劇場版「鬼滅の刃」無限列車編のレビュー・感想・評価
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期待値を大きく上回る作品‼️
劇場版での前作「那田蜘蛛山編」、特にテレビシリーズ版での19話にあたる「ヒノカミ」は、神回と言われるくらい感動的なストーリー展開だった。
ここで、水の呼吸を使う炭次郎の父親はヒノカミ神楽の使い手であり呼吸を扱える人物であるという伏線が張られ、炭次郎は今作「無限列車編」で共闘する鬼殺隊最上級隊士"柱"の一人、炎の呼吸を極めた炎柱の使い手、煉獄杏寿郎にヒノカミ神楽及び日の呼吸について教えを乞うことで接点を持ち親交を深める。
前半から中盤にかけてこそはいわゆる炭次郎、善逸、伊之助、禰豆子 を中心に十二鬼月下弦の魘夢(えんむ)との戦いを描いているが、後半は唐突に現れた鬼の上弦の参・猗窩座(あかざ)と、煉獄杏寿郎との一騎打ちが描かれる。
柱達が登場した時、煉獄杏寿郎は間違いなく柱の中心人物だと思っていたが、いきなりその逆だったという結末はインパクト大だった。
この時代で公開されるという逆境をもろともせず、興業収入の記録を打ち出し、老若男女を問わず涙を誘うストーリー展開は、古臭さが一周回って新しいガチガチの勧善懲悪❗️
今作をもう一回観たい、と同時に早くも次作が待ち遠しい限りだ👍
IMAX レーザーにて鑑賞。
映像の美しさとシナリオに感動
ブームというか社会現象で大騒ぎしていた2020年の秋冬に見に行けず、
年越えた2021年1月終わりにようやくの鑑賞。
一週間前にアマプラでこれまでのアニメをまとめて見て、予備知識習得。
映画はアニメの続きで無限列車に乗り込むシーンから始まり、
夢の世界へ誘われたあとは、なぜだか上限の鬼の登場。
そこから上限の鬼と柱のバトルの凄さ、スピードも迫力もハンパない。
時間が経つにつれ、鬼と人間の差、違いが表れ、みなさんご存じの結末に。
悲しいけど、柱=煉獄さんのまっすぐな心の強さに感動。
でも・・・周りから散々号泣と言われていたせいか、そこまでは泣かなかった。
そして・・・ハッピーエンドが好きな私は、もう一度見ることはできないかも。
P.S
2021年のテレビアニメは魘夢を倒すところまでは見ましたが、
上限の参・猗窩座が出てきてからは、録画はしたけれど見ていません。
遊郭編は全部見ました笑
ジャンプ特有の
商業主義ではありますが、この作者さんの才能には驚きしかないです。
が、元々ハードル高めのハードな作品、ダークファンタジーの類を子供ウケする作品に変える商業アニメ化の王道王様、ジャンプ様!の作品としての役目は大いに果たしているのかなぁという感じです。
本来子供が見れる作品ではないと思いますが、それをここまで大化けさせるのは本当に感心してしまう。
これを見た子供たちが、全てものにはそれぞれやむを得ない立場があるんだとしり、その上でも恨みは怨みしか生ず。報復には報復ではなく赦しを、復讐し続ける事の虚しさを学べると良いなぁと、切に願うばかりです。
しかし、この作家さんのキャラクター作りには才能しか感じませんね。個人的には黄色い少年と猪之助が好きかな。
煉獄杏寿郎の壮絶な生き様
心揺さぶられる作品である。やはり、鬼殺隊の最強の戦士・柱の一人、炎柱である煉獄杏寿郎が登場すると、作品の迫力、クオリティーが増し、格別な面白さがある。彼が鬼と戦う姿は、彼の人間としての生き様そのものであり、その凄さに圧倒される。熱いものが込み上げてくる。
