劇場版「鬼滅の刃」無限列車編のレビュー・感想・評価
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原作に忠実且つ、しっかり、間を埋めるつくり。
今回、IMAX で見ましたが、そこまで、IMAX にこだわって観る必要はない気がします。音が大きすぎて嫌な人もいるかもしれないです。
原作に忠実な作りは、アニメのときから続いてますが、今回の闘いのシーンの描き方、進め方はさらに感動もので、迫力がありました。あかざの表現も、かっこ良かった。
原作で一気に進んでいるところを丁寧に間を埋めて、水の流れのように作られてました。
概ね楽しめたが、少し勿体無い点も
私はファンではありませんが、一応、原作は全巻サラッと読み、アニメも全話視聴しました。
【良かった点】
・作画のクオリティが高く、技の演出等、改めてバトル漫画の中では群を抜く映像の迫力があった。
・原作を完全再現していると思われる。夢の中での炭治郎と家族のやり取り、別れるシーンは特に見応えがあった。
【残念な点】
・鬼滅の物語の醍醐味のひとつは、どんなに残虐性の高い敵キャラにも人間時代に辛い過去があり、読者として少なからず同情できる点にあると思うのだが、今回登場した下限の一・魘夢にはそれがない。本当にただの悪者キャラに成り下がっているのが非常に勿体無い。
・これは原作を読んでいても思ったことだが、私は煉獄さんに感情移入が出来なかった為、死んでも正直泣けなかった。それは煉獄さんの背景となる描写が描ききれてなかったからだと思う。例えば、なぜ煉獄さんは鬼狩りをしているのか(母親から「弱き人を助けなさい」という教えがあったが、それと鬼殺隊がイマイチ結びつかない)、なぜ柱にまで上り詰めたのか、現在の強い心を持つまでの葛藤等、そういった部分の描写が弱いため、「オレはオレの責務を全うする」というセリフがグッとこなかった。また、「老いることも死ぬことも人間という儚い生き物の美しさだ」というセリフは名言だと思うのだが、そういった思考の背景となる母親の死が上手くリンクしてないように思えた。
・尺の問題もあると思うのだが、煉獄さんが死んだ後、煉獄家での父親や弟とのやり取りも少々入れるべきだったかなと。母親の伏線は回収できたのかもしれないが、原作未読の方からしたら、「中途半端に出たあの父親は何だったんだ?」となると思う。
TVアニメではのめり込めなかったけど、煉獄パイセンに男泣き
原作漫画未読ですが、TVアニメは放送終了後にAmazon Primeで一気観しました。
ただ当時は、「鬼」の設定は吸血鬼やゾンビ、禰豆子を元に戻したいという動機づけも「ハガレン」っぽいなという既視感で、それ程のめり込めませんでした。
映画の前半も、炭治郎が亡き家族に寄せるの想いこそ胸に迫りましたが、善逸と伊之助が見る夢の浅薄さには、若干唖然としてしまいました。
下弦の壱・魘夢との対決も、列車と一体化された際の絶望感や、夢の中で自死を繰り返す炭治郎の胆力には目をみはりましたが、炎の柱・煉獄杏寿郎の能力の高さが、間接的にしか描かれない事に、もどかしさが有りました。
🎬
しかし、猗窩座が現れてからの終盤は凄かったです。
目にも留まらぬ速度で繰り広げられる技の数々。
ただこの手の表現は、、正直ドラゴンボールで慣れっこ。
それ以上に感情を掻き立てられたのは、煉獄杏寿郎の責任感と覚悟です。
無論、煉獄パイセンは、上弦の鬼の手強さは元々知識としてあったでしょう。
ただ、実際に手を合わせることで、その底抜けな実力を実感し、命を賭けても倒せない相手であることは、早い段階で悟ったはずです。
それでも、ここで自分が踏ん張らないと、後輩も200名の乗客も救えません。
そして放たれる台詞。
「俺は俺の責務を全うする!!
