「コロナ禍の現下ゆえに」劇場版「鬼滅の刃」無限列車編 keithKHさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5コロナ禍の現下ゆえに

2020年12月3日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

平安初期に書かれた「伊勢物語」では、在原業平が駆け落ち逐電した先で、女が鬼に喰われてしまい、「今昔物語集」「御伽草子」において源頼光は部下の四天王と共に、人々に災厄を撒き散らす大江山の酒呑童子=鬼を退治します。
古来、日本では、日が暮れ漆黒の闇が深まる夜になると魑魅魍魎が跳梁跋扈し、百鬼夜行が漫ろ歩いて人を喰らう、人智の及ばない妖怪変化=“鬼”が支配する恐怖の世界となっていました。
文明が開化し浸透し、人々が自然を克服し破壊し統制するようになるにつれ、鬼たちは棲み家を無くし放逐されていきました。しかし鬼たちは、新たな棲み家を見出しました。己の力を過信し驕った人の心の中に棲みつき、人の“恐怖”を操るようになって久しいのです。

時間に追われ気忙しく日々を送る現代社会、多くの人間が日常生活に埋没し、フラストレーションに晒される毎日。一方で世界がダイナミックに秒速で変化するグローバル経済の下、いつでも誰でもが心を病んで不思議ではありません。
翻って今、全世界を覆う新型コロナウィルスの猛威の中、言動を抑制させられる抑圧感、目に見えない言い知れぬ不気味な閉塞感に晒された現下で、TVバラエティ番組で笑い=ひと時の緊張の緩和による刹那的な癒しは得られても、それだけでは心の底流に蟠る遣る瀬無い不平不満は払拭されず、人々はやはり他の多くの人と共感し合い、そして没頭して心底から感動することを渇望し、飢えています。
本作は、多くの日本人が、その心に巣食う“鬼”の存在を痛感し疼いているからこそ、ソーシャル・ディスタンスで隔てられつつも、他人と同じ世界観の中に浸り、感動を共有したいがゆえに日本映画史上の最高興行収入を上げようとしているのでしょう。

本作のスジの基本的骨格は、正義の集団と悪の集団との抗争劇であり極めてシンプルな、主人公たちの冒険成長譚でもある勧善懲悪ストーリーですが、そこに構築された複雑な組織体制と規律、そして戦闘方法は独特であり、それゆえに既に完成されたこの物語の枠組みを共有することによる、不可視的な固い連帯感が強力なモチベーションとなって、皆を映画館に走らせていると思います。
代償を求めず、己の命を賭して他者の命を守る行為の、神々しいまでの高潔で崇高な死の美学がそこにはありました。また背景の緻密で写実的な描写が、いかにも漫画的なキャラクター画図を、眩いほどに印象的に引き立たせています。

但し、際立って特殊なターミノロジーに共鳴できないで観ると、今一つ感情移入がしきれず、驚ろ驚ろしく怪異で、ある意味で耽美的で猟奇的な世界観に、全く共感はしきれないと思います。

多分、人間は2種類に分けられます。一つは“鬼”がはっきり見える人間、今一つは“鬼”に棲みつかれ“鬼”が見えなくなっている人間で、今のコロナ禍では後者が圧倒的に多数を占めているのでしょう。

keithKH