本作の舞台は大正時代。主人公は、竈門炭次郎。彼は、家族を鬼に殺され、生き残ったが鬼になってしまった妹・禰豆子を人間に戻すために、鬼殺隊に入り鬼との戦いを繰り広げていた。杏寿郎、仲間の吾妻善逸、嘴平伊之助とともに、次の任務地である行方不明者が多発している無限列車に乗り込むが、夢を操る鬼に苦戦を強いられる・・・・。
夢を操る知能犯の鬼が相手であり、列車内という閉所が舞台なのでアクションシーンは控えめであり、鬼との頭脳戦が展開される。また、過激、残虐なシーンが多い作品だが、どんな時でも変わらない主人公の優しさ、主人公と禰豆子の絆の強さが、作品の殺伐さを中和している。
主人公は強者ではない。懸命に自分の全知全能を使って戦っていく。万策尽きても、考えろ、考えろと自問自答し、自分を鼓舞して戦っていく。決して諦めず生きようとする。禰豆子を人間に戻すという強い信念、兄妹愛が彼の気持ちを支えている。
中盤までは、列車内、夢という特殊な設定で魅せてはくれるが、普通の面白さだった。しかし、終盤に入って、杏寿郎の活躍が始まると、物語の面白さは加速していく。繰り出される奥義は色彩豊かな映像で表現され、美しく迫力がある。また、回想シーンを巧みに取り入れて、杏寿郎の生い立ちが紹介され、彼の強さを支えているものが明確になる。鬼との壮絶な戦いを通して、彼の生き様が浮き彫りになる。
生きるのが辛い時もある。挫ける時もある。しかし、そこで立ち止まっていても何も変わらない。気力を振り絞って前に進まなければ道は開けない。本作は、鬼との戦いを通して、人生の生き方を強く我々に訴えている。
唐突感があるが、シリーズ全体のできがいいので人気が出たと思う
空前のヒットを飛ばした今作、但しエピソードの1つであり、鑑賞当時原作を読んでいなかった(現在は全巻読んでいる)ことから、突然このエピソードが出てきて唐突感があった。
つまり作中では炭治郎やその仲間たちがどういう人物でということは分からなかった。
たまたまその直前にテレビSPで、アニメ版第1話からのダイジェスト放送があったので、キャラクターがどういう生い立ちなのかはわかったが。
本シリーズではファンタジーという虚構でリアリティというのはある程度無視されているが、設定が練り込まれており、特に人物の過去の描写はさすがなところ。
人気が出るのも頷ける。
ただ今作の「無限列車編」では、魘夢はただただ狡猾で非道な人間いや鬼であり、突然出てきた猗窩座の過去はこの時点では明かされていない。
そういう意味では人物描写と言うよりは、エンタメ性に重点を置いた作品であり、そういう意味では物足りなかった。個人的には那田蜘蛛山編が好きだ。
なお、無粋を覚悟に言えば、無限列車の客車が大正ではなく昭和後期に登場した50系客車をベースに作られているのではないかと言うこと。
原作では割とその当時の客車風に書かれているし、資料がないというのなら明治村のSLに牽かれている客車が明治末期製なのでこれをベースに作った方が良かった気がするが。
平板な人物像と単純な世界観の低年齢層向けゲームまがいのアニメ
本作が話題となった昨年、まずはTVアニメシリーズを見始めたのだが、評判とは裏腹に退屈きわまりなく、3、4回見ただけでやめてしまった。
この映画版無限列車編が日本ばかりか世界中で大ヒットしたというので、TV放送されたのを機に再度挑戦してみたところ、何故この作品がつまらないのかがわかった。その理由を以下、ざっと並べてみよう。
1 人物像の平板さ
本作では、炭次郎の心安らぐ場所として親子、兄弟、家族のシーンがえんえん繰り返される。そもそも炭次郎は家族を鬼に殺され、鬼にされた妹を人間に戻すために鬼殺隊に入ったのだから、それも不自然ではないのだが、まだ年少なのだから未来への希望とか物欲とかがあってもおかしくはない。
