プリズン・サークルのレビュー・感想・評価
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懲罰ではなく心の回復としての受刑
官民共同の運営で、日本で唯一「TC(Therapeutic Community=回復共同体)」を導入している刑務所を追いかけたドキュメンタリー。懲罰としての受刑ではなく、犯罪にいたった要因を探り、罪の意識と向き合わせ、自身の過去とも向き合わせてゆく。受刑者の多くは貧困や虐待を経験し、何かしらの常識や価値観が欠落している。いくら懲罰を押し付けても、価値観が伴っていなければ意味がない。この刑務所では、過去を紐解くことで罪に走ってしまった要因を自ら考えさせ、他者への想像力を養うように教育していく。
窃盗に罪の意識を感じ取れていない受刑者が出てくる。彼は「窃盗と罪を感じる心」そのものが欠落している、その欠落を回復させていくことで反省を促す。プログラムではロールプレイングと対話を通して人間性を回復させてゆく。受刑者のプライバシーを守るため、顔をぼかし名前は仮名にしているが、それもまた見事な演出となっている。アニメーションの使い方も見事で、目の付け所も、技法も素晴らしい作品だ。
罪を憎んで人を憎まずとはい言うものの
生まれつきの悪人はいない!そう信じたい。罪を犯したひとにも背景がある。更生のチャンスは与えられてもいいものだろう。人としての当たり前を知らずに育った若者4人をメインにカメラが追う。人として当たり前の感情を取り戻すべく矯正プログラムは進んでいく。せっかくのチャンス。苦しい道のりだっただろう。きっとこれからも楽ではないはず。どうかどうか、しっかりと歩いてほしいと願うばかりである。これからは支え合える仲間たちがそばにいるのだから。
この取り組みは刑務所の中だけでなく、我々の日常生活の中でも取り組めないのだろうか。傷つきに気づかないまま、自覚しながらもがき苦しんでいる人たちも世の中、珍しくないでしょう。社会全体で取り組むことで、もっと寛容な社会を作っていくことにつながるのではないだろうか。
暴力の連鎖を止めたいと思う全ての人へ
ということばでエンドロールがおわる。
ここにいる人たちは、そこに至るまでのそれなりの理由や経緯がある、そのことさえもここでTCというサークルに入ることで気づくこともあるように感じた。
赤ちゃんや幼児の頃の体験を思い出すことで生き直しをしようとするようなところも。
それでもやりたいことがなくても生きていこうとする姿が清々しくて、最後の取材者とのインタビューで、握手してもいいですかと照れながら明るく聞いて刑務官にダメと言われて決まりだし規則だし約束だけど握手とできないことが悲しかった。
砂絵の街の冷たい色のない風景。無関心と事なかれ主義の私たち。出所してもやる気、教育の効果だけではうまく転がらないこともある。
許し。赦し。
自分がこうなってしまった起因となる社会や環境いじめたやつへの赦し、こうなってしまった時分への赦し、被害者の許しと赦し。多くの方はら加害被害双方向の自己、対象との許しや赦しの授受を積み重ねていくのだろうし常に無関心になりがち、無関心を強いられがちな私たちも勇気を持ってそのサークルに踏み入れ踏み込み砂の町に彩りをつけていく努力が必要と思う。
それにしても日本のシステムの冷たいこと。
被害者を思い出しながら
TCという再発防止の更生プログラムの話。
加害者が再び社会に戻る前に、何が必要なのか。
それを丁寧に描いた映画だと思った。
しかし、上映当時に刑務所に収容されていた40万人のうち、更生プログラムを受けているのは40人程度で、しかもそのうち再入所しなかった人数は半数程度だという。
この構成プログラムに、どれだけ費やすべきなのか一考してしまった。
必要性は十分に理解するが、「社会」はどれだけそれに協力すべきなのだろう。
入所者でなくとも本心で話し合う場は
人生においてかなり重要なものだと思う。
どうしたら、そういう機会が増えるだろう。
SNSだけでなく、面と向かって話し合えるような機会、サークル。日本にはどれだけ少ないか。
この映画を観る上で勿論忘れてはならないのは
被害者の存在だ。
今回、映画で取り上げられたのは懲役10年未満の犯罪であるが、いずれも被害者がいることを忘れてはいけない。
更生プログラムで初めて自分の本心を話すことが出来て、仲間ができて、自分を見つめ直し無事社会復帰した青年に涙する映画では決して無いのだ。
おそらく監督の意向で、子供時代の思い出が語られるが、それで何かを擁護できるわけでは決してない。この映画はナレーションが無く、擁護では無いフラットな姿勢で彼らを映しているように見えた。
「暴力の連鎖」を止めようという時に、被害者の存在を忘れてはならない。
が同時に、ではいつ加害者は笑顔になれるの?と考えてしまった。
いつ社会に馴染めるようになるの?
