「燃えたよ…、真っ白に…。」ランボー ラスト・ブラッド グレシャムの法則さんの映画レビュー(感想・評価)
燃えたよ…、真っ白に…。
『口角泡を飛ばしての議論』とか『夜の帝王(遊び人の武勇伝というか、コロナ禍以前まではもしかしたら名誉の称号)』という表現があります。
どちらも今回のコロナ禍のために、とても肩身の狭い思いを強いられている表現です(もうすでに何処かでどなたかがおっしゃってるかもしれませんね)。そして、コロナ禍の長期化により下手をすればそのまま〝死語化〟するかもしれません。
あのランボーといえども、娘と思うガブリエラと話していると、肩身が狭いという言葉のニュアンスとは違いますが、自分の役割や居場所というものの落ち着きどころが上手くイメージ出来なくて、あんなに広い場所なのに、わざわざトンネルを掘って暮らしています。自分の生々しい経験も、今の時代では、誰にも理解されないし、歓迎されない〝死語化〟した人生のように感じていたのだと思います。
そんなランボーを襲った最大級の不幸。
だけど皮肉なことに、それがランボーに(誤解を恐れずに言うと)最高の死に場所を用意してくれたのです。リベンジの動機にしたってあんなに辛いことなのに、そして、奴らへの私的な裁きにだって高尚な要素はなにひとつ無いのに、何故〝最高〟なのか?
ランボーの最後は、矢吹ジョーと同じだったのです。
『燃えたよ…、真っ白に…、燃え尽きた…。真っ白な灰に…。』
ジョーの座っていたのは、木製の、たぶんとても安いリング用の丸椅子。
ランボーは(これもそれほど高くはなさそうな)ロッキングチェアという違いはありましたが、私にはダブって見えました。
個人的な感覚で言えば、これほど自分大好きで、見て見てっ!昔のオレも結構カッコいいでしょ❗️
と迫られると、ちょっと引き気味になるのですが、ジョーにとっての段平さんや葉子さんのように看取ってくれる存在のないランボー・スタローンが、ひとり語りで締めくくるのは仕方ないな、と思ってます。