ここにいる者は誰も死なせない!!」
この時点で、彼は闘いに勝って生き残れずとも、敗北を夜明けまで引き伸ばして、皆を救おうと覚悟を決めたのかもしれません。
そして、その覚悟こそが、亡き母に託された使命でした。
自分はこのあたりから、得体の知れない涙を止められませんでした。
何に泣いているのかよくわからないけど、煉獄杏寿郎の生き様の見事さに、ただただ心を打たれました。
炭治郎が「煉獄さんは負けてない...」と叫ぶ姿も切なかった。
最期に、笑顔で父と弟に遺す言葉も、たまりませんでした。
🎥
ということで、レギュラー放送の後の映画化には否定的な自分でしたが、結果とても収まりのいい117分だったし、終盤ではチケット代以上の感動をいただきました。
ただ「無限列車・編」というサブタイトルは、自分の中では完全に「煉獄杏寿郎・編」もしくは「煉獄杏寿郎の超侠気・編」に書き換えられました。
悪くは無いが
鬼の罠による夢の中でのシーンが多すぎた感が有る。そのシーンは主人公の家族への想いを表すのに必要なのだが、長すぎてその辺のテンポが悪くなってしまった。
IMAXで観た事もあり、画面と音の迫力は良かった。中盤以降の戦闘シーンはテンポもあって、劇場版らしい作りだった。
煉獄さん…
すごい勢いで200億興収達成おめでとうございます!
勿論"流行ったから傑作"という訳ではありません
コロナ御時世、上映タイミングの勝利もあります
原作未読、アニメ未視聴
なので映画ファン視点でレビューします
原作があって完結してて、アニメの続編で、原作にあるエピソードというなら、映像化にあたって改編があるのか?どういう演出・構成になるのか?が影響するのだと思いますが他レビュー読むと大きな改編はなさそうですね
演出・構成に関してはもたつきを感じた人もいるようですが私には軽快に感じました
冒頭数分の"コレまでのあらすじ"がないのは新規ファンを想定していないわけではなくて、原作やアニメで予習可能ですしそもそも興味ない人は観に来ませんからね
そもそもこの作品は"TVアニメの続き"を劇場でやりましたという体裁なので、映画として見るという視点には無理がある
ファンではない私でも流行ってるのは知ってましたがまさか映画がコレ程までに世間から脚光を浴びる事になるとは…
でもここまでウケた理由はわかりません←
この作品が映画として素晴らしいと感じたのは「主人公の成長譚」とした点です
そこら辺のテーマに食傷気味の人には不向きですね
実際、この映画ラストの師弟関係の構図はヒロアカ映画1と同じです
私の大好物、クローズドサークル要素のある走る列車内が基本的な舞台ですが、客は眠らされるのでそもそも逃げようもなく、費用対効果としては敵はあんなに入念な下準備までしたのに色々と残念だねってもやもやします
主人公らも夢に閉じ込められてそこから出られない・出たくないというむしろこのクローズドサークルは興味深いのですがエルム街の悪夢を彷彿させます
それと猪と金髪の夢エピソードが雑で落胆
ここはもっとひろってあげたい
そして妹の存在は知られてなかった?
というか妹は切符切られてないので無賃乗車?
(というか妹は鬼だから隠してたの?)
列車上での「これも夢かも?」のくだりでは、本当に敵が見せるべき夢は、(これは作中でも言ってたけど)主人公が敵を倒す夢じゃないの?
(とは言えこのネタは聖闘士星矢やグラップラー刃牙にもあったので結果的にいわゆる被りネタ回避に)
夢からの目覚め方は過激過ぎるんだけどそこに主人公の覚悟を感じさせたし、序盤はいい夢を見させて後々胸くそな悪夢を見させるという悪趣味さもなるほど性格悪い
死んだ者は生き返らない
ジャンプっぽくないとか思ってる人もいるみたいだけど、"柱"だとか、主人公らの能力のカテゴライズとか、敵のレベルの高低がラベリングされてるとことか完璧にジャンプスメルしかないよ
だから煉獄さんが死ぬくだりで涙ぐみながら思ったもんね
こんな時にドラゴンボールがあればっ…!