常に贖罪し続けないといけないの?
いつ「虐待被害」から解放されるの?
「死にたい」と思わずに済むの?
いつになったら救われるの?
どれも擁護では無いが、彼らの人生の事実である。
ただ、坂上香監督が
「自分も「暴力の連鎖」を体現してしまったことがある。その為、それに向き合うのが自分のライフワークだ」
と語っているのを見て、何か納得したところがある。
犯す前に…
渋谷区の『アイリス講座』にて鑑賞
ただ服役をするだけでなく、TC(Therapeutic Community)→『対話通じて更生する』という日本では特殊な支援を受けた方々の映画。
法を犯した者が、なぜそのような行為を起こしたのか普通の人には想像がつかない。
しかし、実際に映画を観てみると『なぜ』の答えを出すことがあまりにも難しいと分かる。
4人の登場人物をみると、それぞれ考え方のクセはあるが幼少期に自己を確立できる環境がなかったように感じる。
人は発達の過程で、甘え、受容され、正しく叱られるという経験がないと、善悪の認識を持てないのか…
何が正解か分からない。
再犯防止にはTCは効果的であるが、そもそも犯罪を犯さない人間に育てるにはどうしたら良かったのだろうか。
これではまだまだ被害者がいなくなることはない。
この映画を通じて、犯罪を他人事と思わず多くの人が対話することの重要性について学べたらいいと思う。
それがTCでなくても、友人、親、恋人でもいいと思う。
娯楽というより教材のような映画でした。
自分で自分のことを語る難しいさを実践。
刑務所で、更生プログラムとして行われているTCの現場を取材したドキュメンタリー。
進行役の有資格者のもと、与えらた最初のフレーズから続きを書いたり、自分の犯した罪や生い立ちについて語り、自身の犯した罪と向き合っていく。これを行うと再入所率は半減するが、そのプログラムを受けることができるのは年間40名程度。
なかなかこういうことが進んでいかないことが寂しいが、さらにこういうプログラムが増えていくといいなー。
以前、奈良少年刑務所の入所者が書いた詩集『空が青いから白をえらんだのです』を読んだが、それも更生プログラムの1つであると知った。それも自分の内なる部分を発見し、見つけて、罪と向き合っていくことを目的としている。
こういうドキュメンタリーはグッとくるなぁ。
今の社会に足りない何かがそこにあった。
ブレイディみかこさんの著書「他人の靴を履く 〜アナーキック・エンパシーのすすめ〜」で取り上げられていた映画。
舞台は島根あさひ社会復帰促進センター。受刑者が車座となった場で、社会復帰調整官を始めとする福祉専門員が伴走しながら、各々の幼少期や犯行時の心境を振り返る作業が繰り広げられる。
その時の自分の感情を言語化したり、他の受刑者が演じる自らの犯罪の被害者を心境を言語化することで、自己の感情に向き合う作業。他者の心境を知り、自己の感情を知ることで自己を獲得することに成功した事例が生々しく紹介されていた。
この映画とは別に、以前別の少年院で他者視点取得を狙ったVLFというワークが行われていて、それでも同様の効果が現れていた。言葉を紡ぐのに急かさない、ゆっくりと進行する心理的安全性が高い場だからこそ、素直な気持ちで表現できているのだろう。
出演した受刑者は(受刑者の中でも)言語表現能力が高いように思える。また既に判決が出ている受刑者だからこそ真摯に内省できたのではないか、とも思える。しかし審判的にならない対話の力を改めて感じたことは確かだった。
全国に受刑者は約4万人いて、このプログラムの定員は40名。数で比較するとプログラムの定員が圧倒的に少なく感じるが、受講できる割合はそんなに高くないだろう。受刑者の受講機会を高めることも大事だが、実は、このプログラムが相応しい人は触法者に限らないと思っている。
大なり小なり幼少期の環境、特に親の厳しい態度が自分自身に傷を残していて、それが本人も自覚しない心理的外傷(本当の意味のトラウマ)として残ることもあるだろう。さらにその生育歴で他者の感情に従ってばかり(他人の靴を履いてばかり)で、自己を獲得できない(自分の靴を履けない)こともあるだろう。そうして望まない形で今の自己(自分の嫌いな性格)を形成していることも多いと思う。
そういう意味では、こうした(車座でゆっくりと言葉を紡ぐ)場はもっとあっても良い。触法の有無どころか障害の有無も年齢も問わない。他者を知り、自己を知る場が社会に足りない、と感じた。
ハードルは高い
受刑者同士の対話をベースに犯罪の原因を探り更生を促す「TC」というプログラムが導入されている刑務所のドキュメンタリー。
