「炭治郎の主人公像と心情描写のうまさ」劇場版「鬼滅の刃」無限列車編 たっくんさんの映画レビュー(感想・評価)
炭治郎の主人公像と心情描写のうまさ
2020年12月26日から開始された、IMAX・4DXで初鑑賞しました。Abemaプライム会員になり、テレビシリーズを一通り見終えてからの鑑賞。対決シーンを含め、4DXの特徴を至るところで生かしており没入感がありました。この作品において、評価されるべき箇所は以下に詳述するとおり①主人公像と②主人公の心情描写にあると考えます。
①主人公像
鬼滅の全体を通して言えるのは、奪われた日常を取り戻すために血を吐くような努力をする主人公像であり、コミカルさとシリアスさの共存だと感じました。ポジティブな夢を追いかける主人公像も輝かしく映りますが、何者かに平穏な日常を消され苦闘しながらも模索しつづける炭治郎の姿に共感を覚えます。コロナ禍で先の見えない世の中だからこそ、多くの人の心に刺さった作品だといえるでしょう。
自分の家族が襲われたことに自分を責めるシーンが印象的でした。炭治郎、あなたは立派に家族のために尽くしている、素晴らしい長男ですよ。鬼になった妹を我が身よりも大切にかばい、宿敵に立ち向かうあなたを責めたりする人はいません。
②主人公の心情描写
今作、無限列車編で描かれているのは炎柱・煉獄杏寿郎とのかかわりです。炭治郎は一人で汽車一両守るのがやっとという状況だが、煉獄は一人で五両を守るからと柱らしい戦いぶりを披露する。炭治郎らの煉獄への尊敬が随所ににじみ出ている。魘夢での炭治郎の格闘に、鬼滅の真髄があるように感じました。前述の家族を亡くしたことへの自責の念です。大切な何かを失っても、それを奪い返していくことがたとえ茨の道であったとしても、どうにかして現状を変えようとする炭治郎の姿に人は共感するのでしょう。
生きながらえ強くなった下弦の壱を必死の思い出断ち切るも、突如現れた猗窩座。数百年顔ぶれが変わらぬという上弦の参との戦いで煉獄は敗れる。強敵・猗窩座を前に劣勢となっても、鬼となり延命する提案を却下し、戦い続ける煉獄。「強さは肉体に対してのみ使う言葉ではない」という言葉が刺さりました。炭治郎の、自分が煉獄に程遠いという心情描写が非常にうまくされていました。鬼滅を通じて、鬼殺隊の中で腕をあげようと努力する炭治郎―それを応援する読者(視聴者)の構図がうまくとられていたと感じます。読者(視聴者)の立場がはっきりしているからこそ、読み手を引きつける描写が明確にされているのでしょう。