劇場公開日 2019年12月20日

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「サイコパスを描くのは難しい」テッド・バンディ andhyphenさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5サイコパスを描くのは難しい

2019年12月5日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:試写会

試写会にて。
テッド・バンディは「シリアル・キラー」の語源になったと言われる人物である(ロバート・K・レスラーが彼を称してそう呼んだとされる)。彼の主に「逮捕以後」の姿を描いてサイコパスの姿を浮かび上がらせようとした作品である。
犯罪実録映画において「犯行を描かずに裁判を追うこと」で人物像を浮かびあがらせようとした作品は少ないだろう。テッド・バンディは30名以上を殺害したとされているが、彼は死の直前まで告白せず、それも完全ではなかったので、真相は闇の中である。
テッド・バンディを知らないと、「冤罪を訴える情熱的で頭脳明晰な青年」に見えるんだろうなあ、と思って観ていた。そしてそれが監督の狙いでもあった。身近に潜むサイコパスの恐怖。恋人も騙される。その笑顔に。態度に。そして熱狂的ファンを生む。まあ典型的サイコパス的描き方だ(でも実はバンディは反社会性パーソナリティ障害であって明確なサイコパスとはいえないという説もあるのだが)。
ザック・エフロンがテッド・バンディを演じることで、テッドが「良い人間」に見える側面に傾く場面もいくつかある。恐らく、全く何も知らない状態で観ると「この人冤罪では?」と思ってしまうのではないだろうか。そこからラスト・シーンに持っていって鑑賞者に気づかせる、という構成は非常に巧みである。取り込まれそう。
しかしなあ。私、テッド・バンディについては昔からそこそこの知識があったため、知識があると「ああサイコパスっぽい振る舞いだな...」と思ってしまうという難しさがある。騙されそう、を逆さまから観ると「ものすごく典型的にサイコパスな描写だな」になる。その匙加減はすごく難しい。知ってる人間でも騙されそう、というとこまでいかないのが難しい...。
彼の言っていることを判事がこれっぽっちも信じていないことは、裁判中の態度と、彼が最後にかけた言葉で分かる。陪審員も結局彼を信じなかった。映画で見せられると難しいところがあるが、あれだけの頭の回転は、彼を逆に不利に追い込んだとしかいえない。彼はまさしく「人間性を無駄遣い」したのだ。
サイコパスぶりを強調したかったのか、物語にはいくつか改変が入っており、ヒロイン・リズの部分でそれは顕著である。ドキュメンタリーではない分、彼の邪悪さを強調する意味では生きていた。
ザック・エフロンの起用については、やはりアイドル的なところから入った彼が「サイコパス・シリアルキラー」を演じることで「信頼に足るように見える人間も危ないのだ」というメッセージを出したかったように見える。彼の母親は、リアルタイムで裁判を見ていたため、彼がその名を出したときに動揺したらしい。それほどの役をただならぬ決意で演じたのが分かる。
サイコパスの描かれ方が典型的過ぎるかもしれない、という危惧はありつつ、じゃあお前はどうやって表現するんだよと言われれば躊躇う。恐らくはっきり描くにはもっと彼の若い頃から描き込む必要があったが、それだと長過ぎるだろうし、脚本の妙味が損なわれる。この映画は限られた範囲内で、テッド・バンディをわかりうる限り忠実になぞってはいる。自分がリズの立場に置かれないと気づけないことがあるのだろうか。そうなのかもな。
ハーレイ・ジョエル・オスメント君、もう君て呼んじゃダメそうだけど、いい味でした。あの路線でいってくれ。

andhyphen