語り(ナレーション)はなく、無機質な刑務所の四季の移り変わりで時間軸を表現している。
受刑者が作った「嘘しか言わない少年」の話が心に響いてくる。
誰しもが何かを抱え、何かが欠落してしまっていることが端的に表現される。
TCの検証結果が良好で、コストを抑えて一般化できるものになることを祈りつつも、受刑者の生い立ちを聞くと、その原因部分の改善が本当に大切だと感じさせられた。
心理師の力量がすごい
人に話を聞いてもらうことの大切さ。
人と触れ合うことの大切さ。
ここに出てくる受刑者たちは、児童虐待を受けて育っている。
虐待を受けたら、犯罪者になるとか、障害があったら犯罪者になりやすいとか、そういうモノサシの話ではないけれど、彼らが語る幼少期の話は過酷だ。
いじめを受けたり、暴力を見て育つと、どこか感情が止まってしまうのだということが、彼らの言葉から証明されているようで。
TCと言われる手法には、エンカウンターやゲシュタルト、ピアカウンセリングなど様々な心理療法が盛り込まれている。
そのどれもが素晴らしく高度な技法で進められている。正直、受刑者同士でこんなにも深く語り合えるものなのか、疑問にすら思ってしまうが、これはドキュメンタリー。真実を映し出しているのだと思う。
犯罪を犯す前に、話を聴く人がいたら。
誰かを傷つける前に、自分の傷つきを癒せたら。
「痛いとか、寒いとかは感じるのに、自分の感情を語ることができないことに泣きたくなる」
それを言えるまでになれたことが、素晴らしい。
心理を志す方々に、ぜひ観てほしい。
人の心を聴くことや、虐待、いじめを受けた子どもたちに、どう向き合うのか。
何かヒントが見つかるのではないかと念じずにはいられない。
「暴力の連鎖を止めたいと願うすべての人へ」
犯した罪とどう向き合うのか。
舞台は「島根あさひ社会復帰促進センター」、所謂PFI方式の刑務所である。
刑務所といったときに想像する無機質さと過剰にも見える規律は勿論存在する。現代的な施設及び無人で運ばれる食事などを見たときに、現代の無機質さを少し重ね合わせてしまう。
ただ、本作の主題はそこではない(が、刑務所の無機質な映像には含意を感じる)。TC(セラピューティック・コミュニティ、日本語では回復共同体)とそれにそれに取り組む受刑者たちの姿である。監督のインタビューを拝見すると、撮影にはかなり厳しい制約が伴ったようだが(作品中にもそれを示唆する文言がある)、TCという取り組みを伝えようとするその気概が伝わってくる。
取り上げられる受刑者たちは、私たちが「犯罪者」に抱くイメージとは異なる。彼等は悪の権化ではない。生育歴や生活の困難さから、遵法精神がどこか希薄になり、自己と向き合えず、視野を狭め、暴力や詐欺、窃盗をはたらく者たち。恐らくどこかで一歩道を踏み外せば私だってこうなっていた、と思わせる何かがある。そして、犯した罪とうまく向き合えず、「自分」を思ってしまい葛藤する。
教育で求められるのは自分と、罪と向き合うこと。徹底的なまでの自己開示。矛盾する感情との対話。
人と人が分かり合うのは、普通に考えるより圧倒的に困難だ。だからこそ、この社会は罪を犯した者たちを徹底的に糾弾し排除する方向に進んできた。自分たちに分からないものは「ないもの」とする。
映画に取り上げられた4名の受刑者のひとりに非常な共感を覚えた。私もそういう思いになったことがあると思った。私が彼にならなかったのは、ほんの少しの違いでしかない。
罪を犯した者たちが己の罪と向き合って一歩を踏み出すことは、市井に生きる我々にとっても重要なことだ。分かり合うことが難しいからこそ、分かろうとする、向き合おうとする努力は絶対に怠ってはならない。
そして、出所者たちの現状。再入率が他の刑務所と比べて半分というデータが最後に提示されるものの、やはりそこには厳しさも垣間見える。しかし、「仲間」が居るだけ彼等はまだ良いのかもしれないが...。
ラストに示される「暴力の連鎖を止めたいと願うすべての人へ」が全てだと思う。皆が考えるべきこと、向き合うべきこと。
《社会は紙一重》
施設の設計、建築及び運営の一部を民間事業者に委託して運営される「PFI刑務所」の一つ「島根あさひ社会復帰促進センター」が舞台。
そこで実施されている「TC(セラビューイック コミュニティ)」と呼ばれる「治療共同体」で変化する4人の受刑者を描いたドキュメンタリーです。
私は精神障がい者の支援を本職としながら、ホームレス、ひきこもりの人達とも関わってきた。その全てに共通するのは「他人によって生活を壊された人」ではないだろうか?