ところが、「無意識」とやらの領域には、裸の欲望とか未来ビジョンとかまるで存在しない、ただの青い空と広い海しかないではないか。これを映画では「きれいな心」と言っているのだが、別の言い方をすれば、のっぺらぼうな人間ということだ。
同様に鬼殺隊リーダーの煉獄も、戦いで追い詰められていくと、心の拠り所として描かれるのは「親子、兄弟、家族」で、死ぬ間際に母からの「承認」を得ることで充足するシーンが泣かせ所となっている。そのとき炭次郎に言い残す遺言は、弟に「自分の心のまま正しいと思う道を進め」、父に「身体を大切にしろ」――こんな空疎な言葉で炭次郎たちが泣きじゃくるとは、理解不能だ。
他の「鬼滅の刃」シリーズを遡ってみても、こうした家族とのつながりをしきりに強調するシーンが目立ち、その結果、どの人物も同じ平板な人形に見えてくるのである。女性の地位向上に伴い離婚率が上昇する現状を考慮すれば、家族・家庭の価値をいたずらに持ち上げることは異様に感じられる。
宮崎アニメ「千と千尋の神隠し」は、自足できる価値観を持てないまま欲望を暴発させる人間を「カオナシ」として登場させたが、それと比べればいかに本作の人物像が薄っぺらかわかろうというものだ。
2 単純な世界観
どうやら大正時代の日本という設定らしいのだが、そこで鬼が暗躍し、それを駆逐すべく鬼殺隊が戦うというのが、本作の世界のすべてである。
鬼を登場させるために、まだ科学技術が十分行き届いていない時代を選択したのだろうが、その鬼とやらが何やらバンパイア風だったり、対決する鬼殺隊が新選組風だったりして、残念ながらそのどこにも新味、オリジナリティがない。
押井守の関わった「BLOOD THE LAST VAMPIRE」が、戦後間もない時代のアメリカンスクールに出没する鬼と、日本刀でそれを退治するセーラー服の少女という斬新な世界観を打ち出したのとは比ぶべくもないだろう。
さらに炭次郎は鬼に操られて自分を刺した人間を、「自分が死んだらこの人は人殺しになってしまう。そうなったら可哀そうだ」「一人も死なせない」と、鬼との闘いそっちのけで助ける点も、世界観を軽薄化させている。
例えば災害医療の現場でさえトリアージと称する命の選別が行われるのが通常だが、ここにはそうした現実を無視した理想主義の白々しさしか感じられない。自衛隊を否定しながら、自分たちが困ったらその保護を求めるどこかの政党のような、偽善の臭いがプンプンするのであるw
3 「犬夜叉」からの引用その他
妖怪の戦いといえば「犬夜叉」が描きつくしているから、大なり小なり後追いにならざるを得ない。
本作で描かれる戦闘シーンも、鬼殺隊の刀の技は犬夜叉や殺生丸の妖刀が繰り出す風の傷、爆流破、 鉄砕牙、金剛槍破、竜鱗の鉄砕牙 、冥道残月破、爆砕牙と同工異曲で、それに呼吸がどうした、型がこうしたというアレンジを施しただけのものに見える。
同様に鬼とその魔力も、犬夜叉の妖怪のアレンジだろう。犬夜叉の奈落が鬼舞辻無惨であり、彼らがさまざまな妖怪=鬼を操り、主人公たちを付け狙うというわけだ。新味があるとすれば登場人物の変わった姓名であり、この辺は謎解きの楽しみがある。
いずれにしろ本作のメインは、次々に現れる鬼と鬼殺隊の戦いを描くアクションにあり、その点では対戦型ゲームに類似している。ゲームにストーリーを付け加えれば、本作が出来上がるだろう。メインはゲーム部分ということで、その証拠というわけでもないがすでに鬼滅の刃のゲームが発売されている。