いやホントに
強さのインフレに関しては仕方ない
でもそれがメインの話じゃないからドラゴンボールとは違うのもわかる
アカザが突然現れたのは作劇上の御都合主義でしかないが、煉獄さんが逃げずに戦ったのは200人の乗客を守りたかったからだと分かる
煉獄さんが人間なのにあそこまで鬼を追い詰めたのは凄みを感じたし、今回の勝負内容で言えば、再生能力前提の戦い方のアカザは身体を何回もバシバシ斬られててもノーダメージというだけで実際に目を見張るような戦い方はしていなかった(つまり実質的には何回も負けてる)
太陽光を嫌って逃げるブザマな姿や煉獄に負けそうで焦る様などを見ると、生への執着はあっても強さへの探究心は感じない
あくまで体力差のある相手に強さのマウンティングをしているだけにしか見えなかった(この戦いではね
一方、片目を失いみぞおちに穴があいてる煉獄には迷いがなく自分の生き方を"役目"だと言い切り、アカザの「お前も鬼になれ」という誘惑を断り、生に対する未練を見せなかった
この腹を据えた覚悟が鬼との戦いに緊張感を与えたのは間違いない
ここをさ、今の子供達がどう感じたかがこの映画の肝だと思うんだけどね
少なくとも30歳過ぎてこの映画をつまらないとだけ酷評してる大人はアカザみたいな奴だろうね
(つまらないと思うだけならそれは自由)
PG12だからこそこれは子供に見せる為に作った映画でしょう
大人が観たら既視感しかないけど、誰もが通る道であるとしたら、逃げるアカザに叫ぶ主人公の台詞が全てを物語っているよね
無限列車編
作品全体の完成度が高い。特にアクションシーンのアニメーション。火、水、雷などそれぞれの表現が魅力的。
鬼滅の刃はキャラクターがそれぞれ個性があり魅力的なので、キャラクターの特徴を活かしたアクションだった。
そのアクションによって緩急が生まれる。時にはコメディのような要素も入れつつ、派手なアクション。大きなスクリーンで大きな音で視聴する価値のある作品。
煉獄杏寿郎の映画。彼の死を描いたことがこの作品最高の要素。
先輩が若い次の代へ思いをつないでいく。その思いを引き継いで強くなっていく後輩。これは私達の世界でも多くある話。
煉獄とその母親の話も良かった。『強く生まれたからには誰かの役に立ち、誰かを助けなければ』というセリフも心にささる。
柱とか十二鬼月のように称号のようなものをつけたことが良い。それによって強さとかが容易に想像がつくし、これからのワクワク感も違う。
これからが本当に楽しみ。
ネットフリックスでもAmazon primeでも見れるというのは1つのヒットの要因だったかも。家で気軽にコンテンツを楽しめる時代のおかげか。だとしたら、家での楽しみを強制したコロナパンデミックもヒットの少なからずの要因でもあるかも。
物語の中盤から泣けるシーンがあり、全体的に感動ポイントがいくつかあった。
前述したような、実世界にも通ずるような普遍的な道徳心や人間関係を描いたのは大きい。
そういう意味で子どもへの教育的価値が高いとも感じる。
世代の関係なく老若男女が一緒に楽しめる映画はなかなか珍しい。
大人がこれで子どもと一緒に喋って盛り上がれる。世代間交流もこの映画が担っていると考えるとすごい。
コロナで人間関係の構築がなかなか難しくなった時代でこそ、その役割は必要。
以上のように、作品自体のクオリティだけでなく、子どもの映画体験や教育的価値、大人との世代間交流といった社会的側面においても評価できるため、星5。
煉獄さんの言葉に痺れました
Amazon primeでアニメは見ていますが原作コミックは読んでいませんが、周囲に原作を読んでいる人もいるので、そこからこぼれてくる話の筋から、煉獄さんの結末については知っていました。
映像や声優陣の演技、素晴らしいのは他の皆様のレビュー通りです。
私はただ、煉獄さんや煉獄母の言葉に痺れました。
アニメと映画だけしか見ていませんが、
ここまでの登場人物の中ではダントツカッコよくて人として尊敬できるのに、物語の序盤で去ってしまいとても悲しい。
早く続きが見たいです。
コミック買ってしまいそう。
現代の人間社会は、孤独で個人主義な鬼社会
この作品は現代人の冷めきった心を焚きつける炎である。
鬼滅の刃無限列車編はコロナの影響を受けて公開が延期となった多くの作品の一つである。コロナのような歴史的出来事があると、観客はそれを踏まえた見方で映画を鑑賞してしまう。来年以降に制作される映画はそれを前提に制作者側も作品をテーマ付けしなくてはならなくなるだろう。