受刑者たちは4人とも親による虐待を受けていた。合わせて学校でのいじめを受けていた。
虐待は背景に貧困がある。だから貧困の連鎖を解消する事が虐待を減らし、犯罪者、精神障がい者を減らす事に繋がるのではないか?
罪を犯した事には責任があるかもしれない。だからといって望まない人生、特に子供時代を過ごした事は自己責任だろうか?
歪んだ価値観が蔓延る世の中を作った日本の社会そのものの責任ではないか!
皆に見てほしい映画
こんな素晴らしい映画を作ってくれた関係者の皆さまに感謝を言いたい!
くらい素晴らしい映画でした。
日本ではまだ一つの刑務所でのみ行われている
実験的な教育プログラム。
集団カウンセリングのような形で、
受刑者たちが自分の犯罪に向き合っていく。
犯罪は悪いことだ!
と糾弾しても何もよくならない。
犯罪に至るまでの悲しい経緯。
そしてプログラムを通して
更生していく受刑者。
出所後には辛い現実が待ち受けていることだろう。
それでも再犯率は通常の半分以下とのこと。
このプログラムを全国の刑務所で行って欲しい。
自分が幸せになりたければ、
皆で幸せにならなきゃダメだ。
負の連鎖を断ち切らなければ
1人だけの幸せなんてない。
すばらしいドキュメンタリー!
「TC(Therapeutic Community)回復共同体プログラム」。
刑務所の中でこんな取り組みがされてるって、そもそも知らされてないですよね。そう、精神科病棟と並んで”閉ざされた世界”である刑務所に2年間、カメラが入ってのドキュメントです。
黙々と作業し、厳しい規律に従ってただただ刑期を全うする、中では上下関係も出来ていていじめみたいなのもありそう、私語厳禁の静かな世界…そんな先入観で観に行くと本当にびっくりします、「これって処罰なの、刑務所なの、甘すぎない?!」と。でも観終わる頃に気づくのです、「犯罪者=処罰されるだけの存在と考えていたこと自体、私自身の無知と理解の浅さによる偏見だった」と。なぜなら加害の裏にある被害、そして両者に共通する”暴力”の問題、人は人によって変化する(させられても来る)といった真実に気付かされるからです。私だって、加害者になっていたかもしれない。”無視”することで、加害者になってしまう後押しをしていたかもしれない、と。
グループ療法であるTCの間、受刑者は「さん」づけの名前で呼ばれ、とにかく”対話”をします(なので「ここが刑務所?」って思うほど、賑やかなのです)。まずは心理教育から始まりますが、それはまるで”自分を表現するための言語獲得”のための時間のよう。自分の体験を表現する”言葉”を得た彼らは自分自身を語り、そして仲間・先輩の話に耳を傾ける。そのやり取りで得られる「一人の人として尊重され受け入れられる安心感」をベースに、継続的に行われる教育と対話の中で、やがて彼らは自分自身の傷つき(トラウマ)や罪悪感にも向き合うようになり、感情と共感そして葛藤が生まれ、真の意味での贖罪の感情が生まれてきます。その変化には”人間の可能性”という希望も見出せます。顔にはモザイクがかけられていますが、その声、手足や姿勢から、彼らのその時々の感情や変化が伝わってくるので、まるで自分もその場にいるかのようです。
プログラムの冒頭で軽く「罪悪感が無い」と語る受刑者の姿などは、観ていてハラハラするし正直憤りや絶望感も感じました。「いやー、この人には更生は無理じゃない?一生変わらないし釈放されたらまたやっちゃうでしょ」、と。しかしながらそこからその彼の生い立ちや語り、TCでの変化を観ていくとシンプルに「それはあなたの自己責任」なんて言えなくなってくるのです。彼らに私は何をして来たのか・して来なかったのか、今後彼らと一緒に社会で生きていく(≒更生して再犯せずに生きてもらう)にはいったい何が必要なのか。自分自身に突き付けらます。