子供なら引き込まれて夢中になって見るだろう。コロナ禍の下、行き場の限られた家族客が殺到した理由もわかる。しかし、それと作品自体の評価とは自ずから別物である。つまらないものはつまらない、としか言いようがない。
この作品はアニメの方が断然面白くて原作とは別物。このアニメを作った人が凄いんだと思った。
『鬼滅の刃』が面白いというので、原作漫画の方を読んでみたけど、面白い方の漫画だとは思ったけど、特別面白いかというとそうでもなかった。
『ワンピース』も『ドラゴンボール』も『進撃の巨人』も途中で脱落しているので、こんなものかな?と思っていた。
でも映画を見るの前にアニメ版をフジテレビで放送していたので見てみたら、印象が変わった。
この作品はアニメの方が断然面白くて、原作とは別物。
このアニメを作った人が凄いんだと思った。
アニメから火が付いたらしいけど、納得した。
アニメだとストーリーは同じでも表現方法が変わってくる。
絵も似せてはいるけど、多少変わってくるし、色がついて、音も、動きもつくから違う作品みたいになってる。
何よりも必殺技の表現方法が凄くて、段違いにかっこよくなっていた。
たぶん王道バトル漫画のアニメを作り慣れてる人達なんだろうけど、その人達のテクニックが入って、中途半端な王道バトル漫画を完璧な王道バトルアニメに作り替えてしまっている。
あと内容的には、世界観は現代に近い近代で、日本刀で戦うということで『銀魂』、ストーリー的には、矢で刺されるとスタンドが現れる『ジョジョの奇妙な冒険』みたいな感じで、人気漫画の要素をうまくとりいれている。
それから作者が女性というのもすごく大きいような気がする。
男性だったらまず書かないようなキャラや台詞がいっぱいで、おっさん的には違和感しかないんだけど、それが女性にうけているのかな?と思った。
違和感はあるけど、アニメは完璧な王道バトルものになっているし、必殺技がやたらかっこいいからあまり気にならず、許せてしまう。
逆に言えば、男性が王道の少女漫画書いても中途半端なものしか書けないけど、アニメ作る人が修正して、完璧な王道ものにしたので、男性も女性も楽しめる王道少女漫画アニメになったような感じ。
それに加えて、主題歌がアニメファン以外にも通用するような名曲だったのも、ブレイクを加速したような気がする。
不特定多数の人にうけるためには、とにかくわかりやすさが大事だと思うので、主題歌が名曲というのはすごく強い。
うまくいけば、内容などなくても、うまく曲と絡めてPVのようなものを作ればそれだけで売れると思う。
今回の『無限列車編』はテレビアニメの延長線上で、映画だからといってさらに面白くなっているかというとそうでもないと思うし、他のエピソードの方が好きな人の方が多いと思う。
でも個人的にはここが一番好きだったので、映画化してくれてよかったと思うし、面白かった。
走っている列車で戦うところが、スピード感があっていいし、アニメになるとそれがさらに増していた。
列車も鉄道博物館にあるようなSLで、雰囲気があって、それが動くので鉄道博物館でSLに実際に乗っているような気分になれたのもよかった。
この映画の主人公といってもいい鬼殺隊の柱煉獄さんも、ここで本格的に登場して、ここで死んでしまうキャラで、他の柱は出てこないので一番目立っていて、必殺技も含めてかっこよさが半端ないし、ここで完結する感じが映画化に向いていると思った。
LiSAのテーマ曲の『炎』って煉獄さんのことだったのか?とこの映画見て初めて気づいた。
『無限列車編』がこれだけ成功すると、また違うエピソードを映画化するのかな?
でも一番好きなところが終わったので、次回作は見にいかないかも?