そのためコロナ前に制作され、コロナで公開延期された映画は、コロナ禍を潜り抜けた観客の目に耐えうるかが試される。
しかし、鬼滅の刃無限列車編はそれに耐えるどころか、むしろ追い風にして日本映画史に残る記録を打ち立てている。
私が追い風にしたといったのは、もしコロナがなければこの映画はここまでヒットしなかったと考えているからだ。
それはなぜか。ここでは、経済や自粛疲れなどの外部要因は置いて、あくまで作品のテーマだけに主軸を置いて語らせていただくことにする。
「強いものは弱いものを守るべきだ」
この映画はそんな当たり前の理屈を語るだけの、言えばありきたりな話である。既視感ある浅いテーマだが、それを真に受けてしまうくらいコロナ禍にいる我々の心は脆弱になっているのだ。
思えば今年2020年は東京オリンピックも予定されて、多くの人にとっていい意味で忘れられない達成の年になるはずだった。東京の街を歩けば分かる。次々と新装開店するお店や、観光客向けの一風変わった企画や新サービス。インフラ面でも数年で首都圏の駅にホームドアが設置され、どこでもwifiがつながり、地下鉄でもスマホが使えるようになり、新駅だって出来た。大企業も巨大再開発に乗り出し次々とオープンするランドマーク。全て、賛否はあれど開催されることになったオリンピックに合わせて、現場が懸命に考えて手を動かした産物ともいえる。しかし、そんな努力をすべてコロナが吹き飛ばした。ゼロに戻すのではなくマイナスにした。
そして、そんな時、政治は無力だったし、多くの会社も従業員に対して無慈悲だった。そんな残酷な世の中であるのに、ネットニュースを開けばコメント欄に飛び交う心のない言葉たち。経済的に、精神的に様々な形で苦しむ弱者も全て自己責任論で乱暴に踏みにじられた。
また、多くの人を魅了してきた複数の著名人が、突然自らの命を絶っていく年でもあった。
そんな世の中にいれば、多くの人が疲弊してしまうのは当たり前である。
よく鬼舞辻を頂点にした鬼社会はブラック企業に例えられる。しかし、群れないといわれる極端に個人主義な鬼たちの生態は、実は現代の人間社会全体にすでに根付いている。強いものだけが生き残り、弱いものは弱音を吐いたり助けを乞うことも許されずに孤独に消えてゆくのみである。
そんなの今までだってそうだったが、コロナ禍でその闇がより顕著に、多くの人にとって身近になったのではないだろうか。
「強いものは弱いものを守るべきだ」
そんな世情を反映してか、子供たちが魅了されるような稚拙な正義モノに、大人たちは一周回って深みを見出してしまうのだ。
我々は時に自らの手で開き直って鬼になる。煉獄杏寿郎のような人間であるよりも、鬼として生きる方が遥かに不幸にあいにくい。勝負に負けても試合には勝て、というのが大人として生きる知恵である。
間違っている上司や会社に逆らうよりは従っておけ。強者に立ち向かって己を高めるより、周りの弱者から搾取したほうが楽だ。正直者として馬鹿を見るくらいなら、サイコパスになって勝ち組になる方がいい。生真面目で普通な人間よりも、ちょっと変で尖っているほうが人として魅力的。そんな言説を聞けば「一理あるよね」と思ってしまうのではなかろうか。
そんな世界に足りないのは、幼稚園で習うような当たり前のことなのではないだろうか。
「強いものは弱いものを守るべきだ」
そして、そんな当たり前のことを全うした煉獄杏寿郎の殉死に我々は言い表せない寂しさを覚えてしまう。
「英雄がいない世界は不幸だ。しかし、英雄を必要とする世界はもっと不幸だ。」という言葉を思い出したが、実は、我々が生を受けた不幸な時代が必要とするのは、英雄気取りの鬼はもちろん、完全無欠の真の英雄でもない。
望んでいるのは英雄ではなく、英雄であれば強くても弱くても鬼よりは尊ばれる世の中である。
鬼になることを断固拒否し、勝負に決して負けなかった煉獄杏寿郎の死を悲しみ慈しむ鬼滅隊に、現代人はその精神が生きる居場所を密かに見つけたのだ。
今日も熱く燃える炎のような本作品に暖をとるべくして、人々は映画館へと足を運んでいる。
アニメを観た人向け
原作でお腹いっぱいという方はこの時期に映画館まで足を運ばなくても半年後のレンタルか配信を待つというのもあり。
原作もアニメも観て更に楽しみたい方は是非観に行った方が良い作品ですね。