こういった問いに対し、加害者を単なる「自己中のワガママ、責任感や罪悪感全くナシの全く共感できない異人種」「いやいやトラウマがあったってまともな大人になっている人も多いでしょ」と片づけてしまうと、単なる厳罰化推進といった”答え”にしか辿り着けなくなるのでは、と思います。TCの取り組みは、再犯防止やそもそも犯罪者を生まない社会のための議論への答えのひとつなのでしょう。TCを受けられるのは全犯罪者のうちほんの一握りである、と言うのがすこぶる残念ですが。ぜひTCを導入する刑務所が増えて行ってほしいです。
もちろん、加害をどう捉えるかについては、加害者/被害者、支援者/傍観者そして家族、友人といった自分の立場によって変わってくると思います。また、”赦す”かどうかについてはまた違った議論になるでしょう。しかしながら、まずは”こういうことがある・起きていたのだ”という現実を「知る」こと抜きには、そもそも考えたり話し合うこともできません。この映画はそのための稀有で貴重な時間を与えてくれます。本人の”語り”を彩る砂絵のアニメーションも、本当に素晴らしい。無駄な音楽が無いのも良かった。
坂上監督はこの映画の撮影許可を得るまでに6年かかったとか。ここまでしっかり刑務所にカメラが入ること自体、初めてのこと。撮影中も刑務官が常に2名つくなど、幾多に渡る困難を越えてこの作品を世に生み出してくれました。
「知る」そして「考える」「共感する」、さらには「話し合う」ためのきっかけとなるドキュメントです。ぜひ多くの皆さんに観て頂きたいです。先の映画『JOKER』で、救われない気持ちのままでいるあなたにも、ぜひ。
暴力の連鎖を断ち切るということ。 このような取り組みをもっと広げて...
暴力の連鎖を断ち切るということ。
このような取り組みをもっと広げて行くために、
僕たちには何ができるんだろうか。
更生とは何か、刑罰とは何かを、
改めて深く考えさせられた。
もやもや感が残った。
ここにいる受刑者たちはTCを受けることで
心の再生をしているように思え、従来の懲罰一辺倒ではなくなってきているのは非常に興味深く観ることができました。
が、と同時に彼らに危害を加えられた者たちやその家族の心のうちを考えると手放しでいいねとはいかないんじゃないのかな?
おれおれ詐欺の受け子みたいな受刑者はおそらく何十人というお年寄りのなけなしのお金を騙し取ったんだろうし、殺人を犯した人間がちゃんと生きたいと言ってる姿をみて遺族はどう思うのかなとか・・
罪を憎んで人を憎まずと言うが、人間はそう簡単に割りきれるものではない。
受刑者が立ち直り未来へ明るさを取り戻そうとする姿に感銘を覚えつつも、被害者たちの許されざる思いも同時に感じ入ってしまった次第です。
二つの椅子。
拭えない違和感の理由は、はっきりしている。
「償い」や「処罰」と言う社会の期待事項に対する回答の「薄さ」。これが一つ目。二つ目は「掛かるコスト」。
刑務所は矯正施設。その役割は「社外の安全を脅かす存在から、驚異を取り除く事」と言う見方も出来ます。矯正とは「間違った状態にあるものに外力を加えて正しい状態に戻すこと」ですが、その手順は、受刑者に罪と向き合わせ、悔悛させ、被害者や遺族に対する償いの気持ちを喚起させ、二度と過ちを犯してはならないと思わせる事。これが矯正。
TC(Therapeutic Community)とは「対話」による集団治療です。刑務所の中に閉じ込められる事で移動や行動の自由を奪われることが「処罰」だとしても、「償い」に当たるものは何なのか。
TCの終盤、自分と向き合い、自分と言う他人を眺めて問いかけ、問い詰める事で、自分の罪、すなわち自分が傷つけた人々の気持ちを理解し、悔悛の念を抱き始める受刑者。悲しいかな、彼の口から出て来た「償い」の内容は、余りにも「自分の事」の比重が高すぎる。
ドキュメンタリーもTCも、彼らの生育環境や、家族との関係に、なぜ彼らが「罪を犯してしまったのか」の答えを求め過ぎようとしているきらいがある。同じ境遇で育った者の中には、犯罪に走ることなく「間違った」生き方をしていない者もいると言うのに。確かに。社会には罪がある。けれど、暴力の連鎖は社会だけの責任ではない。
島根旭は、そもそも犯罪傾向が進行していない受刑者を受け入れる刑務所。再犯率の統計比較はフェアじゃない上、40人のTCに掛かる費用には一切触れられていません。