再生不可能な人間だかこそ
この時点では、完全にブームに乗り遅れて、何とか今更ですが、退院してすぐの妻と一緒に伊那市の旭座さんで観てきました。
ブレイク前、深夜帯で放映されている頃、娘と妻が夢中で観ていたときも
ブームが始まって、映画が大ヒットした時も、正直進んで観ようという気持ちにはならなかった。
でも、Amazon primeで、何話かを妻の誘いで観て、何となく26話を全部観て、よーやく本シリーズの面白さを味わえた。
当初、単純な鬼退治のアニメだと思ったけど、
鬼にも彼らなりの事情があり、死ぬ時の断末魔に何とも言えぬ切なさが残ること。
炭治郎が努力に努力を重ね、呼吸やカタを自分のものにしていく成長物語なのだか、
まだまだ、敵も味方も凄い奴がいるって
いうその先の広がりみたいなものがあることなどが魅力なんだろうなと感じた。
そして、満を持しての映画版。
鬼も鬼殺隊もさらにスケールアップ!
無限列車の中で、すぐに鬼との戦いシーンが起きるが、
「これが全編だと面白いけど、ちょっとキツイかな」なんて、、杞憂だった。
そんな展開?
まるで「インセプションやないかい!」
そうか、そうだったんだよな、
炭治郎があれほど一途に修行をし、自分を強くしようとするわけが
あれほど、禰󠄀豆子を守るために必死なのかを、あの「インセプション」で思い出させてくれた。
そう、物語の起点、炭治郎の旅の悲しき出発点を、、
少し自信はないけど、テレビ版の26話ではそんなに頻繁に家族全員が居るシーンを回想していない気がするんだけど、
この映画版のあの夢のシーンのために取っておいたのなら、凄いことだな!
夢の中の家族を断ち切って、鬼に挑もうとする炭治郎に最初の😢
そして、もう一人、夢の中で、過去の哀しい出来事と対峙しているひとがいる。
本作のもう一人の主役、煉獄杏寿郎。
彼もまだ家族を背に、過去を抱えながら今を懸命に生きているのだ。
無限列車そのものが、、、
このイメージの壮大さ、手強さ!
それに立ち向かう、煉獄チームの連帯!
杏寿郎の仕切りの巧さ!
自分は支えに回り、鬼本体との対峙は、
若き炭治郎と伊之助に任せる采配の妙!
さあ、これで終わりかと思いきや、
本作はもう一つの対決に移っていく。
ヒトVS鬼。
煉獄杏寿郎と猗窩座の壮絶な戦い!
鬼ながらも、この猗窩座とキャラクターの魅力的なことか!
あの煉獄杏寿郎への誘い。
乗っちゃうよな、だって再生可能なんだもん、
再生できない生身であることの弱さ、脆さからヒトは逃れられない。柱になっていても、、
今回、役としてもっとも成長しているのが、
伊之助と善逸だと思う。
正直、テレビ版で2人が出てくる場面はおちゃらけが過ぎて、乗れなかったが、
今回は、キャラクターとしての成長がきちんと描けて、
ちゃんと、炭治郎と3人という次世代を担う仲間になっていたと思った。
ラストの伊之助のリアクションに、
もちろん、その前の出来事に、2度目の😭
劇場の音響の影響か、僕の耳の老化か、
絶叫セリフがやや聞き取りにくかった点、
列車内の人間が背景としてしか描かれず、
よって杏寿郎たちの命がけの行動があまり伝わり難かった点、
など、マイナスもあるけれど、
煉獄さんの言葉を借りると、
1人として死なせない!