そして、全く鬼滅を知らない人はアニメ好きならありで、ジブリとディズニーしか観ない人はNGという感じの映画でした。
個人的にはとてもアニメーションのクオリティが高く、戦闘シーンの臨場感が良く出ていました。
猗窩座と煉獄の戦闘シーンについては、原作だと一コマで煉獄は重症を負いますが、その一コマ…そこにどれだけ労力注ぎ込んでるんだというくらい濃厚な戦闘シーンが盛り込まれていました。
ドラゴンボールみたいに見えない戦闘で終わらせることも可能だったと思いますが、原作に無い緻密な描写がされており感動しました。
話の流れは原作通りなのでストーリーについては割愛します。好きなら見るべし。
煉獄にもっと焦点を当てていたら更に良かったのかなと思いましたが、尺の問題でそうもいかなかった印象。
戦闘シーン意味不明という感性の持ち主だと楽しめませんのでお年寄りや高齢者には勧めてはいけないと思います。
煉獄さんの最後と炭治郎の最後の叫びで映画館に鼻を啜る音が多かったのはそれだけ楽しめた方いたんだろうなぁという感想。
個人で話に入り込め無いという方もいるので、Netflix やdアニメで配信されているアニメで予習していくのが吉ですよ。
子ども連れで行く人へのレビュー
映画館で、ざっくりあらすじを履修した状態で観て来て、非常に楽しく拝見しました。
面白い所は、詳しい人が素晴らしいレビューを沢山書いてますので12歳以下の子どもについて。
子どもは小学校低学年〜中学生くらいが多く、何人かついでに連れて来られた幼児って感じでした。
隣が7つくらいのお姉ちゃんと4つくらいの弟さんでしたが、お姉ちゃんの方は集中して観てました。
隣の坊やや、聞こえた子どものリアクションを見るに、男子の人気は主人公の炭次郎、
視点や言動に共感できるのは、無邪気な猪之助って感じなのかなと。
そして、最期の遺言のシーンでは、
隣の坊やは照れたのか退屈したのか、始終落ち着かない感じでバタバタしてたので
親が泣きに行く場合、幼児は置いていくか、2周目で泣くかが良いのかもなと思いました。
あと、泣く子はいなかったけれど、中座する子は結構居たので、
長丁場でトイレに行きたくなる事を想定して、端の席が安心かも知れません。
個人的に、観た後に子どもに指導・助言が必要そうな所は:
・炭治郎が、夢から覚める為に自分の首を掻き切る際、夢と現実の区別が付かなくなり、実際に死にそうになる場面
・悪夢の中で、血塗れの親や兄弟たちに「お前のせいだ」と酷く責められる場面
の二つは、大人でも夢と現実があやふやになるような作り込みをしていたので、
現実と妄想の境が曖昧な年頃の幼児には、夢というのを強調した方が良いかもなと思いました。
多分、幼い子どもでも、首を落としたり刺されたりするシーンは理解できると思うけれど
家族に裏切られるとか、人間は自分で死ぬことができる…しかも夢の中ならそれで目が覚めるとか。
そういうシーンは家庭環境でも、ふとした時に再現されやすいので、後からジワジワと効いてくる可能性もあるのではと思いました。
あと、はっきりと死に様は描かれてませんが、幼い子どもを残して母親が死んだと分かるシーンがあるので、
母親への依存が強めの子は、しばらく甘えたになる事もあるかもしれません。
そんな時は、邪険にしないで甘やかしてあげてくださいね。
コンコロリ…で、うとうと。
周囲の大人達や家族達が、こぞって観に行って絶賛しているので、つい観てしまった。
漫画だけ読んでいて、アニメは夫が観ているのを横目でチラ見程度だったので、どんなもんかと思っての鑑賞。
漫画は、人物や背景の書き込みが変態的に細かい点が特徴だったけど、アニメも背景はかなり細かく自然を表現していたと思う。
川や雪の自然描写は、写真やリアルな動画を組み込んでるのかしら?と思うくらいリアルで… リアルすぎて、アニメのタッチとチグハグに見えてしまって、集中できず。
あと戦闘シーンのモリモリは3Dも織り込んでるのかな?そこもチグハグに見えて、またもや気が散ってしまった…。
ストーリーも漫画と同じ構成なので、すでに漫画で大泣きしたので、アニメでは号泣とまではいかなかった。
ストーリーを知ってるアニメを初めて観たからか、
映画館が1席間隔なしの満席で暑かったからか、
私も血鬼術にハマったのか、
前半はコンコロリ、コンコロリでうとうとしてしまった〜。
あまりポジティブな鑑賞コメントじゃないけど、鬼滅の刃は大好きだぞ。煉獄さーん!