平成23年の「再犯率」(出所した者が再び罪を犯して検挙される率)は38.8%(5年以内)。TCを受けたものは、その1/2との事なので概ね20%とすると。40人の内、8人は再び何らかの罪を犯している事になります。8人の再犯者を減らすために、運営を民間に委託し、心理の専門家数人をTCに派遣していると言う言い方もできる訳で。犯罪による損失と更生にかかる費用の天秤は、刑務所運営を経営的視点で見る時の指標。率直な印象では、現時点では経営的視点からは「成り立っていない」し、今後もコストに見合う成果が得られる見込みは、無いと考えます。
ここで私も「座る椅子」を変えてみます。
暴力の連鎖を止めたい。
少なくとも、このフィルムを見終えて思う。「暴力の連鎖は止められるのではないのか、その一部ではあっても。」見る人の中に、そう考え始める人は少なくないのでは。少年法の改正をはじめとして、近年、法定刑は厳罰化の方向へ向かっています。現代の社会通念や犯罪傾向、また、少年法については「軽い処罰であることを逆手に取る重大犯罪の発生」と言う事態を鑑み、個人的には支持しています。
一方で。
ジャーナリズムを自ら打ち捨てたマスメディアによる報道被害や、ネットによる「私刑」が拡がっている日本社会は、病んでいるとしか言いようが無く、それこそ「矯正が必要」だとも思われる訳です。
「犯罪者は悪くない。悪いのは社会。」は、某新聞社の伝統芸。昭和時代に出版された数々の「犯罪者本」にはウンザリですが、それでも今、私たちは、犯罪者の人間像と「誰かが彼らを犯罪者にしたのか。彼らは自ら犯罪者のなったのか」を知る必要があるのだ、と言うのがこのドキュメンタリーの趣旨だと理解します。彼等の生育環境に焦点を当てた(過度に情緒に走り過ぎるのは鼻につきますが)構成は、暴力と無慈悲は連鎖するのだと言う事を伝えてくれます。犯した罪、犯罪を犯したものの生活環境と生育環境は、マスコミが無駄にリアルな演出付きで伝えてくれますが、その人物像と思考について報道される事は、稀にでも、無い。
そういう意味では、価値のある、見るべきドキュメンタリーであったと思います。しかしながら、TCによる更生法は、社会心理学的アプローチの実証実験の一つであり、拡大していく事に関しては、否定的な思いを捨てるには至りませんでした。
マイケルムーアの世界侵略のススメでヨーロッパの取り組みは進んでるな...
マイケルムーアの世界侵略のススメでヨーロッパの取り組みは進んでるなと思いきや 日本でも「更正施設」としての刑務所に新たな事をしている まだまだ40人/4万人なのだが‥‥再犯率の低さとしては 効果的の結果 4人の受刑者の育った環境や感情を皆でシェアしていく 文字通りの反省や自己理解をしていこうという試みである
さらに 出所後も定期的にカウンセラー含め集まる。そこでは 出た後もダメだった事も話し合える。
この監督は他にも囚人をテーマに海外でも取材して映画にしている。
他の作品も見てみたいと思う。
素晴らしい監督
先日、監督のトークショーを兼ねた上映会に行ったところ満席で鑑賞できず。再度出直しました。
常々、犯罪をおかした人たちを一刀両断に裁けないよね、というのが感覚としてあり、自分とは別物として思考停止したコメントしかしないアナウンサーやコメンテーターに物足りなく、しらける思いでいた。
この映画を見れば、暴力や共感性の欠如というのは、彼らを取り巻く環境が大きく影響しており、それは社会の一部で、私たちとつながっているということがわかる。多かれ少なかれ皆、経験したり、見聞きしたことがあるありふれたことなのだ。
彼らが自分の体験や感覚を言葉にして交換するうち、色々なことに気づいていく。あるいは、つらすぎることには自らフタをしてしまっていたことに気づく。
監督の粘り強い交渉の甲斐あって実現したこの作品。他にも興味深いテーマを手掛けていらっしゃるようなので、観てみたいと思った。
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