あれから、8ヶ月。テレビ放映をまた妻と観て涙しているオヤジです。
不完全燃焼
私はアニメ、声優にあんまり興味がありません。
鬼滅の刃の原作、ネトフリ(去年の冬にイッキ見)両方とも鑑賞しました。ネトフリアニメの19話は完成度が高く感動して涙し、今後の続編に可能性を感じさせられる作品でした。
そんな折、鬼滅の刃 続編 劇場版 ということで公開1ヶ月後に劇場まで足を運び、そして今再び、ネトフリで反芻しました。
劇場初見時、炎柱登場から切手血鬼術発動発覚後の4人の夢の部分を映画的にするには改編ナシ(圧縮)では映画としてはキツいな(「シャイニング」キング版を観ているような感じ)と感じました。同時に原作に忠実なんだろうなと感じましたが、後からネトフリ再編版を見て、最初から映画に(圧縮)する気がなかったということがわかりました。
アクションもあんまり興味がないので初見時は朦朧としてしまいました。
メインの3人や炎柱らに既視感があり(炎柱母含む)、人物の造形が物足りないように感じました。先祖代々そうだったから、母に言われてきたからという理由で鬼殺隊に入る
まではキッカケとしてはあるかもしれませんが、「弱きを助け強きを挫く」という大義を掲げるキャラであるならば、捕捉的にそのキッカケを描く必要があるのかもしれないというかあるらしいですね観てないですが。脚の運びに捻りや演出、作画やアクションがあっても、どこかでみたような人物たちのどっかでみた筋、つまり予定調和モノのように感じました。
煉獄杏寿郎に惚れました!
オメメの汁で飯を喰う作品
観たら負けた気がするので、今まで避けていました、正直。
で、プライムでタダで観ることができたので、じゃあ暇つぶし程度にと思い。
やはり暇つぶし程度の薄っぺらい中身と感じました。
なにがクールジャパンなら、
鬼滅が描いとる映画は何を売っちょるの、お涙頂戴じゃないの。
いうなりゃ、あれらはオメメの汁で飯喰うとるんで。
むごすぎる
炭治郎にどこまで背負わせれば気が済むのか。
一家惨殺に合い、家族を失い、助けられなかった自分を責め、鬼になった妹の立場と命を守り、生きることだけでも体力と精神力を奮い立たせている15歳だというのに。更には戦闘。
無限列車編は鬼の質も悪すぎる。家族が全員生きていた幸せな夢を見させておきながら、それを自ら斬って現実に戻ってこなければいけない炭治郎。
脚本は正気なのか?
そして、こうして大切な存在を奪われた気持ちの集まりこそ、戦争や異民族に対する無条件の嫌悪意識を産んでしまう、戦争を助長・正当化するような話にどうしても見えてしまう。
鬼と共存派も柱の中にはいるものの、戦時中の竹槍対B29の日本同様、鬼から狙われたらもう最期、生き残る術などないのが不公平極まりない。
それでも迷いなき煉獄さん。特攻隊の、1番大切な命を犠牲にしてしまう倫理観と同じよ。
特攻隊は軽さゆえ飛べたがそれは命を守るという概念で作られず何も積んでいないから。実物を見ても鉄板と椅子のみの丸腰。対策されてから全く勝てなくなったが、その精神が理解できない価値観で怖いと、アメリカからは恐れられていた。
柱は戦略を変えなければならない。
そこに美意識を感じてしまう限り、日本人は組織で団結して見せて個人の能力や自己犠牲頼りの組織であり続けてしまう。
普天間にしろ、我慢が美徳でないのに耐えてしまった結果、出てるでしょ。
15歳の子にこんなに背負わせる話が良しとされてはならないと子を持つ親としてどうしても感じてしまった。
戦闘で首や身体の部位が飛び散る描写も、子供も見る作品としてあってはならないと感じてしまう。
視覚だけでなく精神的にもむごい作品。
寂しさ悲しみを、許せないという怒りに変えて鬼狩りにぶつけて、犠牲者達をこれ以上生まないために勤しむ柱達。悲しくてならない。
勧善懲悪の話は必要だし、海外にはあまりない、心の機微が描いてあり深みがあるのはとても良い。でもここまで悲しくさせることないって。