劇場版向きじゃない気がする…。
バトルシーンの作画は流石ufotableだと思いました!好感音も、劇場だからこその迫力があります。
でも、CGと作画の組み合わせはいまいちかもしれません。下弦の壱の体がCGで顔は作画。顔が浮いていて気持ち悪くて集中して見れなかったです…。作画の方が良いシーンもCGだな…と思いながら見てました。CG使うならもう少し、作画に馴染ませて欲しいです。
ストーリーの内容は、脚本が悪いのかな?だらだら話が進む割に説得力正直薄っぺらいです。漫画通りといえば漫画通りで忠実に再現はしているのですが…ただ、それだけでそれ以上でも以下でも無いです。
キャラクターの行動と台詞に説得力が無いので、ストーリーを楽しむタイプの人にはおすすめできません。
あと、所々で中途半端なボケが入るので良い流れがストップ。キャラの個性は十分に出てるなとは思いました。でも、夢の中と現実との区別が曖昧なままだったのでキャラ崩壊してるとさえ一瞬思いました。
誰目線で見ていれば良かったのでしょうか?
正直、原作は好きだけど感情移入できませんでした…( ;∀;)
テレビアニメの長さでちょっとずつ進む方が良かったのかもしれません。
劇場版としては、絵の綺麗さや迫力以外あまり評価できません。
映画「鬼滅の刃」は、なぜ凡作か
興業成績を塗り替える勢いの映画「鬼滅の刃」。
残念ながら、映画としては凡作である。
では、なぜ凡作か?
それは脚本が甘いからである。
本作のクライマックスは、ラストの煉獄の死だ。
彼は、上弦の鬼(原作では中ボスみたいな存在)の猗窩座(あかざ)をあと一歩というところまで追い詰めながらも敗れた。
煉獄はなぜ死んだのか?
「猗窩座に殺されたから」という回答は「意味」を持たない。
医学的には出血多量で(または多臓器不全で?)亡くなった、ということと同じくらい「物語にとって」無意味だ。
繰り返すが、この映画のクライマックスは煉獄の死である。
そこに「意味」がなさ過ぎるのが問題なのだ。
無限列車での戦闘序盤、煉獄や主人公・炭治郎ら鬼殺隊の一行は、鬼の術中にはまり眠りにつき、夢を見させられる。
このシークエンスで、夢の中の炭治郎が「改めて」家族を喪うシーンの過酷さは涙を誘う。
そして、煉獄もまた、家族の夢を見る。
そう、「家族」は本作の重要なモチーフと言っていい。
猗窩座は煉獄の剣を受け早々に、彼の実力を認めた。
そして、猗窩座は、煉獄に対し「鬼にならないか?」と誘うのだ。
人間として殺すには惜しい、鬼になれば、もっと強くなれるのに、と。鬼になれば、傷を負っても再生し、そもそも老いることはない。どんどん強くなれるぞ、と猗窩座は言う。
端的に言えば、煉獄は、この猗窩座の「誘いを断ったから」死んだ。
であれば、この選択に納得感がほしい。
「主人公の側だから当然じゃね」では薄い。そんなの当たり前過ぎる。
煉獄が断った理由を、伏線を張り、補強をし、「ああ、だから煉獄は断ったのだ」と観客を「説得」してほしいのだ。
そして出来れば、ここにドラマがほしい。
贅沢を言えば、葛藤があってもいい(「スター・ウォーズ」のアナキンやルークのように)。そして、彼の生い立ち、思考、背景から、こうした葛藤を乗り越えることに盛り上がりが欲しいのだ。
例えば、前述の通り、観客は夢のシーンで煉獄の家族についてインプットされている。
ならば、そのインプットを伏線として、彼のその後の行動に「意味」を持たせてもいい。
家族を守るために死んだ、無気力になった父を奮い立たせたくて決死の闘いを選んだ、でもいいかも知れない。
だが、こうした要素はまったく見られない。
かくして、脚本上の説得力不足のまま、煉獄はただ猗窩座の誘いを断り、そして闘った末、死ぬ。
煉獄の死を主人公たちは大いに悲しむ。
少年が、目の前で味方が死ねば、泣くのは、そりゃ当たり前だろう。
だが、ここにも説得力はない。
炭治郎こそ多少のやりとりがあったが、伊之助、善逸は、ほとんど話すらしてないではないか。
「なぜ」そんなに泣けるのだ?「何が」そんなに、悲しいのだ?その説明はまったく、ない。
つまり、「ただ味方が死んで悲しいだけ」としか描かれていないのだ。
煉獄の死という本作のクライマックスを、さらに盛り上げることが可能なシーンなのに、残念ながら、ここも脚本が薄い。
ディズニーアニメを思い出して欲しい。
ディズニーアニメの登場人物が何かを決断するとき、行動するときには、彼らの過去の出来事や、何気ないセリフ、なんてことのない小道具が意味を持って立ち上がってくる。これまで、こうした瞬間に、何度心を動かされてきたか。それは、まるで観客を罠に掛けるように。巧妙に伏線を張り、背景をインプットすることで、「理由」を肉付けし、登場人物の行動に対する説得力を高めているのだ。
