、ドキュメンタリー映画が専門のジョーバーリンジャー氏。
今回なぜ、フィクションを手掛けたかというと、元々この事件題材にしたドキュメンタリー映画を作ったからとのこと。
その作品がとても素晴らしかったので、これを一つのフィクションとして、映画化できないかという話が持ち上がり、僅か4週間後には映画化する話で決定したというからビックリ!
それだけ、この事件は人々の心に深く突き刺さる何かを秘めているってことなのかもしれない。
また、この映画の面白い所は、主人公がテッドバンディではなく、彼の恋人のエリザベスの視点で描かれている所。
監督曰く、彼女のGoが無かったら、実話を映画化することはしなかったとのこと。
彼女の気持ちを第一にして作品を作ろうとした、監督の人としての在り方が素晴らしい。
そして、エリザベス自身が、彼女を演じるリリィさんと馬があったようで、2人の意気投合もあって作品のスタートが切れたとのこと。
そういった様々な経緯が、あって完成した作品だからこそ、監督自身がこの作品にかける想いがとても強く伝わってきました!
一見すると、優しそうで爽やかで、誰にでも愛想の良い好青年。
エリザベスと仲良く家族写真に写るテッドの姿を想像すると、彼が犯人だって微塵も感じない…。
実はこの人、無実なんじゃないかと、話が進めば進むほど疑問が湧いてくるから不思議。
最後の最後まで、彼を信じ続ける女性たちの悲しい顔が今でも、頭にこびりついて離れない。
そして、彼の親の悲しい表情も…。
こういうサイコパスな人って一体どうして、生まれてしまうのでしょう。
普通に息を吸うように嘘をつき、簡単に人を裏切り騙す、その精神状態の異常さが怖い。
こういう人に注意してと言われたけれど、どうやって注意すれば良いのかもわからないくらい自然な人柄。
私自身も、エリザベスのように簡単に騙されてしまう自信があります。
だから余計に、彼がなぜエリザベスを殺さずに、最後まで信じ続けたのか分かりませんでした。
彼の本当の姿は異常者?
それとも正常者?
その答えは、本人だけが知っているのでしょうか?
残虐なシーンがないだけに、深層心理を深く追求した今回の実話は、私の心に深く突き刺さる、非常に心に残る作品となりました。
興味深い作品をありがとうございました(´∀`)
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