そして、悪い鬼なら殺して良いのか、子供も見てしまう作品なのだから、立ち止まって考えさせる1クッションが欲しい。我が子には見せられない。
悲惨さの中でも諦めず、同じ悲しみの連鎖を生まないために頑張れる柱達の苦悩と強さを大人は理解ができるからこそはまるのだろうが、子供達には派手な戦闘と暴力的直接的な殺害シーンばかり脳裏に焼き付いて終わってしまう。その記憶が大人になった時どこかで、憎い感情を覚えた時の言動ベースになる可能性も秘めていると思うと恐ろしい。
灰汁のある作品だが感動できる作品
それぞれのキャラクタの作品が立っている。作品中で成長していく三人組はそれぞれ炭治郎を除いて明確な欠点をもっており、対して煉獄は変わってはいるが信念が完全に固まっておりゆらぎ無く彼が三人を導くことになんの違和感もない。
何が見どころかといえば、煉獄と炭治郎の動きだ。煉獄はゆらぎない信念で三人を導く。その生き様はほれぼれし、胸が熱くなるものでもある。対して炭治郎は力はまだ弱いが、今回の事件を解決する糸を最初に見つけ、煉獄さえもできなかったことを成し遂げている。その理由は、煉獄のインパクトに負けており、主人公=視聴者の代弁者的な立ち位置であるために見えにくいが、炭治郎には真実を見抜く嗅覚と煉獄に負けない家族愛があるからだ。
今作で面白い場面は四つある。一つは呼吸法。呼吸法はこの作品が一貫して扱う一つのシステムであるのだが、実際の現実において呼吸法はストレス社会で精神や健康のために瞑想やヨガとともに勧められるものだ。スポーツやダイビングの世界でもやられているものであるが。ジョジョという作品においてもあったが、今作品の人気によってまた一般社会に知られる言葉となった。この作品から実際の呼吸法を知り行う人が増えたのならば、それはまたこの作品の世界への貢献として良いものがあるだろう(そんなあいまいな一般論をここで言う意味はあまりないと思うが)。2つ目は敵の技が、実際のスピリチュアルなシステムに近似する可能性があること。スピリチュアルなシステムを作品の中に盛り込むものは多いが、自然に描けているものは少ない。そして、今作の多くの時間を割いて行われる夢の中での攻防が、実際に行われれいると私が信じている、アストラル界での攻防に近似している可能性を感じたことだ。3つ目は、炭治郎が夢の中で自意識を蘇らせるきっかけとなった、夢の中での父親の助言、湖面に写った自分を叱咤する自分の顔である。守護霊が夢の中に現れたと考えればよいかもしれない。4つ目はそれぞれのキャラクタの核の描写だ。これについてはリアリティがあるのか何も感想を述べることはできないが、炭治郎の美しい核の描写が印象に残る。
敵と戦う系の漫画、エンタメ作品を見たがらない人は一定数いると思う。血なまぐさいのは駄目だという人や、感動モノ、恋愛ものしか見ないという人等。そういう人にこの場を持っておすすめしたいのは、敵を自分の中のエゴとして内面化して見ること、作品全体を自分の中の葛藤を暗示するものとして見ることだ。そうすれば、全てが学びとなる。
今作で一番心を動かされる場面は煉獄が自分より強い鬼と相対する場面だ。最後までブレず自分を貫く姿には心を打たれずにいられない。
灰汁と私が書いた所は、7割以上が炭治郎に対するものであるが、自分の心境を語る言葉の数が多すぎて説明過多と感じるかもしれない部分があることと、コメディ要素が強くですぎている部分があるかもしれないということだ。こういう部分は作品の味ではあるが、新参者が見た時になんだこれは?と思わせる危険性があると思う。
最後に、魘夢という鬼(敵を眠らせる奴)が負けた時に自分の心境を述懐する場面は、敵を邪悪なものとして描いて切り捨てる多くのバトルもの作品と趣を異とするものであり、面白く感じた。
全1158件中、61~80件目を表示