だから、ディズニーアニメは、子どもだけでなく、大人の鑑賞にも耐え、僕たちの心の奥深いところに刺さるのだ。
ほか、京アニ作品の演出の繊細さ、宮崎アニメの作品を超えたテーマの大きさはどうか。
条件は同じだ。
2時間ほどの尺、アニメという表現手段。
アニメは実写ではないから、予想を超えた役者の演技や、たまたま映り込んだ風景の鮮やかさ、といった不確定要素が入り込む余地はない。
クリエイターが作ったものだけがスクリーンに表される。
その中で、何を伝えるために、何を表現するのか?
逆に言えば、意図的に作ったものだけが、画面に表れるのがアニメである。その表現が薄ければ、観る者の心を動かすことは出来ないのだ。
なお、補足すると、原作においては、煉獄の死は、その後の主人公たちにとって「意味」を持ってくる。
だが、それはこの映画の「外」の話である上、作品中の時系列で言えば「先」の話だ。映画公開時にはテレビ、映画ともに続編の公開は発表されておらず、よって、本作を観る上での前提として考慮することは出来ない。
戦闘シーンの流麗さ、CGと描画の合成の巧みさなど評価すべき点はあるが、脚本が甘く、登場人物の書き込み不足によって、1本の映画として観たときに映画「鬼滅の刃」は、ごく平凡な作品と言わざるを得ない。
原作やテレビアニメ版のファンが大画面、高音質で楽しむためでもなければお勧めできないと思う。
話の途中をアニメ化しただけなのにここまでいい映画になったのだろう
非常に良かった。
バトルシーンのクオリティは非常に高いし、
お話もまとまっていた。
とりあえず、主人公たちがかっこよすぎた。
お話の途中なので、ここで終わりかーいというのはあるが、それは仕方ない。
炭治郎の家族のシーンでうるうるきて、
煉獄さん話で涙腺崩壊しそうになる。
今後の鬼滅の展開も楽しみ。
とてもよかった
テレビ版を途中まで見て見に行こうとしたら、平日なのにすごく混んでいて出直すことにして、その間にテレビ版を最後まで見た。すると、映画が全くテレビの続きだった。映画と言うよりテレビをでかい画面で見ているようだった。もしかすると、本来テレビの第2シーズンを作っていたのだけど、あまりに反響がすごいため、作った分だけ映画にしたのではないかと思うほどだ。
当初は見に行くつもりは全然なくて、76才の母がテレビでダイジェストを見て、あまりに話題になっていたから見たいと言い出してそれで一緒に行った。劇場内ではうちの母が最高齢だと思っていたら、母の前の席が杖をついたお婆さんで、メガヒットぶりがうかがえた。
炭治郎の妹思い、家族思いなところは涙が出る。心の中が澄み切った世界で、非常に納得。うちの子もあんなふうに育って欲しい。
蒸気機関車が出るなどスケールがでかくて迫力はあるもののスリルはテレビの方がある。それにしても、鬼が蒸気機関車になって朝が来たらどうするつもりだったのか、機関車は機関庫に隠れても客車は無理だ。そんなことが気になり、命がけで戦うより朝を待った方がいいのにと思う。
煉獄さんはしゃべり方が感情がまったくうかがえず、サイコパスみたいで怖いのだけど、暖かい人物で亡くなってしまい悲しい。
ぜんぶ読んでみようかなと思わせた
《カムイ外伝》ってマンガに『柳生編』っていうのがあって、その中で主人公が柳生新陰流の型を教わるんだけど、そこ、なんか「おお!」ってなるのね。剣術の型ってそういうカッコよさがあるよね。
そういうカッコよさが担保された中で、竈門少年と煉獄さんの事情を描きつつ戦いのシーンだから面白いね。各登場人物の心情描写を全部モノローグでやっちゃって「モノローグ便利だなあ」と思ったの。
この話で思ったのは、術にかかって寝てる時間長くないかな。もっと早く目覚めてアクションシーンにいって欲しかった。寝てる間に事情説明して、感情移入させてるけど、ここまで長くなくて良い気がしたな。
あと「列車たおしたあ」と思ったら、上弦の参が出てくるじゃん。これ、話として、いるのかな。「この映画の主人公誰なの?」感がちょっと出たし。長い話の中で見ると必要なのかな。
でも、ここで竈門少年と仲間が泣き叫ぶのを見て「僕らはみんな竈門少年なんだ」と思ったな。すごくできる人を見ながら「いつかはあそこまで」と思いつつ、一歩進むのに四苦八苦する。だから、主人公に感情移入がいくんだろうね。
いきなり映画観ても面白かったし、原作を全部読んでみようかなと思ったよ。
越えて行け!
11月2日観賞。
期待値を上げ過ぎず…落ち着いて…という心持ちで行きましたが、その必要はありませんでした。面白かった!!
たった2時間という限られた時間の中で、はたして煉獄さんのことをどれくらい好きになれるのだろうというのが一番の不安材料でしたが、それも杞憂でした。大好きです。煉獄さんは負けてないッ!!炭治郎と一緒に叫びたいくらいでした。
ただ個人的に一番グッときたのは伊之助でした。初めての電車にわーきゃーしてるかと思いきや、下弦との戦いでは見事に炭治郎をサポート。しまいには己の無力さを嘆く炭治郎と善逸(このシーン最高)に対して発破をかける!
『なれるかどうかじゃない。「信じる」って言われたら応えるしかないだろ!(うろ覚え)』
うるさいとか言ってごめんね。おじさんは君たち3人の成長を心の底から応援したくなった!わっしょい!
いいもん見させてもらいました。続き、アニメを待つか漫画を読むか、迷っちゃうな!気長に待ちましょう。
知らない状態には戻れない…を堪能
コミックもアニメも見ず(=鬼滅弱者)、全く『無』の状態で、話題作を楽しめるか否か…を体験したく鑑賞しました。
コミックやアニメを見ている人は、少なからず主要人物や鬼の設定など、本作の世界観は充分に分かったうえで鑑賞をしています。つまり『知らない状態には戻れない』と言う名言⁉︎のとおり、『知っている人間』には味わえない楽しみを、堪能してきました。
結論、充分に楽しめました!
まず、アニメ映画の画力、細かい描写に圧倒されました。映画館でアニメを観た記憶が昔すぎるので、最新の技術で作った映像美は圧巻の一言!炭治郎の夢の中の空描写なんて本物だと見間違う程の綺麗さでした。
登場人物の紹介も、夢の中で最低限の説明があったので無の状態でも、迷子になることなく楽しめましたし、泣けました。
他のレビューを拝見しましたが、ファンの中でも賛否両論でしたから、私のような『無』から鑑賞の人も賛否両論になるんだろうなぁと感じた次第です。
それよりなにより、このコロナ禍で元気のなかった映画業界を一気に活気づけてくれたということだけでも、充分評価に値するんだと思います。
追記
炭治郎はとてもいい人キャラ
善逸はヘタレサイコパスキャラ
煉獄は良く食べるとても強い兄貴キャラ
…程度のイメージです(-ω-;)
追々記
エンドロールの短さにビックリ
マーベル関連やらハリウッド超大作モノの三分の一(体感)ぐらい短く感じましたが、アニメ映画ってこんなもんなんでしょうか…
面白かった。。。
よかった。
そんなに詳しくないし、そんなに前から見ていたわけではないのですが、とにかくよかった。楽しめました。
コミックを読んでないのでどう展開するのかまったく知らなかったから、結末に驚きました。
僕はかなりの涙腺ゆる男ですが、僕の涙腺刺激のジャンルではなかったのに、不覚にも涙してしまった。
一人一人の生い立ち、人となりがもっと見れたら言うことないです。時間に限りあるから。
とにかくよかったです。
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